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6:秋夜リベラル


 タオルケットを剥ぎ取った先にいたのは、屋上で会った金髪の同級生、坂井珠希だった。

 今は、制服ではなく花柄のパジャマを着込んでいたが、それでもハッキリ彼女だとわかる。

 同じ十和森高校に通う仲間でも、接点なんてない薄い繋がりだ。今日(日付では昨日だが)はじめて会話した少女との再会がここまで早くなるとは思わなかったが、どことなく予見していたのか、僕の精神は自分でも驚くくらい落ち着いていた。

「ぅ、は、ひ」

「屋上でチョコ食べてた人だ」

 朝のことなので忘れてはいないと思うが、いちおう確認がてら呟いてみる。

 そんな僕の言葉が届いているのかわからない、おどおどと蚊の鳴くような調子で、「か、かえせ」

 とタオルケットを取り戻そうと手を伸ばしてきた。思わず手を高くし取られぬようにする。

「ぅ、な」

 僕の予想外の抵抗で、先ほどまでの偉そうな態度は消え去り、そこには見た目通りの幼い女の子がいるだけだった。

「なぜ、い、いじわるをする」

「なんでだろ。なんとなく?」

「つぅー」

 困惑を通り過ぎたのか、ぷるぷると震えだした。極度の人見知りか、と一瞬思ったが、朝あったときも先ほどと同じ毅然とした態度だったからそれは違うのだろう。

 なんにせよ目の前でほっぺを薔薇色に染め膝を抱えている幼さ残る少女は、僕の一抹の嗜虐心を煽るには充分だった。やってることは小学生するのイタズラに等しく、欲しい物に手が届かなくしているだけだが。

「先生、ココアお待たせしましたぁ」

 マグカップをお盆に乗せて鳥山千歳が玄関扉を開け戻ってきた。後ろ手でドアをパタンと閉めてから、僕ら二人を見やった彼女は、何が起きているのか理解できていないのだろう、きょとんと動きを止めて棒立ちになった。

 坂井珠希はそんな彼女を天の助けとばかりに、僕の右手に堂々と掲げられたタオルケットをうらめしそうに睨みつけて「うーうー」と威嚇しながら指差した。

「先生!ああ、なんていうこと」

「ちとっ、た、たのむ」

「えぇ、お任せあれ」

 坂井珠希のツーなお願いをカーと聞き届けたらしい鳥山は、お盆をテーブルの上に置いてから、僕に向かって初対面の時の勢いさながら猛ダッシュしてきた。

「返しなさい!」

「うわっ」

 反射的にマタドールのようにひらりとかわす。

 まっすぐ伸ばされ彼女の右手は、僕にかわされても勢いが落ちることなく後ろの本棚に一撃を叩きこんだ。

「痛っ」

 突き指みたいになったのだろう、鳥山は露骨に顔をしかめ指を庇うように左手で包みこんだ。

「……大丈夫ですか?」

 間抜けめ、という心の声を押しとどめて、雀の涙ほどの罪悪感で心配した僕に、

「うげっ」

 鳥山千歳から与えられたのは、鳩尾へのケンカキックだった。


「一体どうしたんだ。あの程度の動きを見切れないなんてお前らしくもない」

 タオルケットを無事取り返し、すっぽりかぶることで偉そうな口調に戻った坂井珠希は、まだ半分涙目の暴力女に尋ねた。

「申し訳ございません。先ほど土を投げつけられて、……落としたんですけど、いまいち照準があわなかったんですわ」

 怒りを含んだまなじりで睨みつけられても、僕がとった行動は全て自衛手段だ。

「ふむそうか。やはり風紀委員は低俗な人間ではないか」

「風紀委員って……。僕のこと覚えてるんだね」

「あんな不審人物忘れるか。早朝校舎の徘徊の次は、深夜の散歩……、一回スクールカウンセラーのところに行ったらどうだ?」

「それは僕のセリフだからね。君だって、なんでそんなに顔を隠したがるのさ」

 僕の問いに、ソファー横に立っていた鳥山千歳が一瞬何かを言いかけたが、すぐに躊躇ったようにうつむき、腰をかがめて本棚から落ちた本を拾って元に戻した。

 質問を浴びせられたタオルケットの方は、息をゆっくりと吸ってから言葉をはいた。

「私が顔を隠してお前に不都合でもあるのか?」

「僕にはないけど君にはあるんじゃないかな。例えば相手の警戒心を無駄に煽ったり、とか」

「一理あるな。しかし事情というものがある。私自身がいうのも何だが」

「でも今朝は普通に話したじゃないか。それに人見知りだからってタオルケットをすっぽりかぶるってのは違うんじゃない?」

 僕の指摘に彼女は一瞬、なにかを考えるように無言になってから、小さくため息をつき続けた。

「……あの時はチョコレートがあったから」

「チョコ?」

 そういえば、朝はポケットから取り出したチョコレートを頬張ってたな。

「幸せの糖分で構築されたチョコは私に勇気を与えてくれる。不条理な世界に残された、たった一つの煌めく希望だ」

「チョコ食べれば他人と顔を突き合わせて話ができるようになるっての?」

「その通り」

 世の中変わった人がいるもんだ。

「だったら僕が来る前に食べとけば、」

「夜食べたら太るだろ」

 至極真っ当な返答に、納得しかけたが、机の隅で湯気を上げているマグカップがその答えを否定していた。

「ココアはいいのかよ」

「私に甘い砂糖菓子の夢を見せてくれる戦友を無芸大食の君が罵倒するなんて許される行為ではないね」

「もうなにがなんだかわからない」

「陳腐な脳みそで物を考えるのは誉められたことではない。大人しく流転する世を眺めるに留めてろ」

 顔を隠すだけでここまで饒舌になる人なんて初めて見た。僕としてはもう一度タオルケットを剥ぎ取ってやりたいところだけど、彼女のすぐ側で待機する暴力女が怖いし、

「ただの引きこもりに言われたくないけどね」

 口でやられたらこちらも口で、だ。言われっぱなしは悔しいから言いかえしてやった。

 僕の嫌みにタオルケットの少女は何かを考えこむように息づいた。

「引きこもり、だと……。風紀委員、まさかとは思うがお前は私が誰か知っているのか」

「坂井珠希さんでしょ。1年生の」

「う……」

 図星らしく、彼女の動きが石の下で冬眠するトカゲのように沈静化した。

「なんであなたが先生のことを知っているのよ。さてはストーカーってやつね」

 ずっと黙っていた鳥山が、無言になった坂井珠希に代わって声をあげた。

「ここに拉致してきたのはあなたでしょうが。それに彼女、うちの高校じゃわりと有名人なんですよ」

「うぅ…」

 ソファーの上の少女が再び唸る。

 落ち込んでいるのか、表情が伺いしれなくても彼女の発する気丈な雰囲気がすでに萎えているのがわかった。

「嫌なの?別に悪い意味で目立ってるわけじゃないんだからいいじゃん」

 励ますように声をかける。なんだか僕がイジメているみたいで気分が悪かったからだ。

「お前たちが勝手な解釈で個人を持ち上げて喜んでいるだけではないか。他人の視線がおぞましい私にしてみれば、どんな褒め言葉を吐かれようと目立つのは好ましくない」

「対人恐怖症?」

「視線恐怖症といった方が近いかもしれないな。誰にしても面と向かって話すのは苦手でね。いまだに気兼ねなく話せるのは千歳くらいだ」

「チョコレート食べれば大丈夫なんだろ?」

「そんなにバクバク食べられるか。それにあくまでチョコレートは心の癒し。依存しすぎては効果は薄れてしまいそうだ」

 まあ確かに不健康だし、糖分の過剰摂取より精神科に行くほうが何倍もマシに思える。それこそスクールカウンセラーの出番だ。少なくとも僕の出る幕ではない。

「私の話はいい。それより問題はお前だ、風紀委員」

「僕の名前は長山京です」

「風紀委員、わかっているな?」

「……んー、」

 話が妙に弾んでしまったが、時刻はすでに0時を回っている。高校生がよくも知らない他人といつまでもいられる時間じゃない。

「人にはそれぞれ事情があるもんだね」

 肩をかるくすくめる。眠気がマックスに近かった。

「それじゃ僕はそろそろ帰らせてもらっていいかな。今日のことは胸にしまっておくから」

「む」

 返事代わりの小さな唸りに、ちょっとしたイタズラ心が疼いた。

「坂井さんも学校に来なよ。僕たち友達だろ」

 当然ながら心にもない、嫌味である。裕貴から得た坂井珠希は引きこもりという情報と、彼女がさっき使った僕と友情関係を結びたいという発言を鼻で笑う喩えである。

 僕の言葉に当事者でもなんでもない鳥山千歳は面くらったようにきょとんとしていたが、隣のタオルケットはどうなのだろうか。当然ながら表情は伺い知れない。

「そ、それは、……そうだな。私たちは友達だからな」

 悔しそうに絞り出すような声で返事をされた。

「先生、それ本気ですか?」

「仕方がないのだ、千歳。我々の弾みを口外させないためには、誰かが犠牲にならればならぬのだよ」

「老いたわしや、先生。それは全てこの千歳の責任、あたしが犠牲になりますわ!」

「いいのだ。下賤の者とはいえ、同じ学び舎を持つ同級生、私はどの道逃れられないのだから」

「先生……」

 感動的なシーンに水を注す気はないが、その人はメルアドを餌みたいに渡してくれたよ、と鳥山千歳に言ってやりたかった。なんにせよ、もう、付き合ってられない。

「もういいですか?眠いんで帰りたいんですけど」

「あ、送ってくわ」

「ご親切にどうも」

 大根役者の三文芝居は終わったらしく、鳥山千歳は今までのお詫びからかそう提案してくれた。正直真っ暗な中を歩くのは気が進まなかったので助かる。……というか当然の義務だ。

「それではな風紀委員」

 部屋を出ていこうとする僕にタオルケットからお別れの言葉が紡がれる。

「念の為言っておくが自分で命を断つなんてバカな真似はするなよ」

「はぁ?」

「……」

 突拍子もない発言に足を止めた僕の反応を伺うように無言になっていた彼女は、数秒、間を置いてから言葉を続けた。

「いやなんでもない。学園生活をエンジョイしてくれ」

 その発言で、今朝僕が彼女を自殺志願者ではないかと疑っていたことを思いだしたが、これだけ人生楽しそうなら単純に勘違いだったのだろう。

「応援どうも。君も合唱コン頑張ってね」

「合唱コン?あ、ああ。そうだったな」

 尋ね返すように彼女は少しだけ言葉を濁らせた。自分で言っていたことを忘れていたらしい。

 その怪しすぎる対応に先ほど否定したばかりの疑惑が、湧き上がる炭酸水の気泡のように勢いよく再浮上してきた。

 いや、まさか、だろ。

 おそらく合唱コンは嘘だ。なら彼女はなぜそんな言い訳を用いた?決まっている、屋上にいる理由をもっともらしくするためだ。ならばなぜ彼女は朝、屋上にいたのか。

 裕貴との会話中に感じた違和感が火種となって、気づけば僕の口からは質問が飛び出していた。

「そういえば君はなぜ屋上に上がってたの?」

「朝に言っただろう。合唱コンクールの練習だって」

「ほんとかよ。君のパートは?」

「……ソプラノ、だが」

「課題曲はなに?」

「……」

 黙りになった彼女に、僕は静かに疑念を確信のものにしていた。

 合唱コンに熱心に打ち込む生徒が課題曲がわからないはずがない。

「なんなんだ、お前。私にしつこく質問を浴びせてなにがしたい」

 先ほどの無言をごまかすように語気を荒げた彼女に、ゆっくり呼吸を落ち着かせてから、言った。

「君が、ほんとうは君のほうが、……自殺したがっているんじゃないのか?」




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