3.仮説と検証
ナーニャから魔術を教えて貰った日の翌日から、エリアスは早速【点火】をマスターすべく、毎日のように試行錯誤した。練習を始めた当初は一瞬で消えてしまった炎だが、【魔素】の流れを細かく調節することで、あるときは一秒、またあるときは二、三秒と、持続時間が長くなることがあったのをエリアスは見逃さなかった。
「そうか、【魔素】の細かい調節が大事なんだ!」
エリアスは一ヶ月目にして、変動する空間【魔素】の歪みに合わせて体内から放出する【魔素】を細かく調節することで、比較的長時間、炎を維持できることを発見した。コツを掴んだことで、安定して五秒間【点火】を維持できるようになった。
「しかし……、これは簡単なんてもんじゃない。一番簡単なんて、ナーニャの嘘つき……【点火】!」
ナーニャの話では、魔術名を唱える必要は必ずしもないとのことだけど、唱えた方が制御が簡単になるとの事なので律儀に唱える。なんでも、世界の【魔素】が過去に多く唱えられた呪文と、それに対応する現象を覚えているとのことだ。しかしエリアスは、そんな誰も確かめようがない話は眉唾だと思っていた。
結局、エリアスがどんなに頑張っても炎を維持するのは五秒が限界だった。まあ、五秒もてば火種としては十分だろう、そう考えたエリアスは、次の魔術の研究にうつった。
エリアスは、ナーニャから【点火】以外の魔術についてもやり方を教わっていた。体内から【魔素】を放出し、場の【魔素】を歪めて現象を呼び出すという基本は同じだ。その後のイメージで、発生する現象が決定する。
「次は【水雫】!」
台所から持ってきた陶器の壺に水が溜まる。
「あれ? あっさり成功した? まあいいや、次。【微風】!」
これもあっさり成功し、室内にそよ風が吹く。
「なんだか肩すかしだなあ。【点火】で苦労していたのは持続時間……【水雫】や【微風】は効果が発生するまで一瞬で持続時間は関係ない。ということは、もしかして僕、魔術の持続時間以外は問題ない?」
首をひねるエリアス。
「まあいいや、これで最後! 【石礫】!」
【石礫】も無事に発動し、拳大の石ころが壁にあたり、カンカンという乾いた音を立てて床に落ちる。
【石礫】は小さな石ころを呼び出し、前方に飛ばす魔術だ。石が飛ぶスピードは人が手で投げる程度。人に当たったら、当たり所が悪ければ出血くらいするかもしれないけれど、基本的には無害だ。隣の家の窓ガラスを割るいたずらくらいにしか使えない、存在意義が不明の魔術である。
エリアスとしても、用途不明の魔術を練習するのもどうかと思うのだが、魔術を学ぶならば、他の三魔術と一緒に練習するようナーニャから言い伝えられている。
なぜかというと、 【点火】、【水雫】、【微風】、【石礫】の四つで、火水風土の基本四魔術と呼ばれているからだそうだ。この四魔術がすべての魔術の基礎であるとされるため、魔術を最初に学ぶものは必ずこれらを学ぶことになっているのだ。
「うん、やっぱり持続時間に問題があるだけで、発動時間が短い魔術は問題ないみたい……?」
エリアスはひとりごちた。
「しかし、火水風土とか四大元素論かー。現代では水素からウンウンオクチウムまで一一八の元素が発見されてて、一一九番目もきっともうすぐ見つかるかっていうのに。化学なめんなって話ですよ」
ぶつぶつ文句を言いながら、床に転がる石ころを拾う。顔に近づけてしげしげと石を観察する。
「これは……黒いから玄武岩ですか? 地学は詳しくないけど火山岩っぽいような気がします」
【水雫】の水といい、どこから湧いてくるんだろう? それよりこの水、ナーニャは水差しに入れてたけど、本当に飲んでも大丈夫なのかな。不安になってきた。
石と水を眺めながら考える。【点火】と【微風】はまだいい。何らかのエネルギーの遷移があったと考えれば理解できない現象ではない。
しかし、【水雫】と【石礫】は明らかにここにはなかった物質が現れている。まるで召喚魔法だ。
「召喚魔法? そうか召喚魔法だ!」
エリアスの脳裏に雷光のように仮説が浮かんだ。
空間の【魔素】の歪みによって、空間そのものが歪むとしたらどうだ。歪みの度合いによっては空間にワームホールのような穴が生じうる。
その穴が別の空間と繋がっていたら? 繋がった先のエネルギー準位が高ければその空間からエネルギーが流れてくるはずだ。そう考えれば、エネルギー保存則は矛盾なく説明できる
水や石が湧いてくることも説明できる! 別空間から取ってくるだけだから質量も保存されているはずだ!
すごい、すべてが説明できる仮説だ。これに違いない。これまでのファンタジー現象を説明できる仮説にエリアスは歓喜する。
しかし、エリアスは根っからの理系人間だ。そんな仮説に仮説を建て増したような仮説は、仮説とは言えない、ということを知っていた。そもそも別の空間とつながるワームホールが本当に生成できるのか、という時点で怪しい。
「こんな論文書いたら、証拠がないといって教授にけちょんけちょんにけなされる。データのない仮説は想像と同じだ」
エリアスは考える。このような現象を起こしうる【魔素】とは何だろう。なぜ、、どうやって【魔素】はそのような現象を起こすのだろう。それが解決されない限りは仮説は成り立たない。
「はあ……。結局はそこか。得体の知れない【魔素】の性質を検証しようがない。【魔素】の状態を計る計測機器もない」
エリアスはいったん考えるのをやめて、うーんと伸びをする。
「とりあえず、今はこの仮説で我慢しておいてやる。筋は通っているしね。でもいつか絶対解明してやるぞ! そう、時間はまだまだあるんだ。だってまだ六歳とえーと三ヶ月だからね。
そうさ、仮説と検証、実験は慣れてる。散々教授にしごかれたんだ。もう名前も姿も覚えていない教授だけど、しごかれたことだけは覚えている。その経験はもう持っていないけれど、そこで得られた知識は覚えているはずだ」
エリアスは方法を『知っている』。あとは粛々と実行するだけだ。新たな決意を胸に、エリアスは部屋を飛び出した。
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