17.狩猟会 その2
「エリアス様、昼食はご一緒に摂りませんか?」
「リース? ああ、うん。そのつもりだよ」
「やったあ……! あ、いえその、私ったらはしたない……。エ、エリアス様。絶対、絶対ですよ?」
「はい」
リースは顔を真っ赤にすると、設営の終わった野外席の方に歩いて行った。野外席は、かなり大きな布が敷かれた上に簡単な椅子とテーブルが並べられており、お茶の準備が始まっているようだった。ナーニャとアイアリスもその準備を手伝っていた。
(最初合ったときからその傾向はありましたが、なんだか最近リースの好感度高すぎませんか? 何かしたっけ……?)
エリアスは首を捻る。フリートラント王家は、王家の中では格下だが王国の中で考えれば上位八家に入る血筋である。それに加えて、最近のエリアスの功績や、一時は危ぶまれたがエリアス灯事業などによって急速に回復しつつあるフリートラント家の財政事情など、客観的に見ればエリアスはかなりの良物件であった。それだけで女性が放っておかない状況なのだが、エリアスにはその自覚がない。
そういったことを除いても、リースは、初対面で優しくされたこと、初めて意識した同年代男性であったこと、その後も丁寧な口調や仕草で優しく接してくれることなどで、すっかり夢中になってしまっていたのだった。元々男性に免疫がなかったリースは実にチョロかった。ちょっと優しくされただけでこれである。
「さて狩りの方も準備が整ったようです。そろそろ我々も行きましょう」
「うむ」
「わかりました」
ダフトに促され、ガリアンとエリアス達は山に入っていく。もちろんそれぞれ一名から数名の部下を引き連れているのに加えて、猟犬を連れた追い込み役が二十名ほどついてきているので、結構な大集団になっている。エリアスのお供にはいつものようにイリーナが付いた。
◇◆◇◆
「この辺りで獲物を待ちましょう」
山に少し入ってさほど長く歩かないうちに、木々が少し開けたところに出たところでダフトが言った。そして、追い込み役として付いてきた若い衆に指示を飛ばす。追い込み衆は森の中に消えていった。
「さてしばらく待つ間、獲物を射る順番を決めておきましょうか」
話し合いの結果、商人、貴族、エリアス、ガリアンの順で撃つことになった。この場で格の高い者があとに撃つという暗黙の了解があるようで、ガリアンが最後にこだわったが、エリアスには特にこだわりはなかったのでそれを譲った。
そうこうしているうちに、森の中から、「そっちへ行ったぞー」「ワンワン」という騒がしい声が聞こえてきた。森の中から動物を誘導してくるのはなかなか重労働だろうに、お疲れ様だとエリアスは思った。
「お、来たようですな。では、私から行かせてもらいますぞ」
商人がお供から弓を受け取り、矢を用意する。まもなくして、商人の前方に森からの小さな野ウサギが跳びだしてきた。
シュッ
商人が射た矢は惜しいところで野ウサギを外れ、カツンと地面に突き立った。商人が二の矢を継ごうと手間取っている間に、野ウサギは森に入って行ってしまった。
「ふむ、残念残念」
さほど残念そうでなさそうな口調で商人が言う。
同じように次に森から追い立てられてきた来た野ウサギを、二番手の貴族が射るがこれも外れる。追い立てられて全力で走ってくる獲物を射るのはなかなか難しいようだ。
いよいよエリアスの順番である。クロスボウをイリーナから受け取り、矢をつがえる。巻き上げ器のハンドルを回し、弦を巻き上げていると声がかかった。
「おお! エリアス殿下、それはクロスボウですかな!?」
声をかけてきたのは商人である。他の二人は物珍しそうというか胡乱げにクロスボウを眺めている。
「そうですが、よくご存じですね。どこでそれを?」
「アインブルクの街で最近独立して工房を開いた、なんといいましたかな。そうそう、ディックとかいう者が作り出した新型の弓と聞いております。なんでも狙いやすくて強力だということで、少しずつ広まりつつあるようですな」
以前エリアスがクロスボウの製作を頼んだ、ドノヴァンの兄弟子ディックが、その後クロスボウの製作販売をしているらしい。この世界には特許もないし、特に口止めもしていなかったのでエリアスには特に文句はない。
「以前、商材として扱えないか検討したことがあったのです。まとまった数がまだ作れないとのことでそのときは断念しましたが、性能によっては生産に投資するのも一考ですな。お、そろそろ次の獲物が来るようですぞ」
確かに森の方がまた騒がしくなっていた。そう話しながらも、商人の視線もエリアスのクロスボウに注がれている。それは生き馬の目を抜く商人の目だった。その説明を聞き、他の二人もクロスボウに興味を持ったようで、興味深そうにしげしげと観察している。
注目を浴びて居心地の悪い思いをしながら、エリアスはクロスボウを構え獲物に備えた。
森から出てきたのはまたしてもウサギであった。そもそもこの辺りには野ウサギが多く繁殖しており、そのためダフトが狩り場として買い取って整備したといういきさつがあった。そのため獲物としてはウサギが圧倒的に多い。
大きめのウサギがエリアスの前に飛び出してきた。幸いなことに距離はあまりない。さらに、足でも怪我をしているのか、その動きは鈍い。
(楽そうな獲物で良かった。さすがにクロスボウに組み込んだ魔術は今回は使えない。よく狙って……今です!)
シュッ……タンッ!
クロスボウから放たれた矢はウサギの後ろ足の腿に当たった。エリアスはほっと息を吐いた。
「お見事! おいお前達、獲物を捕まえろ!」
ダフトが追い込み衆に声をかける。ウサギは足に矢を受けたものの、よたよたと森の奥に逃げ込もうとしていた。そこに追い込み衆から放たれた猟犬が数匹襲いかかる。猟犬たちはあっという間にウサギの息の根を止めると、その体をくわえて持ってきた。その光景にエリアスは思わず眉をひそめる。
「何もあんなよってたかって……いや、狩りに来ておいてそれは今さらか……」
エリアスはなんとも釈然としない思いを誰にも聞こえないように呟いた。商人と貴族がエリアスの射撃を褒め称える。ガリアンは面白くなさそうだ。
「ふん、その弓の性能だろう?」
「そうですね。普通の弓では私の腕ではなかなか当てることはできないでしょう」
下手に言い訳をする気もないので、エリアスは素直に認めた。
「見ていろ、本当の弓の腕前を見せてやる」
ガリアンは自信満々に弓を取ると獲物を待った。
「ダフト様、獲物がそちらに行きます!」
森の方から追い込み衆の声が聞こえてきた。今までに比べてやけに早い。それに先ほどまではあれほどうるさかった猟犬の鳴き声も今回はない。がさがさと木々をかき分けて森から出てきたのは、今度は狐であった。
「狐? それにしてもまた動きが鈍いような……?」
狐はどこか怪我でもしているのか、森から歩み出るとよろよろと進んでいたが、ガリアンの前方で、歩く力も尽きたのかその歩を止めた。
「ふん、ちょうど狙いやすいところに来おったわ」
ガリアンの弓から放たれた矢は、やすやすと狐の横腹に命中した。狐はどうと倒れる。
「さすがガリアン殿下。大物でございます。狐も殿下の気迫に押されて足がすくんだと見えます」
「いつものことながら、少々物足りないな。俺の格がなせる業だな」
「そのとおりでございます」
「さすがですな」
ダフトがガリアンに必死に世辞を言っている。それに商人と貴族も同調する。
(いつものこと? ははあ、なるほど)
これにエリアスはピンときてしまった。ずっとウサギだったのにガリアンの時にだけ現れた狐、それも弱った様子で撃ってくれといわんばかりに現れた。それもこういったことは、この口ぶりだと今回だけのことではないという。
(面倒くさい……もとい、気むずかしいガリアン殿下をもてなすために、ダフトさんがあらかじめ用意していた狐を放ったと考えるのが妥当ですね。しかもわざわざ弱らせてから)
そう考えれば、エリアスのウサギの動きが鈍かったのも、何か細工がしてあったのだろう。エリアスの矢も、当たるべくして当たったのだ。
(なるほど今回の主賓は王族二人。僕たちに気持ちよく帰って貰うために至れる尽くせりですか。まるで接待ゴルフですね。ばかばかしい)
エリアスはだんだんとしらけた気分になってきた。
「さてみなさん、そろそろ昼時です。昼食に戻りましょう」
ダフトの台詞でエリアスの思考は中断される。
「もうそんな時間ですか。確かにお腹がすいてきました」
エリアスは思考を切り替える。昼食はリースと摂る約束をしている。せめて昼食くらいは楽しく食べよう。そう思ったのだった。
◇◆◇◆
「エリアス様、こちらのサンドウィッチも美味しいですわよ」
エリアスの隣に座るリースは上機嫌だ。サンドウィッチやサラダなどを次々にエリアスに勧めてくる。
リースとの約束があったエリアスは、女性陣が陣取る席のなかに一人だけ男性として座っていた。エリアスの他の男性陣はやや離れた場所で食事をとっている。
「リース、そんなに一度には食べられませんよ」
「あらいけない、私ったら。あ、エリアス様、お口に汚れが」
そう言うと、リースはハンカチをエリアスの口元に近づけてきた。
「リース、大丈夫です! 自分でやれますから!」
そんなリースの攻勢に周囲も遠慮のない視線を送ってくる。
「あれがあの奥手のリース?」
「いつもの引っ込み思案はどうしたのよ」
「はー、恋をすると女は変わるのねえ」
リースの友人の女性陣は、そんな風にエリアス達に聞こえないようにひそひそと話し合っていた。また、遠くにいるダフトの方を何となく眺めると、とても満足そうな表情をしているのが見えたのが悔しい。
「それでエリアス殿下、リースとはどうなんですか?」
「どこまで行ったんですか?」
「休日は二人で会ってたり? きゃー!」
いつの間にか話に加わっていた女性陣からエリアスに質問が飛ぶ。女三人寄ればかしましいとはまさにこのことだ。
「いえ、どこまでも何も、今回が初めての外出ですよ。まだお会いするのも三度目ですし……」
その言葉に女性陣が色めきだつ。
「それはいけませんわね」
「ここはリースのために一肌脱ぐところね」
「女の友情を見せる時ね」
リースの友人達は円陣を組んで作戦会議を始めた。
「あ、あのー、みなさん? 丸聞こえですよ」
エリアスがあきれつつ呟いていると、作戦が決まったらしい友人達がエリアスの方を向いた。
「エリアス殿下!」
「は、はい?」
「リースは買い物が趣味なんです!」
「服やアクセサリーを買いあさるの」
「でもとてつもなく趣味が悪いんです」
「そ、そうなんですか」
その迫力にエリアスも押され気味である。隣ではリースが声にならない声をあげていた。
「え? え? 私別に買い物趣味じゃありませんし……そんなに趣味悪い…かなあ」
友人達にとてつもなく趣味が悪いと言われたリースは落ち込んでしまった。
「リースには男性の意見が必要だと思うんです」
「そう、一緒に買い物について行ってくれる男性が! エリアス殿下のような同年代の!」
「お願いします、エリアス殿下! リースの買い物につきあってあげて下さい!」
三人はじっとエリアスを見つめる。その目つきはもはや睨み付けているといっても過言ではない。
さすがのエリアスも先ほどの作戦会議を聞いているし、意図がわからないほど馬鹿ではない。友人達はリースとエリアスが一緒に外出する機会を作ろうとしているのだ。少々強引な話の持って行き方だったが、その思いは真剣だった。
「わかった、わかりましたよ! リース、今度一緒に買い物に行こう。服やアクセサリーを見てまわろう。これでいいですか!?」
「え、あ、はい。よろこんで」
趣味が悪いといわれたショックから立ち直れずにいて、状況が理解できていないリースが反射的に承諾した。盛り上がる友人三人。
「さすがエリアス殿下! 話がわかる!」
「いや、これでわからなかったら馬鹿ですよ! それにこれで断ったら僕が悪者じゃないですか……」
「やったねリース、デートだよデート!」
「え、デート……?」
リースはまだ状況が把握できていないようだ。エリアスは、いつの間にかからからになった喉を潤そうと、お茶に手を伸ばすがカップは空だった。すかさず後ろに控えていた給仕がポットを持ち、お茶を注ぐ。エリアスが給仕に礼を言おうとしたその時、
「ふーん……エル、デートするんだ。その人と」
給仕は隣のエリアスだけに聞こえる声でぼそりと言うと、すっと後ろに戻っていった。
「!!」
ばっとエリアスが振り返ると、そこには氷の微笑をたたえた銀髪のメイドが控えていた。
「イ……イリス?」
「何かご用でしょうか、エリアスで・ん・か?」
「い、いえ……なんでもありません!」
ただならぬ迫力を感じて、思わず前を向くエリアス。
「エリアス様。買い物、楽しみですわね!」
友人達から説明を受けたのか、状況をようやく理解したリースが弾んだ声をかけた。しかしエリアスはそれどころではなかった。
「は、はい。そうですね。ははは」
エリアスはその後、昼食の間ずっと、後ろからの冷たい視線を感じ続け、冷や汗を垂らすことになったのだった。
狩猟会、2回で終わらせるつもりが収まりませんでした。まだ続きます。




