10:車輪アクセス
いの一番の発言である「調査開始」はなにをどうすればいいのか、方向性が定まっていないように思える。
彼女には守秘義務でも存在しているのか、僕はただ「ついてきて!」に従って、重いペダルを漕ぐだけだった。
昨日こそ、車をブイブイ言わせていたのに、なんで今日は自転車なのか?その質問にも答えてくれぬまま、彼女の赤い電動チャリを、中学の頃からの愛車であるマウンテンバイクで追いかける。当時は面白がってコロコロ変えていた六段ギアも、いまでは5で固定されていて、それに見合った速度で僕は彼女の背中に追いすがる。
もうそろそろ目的地くらい教えてくれ、と
「どこ行くんですか?」
煩わしい冗長な文句を削ったシンプルなその問いかけに、一馬身先を行く鳥山千歳は一度だけちらりと振り返ってから、鼻を鳴らした。
「シバサキヨウタの家よ」
「……え」
短絡すぎて、いまいち意図がつかめない答えが返ってきたので、「詳細を!」と怒鳴りそうになる。
自殺した先輩の家、ってことだよな。
「な、なんで今更」
「理由は3つあるわ」
風切り音をまったく気にせず、いつもと変わらぬ声量のまま彼女は続けた。
「一つ、自殺志願者はシバサキヨウタになんらかの感情を持っているから」
屋上の鍵の持ち出し欄に、彼の名前を記したことがその結論の裏付けになっている。だけど、ただのブラックジョークだとしたら、調査は無駄になるのではないか。
「2つ、シバサキヨウタの自殺の不信点について」
今問題なのは屋上の自殺志願者である。その自殺志願者がいるのかも、僕はまだ疑っているのだが。
「最後に一つ!先生が調べてこいと言ったからよ」
これに関しては、バカか、くらいしかコメントが浮かばない。
僕が心の中で悪態をついたのを見透かしたかのように、鳥山千歳は急にブレーキをかけた。僕も慌てて停車する。
「ここのようね」
彼女は取り出したタッチパネル式の携帯端末で位置を確認してから呟いた。
止まるなら事前に合図くらいしてくれ。僕がそう文句を言うより先に、彼女は門についていたチャイムをその長い人差し指で沈めていた。
「あー!」
「うるさいわね、なによ」
ぴーん、というくぐもった音が、空気を微かに震わせた。
表札を見る。自殺した先輩の名字が記されていた。
「なんでなんの迷いもなく押すんですか!?」
「うるさいわねー。遅かれ早かれ押すんだから、ぐだぐだしてても時間の無駄でしょ」
「まだ死んで日が浅い人の家族に、遠慮もなしに『話聞かせてください』って尋ねるつもりなのか!?」
彼女は萎縮した表情を浮かべ、すぐに指を放した。それと同時に、ぽーん、と残りの半分の音が虚しく響く。
見れば、簡素とはいえ立派な一軒家。まわりには似たような家が数軒並んでいる。お昼のワイドショー風にいうと、閑静な住宅街というやつだ。間違い、という一縷の望みをから、何度も確認してみるが『柴崎』の表札が日の光を反射しているだけだった。
「それは困ったわね。うーん、どうする?」
鳥山千歳は真剣な眼差しで続けた。
「逃げる?」
まさかのピンポンダッシュの誘いに僕は額を軽く抑えた。
「一度退いて、作戦を立て直したほうがいいと思うんだけど」
「とりあえず家主の人が出たら、同級生だったとか言ってごまかしましょう」
「あら、あたしまだ高校生で通るかしら」
ええい、十分通用するから黙っててくれ!
自転車にまたがったままあたふたとする僕らとは対象的に、不気味なくらい辺りは静まり返っていた。
平穏に包まれながら、結局開くことのなかった柴崎邸の黒い玄関扉を見やる。
「留守?」
どうやらそうらしい。冷静に考えたら、休日とはいえ昼間だ。
「まったく驚かせないでよ」
「それはこっちのセリフです……」
息を浅くつきながら鳥山千歳はブロック塀に自転車を寄せるとスタンドをたてて、駐車措置をとった。僕もそれにならう。
「留守なら帰りましょうよ」
肩にバサリとかかっていた髪をかきあげてから、彼女は僕の発言を無視して提案してきた。
「ねぇ、やっちゃう?」
「やるってなにを……」
「この状況だったら決まってるじゃない」
不敵な笑みを浮かべ彼女は続けた。
「侵入よ」
「……は?」
僕は自分の口がだらしなく開いていることに気がつけなかった。
「ふほーしんにゅー」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「家主は留守、人気は無し。この2つが揃ったらやることは一つでしょ?」
トリップしかけた思考を取り戻し、キラキラと瞳を輝かせる鳥山千歳に、僕は慌てて大声をあげる。
「そんなバカな!」
「ここで帰ったらなにも前に進まないじゃない。折角休日つぶして来たのよ。シバサキヨウタだって笑って許してくれるわ」
「いやいやいや、犯罪だから!やろうとしてることは空き巣と変わりませんよ」
「失礼ね、物盗りじゃないわよ。やだやだ」
そう言いながら門を抜け、敷地に侵入しようとする彼女の手首を僕はほぼ反射で掴んだ。
「見つかったらタダじゃすまないって。家の人だっていつ帰ってくるかわからないし」
「リスクを恐れるだけじゃ人の成長は望めないわね」
「だぁぁーもう」
掴んでいた手首を思いっきり引っぱって、彼女を移動させる。「あらら」と間のぬけた声を出しながらも、僕のベクトルに従ってくれた。
「図書館にでも行って新聞記事探しましょう。そっちの方が何倍も情報が集まります」
「それもいいわね。それじゃこの後にでも」
「あ、こらっ」
彼女は僕の手を振り払うとそのままの勢いで駆け出した。それを再び阻止せんと、なんとか敷地と彼女との間に体を滑りこませる。
「ちょっとー、なんで邪魔するのよ」
この歳で前科持ちにはなりたくないので僕だって必死だ。
「だからっ、落ち着けって!坂井珠希が言ってたでしょ、あなたは猪突猛進なところがあるって」
「むむ、痛いところをついてくる……」
ようやくわかってくれたのか、彼女は数歩後ろに下がった。
昨日の出来事が教訓として活かされていれば、不法侵入なんて犯罪、思い浮かぶはずもないのだ。
「でも、若いうちは危険を恐れてでも挑戦すべきよ。それともなに?まさかよくあるドラマみたいに『鍵が開いてる』、入ってみたら死体発見、ってパターンでも恐れてるの?それは少し想像力が豊かすぎるんじゃない?」
「無関係の歩行者を無理やり車に詰め込んで、誘拐まがいなことをする……」
「急になに?」
「昨日のあなたの先走りのミスです。僕が寛大だから良かったけど、下手したら、今頃警察のお世話になってますよ、鳥山千歳さん」
「ぐっ」
彼女は悔しそうに唇を噛んだ。やれやれ、わかってくれたみたいだ。
「だけど、手っ取り早く侵入すれば、調査の進展に」
「だからぁー」
まだ理解してくれてないらしくぶーたれた鳥山千歳に、言葉の弾丸を装填しようとした瞬間、向かいの扉から、エコバックとおぼしきクリーム色の袋を肩から提げた恰幅のいい中高年の女性が出てきた。絵に描いたように中流階級の主婦だ。それこそ二時間サスペンスとかに出てきそうな、情報を持ったご近所さん。
ほらみろ、人通りは少なくてもゼロじゃないんだ。
そのおばちゃんは僕らに気がつくと、訝しんだ瞳を人の良さそうな笑顔の仮面で隠して話かけてきた。
「あんたたち何してるんだい?」
「あっ、いや」
いきなりだったので声が半オクターブ上がってしまう。しまった、これではやましいことがあるみたいだ。
「あたしたちシバサキさんに線香あげに来たんです」
そんな慌てふためく僕と違い至って冷静に鳥山千歳はスラスラと嘘をはいた。
先ほどまで強硬手段に打ってでようとしていた人物と同一人物とは思えない。
「あら、そう。でも留守だったでしょ?色々大変みたいだからねぇ」
そう言いながらおばちゃんは、軽く握った拳を唇に寄せた。鳥山の眼光が鋭くなる。
「えぇ、まさかシバサキくんが、って感じです」
「ほんとよほんと。あんなに利発そうな男の子が。世の中なにがあるかわからないわよね」
鳥山千歳の初対面でも発揮されるコミュニケーション能力に感嘆しながら、やることもない僕はそっと目の前の新たな登場人物を観察してみる。
じっくりみてみた結果、さっきも思った『二時間ドラマの情報を持ったおばちゃん』という印象が深まるだけだった。
「ところであなたたちは、どんな関係なの?」
いかにも噂好きが浮かべそうな笑い顔で、訊いてきた。それに苦笑いしながら鳥山千歳は答える。
「別にただの友達です。シバサキくんとはクラスメートでお世話になってたんで、彼を誘って手を合わせに来たんです」
よくもまぁぺらぺらと嘘を並べられるものだ。鳥山千歳の対人スキルは侮れない。
「でも、あいにく家の人がいないみたいで……。失礼ですけど先ほど、シバサキさんのお宅が留守だってこと、わかってたみたいに仰ってましたが」
微妙に空気が重くなる。彼女は上手く隠したつもりだが、僕にははっきりとわかった。これが、彼女の本題だ。
「えぇ、柴崎さんチ、もう何日もお留守みたいなの」
「何日も?確か彼、父子家庭でしたよね。おじさん、家をあけてるんですか?」
僕は鳥山千歳をちらりと見る。シバサキヨウタには母親がいなかったのか。
「うーん、これはあくまでも噂なんだけど」
手首をくいっと曲げてから、おばちゃんは続けた。
「失踪したらしいわよ、柴崎さん」
「失踪?」
「ほら、息子がいなくなって、ショックだったんじゃない?お葬式の喪主も遠い親戚がしたらしいし」
同級生という設定を鑑みれば、間違いなく教えるべきでない情報をおばちゃんはあっけらかんと漏らしてくれた。
鳥山千歳もいささか遠慮がちに言葉を続ける。
「そうですね、でもほんとに不思議です。自殺だなんて」
「ここだけの話」
再び手首をくいっとさせる。
「私は男女関係のもつれだと思うわ、自殺の原因」
おばちゃんの噂好きに恐怖を感じつつ、耳を傾ける。
「カノジョらしき可愛い女の子がよく家に出入りしてたからね」
「その人、もしかして十和森高校の生徒でしたか?」
「っていうと、えーと……」
おばちゃんは首をひねってから続けた。。
「よく覚えてないけど、制服着てたのは確かだわね、うん」
おばちゃんの頷きに、僕は密かに眉を顰めた。
「そうなんですか。あ、色々とありがとうございます。お引き止めして申し訳ありませんでした。また後日改めて伺うことにいたします」
営業スマイルというのか、鳥山千歳は僕には一度だって向けたことのない良い笑顔をおばちゃんに向けると、ぺこりと小さく頭を下げた。
隣の僕もそれに倣いお辞儀をする。
「あら、いいのよ。ただ最近は物騒だから、あまりうろちょろしたらダメよ。不審者に間違われるからね」
おばちゃんは最後に、思いあたるふしが多すぎて耳に痛い発言を残し、去っていった。
その背中が小さくなってから鳥山千歳は僕の方を向いて、風に舞う自分の髪をなでつけながら言った。
「やっぱりご近所ネットワークはすごいわね。新しい情報がいっぱい入ったわ」
「そうですね。僕は柴崎さんが父子家庭だったことも初耳でしたが」
「言ってなかったっけ。まあいいわ。いま、その親父さんは失踪中だもんね。あとは、えーと、なんだったっけ」
「柴崎邸に出入りしていた女生徒ですか?」
「そう、それよ!そいつを突き止めれば、調査は進展する!」
「だから今は、柴崎さんが死んだ理由じゃなくて自殺志願者を見つけるのが目的じゃないの?さらに探しもの増やしてどうすんですか」
「うっ」
ついつい心の声が出てしまった。
「で、でも、だいぶ絞りこめてきたわ」
悔し紛れの彼女の発言は、根拠というものが足りないように思えた。




