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けれど本当は、気付いている。

 ほおずき市に来た。姉と。昔と違い、手を繋いではいないけれど。

 細い参道沿いに並ぶ、いくつものほおずき屋台。神社の中はいつもと違い、僅かな出店で賑わっていた。俺が子供だった頃より幾分か廃れてはいたが、それでも、ゆったりとした祭りの空気は流れていて。

「ねえ、智樹。たこ焼き屋さんあるよぉ」

 どこからともなく流れてくる、祭り囃子の音が心地好い。

「あ、焼きそば屋さんも。どうしよう、どっちにしようか?」

 ほんのり曇った初夏の午後。穏やかで、緩やかな。

「どっちかで良いの? お好み焼きとかも、あるかもしんないけど」

 ズボンのポケットに手を入れたまま、姉に問う。どこからともなく、ソースの焦げるような香ばしい匂いがした。

「うーん、それも捨てがたいなぁ。智樹はさ、いっぱい食べれる?」

 満面の笑みで、姉が俺を見上げている。思えばいつの頃からか、身長が逆転していた。昔は俺の方が、背が低かったはずなのに。

「そんなに。てか、ひょっとして自分が食いたいだけ食って残りを押し付けようって魂胆?」

 今はもう、俺の肩ほどまでしかない。

「あ、ばれたぁ?」

「ばれるよ。な……姉さん、昔からそういうとこあるし」

 無邪気にはしゃぐ姉の姿は、今も昔と変わらない。変わってしまったのは、俺の。

「だって智樹は男の子でしょ?」

 ポケットから手を出し、姉に差し出した。目立たないように、そっと。

「意味判んねえよ、それ」

 指先が触れる。熱を帯びる。

「昔は、菜摘の方が大食いだったし」

 握り返される。指先が蕩ける。

「そんなことないよぉ。智樹が中学の時とかご飯何杯食べてたぁ?」

 ニセモノの恋人同士。ほおずきの花言葉を思い出す。花言葉は。

「覚えてねえって」

 偽り。

 思わず、笑ってしまった。偽りの市だからこそ、ほおずきの恋人を、演じられているのかもしれない。

「あたし覚えてるよぉ。確かねぇ、五杯」

「俺そんなに食ってた?」

 声を立てて笑い合う。もしも俺たちが姉弟でなければ、こうしていられたのだろうか。この先も。

「食べてたよ。智樹、すっごいご飯食べて背ぇ伸びたから、あたしよりおっきくなったんでしょ?」

 叶わぬ願い。知っている。

「関係ないって、それ」

 判っているから、虚しくなる。

「そっかなぁ? でも、ほら、あたし。今たくさん食べといた方が良いんだよねぇ。だから智樹も一緒に」

 幾ら姉に惹かれようと、叶える術は存在しない。するはずがない。理解している。

「判った判った。いっぱい食えば良いんだろ?」

 適わぬ想いに嫉妬して、不可能な夢を見続けて。断ち切らなければいけない。そのために、俺はあれを用意したのだ。

「よっし。じゃあ、まずはたこ焼きにするぅ」

 屋台の店先に並ぼうとする、楽しげな姉に目を細めた。愛しくて、悔しくて、憎くて。愛しい。

 いつだってそう。俺は姉が愛しくて、俺は姉が憎かった。あの時も、きっと。

「……菜摘」

 俺は何故、あんなことをしてしまったのだろう。姉は何故、それを拒まなかったのだろう。

「なぁに? 智樹」

 切り札の存在を指先で確かめ、引き攣る頬を意識した。ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「菜摘はさ、俺のこと、どう思う?」

 細かく刻んだほおずきの根。効果があるかは判らない。

「どうって? 好きだよ」

「弟として?」

 無意識のうちに、口を突いて出た言葉。否定しか望まないような。

「……人として」

 困ったように空中を見上げ、菜摘が呟いた。人として。それは、俺が望む答えと同じなのだろうか。違うのだろうか。それとも。

 気付くと、口元が引き攣っていた。嘘のせいでなく、自嘲で。もしも望む答えが得られたのなら、俺はどうしていたというのか。

「そんなの、当り前でしょ?」

 腹に手を添え、姉が微笑む。当り前と言うのなら、どうして菜摘は笑んでいられる。

 ポケットに手を突っ込み、切り札を取り出した。姉に気付かれないように、小銭を探すふりをして。

 掌に隠し持つ、ほおずきの根。俺の切り札、決別の証。

「当り前、ねえ」

 今の俺は、どうかしている。あの日の俺と、同じように。

「当り前だよ。だって智樹は」

「弟だから?」

 いや。あの日より良いはずだ。熱病に浮かされた俺よりも、今の方が。

「……弟だけど、でも」

 言いながら、菜摘は目を伏せた。腹をさすり、中の命を慈しむ。

「判ってる。菜摘、変なこと訊いて悪かった」

 ほおずきのような姉。孕む毒は、俺を苦しめる。見透かし、恐怖を煽る。その笑顔で。

「うん。判っててくれて良かったぁ」

 どこかの馬の骨に盗られるくらいなら。そう思う。いっそ自分の手で。願う。叶えてはいけない願望。封じ込めるべきだった。

 指先を握る菜摘の手に、ぎゅっと力が込められた。伝わる温もり、鼓動。壊してしまいたい衝動。切り札を、握り締める。

「……菜摘」

 無垢な菜摘の笑顔。不純な俺の顔。相容れるはずがない。最初から。

「喉乾いたろ? 何が良い?」

 弄ばれただけなのだ。そうでなければ、姉が平然と帰って来られるはずはない。

「え? と、じゃあ、ラムネ」

 ほおずきの根。本来なら乾かし煎じて使用するそれは。

「了解。菜摘は列に並んどけよ?」

「判ってるってぇ」

 堕胎作用を持っている。姉の中に眠る子供を、堕ろす作用を持っている。

 詳しくなったおかげで知った。育て方、花言葉。薬効に別称。輝血カガチ、額づき、盆提灯。どれもこれもが、相応しい。

 決別のはなむけ。飾るほおずき。市を賑やかす小さな提灯が、俺の決意を後押しする。

 身勝手なのは知っていた。間違いには気付いていた。姉の幸せを阻む権利が、俺にはないということも。

 そう。最初から、俺にそんなものはなかったのだ。

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