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5:突発タオルケット


「着いた」

 鳥山千歳はエンジンを切り、後部座席に座る僕にそう言った。

 ここまでの道筋を脳にインプットしようと窓の外を眺めていたが、夜になって道が暗くなっているためうまくいかず、なんとなくの方角に辺りをつけられただけだった。

 先に降りた彼女は、車をぐるりと回りこみ、ご丁寧にも後部座席のドアを開けて、僕に降りるように促した。VIP待遇みたいだが、手錠をはずしてさえくれれば、自分で出来るのに。

 不満混じりに彼女を睨みつけながらも命令に従い、数分ぶりの秋の夜風を全身にあびる。道路を挟んだ向かい側の自動販売機の灯りが、駐車スペース先の建物をぼんやり照らしてくれていた。

「さ、中に入って」

「冗談でしょ?」

 二階建てのアパートがあった。荒れ放題の敷地にツタが這う壁、まるっきり廃墟だ。

「なにが冗談になるのよ。さっさと歩きなさい」

 言うやいなや頭を軽く叩かれる。さっき暴力は振るわないって言ってたのに、もう破りやがった。

 舌打ちを抑え、錆び付いて嫌な音をたてる階段に足をかけ、彼女の指示に従い二階の一番端のドアをくぐった。


 目が痛くなるような蛍光灯の白い光の先には、予想外の連続で疲弊した僕の精神を久方ぶりに安堵させてくれる光景が広がっていた。

 本がびっしり詰まったドデカい本棚、応接用のソファーは2つあり、そこは個人宅というより、事務所という表現の方がしっくり来るだろう、寂れた外観からお化け屋敷をイメージしていた僕の精神を落ち着かせてくれるには充分だった。内部は小さいながらもきちんとまとまっている。

「先生ただいま戻りました!」

 鳥山千歳は声を上げ、僕を押しのけるよう土足のまま地面に倒れこんだ。

 突拍子の無さ過ぎるその行動で混乱極める僕を竦み上がらせるような大声で彼女はさらに続けた。

「申し訳ございませんでした!」

 あ、これ土下座か。

 理解するのに数秒を要したが、亀みたいな格好で謝罪の声を上げるそれを土下座とみて間違いなさそうだった。

 ただ疑問なのは、頭を下げた彼女の先には革製のソファーしかなく、その上には青いタオルケットがかけられた置物と(なぜ置いてあるのかは謎だ)、机に筆立てとメモ帳があるだけで、この部屋には僕と彼女しか存在していなかった。

 鳥山千歳は誰に謝っているのだろう。不格好ながらもこれだけ誠意ある土下座の相手が僕なら、今までの事を水に流してやらんでもないのに、

 とそう思った矢先、

「なんでもいいから、さっさとココアをいれてこい」

 僕ら以外の第三者の声が室内に響いた。驚いてその不機嫌そうな声の主を探そうと周囲を見渡すが、誰もいない。

「はい!今すぐに!」

 声に促されるまま鳥山は嬉々として立ち上がり、僕などすでに忘却のかなたといった様子でたった今入って来た玄関扉を開け出て行った。

 僕を置いてどこに行くんだ、と文句を言いそびれたままボケッと突っ立ていると隣の部屋のドアが閉まる音が耳に届いた。

 まさか鳥山千歳は隣でココアとやらを作る気なのか?よくよく考えてみるとこの部屋にはガスコンロがない。二部屋借りているんだろうか。それなら一室を応接間のようにしているのにも納得ができる。

「お前もいつまで立っている。座ったらどうだ。靴は脱がなくていい」

 先ほど鳥山千歳にココアを入れるように命令したのと同じ声が発せられた。

「え、あ、はぁ」

 声はすれども姿が見えず、タタキに棒立ちしていた僕は、謎の人物に従うがまま、ソファーに軽く腰を下ろした。

「……なにがしたい?」

「はい?」

 隣で囁かれているくらい、さっきよりも近くで声がした。首をひねって横を見てみる。タオルケットをすっぽりかぶった何かが置いてあるだけだ。

 まさか――

「座れと言われて隣に腰を下ろすバカがどこにいる。普通そっちに座るだろ」

「……失礼しました」

 このタオルケットの下、人がいる。

 僕は驚きを冷静さで塗りつぶし、言われるがまま、向かい合うかたちに座りなおした。

「さて」

 僕が腰を下ろしたのをどうやって確認したのか知らないが、タオルケットの人物は話題を変える接頭を用い、ピクリともしないまま話を始めていた。

「千歳が先走ってしまったことをまず謝罪しよう。どうせあいつのことだからロクに謝っていないのだろ」

「そうですね。何回も頭はたかれました」

「思いたつとなにより先に手が出てしまうらしい。見た目に似合わず結構強いから救えないな」

「もういいんで家に帰してくれませんか?眠くて……」

 タオルケットで姿を覆い隠すという非常識な格好をしているので、警戒していたが、思ったより話が通じる人らしい。

 胡散臭さ漂ってはいるが、暴力的ではなさそうだったし。

「そうだな。お前の言う通り時間もないことだし本題に入ろう」

 一区切りつけるようにしてから、タオルケットは続けた。

「怒っているか?」

「深夜の散歩中に拉致されて、穏やかでいられるわけありませんよ」

 愚痴るように、鳥山から受けた非人道的扱いを報告する。文字通り先生にチクるようだが、あくまで事実である。

「散歩?私は人死が出た蛇籠森にお前がいたと聞いたが……」

 蛇籠森って、ああ、あの空き地の先にある鬱蒼とした森のことか。そんな名前だったのか。

「散歩ついでに軽く手を合わせようと思ったんです。同じ学校なもんで」

「ふむ。それではこの件を誰かに言いふらそうと考えている?」

「黙っとけというなら口外する気はありません。面倒事は苦手ですから」

 ソファーに座るタオルケットは特に反応を見せないまま、淡々とした口調で言った。

「信用できないな。いかにも囀りそうな雰囲気だ」

 鳥山千歳にも似たような事を言われたのを思い出した。その時彼女は『先生なら説得できる』と言って、僕の拉致を続行したんだった。

「そんなに言うんだったら正直言います。いい加減にしてくれないと警察呼ぶぞ、ってのが本音です」

「たしかに暴行拉致は言い逃れできない」

 監禁も追加しといてくれ。

「しかしこちらにも事情がある。お前が今日の出来事を言いふらそうものなら私は決して容赦はしない」

 声音が急に引き締まった。その声は決意表明みたいだが、気落とすより、対抗するように背筋が伸びた。

「なぜ?」

「目立ちたくないからだ。お前が噂の元になるというのなら、今の内に口を開けないようにする」

「脅迫、ですか?」

「脅迫ではない、命令だ。間違いを犯したのは私たちだが、間違われるような状況にいたのはお前だ」

「身勝手な言い分ですね。それじゃ僕も悪いみたいだ」

「みたい、ではない。深夜徘徊する怪しい人物が事を犯す前に検挙したのなら、千歳の行為は善になるだろう」

 さすがに我慢ができなくなった。それじゃ悪は僕だってのか?ふつふつと怒りの炎が灯りはじめる。

「いい加減にしろよ。なんなんださっきから。あんたの言い方じゃ夜歩くことが罪みたいじゃないか」

「そこまでは言っていない。ただそういう考え方もあるからから千歳を一方的に責めるのはやめてやれ、と言いたいんだ」

 弟子思いなのか過保護なのか知らないが、巻き込まれた僕にしてみればいい迷惑だ。

「もうなんでも、さっさと家に帰してくれればそれでいいです。今日あったことは、墓まで持っていきます。それで満足ですか?」

 挑発的にそう言うと、呆れたようなため息をしてから返された。

「落ち着け。私は口先だけの約束を強要したわけではない。命令とはいったが、信頼の上でのお願いだと考えてくれ」

 今までの言い方でよく言えたものだ。舌先が怒りの戯れ言を吐こうと動くより先に、タオルケットは続けた。

「だから私はお前と友情関係を結ぼうと思っているのだよ。友情に勝る信頼はないからな」

 人より沸点が低いと言われる僕の堪忍袋はとっくの昔に千切れ飛んでいた。

「信頼?信頼と言ったんですか?この状況で?手錠がはめられた状態で顔を隠した変な人と信頼なんて結べるわけがないじゃないですか」

「むっ。手錠をかけられているのか」

 今はじめて気が付いたように声をあげた。僕が来る前からずっとタオルケットをかぶっていたのだから気づいてなくて当然といえば当然である。

「ちとっ!早くこい、ちとっ!」

「は?」

 タオルケットが叫んだ。その呼びかけに応じるように、すぐに玄関扉から鳥山千歳が「はい!お呼びですか」と返事をしながら飛び出してきた。どうやらこのアパートの壁はそんなに厚くないらしく、簡単に隣の彼女を呼べるらしい。

「こいつの手錠をといてやれ」

 タオルケットはもぞもぞ動いて僕を指差したようだ。

「あらまだしてたの?」

 鳥山はムカつく一言を言いながら命令通り手錠をとき、僕の手を自由にしてくれた。

「それでは引き続きココアを作れ。ホットミルクを使えよ」

「わかってますわ。おまかせあれ!」

 僕の両手を自由にした手錠とその鍵をポケットにしまうと機嫌よさそうに颯爽と去っていった。なんなんだこの人も。

「これで不満なく会話が出来るな」

 ドアが閉まる音と同時に、タオルケットはそう呟いた。

「手錠をといてくれたのは感謝しますけど、顔は隠したままなんですね」

「気にするな。それで私の言うことを聞いてくれるのか?」

「さっきからそうするって言ってるじゃないですか」

「その物分かりのよさが胡散臭いのだ」

 言うに事欠いて胡散臭いとは、その言葉そっくりそのまま返してやろう。

「もう少し抵抗してくれないと張り合いがない。散々な目に合わされたというのに、なぜそこまで落ち着きはらっていられるのか、逆に疑問だな」

「じゃあ、ここで理性を振り切って暴れろとでも言うんですか?あんたの言う通りこっちは怒髪天なんだ。さっさと自由にしてくれないと、お望み通りジタバタしますよ」

「わかった。どうやら考えすぎていたらしい。信用することにする」

 待ちに待った言葉が聞けて胸を撫で下ろす。信用するイコール解放する、とさっき言っていたから、これで何時も通りの日常に帰ることができる。

 一時間弱の非日常だったが、もう一生ごめんだ。

「今日あったことは口外するなよ」

 その問いに無言で頷く。

 理不尽な要求だが、女性にボコボコにされた経験なんて誰に命令されなくても話したくなんかない。裕貴に口を滑らせようものなら「そいつに代わって折檻じゃ」とか便乗でまた殴られそうだし。

「返事をしろ。なんだ、貴様。口止め料でも欲しいのか」

 安心しすぎてこの人が目隠し状態だということを忘れていた。そうだ、首肯というジェスチャーだけじゃ伝わりっこないんだ。

 僕が慌てて返事をしようと口を開くより先にタオルケットからニュっと腕が伸びて、机の上からボールペンとメモ紙をとって戻っていった。

 突飛な行動に呆気にとられる。

「な、なにを」

「お前の要求を叶えてやる。どうせ猿みたいなことしか考えていないのだろ。千歳には悪いがあいつが撒いた種だ」

 また腕が僕に向かって伸びてきた。手には先ほど取っていったメモがつままれている。なんだかよくわからなかったが、素直に受けとった。

 いらないチラシでも裂いて作ったらしいそのメモには先ほどのボールペンでメールアドレスらしいものが綴られていた。『chito.toriyama@〜……』単純な記号の羅列は、どうやら鳥山千歳のメルアドらしい。

 ひとまずポケットにしまって怒鳴りつける。

「なんですかこれ」

「千歳のメールアドレスだ」

「そんなのわかってますよ。なんでいきなり渡すんですか!?」

「なぜって、君が男子中学生の夏休み如く性欲を持て余してそうな声音だから、19歳のピチピチギャルのメルアドを口止め料として支払ったのだよ」

 比喩が理解出来なかったがバカにされているのだけはわかった。

 その一言だけで保ってきた理性はいとも簡単に崩れた。

「ふざけるな!」

 怒声と共にタオルケットに手を伸ばし、一気に剥ぎ取る。

「ふわっ!」

 なんとも珍妙な声をあげ、中からソファーの上で体育座りした金髪の少女があらわれた。




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