8.成人の儀
そしてまた二年が経った。
夏の昼下がり、エリアスとルーシア、そしてアイアリスは居間でお茶をしていた。ナーニャがお茶の準備をしながら言う。
「エリアス様ももうすぐ十五。成人ですね」
エリアスは十五才、あと数週間で十四才という年齢になっていた。
ホルン王国では社会的には十代はまだ子供と見なされることが多かったが、結婚や飲酒などが可能になる法的な成人は十四と決まっていた。
エリアスが生まれた時には、すでにエリアスと同じくらいの年齢だったであろうナーニャは計算するともう三〇歳を超えているくらいのはずなのだが、その外見はどう見てもいまだに二〇歳前後にしか見えない。まさかナーニャにもエルフの血が入っているのかと思ったが、そんなことはないらしい。謎である。
「この数年あっという間でしたね」
よく冷えたアイスティーを口にしてエリアスが言う。少し前に完成した冷蔵庫の試作品のおかげで、夏でも冷たい飲み物が飲めるようになったのである。
この数年間、エリアスは、冷蔵庫をはじめとして、井戸から水をくみ出す電動ポンプや魔術がなくても着火できるコンロなど、様々な生活用品を作り出して生活環境を改善してきた。
今のところ石油が手に入らないため、動力は電気中心であった。さらに、発電所の電力は安定供給とは言いがたく、しょっちゅう停電を起こしたりしていた。ダムなどなく川や水路に設置しただけの水力発電機は、一日に何度も不具合が起きることも頻繁にあるし、干ばつなどで水量が減ると止まったりもした。それでも、電気が通うことによって電化製品の動作が可能になったため、徐々に電気動力の製品が普及し始めていた。その成果は多岐にわたり、生活の至る所に中世レベルを逸脱した技術レベルの物品が混じるようになっていた。
「成人と言えばあれね」
「あれですね」
ルーシアとナーニャが何かを含んだ顔で頷き合っている。
「イリスの時みたいに、何かお祝いでもしてくれるんですか?」
エリアスは、ナーニャの手伝いをしてお茶を淹れているアイアリスを見る。アイアリスが十五才になったときには、身内でささやかなお祝いをしたのだった。
そして今、十七才になったアイアリスは、以前にも増して美しくなっていた。手足がすらりと伸び、痩せ型の身体の中にも女性らしい柔らかさをたたえた、スレンダーな美少女になっていた。
しかし、クォーターエルフの血のせいか、実年齢よりやや若く見える。知らない人間が見れば、エリアスとほぼ同年代だと思うだろう。
「いえ、そうではなくてですね。お祝いはもちろんするのですが……」
「ナーニャ、どうせすぐわかるんだから内緒にしておいたら?」
「お母様、重要なことをギリギリまで内緒にするのはやめて下さい。僕にも心の準備が必要なのです」
以前の王都への引っ越しのときのような、直前まで自分だけ何も知らないという事態は避けたかった。
「王家の風習で、王族男子は成人の儀としてなにか証を立てなければいけないのです」
ナーニャが成人の儀の説明を始める。
「次期王座争いに関わる出来事は宮廷庁が管理しています。成人を迎える王子には全員、宮廷庁の審議会で決定した課題が提示されます。それをこなすことで、一人前の王族と見なされ権利が保障されるようになるのです」
「課題ですか?」
「珍しい草花や鉱石などの物品を手に入れることや、魔獣を倒すことなどが一般的ですね」
「大変そうですね」
「そんなことないわよ。ちょっとがんばれば見つかるような物探しや、魔獣といっても、弓矢で倒せるくらいの弱い物を狩るような課題よ。未来を担う王様かもしれないんだもの。怪我でもしたら大事よ。そんなことすら自分でできないような無能をはじくための課題よ」
「それにエリアス様は、単独ではないとはいえすでにスチールタイガーを倒されています。それはすでに報告済みです。今さら同じような課題を出すとも思えません」
と、楽観的なナーニャの言葉。
「まあ、近日中に王城に呼び出されて、王直々に審議会の決定が通達されるでしょう。そのときにならないと、課題については何とも言えません」
課題の発表を王が自ら行うのは、大々的に発表することで、成人の仲間入りをする王子を貴人たちに知らしめる意味もあるのだという。万が一にでも課題を達成できないと、挽回不能な大きな恥をかくことになる。
「なるべく楽な課題になるといいなあ」
エリアスは小さく呟いたのだった。
◇◆◇◆
その数日後、謁見の間にエリアスはいた。審議会による課題の選定が終了したとのことで、呼び出されたのだった。
「エリアス・ヴェン・フリートラント。そなたをひとかどの王族として、我らが同胞と認めるための試練を与える」
大勢の列席者が見守る中、ホルン王が宣言する。白熱電灯に名前を冠し、様々な便利な道具を生み出しては、王都のみならず王国の生活に影響を与え続けているエリアスは有名だった。
それにもかかわらず、公の場にほとんど現れないエリアスについては、様々な噂が流れていた。今日はその姿を一目見ようと、大勢の人々が駆けつけたのだった。その注目度は通常の成人の議よりもかなり高かった。
「此度の選定は難儀であったと聞いている。貴殿はエリアス灯という大きな発明を成し遂げたほか、国民の生活に影響を与えるような成果を上げている。また幼少時には凶悪な魔獣、スチールタイガーを倒したとも聞いている」
「はい。光栄です」
「それをかんがみると、通常の成人の儀で行うような簡単な課題では、容易く成し遂げてしまうであろう。物品の探索や並の魔獣などは問題にもなるまい」
「いえ、そんなことは……」
話が怪しい方向に向かい始めたのを感じたエリアスは、嫌な汗が出てくるとを感じた。
「エリアス・ヴェン・フリートラント。そなたに竜種の討伐を命じる。竜種を倒し、深紅の魔素結晶を持って参れ」
王の言葉に室内はどよめいた。
「なんと、成人の儀で竜種とは」
「しかし竜種も様々だぞ。何も強大な竜種を倒さずとも良い」
「とはいえ審議会も意地が悪い」
周囲のどよめきに飲まれて一瞬呆然としてしまったエリアスだが、すぐに我に戻って姿勢を正して言った。
「拝命しました。必ずや成し遂げましょう」
こうして、エリアスの成人の儀は始まったのだった。
◇◆◇◆
屋敷に戻ったエリアスは、すぐにナーニャと作戦会議を行った。
「ナーニャ、まずは……竜種とはなんですか?」
「竜種とはトカゲ型の魔獣の総称です。様々な種類がいますが、大きな物では体長十メルト、口から火を吐き空を飛ぶものもいます。古代から生きている古代竜の中には言葉を操り魔術を使うものもいるという話です」
「そんなものを狩ってこいということですか? 無理でしょう」
「いえ、そんな強力な竜種はあまりいません。下位の竜種は三メルト程度の大トカゲといったところです。火を吐かなければ空も飛びません。スチールタイガーより弱いでしょう」
エリアスは、地球最大のトカゲであるコモドオオトカゲを三メートルに大きくしたような姿を思いうかべた。十分に怖い。
「ではそのような弱い竜種を倒してくれば良いのですね」
「はい、しかし魔獣の体内に蓄積されている魔素結晶の大きさは、魔獣の強さと生きてきた時間によります。竜種が生成する魔素結晶は、総じて血のような深紅だとのことですが、下位の竜種の場合、魔素結晶自体を宿していないことも多いかと思います」
「数を狩って見つけるしかないですか……」
「そうなりますね。このあたりに、下位竜種の巣があります」
いつのまに準備したのか、地図を広げてナーニャは言った。王都から八日ほどの山あいのようだ。
「下位竜種の巣まで行って、下位竜種を探して魔素結晶を見つける。こんな感じですね」
「それでは早速、出立の準備に取りかかりましょう。私とアイアリスさんが同行します
「え、一人で行かなくていいの?」
「そんな決まりはありません。ただ討伐の場合、あまり大人数の兵士を連れて行くと体裁が悪いですね。後々笑われかねません」
「二人くらいなら大丈夫ってことですか?」
「いえ、私たちはメイドです。兵士ではありません。王族ならば、身の回りの世話をするために使用人が同行するのは当然です。しかし使用人とはいえ、主人が危険な場合には剣をとって戦うこともあるでしょう」
「達人級の剣士と王国トップレベルの魔術師を連れて行くのに、すごい屁理屈ですね!」
◇◆◇◆
三日後、旅支度を調えた三人は王都を旅立った。課題に期限はないが、成し遂げるまでのスピードも評価されるので早めに出立したのだった。目的地は大きな街道のない山の方であるため、今回は徒歩である。
「だんだんと森になってきましたね」
旅を始めてから五日ほどすると、街道の両側はうっそうとした森になっていた。
「すぅ……空気が気持ちいい」
「エリアス様、この先にある村が目的地までの間にある最後の村です。今晩はそこに泊まりましょう」
「わかったそうしよう」
そう言ってエリアスは銃剣を担ぎ直した。そう、二年の間に、エリアスは銃を完成させていたのだった。とはいえ、魔術を使った銃の実現性についてはスチールタイガー戦ですでに確立していたので、後は銃把などの細かい部品をそろえて組み上げるだけであった。
その見た目は一般的に小銃と呼ばれるものであった。銃の先端には大ぶりのナイフが装着され、銃剣になっていた。そのナイフにはもちろん超振動の魔術回路が刻まれている。
「エル、それ重そう。おいていったら?」
「エリアス様、何故その槍は柄まで鉄なのですか? 重くて使い勝手が悪いでしょうに」
銃を知らない二人が銃剣を見てそう忠告した。
「いいんです。これは槍としても使えますが槍ではありません。魔術を使った飛び道具です。そうですね、『魔導小銃』といったところですか」
そんなやりとりをしながら歩いているうちに、一行は目的の村にたどり着いた。
◇◆◇◆
「これはこれは、王族の方とは。こんな辺鄙な場所によくいらっしゃった。何しろこんな山奥ゆえ、高貴な方が満足できるような十分なもてなしはできませんが……」
「いえ、大丈夫です。寝る場所だけ貸していただければ」
村長の口上が長くなりそうだったので、エリアスは遮ってそう言った。それでも、食事を用意してくれることになったので、ありがたく相伴に預かることにした。
食事をしなから下位竜種について尋ねる。
「近頃、下位竜種どもの活動が活発になっております。つい先日も山菜採りに森に入った若者が下位竜種に襲われました。幸いなことに一命は取り留めましたが重傷です。以前はこの辺りまで出てくることはありませんでした。それに見かけたとしても、こちらから攻撃しない限りは襲ってくることはなかったのですが……」
「最近急にですか? 他に何か変わったことは?」
「そうですのう。森の奥にしかいないはずの動物を村の近くで見かけることが多くなりましたな。もしかしたら下位竜種はそれらを追って山を下りてきたのかもしれませんな」
エリアスは考える。村の人には申し訳ないが、下位竜種を数多く狩らないと行けない可能性がある今、下位竜種の活動が活発になっているのは都合が良いと言える。
「下位竜種の巣はどの辺りでしょうか」
地図を開いて尋ねる。
「ええと、この地図だとこの辺りですな。ここに滝がありまして、その周辺を縄張りにしているようです。しかしおおざっぱな地図ですな。これでは山中で迷ってしまいますよ。あとで詳細な地図を書かせましょう」
「ありがとうございます」
王都に出回っている地図はおもだった都市や街道は書いてあるが、山間部の精度には問題があるようだ。
「この世界にはまだ、伊能忠敬はいないようですね」
「なんですか?」
「いえ、こちらの話です、では明日、その滝の周辺から下位竜種の探索を行いましょう」
「うん、エル」
「わかりました。エリアス様」
◇◆◇◆




