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3:誘拐ラジカル

 担当教師に許可を貰い図書室の撮影を終えたのは、日はすでに落ち、外はぼんやりとした薄暗闇に包まれている時刻だった。

 鼻を優しく刺激する本の香りに別れを告げ、本日の撮影データをパソコンに移し終えた僕は、やることもなくなったのでそのまま学校を後にした。耳にイヤホンを差し込み歩きだす。流れるのは一昔前の洋楽アルバムだ。別に洋楽至上主義というわけではないが、秋の物悲しさにこのアルバムはベストセレクトだと思う。

 図書室では一般生徒を写さないよう人気がないコーナーばかり撮ることになったが、それでも納得のいく撮影にはなった。

 自習室はもちろん、資料室まで撮らせてもらったのはでかい。貸し出しカウンターに座っている図書委員の人たちが協力的だったおかげで撮影は順調に進んだ。

 上機嫌な帰り道を、夕方という段階をすっ飛ばしたかのような皎々と輝く月が照らしてくれていた。

 秋の日は釣瓶落としとはよく言ったものである。校舎はすでに夜の帳に包まれていた。

 明日は休日で活動できないが、休み明けは体育館の撮影でもしようか。そう今後の方針を決定した時だ。

 今通っている道が例の三年の先輩が首を吊った、森の横にある空き地に続いているルートでもあることを思い出した。

 一学期中は普通に使っていた道だが、日が落ち暗闇に包まれているこの状況下でそこを通るのは勇気がいる行為だ。

 霊魂なんて信じていないが、人が死んだ横を抜けるのはあまり気が進まない。

 それでも今更道を変える気にはならなかった。

 彼がいなくなっても、地方ニュースにちらりと取り上げたくらいで、全国区でみればよくあることなのか話題にも上がらなかった。

 人間死んでも小さな墓を一つ得て終わりだ。

 気にせず歩みを進める。流れる曲から的外れな勇気を貰っているようだった。

 件の空き地に着いたのはそれからすぐだった。

 光が届いていない地面は黒いインクでもこぼしたみたいに真っ黒だった。その空き地を覆い隠すようなビロードが、先輩が首を吊った森である。

 まだ夕方とも取れる時刻なので、恐怖を感じるほど心細くはないが、あと数時間もすれば、辺りは完全に無人となるだろう。そうなれば今あるこの余裕もどうなるかわからない。

 僕が現段階で言えるのは、こんなところを死に場所に選びたくはない、それだけである。

 自殺した先輩には悪いが、なぜこんな不気味な場所を終焉の場に選んだのか、考えを疑うところだ。

 あまり気にしていても意味はないので、そのまま足早にその場をあとにしようとした僕は、背の高い草の向こうに誰かいるのを視界の隅に捉えた。

 暗くて見にくいので、はっきりとしないが、女性のようだ。僕と同じ高校の制服を着た、女生徒。一瞬坂井珠希の顔を浮かんだが、薄暗闇の中に佇む女性は日本人の標準的な黒髪だった。

 あんなところでなにをしているんだろう。

 僕の疑問はすぐに氷解した。辛うじてわかったのだが、彼女の手に小さいながらも花束らしきものが握られていたからだ。

 ああ、お供えしてるのか。

 謎が解けると同時、ウダウダ考えていた自分がひどく矮小な存在に思えた。

 気にもせず見てみぬふりで道を抜ける僕より、亡くなった彼を弔う彼女の方が数段も立派だ。

 自分を恥ずかしく思いながらも僕にできるのはやっぱり足を早めること、だけだった。


 夕闇の中を半ば駆け抜けるように帰宅した僕を夕飯の心地よい香りが出迎えてくれた。感謝しつつそれを食べ、風呂にはいる。

 いつもならリビングでくだらないバラエティー番組でも見ながら笑う時間帯、僕は息を吐いてから、パソコンの電源をいれた。学校のはあくまでバックアップ用なので、ソフトを入れてある家のパソコンでしか動画編集はできないのだ。今日1日分のデータと今まで撮り溜めといた動画を合わせ、作業を開始する。いるシーンいらないシーンの添削、公開する順番、音声データの編集など、ただ撮るだけでは作品は完成しない。人を引きつけるものにしなくては。

 だが、

 一つ、不安に思っていることがあった。

 誰にも見せず、自己満足だけのこの作品に、生きる価値はあるのだろうか。

 今つくっているものは、本当に見る人の興味をひくものになっているのか。

 わからなかった。


 それから作業を中断するまで三時間近くはパソコンとにらめっこしていただろうか。時計を見れば時刻はすでに床につく時間を迎えていたが、明日は休みなので今日は徹夜で作業すると決めているのだ。

 背もたれに寄りかかり大きく伸びをする。知らず知らずの内に「ん〜」と声が漏れていたが、誰も聞いていないので恥じる必要はなかった。

 ここらで休憩にしよう。

 僕は寝ている家族を起こさぬよう、そっとキッチンに向かった。腹はすいていないが、喉が乾いたので水を飲むことにした。

 コップに水を注ぎ、それを飲み干す。浄水機のおかげでおいしいみずとなったただの水道水は僕のHPを50ほど回復してくれた、ような気がする。

 そろそろ戻ろう。

 そう思い再びディスプレイの前に座ろうとしたが、ここまで三時間、ぶっ通しで作業してきたのだからもう少しくらい休んでもいいんじゃないかと思いはじめた。

 時計の針は、外出には気が引ける時刻を示していたが、爽やかな秋の夜風はさぞかし心地よいだろう。

 深夜徘徊は趣味ではないが、思ってからは早かった。

 ポケットに携帯だけいれ、玄関から秋の虫鳴く夜道にスニーカーで飛び出す。端から見たら用もないのに外出する変な人だが、あくまで気分転換のただの散歩だ。


 夜の空気はシンとしていて、風が優しげにそよいでいた。

 なんだか上機嫌になって、スキップでもしたくなったが、さすがに節操がなくなるので止めといた。その代わりに夕暮れ時に聞いていた一昔前の流行歌のサビの部分を鼻歌で延々とリピート再生する。

 僕は見知った街の見知らぬ景色を楽しみながら、独りきりの世界を堪能し、目的地のない気ままな散歩を続ける。強いていうならブラブラするのが目的といったところか。

 そよそよと優しげにそよぐ心地よい涼風は、僕のムードを盛り上げるのに充分な活躍をしてくれた。

 そろそろ家に戻ろう。

 と散歩の終わりを考えだした頃だ。

 日付が今日と明日で揺れる、わずかな時間帯。次の日は休みだというのに学校近くまで来ていた僕の視線の先には、暗闇の中、その存在をアピールする広い空き地があった。

 夕刻、何かを手向けていた見知らぬ女生徒の横顔を思い出す。その時感じた自分の器の小ささ。僕は静かに深夜の散歩で高潮する気分を鎮めた。

 不思議と恐怖は感じなかった。

 夜中に人が死んだ場所に来るなんて思いもよらなかったが、手を合わせるくらい、同じ高校に通うものとして、やるべきだろう。

 仕切りを乗り越え、女生徒がいた位置に歩みを進めた。

 そこは空き地というより、グラウンドに近かった。手入れされてなく、草はぼうぼうだが、中央部は踏み固められしっかりとした地面になっている。小学生だかが遊び場にしているからだろう。

 奥の方は森と表記した方が正しいであろう、鬱蒼と茂ったジャングルが広がっており、男子生徒が首を吊ったのはその木の内の一本だそうだ。

 とりあえず、森へ通じる入り口についた僕は、地面をざっと見渡してみた。

 手を合わせるにしても、彼がどこで死んだのかわからなければどうしようもないからだ。木についたロープ跡でも見つられれば話は早いが。

 ……これはゲスな好奇心だろうか。

 僕が心の中で、頭をかいた瞬間だった。

 短いリズムの足音が背後に響き、

 それに反応して振り向くより先に、

「ちぇすとぉぉ!」

 首の付け根に衝撃が走った。深夜に不釣り合いな示現流の雄叫びが鼓膜と脳を揺らす。何者かが、僕の首筋を強打したらしい。

 飛びかけた意識でそれを理解するのは、デコボコとした固い地面に転がってからだった。

「見つけたわ!」

「えっ、は、な」

 なにが起こった!?なんで僕は地面に倒れてるんだ!?

 急所への衝撃でチカチカする視線を必死に巡らせる。

 そういえばさっき車が通る音がしたが、もしかしてこの人が乗ってきたのだろうか。ぎりぎりまで足音をたてぬよう接近して、この誰かは僕を叩きつけたのだ。

「コソコソしたって、あたしには全てお見通しよ」

 空き地は完全な闇に包まれている。

 それゆえ自殺する場所には打ってつけだったのかもしれないが、今の僕にはそれが災いした。

 暗すぎて、いきなり現れたソイツの姿がよくわからないのだ。

「覚悟なさい!」

 謎の人物が僕に第2撃を加えようと大きく飛び上がったのが、なんとかわかった。

「うわっ」

 踏んづけるのが目的と言わんばかりの蹴りが、転がって移動する前の位置に炸裂した。

 通り魔。

 脳裏にその言葉がブワリと浮ぶ。こんな深夜の時間帯に、いきなり襲いかかるようなヤツをそう呼ぶのは間違いないだろ。

 首から受けた痛みはぐわんぐわんと頭蓋骨に移動して、気分を最悪にしているが、今はそんなのに構っている場合ではない。必死に立ち上がる。足まで神経が繋がっているかわからなくなったが、僕の両脚は脳からの命令通り、走り出していた。

「逃げる気っ!?」

 背後でやや甲高い通り魔犯の声が響いた。

 なにを言われようが、僕にとっての優先事項はこの場からの撤退だ。

 初撃から朦朧とする脳みそで、市内の地図を思い描く。このまま交番まで走れるだろうか、と自身に問いかけた瞬間、立ち眩みに似た暗転が僕を襲い足がもつれてしまった。

「くらえっ」

 速度が落ちた僕に容赦ない跳び蹴りが浴びせられる。なにぶん背後のことなので想像するしかないのだが、この痛みはモノをぶつけたものではないだろう。

「うわっ」

 衝撃で情けない悲鳴をあげながら受け身も取れずにぶっ飛ぶ。

 よりにもよってぬかるみの上に倒れこんだ僕は、怒涛という二文字がお似合いに走ってくるソイツの姿を視界に補足した。

 中心には届いていなかった道路脇の街灯が認めたくない事実を照らしだしていた。

 女だった。身長がべらぼうに高い、茶髪の。就活中なのか知らないがスーツ姿で、肩までの髪を揺らしながら、僕を睨みつけている。

 なんとなく声質でわかっていたが、仮にも男の僕が女性から暴力を受けているなんて、信じたくなかった。

 殺さんとする目つきのまま、彼女は僕に走りよる。

 得体の知れない女性からの恐怖が沸き起こるより先に手元の土を掴んで、ソイツの顔面めがけて投げつけた。

「っぅ」

 小さな悲鳴があがったのを確認し、逃げ出そうと立ち上がる。

「ちぇいッ」

 気合いの声が鼓膜を刺激した。土くらいじゃ足止めにもならなかったらしい。

 通り魔は背の高い草を掻き分けようとしていた僕に追いつき、勢いそのままで後ろから羽交い締めにすると、強く地面に叩き伏せた。

 視界の端で白い光がチカチカ弾ける。泥だらけだ。

「見苦しい抵抗ね……、でもまっ、ようやく犯人確保ってとこかしら」

 息を切らせながら、彼女は僕の背中に回された手にガチャリと手錠のようなものをかけた。

「えっ、は、なんで」

 手首は完全に固定され動かせない。ようなもの、じゃない。手錠だ。

 なんでそんなえげつないもん持ってんだこの人。

「いっ、いきなりなにするんだ」

「うるさい。大人しくしなさい」

「こんな状況でできるわけがないだろ!」

「わんわん吠えないで。続きは後でゆっーくり聞いてあげるから」

「つぅ」

 言うやいなやグイっと手錠を引っ張り僕を無理やり立たせると、小突いて歩けと命令してきた。

 文句を言うとドスの効いた罵声と共に頭をはたかれるので、大人しくするしかない。

 こんな夜遅い時間に失踪した僕を家族は気づいてくれるのだろうか。

 まさかこの歳で誘拐されるとは。

 僕の頭は自らの置かれた状況をできるだけ楽観的に考えることで、なんとか自我を保っていた。





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