2.八王家
交代で風呂に入り終え一息ついたところで、エリアスとアイアリス、それにルーシアとナーニャの全員は応接間のような部屋に集まった。
エリアスもそろそろ現実逃避をするのを観念した。政府要人区画にある屋敷、殿下という尊称、これらからどういう状況なのか何となく想像はつくが、改めてちゃんと確認し、今後の状況に対応しなければならない。
「お母さま、色々と聞きたいことがあります」
「そうね。わかっているわ。どこから話したものかしら。うーん、そうは言っても私、説明苦手なのよね」
「奥様、私が説明いたします」
「お願いねー」
ナーニャが説明を受け継いだ。
「エリアス様、王家についてどれくらいご存じですか?」
「全然。王様が国を治めているというくらいしか、『学校』では習わなかったし」
「ならば、そこからですね」
ナーニャがホルン王国の歴史を語る。
ホルン王国の歴史は約八百年と言われている。王国の建国当初は、直系の王族が世襲で国を統べる通常の形態の王国であった。
しかし、約四百年前にとんでもない愚王が即位することになる。愚王は自らの贅沢のために国庫の金を浪費し、自身に賄賂や贈り物を納めたものを重用した。治世に関心を持たず、領土は乱れ、外交をおろそかにしたため領土は他国に削り取られた。結果、国は乱れて人心は荒廃した。
さらに悪いことに、その愚王は自分の息子を溺愛したため次代の王も愚王に育ってしまった。その息子はさらに息子をと、このような愚王が数代続くことになり、あわや国の存亡の危機というところまで王国は追い込まれた。
この国難に際して、王家の分家筋がクーデターを起こすことになる。共謀して王と直系王家を廃嫡に追いやり、政治中枢を掌握することに成功したのだ。その際、直系王族は追放されたとも処刑されたとも言われているが、結果として直系王族は王国から排除された。
「そんな話、歴史の授業で習いませんでしたよ?」
「いわば王国の恥部ですから。調べればわかることですが、大っぴらに教えてはいません。その王家廃嫡の際に活躍し、権力を掌握した分家筋の八家が、現在は八王家を名乗っています」
「王家が八つもあるっていうことですか?」
「その通りです。かの歴史の愚王をまた輩出しないために、現在ではホルン王は選抜制になっています。八王家の直系男子の中から最も優秀な者が選出されて、ホルン王に即位するのです。ホルン王は国の全権を掌握し、八王家はこれを支えます」
「え? そこは八王家の合議制じゃないの?」
「エリアス様、絶対的な君主がいないと国は成り立ちません。合議制の国は古代にありましたが、いずれも意思決定の統一性を失うか、あるいは衆愚政治となった末に滅びました」
政治に無知な子供に諭すように言うナーニャ。いかにも中世らしく、ここでは絶対君主制が正義のようだ。それはともかく、エリアスにもだんだんと状況が読めてきた。
「嫌な予感がするんですが、いや、王都に付いたときからずっとしていたんですが。ということはこの家は……?」
「八王家のひとつ、フリートラント王家です。そしてエリアル様の本名は、エリアル・ヴェン・フリートラント王子。ヴェンは継承権を持つ王家の直系子息であることを表しています」
「うわあああ……! 聞きたくなかった。聞きたくありませんでした!」
半ばわかっていたことであったが、自分が王族、しかも王子であることをはっきりと伝えられ、エリアルは頭を抱えた。アイアリスも絶句している。そんな様子を見て、今まで黙っていたルーシアが口を挟んだ、
「なんでそんなに嫌がるのよ? 王家の血筋で王様になれるかもしれないのよ? 男の子の夢じゃないの?」
「嫌ですよそんなめんどくさい。僕は政治とか権謀術数とかには関わりたくないんです」
「まあ、そうよねー。めんどくさいわね。でも、そんなに嫌がらなくても大丈夫よ。王子と言っても、王位継承権を持っている子だけでも八王家で現在、三十人? 四十人だったかしら? それくらいはいるのよ。その子達は何年も前から王座を巡ってしのぎを削っている。いまさら王座争いに加わってもほとんど勝ち目はないわ。それにうちの王家は、昔はすごかったんだけども今は衰退してしまって、ぶっちゃけ王座とか興味ないの」
「威張って言うことですか……。ということは?」
「そう、今までとあんまり変わらないわ。好きにしていていいわよ」
「奥様、そうは言っても、王都に戻ってきた以上、他王家や貴族との交流は避けがたく……」
「そうね。ご近所づきあいはしてもらわないといけないわね。明日にでもホルン王に挨拶に行かないといけないし、そうなると近いうちに歓迎のパーティーとかもあるでしょうし」
台詞の後半から、ルーシアの言う「ご近所づきあい」が一般的な意味でのご近所づきあいでないことは容易に想像できた。しかし、そういったしがらみはあるものの、ルーシアにはエリアスの生活に大きな制限を付ける気はないようだ。
「僕の立場はなんとなくわかりました。しかし、なぜ今まで説明してくださらなかったのですか。なぜお母さまと僕だけアインブルクの街に? お父さまはどうなさっているのですか?」
立て続けの質問にナーニャが答える。
「はい。エリアス様のご尊父、エルバート・フリートラント王陛下はエリアス様がお生まれになった直後、事故で逝去されました。その時、エリアス様は第一子で生まれたばかり、他に直系のご子息もいなかったため、フリートラント王は空位となりました。しかし、完全に空位のままでは実務に影響が出るため、その全権はエルバート様の弟君のノーデン様が仮継承しています。エリアス様の叔父にあたる方ですね」
「ノーデン様のフルネームはノーデン・エス・フリートラント様。エスは王位継承権を失った王子息を示しているわ。つまり、エリアスのお父様がフリートラント王になったのでエスの名前が付いたのね。
なので、本当ならフリートラント王の正統な継承権はエリアスにあるの。それなりの年齢になったらエリアスが継承して、ノーデン様はその座を譲るのが筋なのだけれどね、ノーデン様はどうも自分の息子をフリートラント王にしたくて仕方がないみたいなのよ」
「当時からそのために根回し工作などをして暗躍していたようです」
フリートラント王家の内部にはそのようにノーデン一派が暗躍していた。また、家の外にも王位継承権を巡ってエリアスを排除せんとする怪しい動きがみられた。そのような折に起きたエルバートの事故である。当然のように暗殺が疑われた。案の定、調査をすると事故にはいくつもの怪しい点が浮かび上がることとなった。確証はなく、疑いの域は出ないが、もし本当に事故が何者かの企みであったならば、次に狙われるとすればエリアスであることは確実だった。
「そこで我々は身を隠すことにしたのです」
ルーシアはアインブルクの街に潜伏する。とはいえ、王都から五日程度の街である。本気で足跡を辿ろうとすればすぐに見つかってしまう。本気で隠れるつもりならば、もっと僻地に行く必要があった。
しかし、想定敵性勢力からすれば、エリアスが権力中枢にいるかどうかが重要なのである。エリアス達が王都から去って行くのであれば、わざわざ追う必要もない。たとえエリアス達が後々王都に戻ってきたとしても、王位継承争いには加わるには周回遅れであるし、フリートラント王家の権力掌握も難しいだろう。
また、暗殺などの強硬手段に出るには、それなりのリスクがある。発覚すれば政治的失脚は免れない諸刃の剣であるのだ。であれば、王都を出奔したエリアス達は放って置かれる目算が高い。当時のルーシア達はそう判断した。
そしてそれは正しかった。エリアスが九歳に成長するまで、敵からの追っ手の影は全く見えなかった。
ルーシアは最初から権力や王座に全く興味がなかったので、エリアスが成人後もそのままアインブルクの街で暮らすつもりだったようだ。なので、わざわざ血筋の話をしても仕方がないということで、今日までエリアスには語らずにいたのである。
「では、なぜ今になって王都に戻ってきたのですか?」
「最近中央で何か状況が変わったのか、ちょっかいをかけてくる輩が増えまして……」
「あそこにいても人手も足りないし、ナーニャがそろそろ大変そうだったのよ。状況がわからずに引きこもってるのも限界かなーって思ってね。そろそろほとぼりも冷めた頃だし、状況を確かめるためにも、いったん戻りましょうってね、二人で決めたの」
エリアスは唸った。ルーシアは相変わらずお気楽そうだが、思ったより事態は深刻かもしれない。政争に巻き込まれて命を狙われている可能性があるというのは、なんともぞっとしない話である。
「ま、そういうめんどくさい話は、当面私とナーニャでなんとかするわ」
「エリアス様。この屋敷……いえ、この区画は安全なので自由に出歩いても大丈夫です。ここで揉め事を起こしたら、下手したら王権で即刻一族郎党の首が飛びます。そんな馬鹿はいないでしょう」
ナーニャの口から物騒な台詞が聞こえたが、外国の要人も住まうこの区画での争乱は国家反逆にも等しい扱いなのである。騒ぎを起こせば衛兵がすぐに飛んできて鎮圧するのだ。
「聞きたいことは大体いいかしら?」
「はい、お母さま。実感は湧きませんが、状況は理解しました」
「そう。じゃあ、さっきも言ったように、あなたには早速明日から挨拶回りをしてもらわないといけないの。入ってらっしゃい!」
ルーシアがぱんぱんと手を叩く。扉の外に控えていたのか、二人のメイドが部屋に入ってきた。
「じゃ、よろしくお願いするわね」
「失礼します」
「え?」
メイド達は形ばかりの礼をすると、エリアスの両腕を掴んで立たせて、そのまま引きずっていく。
「ええええ?」
突然の展開に戸惑いエリアスは叫んだ。そのままエリアスは、メイド達に引きずれて扉の向こうに姿を消した。廊下の向こうに消えるエリアスの声が小さくなっていく。
「エ、エル?」
エリアスの血筋のことやこれから働く家のことで、あまりに自分の常識と違う世界の話が展開されて、思考が固まっていたアイアリスだったが、突然エリアスが連れ去られたのを見て、意識が現実に引き戻された。
「大丈夫よ、イリスちゃん。服の採寸しに行っただけだから。さすがに公式の場にいい加減な服で行くわけにいかないから、超高速で仕立てないといけないの」
「え、っと。そう……ですか。あの、エルが王子さまって……」
「それも大丈夫よ。言ったでしょ? この国は王子がいっぱいいるの。エリアスなんてその末端よ。本人も王座には興味なさそうだし、今までと変わりないわ」
「でも……、そんな高貴なお方に、私なんかじゃ……」
「ああ、そうそう。王家って言ってもね、うちは伝統的にお嫁さんに血筋とか求めないのよ? 平民でも亜人でも全然オッケーなの。私も平民出身だし。だからイリスちゃんも大丈夫!」
「え、そんな……お嫁さんって、その、えっと……そんなつもりじゃ……」
アイアリスは口ごもって赤面する。
「私はイリスちゃんには期待しているのよ。便宜上使用人として連れてきたけれど、そっちの仕事は適当に融通するから、エリアスと仲良くしてあげてね」
「そんな、ちゃんと仕事もやります」
「このお屋敷メイドもいっぱいいるのよ。でもエリアスと仲良くできるのはあなただけ。適材適所よ」
納得していない様子のアイアリスに、ルーシアは続けて言った。
「なんだったら、エリアスの子供の顔を見せてくれても良いのよ?」
「――――っ!」
「ふふふ、エリアスにはまだちょっと早いわね」
そんな会話が繰り広げられているとは知らないまま、エリアスは別室でメイドに囲まれ、メジャーを当てられて採寸されたり、立体裁断のために布を当てられたりしていた。
「ちょっと腕が疲れてきたんですけど……」
「エリアス殿下、動かないでください。時間がないのです」
「はい……。それはともかく殿下はやめてください……」
棒立ちでなされるがままになっていて暇なエリアスは、メイド達の作業を何となく見ていた。裁断済の布をまとめて、早速しつけ糸で仮縫いを始めている針子の様子を見て、ミシンとか作ったら需要ありそうだなあ、などということを考えていた。
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