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8:交渉アウトサイダー


 夜は一層深まっていく。季節は本格的な秋を迎え、茂みでは虫たちがコンサートを開いているし、窓を開ければ仄かに金木犀の香りが漂うことだろう。

 僕が肌でそれらを感じられたのはひとえにこの場の静寂による。

 どういうわけか、坂井珠希はいきなり口を閉ざして黙りになったのだ。

 立て板に水とまではいかなかったが、そこそこ動いていた彼女の舌が静止して約十秒、さすがにおかしいと判断したのか、鳥山千歳が、首をひねりながら彼女に尋ねた。

「先生、いかがなさいました?」

「わたしはもう、限界だ」

 さっきまでの凜とした態度は、冬場のヒマワリのように萎えていて、どこか弱々しいものに変わっていた。口調も穏やかになって、なんだか見た目どおりの幼さ残る少女になっている。

「は、はやくチョコを……」

「……」

 麻薬中毒者を彷彿とさせる振るえる舌で、おやつを求める少女に同学年としての呆れが先行した。

「効果がきれる。ちと、もう少しくらいいいじゃないか」

「ダメです。さっきの一個だって大目にみたのよ。イレギュラーは1日1回、そう決めたじゃないですか」

「うむむ、けち……」

「けちじゃないです。先生の体調管理、その他もろもろを保つためには必要なんですから」

 保母さんのような鳥山千歳に、先どまでの暴力的な面影はまったくといっていいほどなかった。

「もう知らないからな」

「例外は認められません。先生が太るのはあたしも嫌ですもん」

「か、勝手にしろ、ばか」

 最後にたどたどしくそう言い残すと、坂井珠希は再びタオルケットにくるまり、ピクリともしなくなった。まるで繭のようだ。

「もうっ、先生」

「私にチョコをよこさなかったのはお前だからな。後のことはぜぇんぶちとが処理しろよ」

「はあ、わかりましたよ」

 口をヘの字に鳥山千歳はソファーに座り直すと、隣で丸くなるタオルケットを尻目に「それでどこまで話たっけ」と僕に質問してきた。

 どうやら存在を忘れられていたわけではなかったらしい、と安堵すると同時に答える。

「坂井さんが屋上に行くのは自殺志願者を見つけるため、ってとこと、それに関連して何故かこないだ首を吊った三年の話」

「ああそうだったわね。うん、それじゃ、もう少し不謹慎な話でもしましょうか。言い方悪くなるかもだけど、軽く聞き流しながら聞いてね」

「随分な言い様だ。今も大概不謹慎だと思うけど」

「そうかしら、事前に断りをいれるだけ親切じゃない。まあいいわ」

 彼女は鼻をスンと鳴らしてから続けた。

「シバサキヨウタの首つり死体を一番最初に発見したのは、あたしなのよ」

「え、ほんとに?」

「嘘つく趣味はない。事実よ」

「それは、……」

 僕のゲスな好奇心が再び鎌首をもたげる。詳しく話を伺いたい、と思う自分を叱咤する一方、モラルなんてなくして、自分の興味だけで生きればいい、なんて思ってしまっている。

「死体を見つけたあたしは当然焦った。こればっかりは慣れるもんじゃないしね」

 心中お察しします、と僕は口に出さず思った。

「そして自らを落ち着かせる前に、彼を木から下ろそうとしたの。だけど、首に食い込んだロープはなかなか外せなかった」

「そ、そんなことして大丈夫なの?現場保全を心がけたほうが」

「えぇ、そうね。警察、ないし救急車を呼ぶほうが先決よね。だけど、彼の死に顔は穏やかだったの。よく首つり死体はグロテスクになるって聞くじゃない、だけどシバサキヨウタは違った」

 発見時間が短かったからだろうか、当事者ではない僕にはわからない。

「それこそまだ生きてるみたいにね。だから私はなによりも彼を重力から解放させようとしたのよ。パニックになってたから、よく覚えてないけど」

「その姿勢は立派だと思うけど……」

「その後、警察を呼んだわ。彼らは現場につくと色んな処理をして、去っていった。次の日、第一発見者として根掘り葉掘り聞かれたの」

 苛立ちを抑えるよう鳥山千歳をこめかみに手をやった。

「そこで、彼の死の不審点を挙げられた。さっき先生が言ってたやつと、彼は制服を着て死んでいたの。休日だったのによ。そこでは直接的ではないにしろ、そういった内容を含めて、あたしを疑っているのがありあり感じられたわ」

 人命救助を優先した結果、殺人犯に疑われるなんて、報われない。そんな被害にあったのなら、自分に迷惑をかけた真犯人を捜そうと考えるのは、納得はできないが理解はできた。

 やりかたは最低だが、客観視してみれば、犯人は現場に戻るという彼女の思考は理にかなっているのかもしれない。

「それで先生に相談したら、警察の人に電話で、なんたらがどーたらで千歳が殺しをするはずがないだろう、って怒鳴りつけてくれたのよ」

「えーと、なにがどうしたって?」

 嬉しそうに話をする彼女には悪いが、いまいちなにを言いたいのか伝わってこなかった。

 僕と鳥山がお互いに見つめあってクエスチョンマークを飛ばしあっていると、繭になった坂井珠希がため息まじりに言葉を加えた。

「さっき言ったように偽装絞殺はすぐにわかる。その旨を言葉にして伝えてやっただけだ。もっとも警察側もそれは理解した上でカマをかけていたにすぎないようだが」

「国家権力えげつないな」

「死体が故意に動かされたのだ。縊死の大部分が自殺であることには変わりないが、他の方法で殺害した上、首吊り自殺に偽装する、いわゆる偽装縊死も疑わなければならない」

「でも、第一発見者を疑うなんて酷くないか。助けようとしたのに」

「擁護するわけではないが、立派な対応だったと思うぞ。自殺縊死は索溝は一本で連続している、死斑の状況、縄に付着した指紋など、逆に自殺と証明してくれた上に、千歳への謝罪の言葉が届いたくらいだ。日本の警察はまだまだ捨てたもんじゃないな」

 坂井珠希はむふふと下品に笑いながら、

「私を子ども扱いしたことは気に食わないが、個人的に、と婦人警官から菓子折りを貰ったしな」

「先生、あたしそんなの知りませんよ!」

「すまない、謝罪を正確に伝え忘れてしまって、」

「そっちじゃありません。菓子折りのほうです」

「……あ」

 タオルケットが鳥山の手によって剥ぎ取られる。

「ひっ」

 再びぶるぶると震える金髪の少女があらわれた。

「どーいうことですか」

「た、タオルケットを返せ!」

「先生、目を見て質問に応えてください!菓子折り、なにを受けとったんです?」

「……っう」

 隠していたテストが見つかった小学生のように目が泳いでいる。

「せんせっ!」

 やがてバツが悪そうに坂井珠希は、小さく呟いた。

「……ボンボンチョコレート……」

「はぁ」鳥山千歳は深いため息をついてから、

「あとでたっぷり話を聞かせてもらいますからね。それよりいまは説明を先に済ませますから」

 彼女はポスっと坂井珠希にタオルケットを羽織らせてから再び僕にむきなおった。

 どうやら一見クールに見えた坂井珠希は、調子に乗って口を滑らす間抜けな性格だったらしい。

「蛇籠神社へ通じる林道の中間地点、彼の遺体はそこにあった。あたしが説明できるのはこれくらい。あとは先生にお任せするわ」

「私はもう何もしないとさっき、」

「先生」

「わかったよ……」

 数秒で弱みを握られた坂井珠希は気だるそうに言葉を紡いだ。

「と、まぁ自殺には変わりないが彼の死には不審な点が多々見受けられるわけだ。加えて言うなら、シバサキヨウタは美術部で成績良好、三年ながらも美大に推薦状を出し、その進学はほぼ決まっていた」

「進路での悩みは僕らには理解できないさ」

「突発的に死を想ったのなら、その気持ちを推し量ることはできない。ただ私は死者を冒涜する気はないし、死は重んじられるべきだと考えている、たとえ自らで命を断ったものだろうと。だからこそ、彼がなにを思ってなにを伝えたかったのか生きている私たちが知るべきだと思うんだ」

 僕にはわからない。

 この十数年、のらりくらりと生きてきた僕に、死ぬ勇気こうよんでいいのかもを持っているやつの気持ちなんて。

「シバサキヨウタは首を吊った……」

 確認するみたいに僕は呟いていた。

 その言葉に二人はきょとんとしながら、頷く。

「自殺には間違いないんだろ。だったら、遺書とか残されているんじゃないのか」

「ああ、学校の机の中にあったらしい」

「だったら、もうなにも疑う必要もないんじゃないか」

「B5のレポート用紙には、ただ一言、『お騒がせして申し訳ございません、さようなら』」

 聞かなきゃよかった。

 なんだそのふざけた文章は。高校三年生のその時期がどれだけ辛いのかはわかる。

 厭世観、競争心、劣等感、ストレス、嫉妬。一年の僕も漠然と感じる不安の種、これらが思春期の終わりに爆発し、衝動的に自殺に駆られる、テレビのコメンテーターお得意のプロファイリングだ。

 でも僕らは、まちがってもシバサキヨウタにはなれないし、彼の本当の気持ちを推し量ることなんて不可能なのだ。ましてや、分析すべき相手はもうこの世にいないのだから。

「最後に一つ、質問なんだけど」

 時計の針も寝てしまったのか、ゆっくりと一秒一秒を音をたてて緩慢に刻んでいく。

 時刻の進行は僕の家恋しさを募らせる一方、しつこく、言い表せないような陰を与えていた。

「僕に、それを教えて、どうしてほしいの?」

 真剣にソファーに座る二人を睨みつける。視線は怒りによるものではない、この先の未来に対する興味だ。

「やはり風紀委員は愚昧ではないようだな。単刀直入に言う、協力してほしい」

「驚いた」

「その割には冷静だな」

 実際、心の中では驚愕が嵐となって激しい奔流を巻き起こしている。

 それでも平然としていられたのはこの場の雰囲気によるもののかもしれない。

「手伝うって言ったって何すればいいのさ」

「私の目的は、連鎖を防ぐことだ。屋上の死にたがりに会って、話を聞く。その為に必要なのはシバサキヨウタの死の真相だと予想している」

「真相って言ったって、」

「つらつら述べてきた通り彼の死には、なにか特別な理由があるはずなのだ」

 特別じゃない自殺なんてあるのだろうか。

「そ、それでもその2つが関係あるなんて、僕には到底思えない。そもそも屋上の自殺志願者だって君の予想だろ。ただドアノブカバーが外されてたってだけで」

「屋上の鍵を紛失させたのは、名義上シバサキヨウタなのだ」

「は?」

 先ほどの会話では、元々屋上は施錠されており、その鍵がなくなったから、ドアノブにカバーがつけられた。今はそれさえも何者かに取り外されている、とのことだった。

 僕らの学校では鍵を職員室から持ち出す際、貸し出しリストにクラスと名前を記入しなければならない。そのデータから判明したのだろう。

「ちょっとまて。シバサキが鍵なくしたってわかってたなら、なんで学校は弁償させなかったんだ」

「鍵が持ち出されたのは、彼が死んだ後だからだ」

「えーと、どういうこと?」

「何者かが、彼の名をかたった。学校側は悪質なイタズラとして、屋上の封鎖を決定した。合い鍵による施錠に加えカバーをつけることにしてな」

「ドアの鍵も、非常錠もその後外されたってのか」

「その通りだ。おそらくは、シバサキヨウタをかたる自殺志願者に。学校側もまだ非常錠が外されていることを知らないようだし、このことに気づいたのは私だけのようだ」

「先生に言えばいいじゃん」

「屋上を閉めても、別の所で死なれては元も子もないだろう」

 彼女は浅くため息をついた。

「でもどうして何回も屋上に上がるんだろ。その自殺志願者は」

「さあな。ためらいか、もしくは下見。なんにせよ本人にしかわからないよ。さて風紀委員、手伝ってくれるのか?」

 彼女並みの洞察力があれば、凡人の能力は必要ないだろう。

「どうして僕なのさ」

「比較優位、適材適所。そして何より」

 彼女は言葉を溜め込むようにして続けた。

「学校の人間に接触できるのは、この場では風紀委員しかいない」

「あ、そう……」

 あんたら部外者とひきこもりだもんな。




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