表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミエル私とミエナイ僕  作者: 栗原林檎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/4

4. 綻び

その日の夜、私はベッドの中で何度も寝返りを打った。


(何かが、何か大切なことを忘れている気がする。すごく大切なこと……でも思い出せない)


脳の奥に、真っ暗な穴が開いている。

必死に手を伸ばしても、指先をすり抜けていくのは冷たい夜気だけ。

けれど、意識が微睡まどろみに溶けかけるその瞬間――不意に、ひとつの情景が浮かび上がった。

(〇〇ちゃん……)

名前は、まだ出てこない。

けれど、私と一緒に庭を駆け回り、泥だらけになって笑い、

そして……私と同じように、レモンパイを頬張っていた女の子。


『おいしいね、セシリア!』


弾けるような笑顔。私を呼ぶ、高い声。

彼女がいた場所には今、あの「17番」の席と同じ、不自然な空白だけが横たわっている。


(……あの子、どこへ行ったの? 私は、何を……)


答えにたどり着く前に、底なしの眠りが私を引きずり込んでいった。

まるで、誰かが私の思考に蓋をしたかのように。



翌朝。

朝食の席で、両親はいつも通り優しく私を迎えてくれた。


「昨日の夜は幼馴染のレオンくんの家でお祝いしただろう? 楽しかったかい?」

「ええ、とっても楽しかったわ!」


私の言葉に、父様は満足そうに目を細めた。


「これ、お父様とお母様からのプレゼントよ」

差し出されたのは、小粒のダイヤが光るピアスだった。

「ピアス! ありがとう!」

「ふふ、素敵なレディになったわね。そろそろレオンくんとの婚約も考えないとな」

「婚約!? レ、レオンはそんなんじゃ……!」


父様のからかうような言葉に、私は顔を真っ赤にして立ち上がる。

けれど、ふと、胸の奥を通り過ぎた違和感を無視できず、私は言葉を続けた。


「……ねぇ、お父様、お母様。レオンって……一人っ子だったっけ」


その瞬間、父様と母様が一瞬だけ、奇妙なほど無機質な表情で顔を見合わせた。

カチリ、とスプーンが皿に当たる音だけが室内に響く。


「……そうよ? どうしたの、急に」


母様が、何もかも「当たり前」だと言わんばかりに、柔らかな、けれどどこか空っぽな笑顔で首を傾げる。


「そ、そうよね。……変なこと聞いてごめんなさい」


(……気のせい、だよね。昨日レオンの家でも同じことを聞いた気がするけど……。でも、あの記憶はなんだったの?)


「ん? 違うのか? あんなに仲が良いのに」


父様が再び、話を婚約のことに戻した。


「も、もう! 行ってきます!」


逃げるように玄関を飛び出すと、そこにはすでに馬車と、彼が待っていた。


「セシリア!」

「レオン! お、おはよう……」


さっきの「婚約」という言葉が頭を離れず、まともに彼の顔が見られない。

そんな私の動揺に気づく様子もなく、レオンはいつものように優しく微笑んで、馬車の中にエスコートしてくれた。

揺れる馬車の中、沈黙を破ったのはレオンだった。


「セシリア。昨日、誕生日プレゼントを渡しそびれてたから……これ」


彼が差し出したのは、小さな宝石箱。

中には、金色の細いチェーンに、小さな青い宝石がついたブレスレットが入っていた。シンプルだけど、溜息が出るほどセンスがいい。


「これなら普段使いできそうだし、授業中でも邪魔にならないと思って」

「あ、ありがとう……凄く嬉しい……」


彼が私の手首に、直接それを嵌めてくれる。

冷たい金属の感触が肌に吸い付くようで、私はそれをそっとなぞった。


「セシリア、あのさ」


ふと、レオンの声のトーンが変わった。


「ん?」


「今日は学校、さぼらないか?」

「え~? 優等生のレオンが何言ってるの。先生に怒られちゃうよ」


私が冗談めかして笑うと、レオンは一瞬、何かを言いかけたように唇を震わせた。けれど、すぐに視線を窓の外へ逸らす。


「……そう、だよな。変なことを言って悪かった」


窓の外。

学園の正門が見えてくる。

そこには、一人の「見慣れない生徒」が、こちらをじっと見つめて立っていた。

レオンの横顔から、体温が消えたような気がした。


いつものように下駄箱に靴を入れようとして、私は手を止めた。


「これは……手紙?」


封筒には何も書かれていない。けれど、それを目にした瞬間、隣にいたレオンの空気が変わった。


「セシリア。その手紙、僕が預かっていいかな」

「え、あ、うん。いいけど……」


レオンは微笑んで受け取った。けれど、私の背に回した彼の左手が、その手紙を無残に握りつぶしたのを、私は見逃さなかった。

教室に入ると、リサとアーノルドがいつも通り話しかけてくる。


「おはよー、セシリア! ねぇ、今日のテスト範囲、昨日と変わったって本当?」


リサが机に手をついて、いつもの明るい声で笑いかけてくる。


「マジかよ……。頼むセシリア、女神様! ノート見せてくれ、この通りだ!」


アーノルドが冗談めかして手を合わせる。

昨日と何も変わらない、親しみやすい友人たちの姿。けれど、その輪に加わるレオンの声だけが、どこか一線を引いたような冷ややかさを帯びていた。


「ダメだよ、アーノルド。全く……そうやっていつもセシリアを頼って」


レオンは爽やかに笑いながら、けれどアーノルドの手を私のノートからさりげなく退かせた。

「ケチ」と笑うアーノルド。

賑やかで、暖かくて、大好きな毎日。

昨日と何も変わらないはずなのに、私はどうしても「17番」の空席が気になって、授業中も視線を外せなかった。



お昼休み。


「学食いこー!」

「うん!」


リサに誘われ、席を立とうとしたその時だった。


「あの」


背後から、低く無機質な声がした。


「セシリア!!!!!」


鼓膜を突き刺すようなレオンの絶叫。

彼は私の前に飛び出すと、誰かを隠すように、あるいは私を突き飛ばすようにして立ちはだかった。


「ちょ……レオン、どうしたの?」

「レオン……?」


リサたちの困惑した声も耳に入らないのか、レオンは私の手首を痛いほど強く掴んだ。


「走るよ」

「えっ、ちょっと!」


抵抗する間もなく、私は彼に引きずられるようにして屋上へ向かった。


「はぁ……はぁ……っ、レオン、急にどうしたの。あんなに慌てて……」


荒い息をつく私。レオンは屋上の扉を背にして、絶望したように呟いた。


「やっぱり、サボればよかった……。あいつが来る前に……」


「え? あいつって……」

「なんで逃げるんですか」


凍りつくような声が、私たちの背後――フェンス側から響いた。


「!!!!」


いつの間にそこにいたのか。灰色の制服を着た「見慣れない生徒」が、不自然な笑みを浮かべて立っている。


「あなたは……?」

「セシリア! 話しかけるな!」


レオンの叫びを無視して、その生徒はふふっと笑った。


「ふふっ。あなたは何も知らないんだね。そこのナイト様のおかげかな」


「うるさい! 消されたくないなら黙ってろ!」


レオンの形相は、もはや「王子様」のそれではない。獣のような殺気を放っている。

けれど、その生徒は嘲笑うように言葉を続けた。


「はははは! 何言ってるんですか。ここにいる人たちはみんな……」


「だまれ!!!!!!!!!!」


レオンの怒号が響き渡る。


「レオン……? なに……? なんなの、一体……」


混乱する私を見て、その生徒は「はぁ……」と溜息をついた。


「しょうがないですね。予定とは違いますが、セシリアさん。よろしくお願いします」


そう言うと、その生徒は迷いなく、屋上の縁から身を投げた。


「ヒッ……きゃぁぁぁああ!!!!」


――数秒後。鈍い音が下に響く。

レオンが「!!!!」と目を見開く中、私はフェンスに駆け寄り、下を覗き込んでしまった。

そして、いつものように。

「ソレ」は血まみれのまま、グシャリと折れ曲がった手足で立ち上がり、ニヤッと笑って私を見上げた。


「……セシリア! 見るな!」


レオンが私の視界を塞ごうとする。

けれど、私の唇はもう、無意識にあの言葉を紡いでいた。


「――ミセテ」


脳を掻き回す不快感。

視界が切り替わった瞬間、血まみれの生徒の胸にあった赤黒い炎が爆ぜた。

その生徒は満足そうに口角を上げると、すすとなって、この世界から跡形もなく消え去った。


「……っ」


激しい眩暈。

意識が遠のき、私はレオンの腕の中に倒れ込んだ。


「あれ……レオン……? なんで私たち、屋上にいるの……?」


私の目から、さっきまでの記憶が、砂のようにさらさらと零れ落ちていく。

レオンは私を強く、壊しそうなほど強く抱きしめて、震える声で囁いた。


「……なんでもない。なんでもないんだ、セシリア」

その瞳には、深い絶望と、燃え上がるような憎悪が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ