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 静まりかえった室内に、秋の虫の鳴き声だけが響いていた。

 すっぽりと覆いかぶっさったタオルケットは彼女の呼気に合わせ上下するだけだ。

「あなたなにを言ってるの?」

「僕は坂井珠希に訊いてるんだ」

 ソファーの横で、棒立ちしていた鳥山千歳は呆れたように肩をすくめた。

「私が、か?」

 やがてタオルケットからくぐもった声が囁くように発せられた。

「私が……」

 言っている意味が理解できていないのか、それともドンピシャだから反応が鈍っているのか。どちらにせよここで言及しないわけにはいかない。

「死にたがっているのは、君の方なんじゃないの」

「なにを考えそう思うのだ?」

「あきらかに嘘をついているじゃないか。それに『自殺』というワードをやけに多用するから」

 言葉が意味をなし、元の彼女の口調に戻るのにそう時間はかからなかった。

「私の言葉が偽りだと言うのか?」

「少なくとも合唱コンには参加しないだろ。人の視線が嫌いで、休みがちの生徒が今になって精力的に行事に取り組むとは思えないしね。もう一度訊くよ。コンクールで君は何を歌うんだい?」

「ふっ」

 質問には答えず、ただ鼻で笑う。

「それで私の方が自殺志願者だと?」

「もっともらしい理由をつけて屋上にいたんだ。疑惑が固まるには不足ない要素だろ」

「なるほど」

 納得の声を上げてから数秒、彼女は小刻みに肩を揺らし、笑いという二酸化炭素を吹き出す音をもらした。

「ふ、はっはっ、は!」

「!?」

「あははははははは!」

「え、大笑い?」

 タオルケットが邪魔で表情はわからないが、けっこう大きく笑われているのは確かだった。

「言うに事かいて私が自殺志願者?はは、笑えない冗談じゃないか」

「充分笑ってるじゃん……」

「いや、すまん。少しはしゃぎすぎたみたいだ。お前の言い分、もっともだが、私には生きてやり遂げなくてはならないことがある。それゆえまだ死ぬわけにはいかないのだよ」

 饒舌になった彼女にどう言葉をかけてよいのか思案していた僕に、坂井珠希は心底おかしそうに言葉を震わせながら続けた。

「この場でそれを発表する気はないが、風紀委員、お前なかなかユニークだな」

 誉められているのかバカにされているのか、と聞かれたら間違いなく後者だろう。

「座れ」

「はあ?」

「私がなぜ屋上にいたのか知りたいんだろ?教えてあげるよ」

「あ、いや、べつに」

 もう、わけがわからなかった。

「ちとっ、チョコレートを」

「……仕方ありませんわね。はい」

 どう動けばよいのか戸惑っている僕の眼前では、これまたよくわからない主従関係が発動している。さっきまでの帰れる雰囲気は微塵も感じられなかった。

 命令を受けた鳥山は手早く棚からキャンデー状に包装されたチョコレートをタオルケットの隙間に差しこんだ。朝に食べていたものだ。

 よく溶けないな、とどうでもいいことに思考を埋没させていた僕にそれを食べて一息ついた彼女は声をかけてきた。

「なにを呆けている?」

「僕は、帰りたいなぁ、なんてこと考えてみちゃったりもして」

「お前にも関係ない話ではない。ただ膝をかかえて日々を無碍に食い潰すより、よっぽど有意義な話をしてやる」

「……話が終わったら僕は家に帰るから」

「勝手にしろ。お前に桎梏を強いるほど私は傲慢な存在ではない」

 どうだか。

 口には出さずそう思ったが、ひとまず彼女の話を聞いてみることにした。ここは秩序保たれる法治国家だ。僕にはまだ自由を享受する権利がある。

 いざとなったら、暴力を公使してでも帰宅してやる。相手が二人だろうと男子の僕のほうが腕力では上のはずだ(と信じたい)。自分に言い聞かせながら、再びソファーに腰をおろす。

「さて」

 ばさ、っと自らタオルケットを払いのけ、再び姿を現わした金髪の少女は、説明通りチョコレートの摩訶不思議な力で人見知りの症状を緩和したらしく、ソファーの上に立ち上がりふんぞり返りながら、見下すように僕を指差し居丈高に言い放った。

「これからお前にはいささか無縁かつ密接な話をする」

「はぁ?どっちだよ」

「その結果がどうなるかはわからないが、愚鈍な選択をとらないことを祈ろう」

「そりゃどうも」

「それと一つ言っておく」

 まだあるのかよ。

 演説よろしくソファーの上に素足で仁王立ちしている少女は、元の背丈が児童と大差ないので、どんなに偉そうにされても空回りしているみたいで滑稽だった。それゆえわけのわからない話を聞かされていても子どもの戯言と聞き流すことができたのかもしれない。

「お前と私なら私のほうが生物ピラミッドでは上位だからな」

「……あ、そう」

 ふん、と可愛らしく鼻を鳴らされても、そんなガキっぽいことを同い年が言うとは思えず、マセた少女の世迷い言にしか捉えられない。

「それでいいよ」

「む、うむ」

 僕があっさりその提案を飲んだのが意外だったのか、キョトンとした表情のまま、

「わかればよろしい」

 と半ば崩れ落ちるようにソファーに腰をおろした。今の発言のためだけに立ち上がったのだとしたら、僕は呆れるくらいしかやることがない。

 眠気が迫った目頭を軽く指で押さえ、息を深くついた。

「む、なんだ、その私をバカにするような態度は」

「いやいや、気のせいだよ。そんなことより話を進めてよ。まさかと思うけど、今の序列をのたまうだけに僕を呼び止めたわけじゃないだろ」

「もちろん違う」

 彼女は端的にそう言うと、テーブルの端に置かれ寂しく湯気をたてていたマグカップをとろうと真っ直ぐ腕を伸ばした。が、届いていない。

 傍らの鳥山千歳が彼女に代わってマグカップを引き寄せた。あんたはそれでいいのか。

「私が屋上にいた理由だが、お前の推測通りアレは真っ赤な嘘だ」

「やっぱり」

「合唱コンクールなんてイベント、誰が望んで参加するか」

 マグカップを両手で包み込み、ココアに口をつけながら、よくわからない愚痴をこぼされた。

「合唱コンクールに対する考え方を僕に訊かせるのが君の作戦?」

「話を元に戻そう。ともかく私が屋上に上っているのには別の理由があるのだ」

「理由?」

 猫舌なのか、一生懸命にココアに息を吹きかける子どもっぽい仕草と、大人っぽい口調を同時進行されては、僕の中の違和感を増大させるだけだ。


「自殺志願者を探しているのだよ」


「は?」

 自殺、志願者?なんでまた、そのワードが。

 ずずっ、とお茶をすするように音をたて、マグカップに口をつける。うまそうに喉を鳴らしてから彼女は続けた。

「屋上は立ち入り禁止だが、扉には鍵がかかっていない。お前も知っているだろ」

 自殺したがっているのは坂井珠希、とさっきまで疑っていたのだ。いきなりそんなこと言われてもどんな反応していいのかわからない。

「前まではキチンと施錠されていたのだが、鍵が紛失したことにより屋上のドアノブには非常錠というガラス製のカバーがつけられる事になったんだ。サムターンと呼ばれるつまみ状の鍵を勝手にひねられないようにするための、緊急時は割って扉を開けるようにできる部品だ」

「鍵が紛失って……」

「なくなった鍵はドア本体のものだ。合い鍵で施錠してはいたが、不安が残るため、非常錠を取り付けることで封鎖を決定したんだ。もともと厳しく立ち入りを禁止していたわけじゃないが、持ち出し禁止の鍵を誰かが持っている以上仕方がないことなのかもしれない」

 サムターンが学生が適当にいじられないようつけられていたのが、裕貴も言っていたガラス製のカバーか。しかし、それは……

「だが、いまは何者かの手によって取り外されている。この意味がわかるか?」

「まさかそれで誰かが飛び降り自殺をしようと考えていると判断したわけ?いくらなんでも早計じゃないかな」

「無論、それだけではない」

 口元についたココアを舌先でなまめかしく拭って、……ペコちゃんにしか見えない。

「自殺した男子生徒を知ってるか?」

「三年生の?」

「そうだ」

 ここにきて彼が話題に上がるのは予想外だった。

「面識がなかったから、よく知らないや」

「まあいいだろ。彼の名前はシバサキヨウタという」

 シバサキ……、聞き覚えはなかった。

「亡くなったのは先月、9月中旬の深夜」

 同じ十和森高校に通うものだが、生きてきた16年で一度も関わることのなかった名前。

 その三年生の名がなぜここにきて話題にあがったのか、まったく想像がつかなかった。

「彼の死には不自然な点がある」

 彼女は抑揚もなく機械のようにそう言い放った。

 ドラマなどのフィクションではよく聞く話でも現実世界ではそうはない。いくら僕が自殺についてろくに知らない一般人だろうとそれくらいはわきまえているつもりだ。

「偽装して、……誰かが彼を手にかけた、ってこと?まさかだろ」

「飛躍させるな。少なくとも偽装絞殺は行ったところですぐに露見する。鬱血の状態や絞死特有の死体に現れる索痕などはごまかしようがない。何より死体を担いで首吊り状態にさせるのはなかなかの重労働だ。彼がわざわざ縄を首にかけたスタイルで殺されてやらない限り、殺人というのはまずありえない。抵抗した跡もない、九分九厘自殺だろう」

 マグカップをトンと机に置いてから彼女は小さくため息をついた。

「だが、奇妙な状況だったのは確かだ。そこの部分だけをピックアップして、千歳はなにを勘違いしたか、犯人がいる!と勇んで勘違いした結果、こんなんだが」

「……」

「猪突猛進なやつだ」

 鳥山千歳を流し目で睨みつけてやると、反省なんて微塵も感じられない澄まし顔で「ごめんなさいね」と謝られた。どうやら誤解はここから生じたらしい。

「でも、彼が自殺だってわかってるんだったらなんの問題もないじゃないか。不自然な点ってなにさ」

 今まで話に茶々をいれることなく黙ってきたが、彼女の説明の中にはそんなものは存在していなかった。

「彼は花粉症だったんだ」

「は?」

「ブタクサ花粉症」

 聞いたことはあった。スギやヒノキなど春とは違う秋の花粉症。

 脈絡もなく告げられた答え。だからどうしたという話だ。

「ブタクサは7月から10月まで花粉を飛ばす風媒花だ。彼は花粉アレルギー持ちだった」

「話が全く見えないんだけど」

 ここに来て生前のアレルギー持ちとかどうでもいい情報を教えられても、僕はどんな反応をするのが正解なのか検討もつかない。

「彼が首を吊った蛇籠森の周辺はオオブタクサの群生地になっているんだ」

「確かに空き地には背の高い草がいっぱい生えてたけどあれがブタクサだったんだ」

「……鈍いな、もっと端的に言ってやる。もしお前が花粉症だったら、わざわざ原因物質の側に寄るか?」

「あっ」

「いくら夜とはいえ死に場所に選ぶなんて不自然極まりないだろ。彼の遺留品にはご丁寧なことにマスクと目薬が出てきたんだ」

「そんなバカな。偶然じゃないの?下調べを忘れてたとか」

「もちろんその可能性もある。だが私の直感めいたものが、生前の彼に怒声を浴びせようとしているのだよ。わざとだろ、とな」

 不自然といえばそうだが、別段気にするようなレベルではないように思える。

 ではなぜ、坂井珠希はシバサキヨウタの死に関心をもっていのか。

 そして、本題はシバサキヨウタ以外の自殺志願者だ。そんな人がいるかは定かではないが。




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