4:車中ネゴシエーション
歩かされた先にあったのは、どこにでもある普通の四輪駆動車だった。道路脇に違法駐車された赤いセダン。僕が来た時にはなかったのに、絶望的なこの状況におあつらえ向きな移動ツールだ。
その車の所有者の通り魔は僕を無理やり後部座席に押し込むと運転席に座り、キーを回した。
ETCカードが挿入されていないという機械音声を無視し、エンジンが静かな振動を伝え、車は前に滑るように走りだす。
必死に状況の改善を試みて、運転席の、通り魔から誘拐犯にクラスチェンジした茶髪の女性に話かけてみるが、どれだけ言葉を吐いても返ってくるのは同じ「お黙りなさい」だったので、諦めて辞世の句でも考えようとした時だった。
「先生、やりましたわ!」
誘拐犯の女は道路交通法なんて関係ないと言わんばかりに、ハンドル片手に携帯を耳に押し当てて、どっかの誰かと通話しはじめた。最悪だ。
「千歳のお手柄です!」
いちおう誘拐事件を起こしているのだから被害者である僕のことを少しは考慮してもらいたいものである。
「勘弁してくれ……」
前方に座る彼女に聞こえないように口内だけで呟いた。
実行犯が計画犯に連絡をとっている光景なんて、めったに見れるもんじゃないにしろ、被害者が自分自身に置き換えられるだけでここまで心が挫かれるだなんて。
「先生、ですから捕まえたんですよ!ええ、えぇ。そうです、犯人は現場に戻ってくるんです」
市街地から広い道に入り速度が乗ってきたのに合わせるように、彼女の声はだんだんと興奮ぎみに大きくなっていった。手錠されているので、聞きたくなくても耳を塞ぐこともできず、狭い車内を反射しまくった声が鼓膜に届く。
「深夜の現場に一人の男。確定的じゃないですか」
どうやら僕の話をしているらしい。
ため息をつく。こんなことなら大人しくベッドでまどろんでればよかった。
『〜〜〜ッ!!』
電話の向こうの声が漏れて、その残響が聞こえた。どうやら向こうの人が通り魔を怒鳴りつけたらしい。
「ええ!?そんなっ」
『〜〜ッ!〜〜!!』
勢いは収まらない、車内に響くエンジン音と同じくらいの音量で、電話向こうの人は怒鳴り続けている。
電話口から、その声が漏れるたびに、運転席の誘拐犯は、取引先に謝罪するサラリーマンみたいに、「すみません」と、ぺこぺこと謝った。その力関係に、ざまぁみろ、と心の中で唱えるより、先ほどまでの気丈な態度が消え果てているのが妙におかしく感じた。
もっともこれからの自分の未知数な未来に対する憂鬱を考えれば、少しも笑える状況ではないのだけれど。
「はい、はい、わかりました。きちんとそのように致しますわ。それでは失礼します」
ピッ、効果音をつけるならそんな感じで通話を終了した誘拐犯は、携帯を助手席にぽいと放り、バックミラーでちらりとこちらを見てから、安全運転を心がけたのか、すぐに真っ正面を向いた。
いくら深夜で人通りが皆無とはいえ、事故を起こされちゃ誘拐されてる側からもたまったもんじゃない。いや、待てよ、上手くいけば、事故に乗じて脱出できるんじゃないか……。
「勘違い、いえ、早とちりしてしまったみたいね」
「はい?」
赤信号で停車した。誰もいない横断歩道がオレンジ色の街頭に照らされて、妖しげな雰囲気を演出している。
ハンドルを握る誘拐犯は僕の方を振り向きもしないで、じっと正面を見据えたままだ。
「あなた、名前はなんていうの?」
車内に凜とした声が響く。敵を誉めるようだが、彼女の声は舞台役者のように高く、とても聞き取りやすいものだった。
無言になった僕に、苛立ちを隠そうとしない語調で彼女は続けた。
「名前を知られると何かマズいことでもあるのかしら?」
「えっと、長山、京です」
「ながやま、けい。ふーん」
勢いに押されて名乗ってしまった本名を、誘拐犯は独り言を呟くみたいにしてから鼻をならし、目を細めた。
偽名はバレた時が怖かったから止めといたが、本名を知られるのはそれはそれで怖い。ニックネームでも教えとけばよかった。
「あ、あなたは」
「あたし?」
答えてくれるわけないってわかっていたけど、一応マナーとして、同じ質問を投げかけてみる。冗談でその場を誤魔化したいという思いも混じった、なんだか歪な心理戦だ。
「鳥山千歳よ。よろしくね」
「と、……へっ?」
エンジンが唸りをあげた。どうやら誘拐犯、改め鳥山千歳がアクセルを踏んだらしい。
一瞬なにが起こったのかわからなかったが、なんてことはない、信号が青に変わった、……じゃなくて、なんでこの人そんなにあっさり名乗ったんだ?
混乱で目を丸くする僕をミラーごしに見てから不敵な笑みを浮かべる鳥山千歳は呟いた。
「最初に言っておくわ。これからあたしは謝罪します」
「はい?」
「昔から誤解されがちなんだけど、あたしが謝ってると言ったら、それは謝罪なんだから理解してよね」
「な、何を言って……?」
街頭がカーウィンドウを透過して、車内をぼんやり照らしてくれている。
前から後ろに線になって流れていく光を体で感じながらも、僕は誘拐された我が身がこれから、どのように転がっていくのかまったく予想出来ずにいた。
「間違えた。ドーモ、スミマセンでした」
言葉を無理やり覚えさせられた九官鳥を彷彿とさせる喋り方で、彼女の短い謝罪は終了した。
あとはもう黙って、ハンドルを握るだけである。
「え、な、間違えたって……、どういうこと、ですか?」
彼女は隠していたテストが親に見つかった子供のように、気まずそうに「誤解してたの」と舌をペロリとだした。
「もう解けたんですよね?」
「……そういうこと」
初めから妙だとは思っていたが、やはり勘違いからボロボロにされ誘拐まがいの目に合わされていたらしい。
非常に腹立たしいことだが、今の僕には、感動で涙してしまいそうになるほど良いニュースだった。最悪怪しい外国船に乗せられてしまうのではないかと勘ぐっていたのだから、当たり前だ。
「じゃあ、家に帰してください。よくわからないけど、そちらさんの勘違いだったんでしょ?」
後ろ手に留められた手錠のせいでろくな身動きがとれないから、怒りに任せて拳を振るうこともできない。最も両の手が自由だったとしても運転中の女性を殴れないだろうが。
「……」
彼女は僕の声が届いているかもわからない無反応だった。
「話きいてくれてます?早くおろして下さい。ここでいいですから」
車内には絶えることなくエンジン稼働音が響いているが、まだギリギリわかる場所だ。
ウチまで送り届けろとまでは言わない、だからさっさと僕を自由にして欲しかった。
「それは出来ないわ」
鳥山千歳が口を開いた。
「あなたをそんな目に合わせたのはこちらの過失だけど、こっちにも都合というものがあるの」
「知りませんよ。そんなこと」
そんな目、とはよく言ったものだ。良い意味で使う言葉ではないだろう。それがわかっててまだ僕を振り回そうというのだから、この人なかなか図太い神経している。
「あなたを今自由にしたら、警察に行くでしょ?」
「……」
そりゃあ。
鳥山の言葉を否定する気はなかった。散々な目に合わされたのだ、出るとこ出てもらわなきゃ納得できない。
嫌なら示談金払え、と脅せば、素直にお金をくれるんだろうか。
「だから、解放できない。悪いんだけど今しばらくそのままでお願いするわ」
「いや、誰にも言いませんって。警察にも知り合いにも。もう勘弁してください」
不服だが、約束は守ろう。今の状況の改善が最優先事項だ。この想いを言葉に乗せ、鳥山千歳に届けなくては。
「もう暴力は振るわないと誓うわ。ただあたしが真にあなたを信用できるようになるまでその手錠をハズすことはできない」
「……」
ふざけんなよ、と言葉に出来ないのが悔しくてたまらない。
世の中おかしくなり過ぎている。なにが変だって、誤解が解けて絶対的立場が逆転しているハズなのに、彼女のその高慢な態度は初めからなにも変わっていないことだ。
謝罪する気ないだろ……、流れゆく景色とともにそう思った。
「それで僕をどこに連れてこうとしてるんですか?」
解放する気を微塵も見せない鳥山千歳に根気よく話かけていれば、ネゴシエーターよろしく、説得できるのだろうか。
冷静に考えたら、車内で女性と二人きりなんて、思春期少年なら両手を挙げて飛び込むようなシチュエーションだけど、ここまでロマンの欠片もない雰囲気だと一層清々しい。
「先生のところよ」
目をこすりながら、彼女は返事をしてくれた。
「先生、って……、さっきの電話先の人ですか」
「な、なんでわかったの!?」
「いや、電話してる時に言ってたから」
ああ、この人、バカなんだ。初対面で失礼かもしれないけど、バカだから後先考えずに誘拐なんて決行したんだろう。
「そ、そうだったわね」
暗い車内でもわかるくらい彼女は頬を紅くした。
不覚にも可愛いと思ってしまったカノジョいない歴イコール年齢の僕はもう末期だ。
冷静に観察してみると、ハンドルを握る鳥山千歳は、背がべらぼうに高かったが(チビの僕との身長差を差し引きしてもだ)、その体系にあったすっきりとした小顔で、線引き上では美人の部類の人だった。ただ先ほど加えられた暴力と、顔に付着した土で、僕の中の好感度はゼロを突き抜けマイナスである。
「なんでその先生とやらに会わなきゃならないんです?」
鳥山千歳は少しの間、唇をとがらせてなにやら考えていたが、信号で車が止まると同時に、返事をしてくれた。
「先生なら、あなたを説得できるはずたから」
「説得?」
嫌な予感がした。
「そんなことされなくても誰にも言わないですって」
「信用できないわね。だから先生に頼るの。命令でもあるし」
「意味わかんない。命令ってなんですか」
「その深夜徘徊の怪しいやつを連れてこいって」
深夜徘徊については、概ね間違っていないけど、怪しいやつに関しては、それはそちらさんの事でしょう、と声高になる自信があった。
「そんなんこっちからしたらクソ食えです。大体間違ってたのはそっちなんだから、僕の意見を優先してくださいよ」
「それはできないわね。確かにあなたには酷いことしたと思ってるけど、先生が連れてこいって言ったんだから、あたしはそれに従うだけよ」
「そこがおかしいんです、僕を殴って拉致してんのは鳥山さんなんだから、これは僕とあなたの問題でしょう。なんでそこに先生とかいうわけわからない第三者を介入させんですか」
「わけわからない人ではないわ。先生よ。あたしが尊敬している唯一絶対の人」
くらくらしてきた。
なんだ、この人、
埒があかない。狂信的というかなんというか、危険人物なのは確かだ。
ひょっとして、
先ほど感じた嫌な予感が明確なカタチをもって僕に訪れる。
この人が言う【先生】っていうのは、宗教でいう教主にあたるんじゃないか。
だとしたら、僕を説得できると言ったのは、そのカルト教団に入信させるという意。鳥山がここまで狂信的なのも納得がいく。
「せ、先生って、なんなんですか?」
日常に戻るためには立ち止まって地獄をみるわけにはいかない。今はどうにかして情報を集め、覚悟を固めなくては。
「先生は、あたしが困っていた時に助けてくれた恩人よ。その恩に報いるため一生ついていくと決めたの。今は足手まといだけど、絶対に」
「……」
決意を込めた瞳をバックミラーごしに見ながら、僕は自分の最悪の予想が的中したことを悟り、無言になって覚悟を固めた。
過失があるのは鳥山側なんだから、弱気なってはならない。自分を信じなくては。




