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6.保存食

 その日、エリアスはナーニャとともに陳情客の相手をしていた。


 フリートラント王家は八王家の末席に名を連ねるだけあって、それなりの広さの領地を持っていた。交通網が発達していないため、完全な中央集権は不可能であるので、領内の治世は各都市の自治に任せている部分が大きい。しかし、助成金などの予算の分配や税収の納付など、特に金銭に関わることについてはトップであるフリートラント王家が掌握していた。陳情客の多くは、助成金の増額か、納税の猶予を求める陳情であった


 通常なら陳情客の相手はノーデンとノアかその部下、さらに人手が足りないときにはルーシアが行っていた。しかしフリートラント家の要人たちは、このところエリアス灯の事業で奔走しており人手が不足しがちであった。この日ノーデンとノアは部下を連れ、街灯事業の拡張のため隣の町に出かけていた。またルーシアも街の会合に出席しており、陳情客の相手を出来る人間がいなかった。


 そこで、普段は家の経営にノータッチのエリアスがかり出されることになった。エリアスが図書館から大量に本を借りてきて読破していることをルーシアは知っていた。そして、エリアス灯の発明も、それら文献の中から調べて発見した技術だと思い込んでいた。そのため、エリアス灯の発明自体に対する驚きはあまり持たずに受け止めていた。しかし、それを形にしたエリアスの知識量については信頼を置いていた。


 そんなルーシアが、エリアスに少しの間の代官を依頼したのだ。エリアスは気は進まなかったが、他の人間の多忙ぶりを見ていると断りづらかったこともあり、結局は引き受けたのだった。


 陳情客は、領地の西の端にある海に面した港湾都市の都市長だった。政務室に入室した都市長は、正面の重厚な机に座る少年――エリアスの姿を認めると、少し肩を落としたようだった。長い時間をかけてわざわざ陳情にやってきたのに、こんな子供が出てきたら落胆もしようというものだ。


「都市長どの、座ってください。僕はエリアス・ヴェン・フリートラント。フリートラント王家次期当主です」


 正式に次期当主に決定したわけではないが、若干のブラフも含めてエリアスはそう告げた。次期当主という単語を聞いた都市長の顔に、少し期待の表情が戻る。


「僕には予算執行を含む決定権があります。また、本日のやりとりはそこの使用人が全て記録します。僕一人で決定できない事項については、後日回答をすることをお約束します」


 その台詞を聞いて、都市会長は明らかに安堵の表情を浮かべた。


「それで、本日のご用向きは何でしょうか?」


 港湾都市長が話し始める。


「我が港湾都市は貿易と漁業で成り立っております。貿易については例年通り、特に問題は起きていないのですが、漁業について問題が起きておりまして……」

「というと?」

「今年は近年まれに見る大漁が続いているのです」

「良いことではないですか? 何が問題なのですか?」

「ええ、多少の大漁ならば喜ばしいことだったのです。しかし今年は、潮目か風向きか他の何かが原因かはわかりませんが、ずっと異常な大漁が続いております。その結果、港は魚であふれかえっております。都市内では消費しきれず、魚の価格は下がる一方、ついには値がつかない状態になってしまいました。かといって、いかんせん生ものです。あまり遠くの都市まで売りに行くことも出来ません。漁民は生活に困窮しております」


 王都まで持ってきて売れれば良いのですがね、とつぶやく都市長。王都から港湾都市までは馬車で約半月の距離である。故障の少ないエリアスが改良した新型馬車を使用すれば、その時間はいくらか減らすことは出来るだろうが、それでも魚が腐る速度には敵わないだろう。


「干物や燻製にすれば良いのでは?」

「やっております。しかし、残念ながら海辺以外では干物はあまり人気がありませんので、捨て値で買いたたかれてしまいます」

「僕は好きなんですけどね干物。確かに王都では人気がありませんね」


 王都では魚の干物や燻製はほとんど見ない。動物性の保存食というと干し肉か燻製肉ばかりである。そもそも内陸地の王都周辺では魚食の習慣が薄かった。川魚がたまに食卓に上がることはあっても、あくまで基本は牛肉や鹿肉などの肉食だった。


「さいわい魚はたくさんあるので餓死者は出ないでしょうが、このままでは生活に困った漁民たちによる暴動が起こるやもしれません」

「なるほど、だんだんわかってきました。その漁民たちへの支援金を出せと?」

「そのとおりです。我々も特別予算を組んで補助金を配布していますが、このままでは不足することは明らかです。何とかご助力をお願いしたく申し上げます」


 都市長は必要な補助金額の見積もりなどが書かれた書類をエリアスに渡した。


 エリアスは思案する。補助金を支援するのは良い。都市長が往復一ヶ月もかかる王都までわざわざ陳情に来るくらいだ。現地の状況は悪いのだろう。 

 しかし、補助金は短期的には有効だろうが、根本的な解決にはならない。豊漁はいつまで続くまでわからない。来年以降もたびたび起きるかもしれないし、もしかしたら慢性化するかもしれない。それに、せっかく獲った魚を捨てているのも無駄である。有効に消費するなり、他都市へ輸出する手段を模索すべきではないか。


「現地での消費はさんざん試されているでしょう。となると問題は魚の消費地を拡大できないこと……必要なのは、輸送に耐えうるだけの保存性……」

「え、えーと、殿下?」

「ポンプとモーターはあるので冷蔵庫は作れますが、現状では移動電源が確保できません。開発期間もおそらくかなりかかりるでしょうから即効性がありません。今回は保留ですね。普通に保存方法を教えるのが良いか……」


 補助金拠出の可否とその額について詰めるつもりだった都市長は、ぶつぶつとつぶやきながら思考に入ったエリアスを不安げに見ていたが、考えのまとまったエリアスが言った。


「わかりました。補助金は出しましょう。金額については後ほど協議しますが、当面必要な分は確保できるようにします」

「あ、ありがとうございます!」

「それはそうと都市長どの、食品の画期的な保存方法について提案……ご指南させていただきたいのですが」

「保存方法?」

「ええ。食品を腐らせずに数ヶ月……場合によっては一年以上食べられる状態で保存する方法です。これを使えば遠くの街へ魚を輸出することが可能になるでしょう」

「な、なんと。そんな方法が……?」


 言葉では驚いているが、都市長は半信半疑、というより疑いのまなざしだった。そんな便利な保存方法があるのならば、なぜ広まっていないのか、コスト的にか技術的にか、何か問題があると考えるのが自然である。


「今から実演して見せます。台所に行きましょう。ナーニャ、昨日のシチューがまだ残っていましたよね? あと密閉できる瓶を用意してください」


 エリアスが教えたのは缶詰のルーツである瓶詰の製法だった。食品を密閉容器に入れて十分に煮沸すると、容器内の腐敗菌が死滅し、外部からの菌の侵入もないため腐らなくなるのである。


「煮沸は十分にしてください。そうですね、三十分……四半刻くらい念入りに煮込んでください。中身は今回のようにシチューやスープのような料理でも良いですが、マグロ……回遊魚のの水煮や油漬けなどは食感も肉に近いので、王都周辺でも食材として人気が出るでしょう。まあ、ツナ缶ですね」

「ツナ?」

「いえ、こちらの話です。この製法は密閉が命です。こちらの瓶はまだまだ密閉度が甘い場合が多いので、完成後ロウなどでふたを封緘して下さい」


 いまだ半信半疑の都市長だったが、エリアス自らの説明を袖にするわけにもいかず、熱心にメモをとっている。


「完成です。シチューはこの時期なら普通は二、三日でだめになってしまいますが、このシチューはふたを開けない限り腐りません。港湾都市までの岐路は約半月でしょうか。持ち帰ってから開封してみてください。おいしくいただけますよ」

「あの……、補助金の方は」

「そちらは大丈夫です。追って使者を派遣します。金額についてもご希望に添えると思います」


 こうして、エリアス一家の昨日の晩ご飯のシチュー(ナーニャ作)が入った瓶詰を持って都市長は港湾都市に帰って行った。


「今回は見送りましたが、冷蔵庫はいずれ欲しいですね。干し肉を戻してスープにしたものが主体のメニューにもそろそろ飽きてきました。もう少し新鮮な肉や魚を食べたいところです」


 こうしてエリアスは冷蔵庫の開発に着手することになる。しかしそれはまた別の話。実用化にはまだしばらくの時間が必要だった。


 数ヶ月後、港湾都市長から感謝の報告が届いた。瓶詰を使用した交易が軌道に乗りそうだとの知らせである。

 港湾都市に戻った都市長は半信半疑で瓶詰の封を開けた。どうせ腐っているだろうと匂いを嗅いだが美味しそうな香りがするではないか。恐る恐る食べてみると、もちろんそれは腐ってはいなかった。港湾都市長はすぐに食品加工業者を集めると、ありあまっている魚介類で瓶詰めを生産し始めた。

 瓶詰による保存と運搬方法が確立されたことで、今まで売りに行けなかった距離の街にまで、魚の瓶詰を輸出できるようになった。その範囲はしだいに広がり、フリートラント領全域で魚の瓶詰を見かけるようになった。その後、瓶詰めの製法は徐々に広まり、港湾都市以外でも農産物や畜産物を瓶詰にしたものが流通するようになっていくのだった。


 王都の食卓にも、魚の瓶詰を使用した料理や、干し肉でない新鮮な肉を使った煮込み料理、果物のシロップ漬けなど、様々なが並ぶようになり、王国の食生活はしだいに豊かになっていった。



◇◆◇◆



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