ゆっくりと、確実に。
高校がテスト期間でなければ良かったと思う。それならば、昼飯前に家に帰ることもなかっただろうに。
姉と二人で過ごす家の中は落ち着かず、早く母がパートから戻って来るようにと願ってしまう。しかし生憎今はまだ二時過ぎで、母が帰ってくるのは五時過ぎで。
絶望的なほど時間は長く、姉は上機嫌だった。
「ねえ、智樹」
リビングでテレビを見ながら、姉が俺の名を口にする。
「智樹、今年受験生だよね? どこの大学行くか決めた?」
「まだ。てか、今テスト期間中だし」
食い終えたインスタントラーメンを手に取り、席を立つ。残り汁を流しに捨て、生ごみをコンポスタに入れた。
リビングとダイニングキッチンが繋がっている構造は、時としてひどく鬱陶しい。
「知ってるぅ」
それなら何故この時期に帰って来たのか。俺はそう言い掛け、止めた。代わりに、部屋で勉強するから、と告げる。
姉と二人で過ごすのは、怖い。俺が俺を制御しきれなくなりそうで。
「智樹、教えたげよっか? これでも一応、教育学部だしぃ」
ようやく慣れてきた嘘に、振り回されてしまいそうで。
「て、まあ。先生になれるか判んないんだけどねぇ」
姉がいる生活は、俺を摩耗する。表立つ感情が擦り減り、ささくれ立つ。隠すべきものを露見させ、不要なまでに締め付ける。俺を。
「……いい」
恐らく姉は、気付いている。いや最初から、気付いていた。気付いていて、無視して、弄び。
「遠慮しないでよ、智樹。あたしたち“キョーダイ”でしょ?」
決定的な言葉を述べる。あの、紅色の唇で。
姉を見遣ると、素知らぬ顔でテレビ画面を見続けていた。姉にとっては当り前の。しかし、それならば何故。
「あ、そだそだ。ほおずき、ありがとねぇ。智樹が世話してくれてたんだって?」
柔らかく髪を揺らし、姉が俺を振り返った。姉の瞳に俺が映る。
「……えっと、ああ、一応。母さんに任せると枯らしそうだったし」
「あはは、確かに。お母さん意外とがさつだもんねぇ」
普通の、姉弟としての会話がぎこちない。思わず、目を逸らした。
「それにねぇ、あたし。智樹が世話してくれてたってこと、嬉しかったりするんだよ?」
姉のほおずき。姉に似ている。見た目より逞しく、強く。毒を孕んで。
「週末、楽しみだねぇ」
そう。ほおずきは毒を持っている。アルカロイド、植物塩基。薬効は。
「……ああ」
はっとした。いつの間にか、俺は詳しくなっていた。姉が家を開けてから。ほおずきの世話を始めた時から。
「今週いっぱいでしょ? 智樹のテスト。だから打ち上げがてら、ね?」
ほおずきを姉に見立て、慈しみ。俺がいなければ駄目なのだと言い聞かせ、都合良く愛で。
滑稽な話だ。どうしようもなく女々しく、どうしようもなく愚かな。
「今んとこ安定してるし、あたしの方は大丈夫だからさ」
抗うことの適わぬ感情。俺はゆっくりと、リビングの扉に手を伸ばした。姉に背を向け、声をかける。
「……母さんたちには、そのこと話したの?」
表情は悟らせない。俺は今、ひどく醜い顔をしている。
「まだ……」
しかし、姉の口調は明るい。
「でも大丈夫。心配しないで。智樹に迷惑は掛けないから、ね?」
姉の言葉を遮るよう、扉を閉める。感情をリビングに残したまま、俺は二階の自室へと向かった。




