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1.引っ越し

 エリアスが四年生を修了して二ヶ月ほどたった日、エリアス達――ナーニャとルーシア、それにアイアリスを加えた四人は、王都に引っ越すことになった。


 そして出立の日、ナーニャが馬車を準備している。しっかりとした箱馬車である。荷物の積み込みなどの雑務をアイアリスが手伝っている。使用人としての雇用は王都に着いてからという約束だったが、これから世話になる身で何もしないのも気が引けたのだ。エリアスも見ているだけではどうかと思ったので、荷積みの手伝いをしていた。


 そんな作業がおおむね終わりかけた頃、ドノヴァンとイリーナが見送りに来てくれた。やってきたとき、イリーナはすでに感極まった様子で涙ぐんでいた。


「にゃぁ……うぅ、エリアス。ナーニャさん、元気でね。んぐ……私のこと忘れないでね」

「イリーナ、その、またきっと会えるから」


 エリアスは、泣きながら別れの言葉を述べるイリーナを宥める。こういう場面は苦手だった。どう声をかけていいかわからない。おろおろしていた。


「イリーナさん、ちょっと」


 そのとき、馬車の御者台についていたナーニャが、イリーナを呼び寄せた。まだ泣いているイリーナは御者台の方に歩いて行った。イリーナがナーニャの元まで辿り着くと、そのまま二人で何やら話を始めた。


 剣の師弟で積もる話もあるだろうし、泣いているイリーナの相手は自分よりナーニャの方がいいだろう。エリアスはそう考えて、正直なところ少し安心していた。エリアスは、イリーナをナーニャに任せて、近くに居たドノヴァンと話す。


「じゃあな、エリアス。俺もそのうちそっちに行くから待ってろよ」


 イリーナに対してドノヴァンはあっさりしたものだった。もう彼の中では王都に行くことは確定事項のようだ。俺も早く王都にいきたいぜ、と軽口を叩いていた。


 そんな話をしているとイリーナが戻ってきた。いつの間にか泣き止んで、それどころかすっかり元気な様子だ。


「にゃ! エリアス! 王都でもしっかりやりなさい。首を洗って待ってるにゃ」

「え? うん。ありがとう。でもその言葉はおかしくないですか?」


 先ほどまで泣いていたイリーナが、元気になったことに少し戸惑ったもののそう答えた。


 準備を終えた四人は馬車に乗り込む。最後に二人と別れの言葉を交わすと、馬車はゆっくりと走り出した。


(さっきは心配したけれど、最後は気持ちよく別れられてよかった。イリーナにはまた機会を見て会いに来よう!)


 こうして一行の馬車はアインブルクの街を出発した。



◆◇◆◇



 アインブルクを出発した馬車は王都に向かってゆっくりと進んでいた。王都までは馬車で約五日の行程である。旅も終盤にさしかかった四日目にそれは起きた。


ガタン!


 御者をしていたナーニャは、馬車の車輪から大きな音が上がったことに気がついて馬車を止めた。御者台を降りて車輪に近づく。


「また車輪ですか?」


 異変に気づいて馬車から降りてきたエリアスがナーニャに尋ねた。そして一緒に車輪を覗き込む。


「あー、割れてますね」

「はい。予備の車輪に交換しますので、しばらく休憩していてください」


 馬車の車輪には厚い木の板を丸く切ったものが使われているが、木目に沿って、中心の軸を通るように真っ二つに割れてしまっていた。一日前にもこの車輪は不調をきたしていた。そのときは、軸受けの穴の部分が痛んでいただけだったので、応急処置をしてそのまま使用したのだった。しかし、そうやってだましだまし使っていたのが悪かったのか、ついに限界が来たようだった。ここまで破損しては交換しかない。


 エリアスはうーん、と伸びをすると、馬車の中に呼びかけた。


「イリス、お母さま、しばらく休憩です。降りてきてはどうですか?」


 その声に、馬車中の二人が降りてくる


「うーん、久しぶりの馬車もいいけど、外も気持ちが良いわね」

「おしりが痛い……」


 ルーシアは慣れているのかまだまだ元気な様子だが、アイアリスは馬車での長旅に参っているようだ。そんなアイアリスの様子を見て、無理もないとエリアスは思った。


「舗装もない道で、サスペンションもない馬車、車輪は丸板ですからね……」


 エリアスは考える。今まさに交換中の車輪、あれは良くない。板を切り出しただけの構造だから衝撃に弱く、長時間過酷に使用すると壊れてしまう。それを見越して予備を積んではいるが、交換の手間は大変なものだ。例によって人間離れしたナーニャは一人でやっているが、普通は女性が一人でできる作業ではない。それに、地面からの衝撃がダイレクトに車軸に伝わる。乗り心地の悪さの一因だった。


「やはり車輪はスポーク車輪を採用すべきですね。耐久性が悪すぎます。とりあえずは木製スポークか……ドワーフの鍛冶に頼めば、もしかしたら金属のワイヤースポークも作れるかもしれませんね」


 いままでに色々と部品を発注してわかったのだが、この世界のドワーフの加工技術は存外に高い。木工技術もさることながら、特に鉄工の技術は非常に高い。

 それだけの加工技術がある一方で、こんな貧弱な車輪を使っているし、クロスボウですら普及していない。この世界の技術にはそんなアンバランスさがあった。


(発明家がいない? それとも、新規の技術を開発しようとする意識がないか宗教か社会思想的に押さえ込まれている? いや、その割には簡単にクロスボウ作ってくれたし……いや、そんなことよりも今は馬車の改善案ですね)


 エリアスは、この世界の技術のありようを考えて、深いところに行こうとしていた意識を馬車に戻す。


「やはり、サスペンションが必要です。ガタガタガタガタと衝撃がダイレクトに伝わってきて全然快適じゃありません! むしろ歩いていた方が楽だったくらいです。お母さまはよく平気ですね!」

「慣れよ慣れ。あとは諦めかしら? 馬車はこういうものだっていう」


 後半はルーシアに向けて叫んだ。アイアリスとともに木陰に腰掛けて休んでいたルーシアが後ろから答える。いつのまにか敷物を広げて、その上でくつろいでいる。アイアリスは疲れているのか横になっていた。


「イリス、大丈夫ですか?」

「大丈夫。座ると痛いから、横になっているだけ」

「イリスちゃん、はい、【治癒】(キュア)!」


 意外と元気そうなアイアリスの声。本当に、長時間の馬車で尻が痛いだけのようだ。痛がっているからといって、おしりをさするわけにもいかないし、ルーシアが【治癒】(キュア)をかけているので、放っておいた方が良さそうだ。そう思ったエリアスは、サスペンションの実現可能性について考えを戻す。


「バネの技術はあるみたいなので、あとは油圧か空圧のショックアブソーバーを作ればいけますね。構造は簡単なので大丈夫でしょう。油圧には粘性の高い油があれば……うん、いけそうです。試作しましょう」


 エリアスがスポーク車輪とサスペンションの製造を決意した頃、車輪の交換を終えたナーニャがやってきた。


「みなさん、修理が終わりました。出発しましょう」


 敷物を片付けたアイアリスとルーシアが馬車に戻る。エリアスも乗り込んだのを確認して、ナーニャは馬車を発進させた。

 馬車は王都に向かって進み出す。王都まではもう少しだった。



◆◇◆◇



 王都グランカスターは、国王の住まう王城を中心とした城郭都市である。グランカスターとは王城の名であり街の名でもある。街を指す場合は単純に「王都」と呼ぶことが多い。

 王城を中心に直径約千メルトの円を城郭が囲んで旧市街を形成している。これはホルン王国建国時に建築された、旧来の王城都市である。現在王国で広く使われているメルト単位系は、この旧市街の直径を一グランメルトとし、一グランメルトを千メルトとしたことから始まる。

 旧市街を囲んで、さらにおおきな、直径約三グランメルトの円をさらに城郭が囲んでいる。旧市街が手狭になったため、後の時代に拡張された新市街である。

 旧市街は王城から放射状に区画整理されており、現在は貴族など上流階級の人間が住んでいる。一方、新市街は旧市街ほどは計画的には区画整理されておらず、その町並みは雑然とした印象を受ける部分も多い。一般の市民や商人などはこちらに住んでいる。


 人口は推定約三十万人。これは固定住所に住んで地税を支払っている人間からの推定であるが、戸籍制度や人頭税がないため正確な人数は把握されていない。


 翌日の昼下がり、エリアス一行を乗せた馬車は、一つめの城門をくぐって新市街に入った。エリアスとアイアリスは窓から珍しそうに街の様子を眺める。


「さすがに王都はにぎやかですね」

「人が、いっぱい」


 思ったより栄えているなとエリアスは思った。馬車が進んでいる大通りには、商店が建ちならび人々が行き交っている。日本で言うと東京二三区の主要駅とまでは行かないが、郊外の衛星都市くらいのにぎわいに見えた。城郭で囲まれているため、密度が高いのかもしれない。


「新市街は、裏の方に行くともっとごちゃごちゃしてるらしいわよ。人通りの寂しいところもあるそうだから、行くときは気をつけてね?」


 明らかに伝聞形で実体験ではない忠告をルーシアがしたのを、エリアスが聞き流していると、馬車は二つめの城門にたどり着いた。ナーニャが城門番といくつかやりとりをして、通過が認められた馬車は旧市街を進みだした。


 旧市街は新市街と打って変わって落ち着いた雰囲気だった。道の左右の建物は間口が広く、それぞれがそれなりの面積を持った屋敷であることがうかがえた。そして馬車は放射状に広がる大通りを王城に向かって進んでいった。瀟洒だがあまり代わり映えのしない街並みを眺めていたエリアスだったが、王城までの道のりの三分の二ほどを消化したところで、疑問を口にした。


「もう結構王城の近くまで来たと思うのですが、まだ着かないのですか?」

「もうちょっと先よー」


 ルーシアはいつものように適当な返事である。アイアリスはもちろん行き先を知らないし、ナーニャは御者台にいるので任せるしかない。

 ついに馬車は王城の門にたどり着いてしまった。


「お母さま、この先お城ですよね? もしかして王城に入るんですか?」

「違うわ、エリアス。遠くにもう一つ門が見えるでしょ? あそこからが王城。ここから先は、王族とか大臣とか、関係者が住んでたりする区画ね。あ、大使館とかもあるわ。出入りするのがめんどくさいのが難なのよね」

「はあ」


 国家主席や大臣クラスの邸宅や大使館が集まっているというのは霞ヶ関みたいなものだろうか、とエリアスは思った。

 そのとき、馬車のドアがノックされた。いつの間にかナーニャが馬車の外にいた。


「奥様、少しよろしいですか。衛兵がお顔を確認したいと」

「あら、相変わらず融通が利かないわね。久しぶりだから知ってる顔がいるかしら」


 ぼやきながら、ルーシアは馬車を降りてナーニャとともに衛兵の詰め所に歩いて行った。その姿を目で見送りながらエリアスは思った。区画丸ごと随分厳しいセキュリティチェックを行っているようだ。王族や大臣クラスの重要人物が暮らす区画に入っていく自分たちはいったい何なのだろう。考えるのを先延ばしにしてきた自分の出自に関する秘密に近づいている気配がひしひしとした。


 隣を見るとアイアリスが不安そうにしているのが目に入った。生まれ育った街を離れて違う街に引っ越すというだけでも不安だろうに、いきなりこんなところに連れてこられては心細くなるのも仕方ないと言えた。


「イリス、大丈夫ですよ。お母さまもナーニャも動じていません。堂々としていればいいんです」

「だってエル、こんな立派なところ。私なんかが、入っていいのかな……」

「たぶん、僕のお父さまに関係しているんです。めんどくさそう……もとい、事情が複雑そうだからずっと聞かないようにしていたのですが。

 同行するのだからイリスにも関係することを忘れてまし……じゃない、えーと、そうだ。せめて引っ越す前にお母さまを問い詰めておけば良かったですね、うん」

「めんどくさそうって言った……あと忘れてたって」

「家庭の事情とか面倒なこと考えたくなかったんですよ……」

「エルってそういうところあるよね。私のことだって……」

「いや、その」


 アイアリスはジト目でエリアスを見つめる。旗色が悪くなってきたエリアスがしどろもどろになっていると、ちょうど、衛兵の詰め所からルーシアが戻ってきて、エリアスを救う形となった。


「ただいま! やー、昔門前で立ってた若者が偉くなっちゃってて、呼び出すのに手間取ったわ。月日が流れるのは早いものね。あれ、どうしたの?」


 アイアリスはまだジト目でエリアスを見つめていたが、エリアスは馬車の窓から外を見てごまかした。

 馬車は門を通り抜けると右手の区画に入りしばらく進むと、一件の屋敷の前で止まった。アインブルクの屋敷よりも格調高いたたずまいで、間取りも広そうに見える。しばらく屋敷の前で止まっていると、奥からメイドが急いでやってきて門を開いた。そのまま馬車は屋敷の敷地内に入ると玄関前で止まった。屋敷のメイドが馬車の扉を開けたので、ルーシアが馬車を降りる。


「おかえりなさいませ、ルーシア殿下」

「私は殿下って程の身分じゃないわよ。ただの奥様よ。素敵な奥様」


 素敵な奥様という自分の言葉が気に入っているのか、ふふんと得意げな表情のルーシアだが、続いて降りようとしていたエリアスは一瞬固まった。日常語で出てこない単語なので自信がないが、「殿下」は王族かその配偶者に対する尊称であったはずだ。


(この流れだとやっぱり僕も……? もういいや、どうにでもなれ)


 意を決して馬車から降りた。


「いらっしゃいませ、エリアス殿下」

「いや僕も、殿下って柄じゃ」

「残念ながら、あなたはそれで合ってるのよ。今のところは」


 半ば予想通りに殿下呼ばわりされたエリアスが、ルーシアと同じように拒否しようとしたところ、当のルーシアに肯定されてしまった。


「お母さま……?」

「その話はあとでゆっくりね。イリスちゃん、降りてらっしゃい」


 ルーシアは手を伸ばして、完全にタイミングを失って様子をうかがっていたアイアリスを馬車から下ろした。


「この子はアイアリスちゃん。エリアスのお友達だから、しばらくはお客様扱いよ」

「承知しました。アイアリス様、いらっしゃいませ」


 ルーシアはメイドにそう宣言してアイアリスの頭をなでた。


「さあさ、長旅で疲れたでしょう。お湯を用意させるわ。みんなお風呂に入りましょう。ナーニャもずっと御者で大変だったわね。あとは屋敷のメイドに任せなさい」

「ありがとうございます」


 ここに来て、急に水を得た魚のように場を仕切りだしたルーシアは、ナーニャを連れて屋敷に入った。エリアスも続こうとしたが、アイアリスは気後れしているのかなかなか中に入ろうとしない。見かねてエリアスはアイアリスのもとに近づいた。


「だめ」

「え?」


 アイアリスの手を取ろうとしたエリアスだったが、アイアリスはその手をよけると、小走りですり抜けるように玄関に入っていった。そしてこっそり振り返ると、誰にも聞こえないような小さな声でいった。


「あとで。お風呂入るまでは、近づいちゃだめ」


 旅の間も体は拭いていたものの、さすがに風呂には入れなかった。先ほどまではあまり気にならなかったが、風呂の話題が出たのでどうしても気になってしまうアイアリスだった。


 あとには、馬車から荷下ろしを始めたメイド達と、アイアリスの手を取ろうとした体勢のまま、差し出した右手のやり場に困ったエリアスだけが残された。



◇◆◇◆



引っ越しだけで終わってしまいました。

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