18.襲撃者
エリアスは反省していた。
さすがに銃はまずい。この世界のパワーバランスが確実に崩れる。そう考えてエリアスは、銃火器の開発に関しては慎重に扱うことに決めていた。
ドノヴァンへ発注した部品も、ただの鉄の筒、鉄パイプである。もしかしたら、【爆発】の魔法で銃の機構が再現できるんじゃないないだろうか、そういう思いつきを確かめる実験をするために作ってもらっただけで、実際に銃を作ろうとは考えていなかった。
もしも、実験が上手くいって銃を作るとなったとした場合でも、エリアスは、銃身以外のフレームや銃床の部分は別の木工業者に発注しするつもりだった。組み立ては自分で行い、完成形は誰の目にもさらさないで秘匿するつもりだった。
「イリーナはあんまり深く考えてなさそうだったけど……」
スチールタイガーを倒した鉄筒を、魔術に詳しくないイリーナは、なにかの魔導具の武器だと思ったようだ。そういう強力な武器もあるんだろう、という軽い認識だった。
「ボクが押さえてたから倒せたけど、それさ、動き回ってたら当たらないよね。ボクでも簡単に避けられるよ」
イリーナは、銃もどきの威力については感心していたが、総合的な武器としてはまるで有用性を感じていなかった。そのため、鉄筒にあまり興味を持たなかった。
「しばらく銃は封印します。開発凍結です! ……いや、でもこの中途半端な状態は気になります……やっぱり銃床だけでもつけておこうかな……照星と照門どうしよう。いっそ【遠視】の魔術を魔術回路化して組み込んでしまえば……ふふふふ」
銃を封印しようと決意していたはずのエリアスは、いつのまにか新しい銃の構想を考えはじめて、ひとりトリップし始めた。
◆◇◆◇
今日も、ナーニャは屋敷内の家事を行っていた。ナーニャはこの屋敷の、掃除に洗濯、炊事などを一人で行う。洗濯機や炊飯器、ガスコンロなど、便利な電化製品のないこの世界では、家事も重労働である。
「掃除と洗濯は終了です。もう昼過ぎだというのに奥様はまだ寝ていらっしゃいます。本当にあの人は……」
昨日ルーシアは、眠れないと駄々をこねて、夜中にお菓子を引っ張り出してお茶会を始めたかと思うと、案の定、今日は昼まで起きてこなかった。これは今日に限ったことではなく、普段から、お菓子を食べすぎて食事が食べられなくなったり、逆に変な時間にお腹が空いたと騒ぎ出して食事を要求したり、昼寝して夜眠れなくなったり、そのせいでまた食事の時間がずれたりと、ルーシアの生活は不規則きわまりなかった。
まるで子供であるが、立場上ナーニャはさほど強く批難することができないし、他に生活態度をしつける人間もいないため、ルーシアはフリーダムな駄目人間ライフを謳歌していた。
「奥様のことはもう放って置いて、買い物に行きましょうか」
そうして、掃除と洗濯を終えたナーニャは、夕食の食材を仕入れるために買い物に出かけたのだった。
マーケットに食材を買いに行く途中、ナーニャは少し遠回りして『学校』に赴く。近くまでやってくると、『学校』には入らず、周辺をゆっくりと歩いた。ナーニャが歩を進めていくと、やがて地味な風体の男がこちらに歩いてきた。男はナーニャにちらりと目配せすると近づいて来てすれ違う。
「お客さんが来てたぜ……。偵察だけで帰ったようだが、多分あんたのところのだ」
男はすれ違いざま、小声でぼそりと告げると、何事もなかったかのように歩いて行った。ナーニャは感謝の気持ちを込めて軽く会釈をすると、考えにふけった。
男はザインバッハ家の『影』だった。
『学校』には何人もの貴族子弟が通っている。前述のザインバッハ家のような比較的有力な貴族若干名に加えて、零細貴族の子供まで含めると幾人もの子弟が通っているのだ。
この街は領内でもかなり治安がよく、少し遅い時刻まで子供が一人で歩き回っていてもほとんど危険はない、そういうレベルで安全だった。
しかし、貴族というものは、さまざまな対立や利害関係が存在する。さらに、治安がいかに良いとは言え、悪事をもくろむ物がいないとは言い切れない。敵対者や、身代金目的の誘拐などを警戒するのは当然だった。
そのため、『学校』に通っている子供を持つ貴族達は、密かに護衛や密偵を『学校』周辺に放っていた。しかしここは安全な街である。おおっぴらに物々しい護衛を付けるのは大げさだったし、そこまでの必要があるとも考えられていなかった。そのため若干数の密偵が、目立たないようにひっそりと護衛するのだった。
各家から放たれた密偵の目的は、子供の安全を守るという点で一致していた。もちろん主人の子弟を守ることが至上命題であるが、大きな視点で考えれば『学校』の安全を守ることが、その任務に繋がると考えられた。しかし、一つの家から派遣されている密偵の数は少なく、全てを網羅して警戒を行うのは不可能だった。
そこで、各家の密偵はいつしか協力体制を築くようになった。常日頃から情報を交換し、襲撃者や怪しい者があれば、例えその目的が他の子供だとしても、その凶刃から守る。そういう暗黙の協定が、何年もの間続いていた。
男の言葉にナーニャは警戒を強めた。男の言う『お客さん』の目的はエリアスだろうか。これまでも常に警戒は行ってきたつもりだったが、実際に敵の影が見えたのは初めてである。杞憂なら良いが、せっかくの情報を見過ごすわけにはいかない。対応を練らねばならなかった。
目下のところ、『学校』は安全であるので、比較的危険度が高いのは登下校の道中だ。ナーニャの目に届きにくい部分でもあり、先日もスチールタイガーの襲撃にエリアスをさらしてしまった。また、最近はエリアスが裏庭の森を散策しているが、その行動の監視も甘くなっていた。
「日中のエリアス様の監視は『庭師』に働いてもらいましょう」
屋敷の庭師はナーニャの手駒の『影』であった。彼は普段、屋敷の庭の手入れを行っているのだが、それは実は単なる庭いじりではない。庭の整備に見せかけて、密かに侵入者に対する防御を築いているのだった。防壁や罠を巧みに設置し、屋敷の関係者や来客がそれに引っかからないように適時解除するなどして管理する。それが庭師の仕事であった。
現在のナーニャには、自由に動かせる駒が実質彼以外いなかった。負担をかけてしまうが彼に監視を頼むしかない。実際に襲撃があった場合、庭師一人ではやや戦力に不安があるが、緊急連絡を素早く行い、ナーニャ自身が駆けつけて倒す体制を築く。ナーニャはそう目論んだ。
「あとは、屋敷の防御態勢を強化ですね」
こうしてナーニャは、まだ姿の見えない襲撃者の影に備えるのだった。
◆◇◆◇
チー、チチチ
その日、エリアスとルーシアが床につき、すっかり寝静まった夜中、屋敷にかすかな音が響き渡った。屋敷の屋外を警戒していた庭師からの秘密の合図である。
「何かが罠にかかったようですね」
前庭の罠に侵入者がかかったという信号であった。ナーニャは素早く剣を取ると屋外に出た。合図によると前庭の敵は排除されたようだ。あとの警戒は庭師に任せておいて問題ないだろう。ナーニャは裏庭に出て周囲を索敵した。
気配を殺して裏庭を警戒していると、ナーニャは森の中に潜む敵の気配を察知した。最低でも数人以上の人間が森を移動している。
「これは大勢のお客様ですね。いらっしゃいませ」
襲撃者は森を進んでいた。全身黒ずくめの装束に身を包み、顔も黒布で覆い隠していた。先頭を進んでいた二人が森の端にたどり着く。目視で屋敷が見える。
腰からナイフを抜いて戦闘態勢を整えた二人は、他の仲間――残り三人がたどり着くのを待っている間、屋敷を観察していた。襲撃者は、人数にまかせて複数経路から一気に侵入して制圧する計画だった。窓から入るか扉を破るか、侵入口を確認していたその時だった。音もなく何者かが、先頭の一人の後ろに降り立った。
シュッ!
黒装束の後ろに立ったナーニャは、音もなく剣を振り抜いた。
ドサッ
地面に何かが落ちる音がしたとき、黒装束の頭は消えていた。頭を失った黒装束の体から、噴水のように血が噴き出す。返り血がナーニャのメイド服に染みを作った。
「あらいけません。警告をするのを忘れてしまいました。でも、私有地で武器抜いていたのだから正当防衛ですよね」
いまだに血を噴き出している体を、嫌そうに剣の先で突いて地面に倒すと、ナーニャは振り向いてもう一人の方に向いて言う。
「侵入者の方。武器を捨てなさい。服が汚れるので降伏してください」
もう一人の黒装束は、その台詞には答えずナイフを構えて飛びかかってきた。ナーニャは特に気負った様子もなく、自然体で立っている。ナーニャは、メイド服に付いた血が洗濯で落ちるかということを考えていた。魔術で身体速度を上げた襲撃者がナーニャに迫る。
キンッ!
「!」
澄んだ音を残して、襲撃者の手のナイフから刃が折れて消えた。驚愕して一瞬動きが止まった黒装束に対して、ナーニャは音もなく動くと、太ももを剣の切っ先で突き刺した。さらにナーニャは、もう一方の足も剣で切りつけると、黒装束を無力化した。
「こんなレベルの襲撃者を送ってくるとは、なめられたものですね。さて、残りを倒した後で、あなたには色々と聞きたいことがあります。ここで待っていて下さ……あっ」
黒装束の太ももからは血が噴き出し止まる気配がない。大量の血を失っていく襲撃者はみるみる青くなっていく。もう何分ももちそうにない。
「……動脈を切ってしまいましたか。まあ、あと数人いるのでそっちに聞きましょう」
気を取り直したナーニャは、諦めて黒装束にとどめを刺した。そして、残りの襲撃者を倒すために森の中に向かった。
「依頼者を聞き出したかったのですが、わかりませんでした。実戦で手加減とかしたことがなかったので仕方ないですよね、ええ」
結局、残りの三人の襲撃者も、胴を真っ二つにしたり、心臓をひと突きにしたり、腕を切り飛ばしたりして、あっさりと倒してしまった。ほぼ全員即死である。尋問どころではなかった。
「しかし、襲撃があったということは、エリアス様がここにいることが、ついに漏れたのでしょうか」
ナーニャは考えを巡らせる。
「潮時かもしれませんね。エリアス様も成長していらしたことだし、そろそろ……」
明るく輝く月の下、ナーニャは屋敷への帰路を急いだ。メイド服の血の染みを早く落とさなければならない。
◇◆◇◆




