6. アリスの直感と喜び
※ さあ、ここからはアリスの喜びが次々と訪れていきます。
◇ ◇ ◇ ◇
本来、いくら高位貴族の侯爵家とはいえ、デビュタントも済んでない令嬢ならば年老いた男の家に嫁ぐのはとても嫌なものだろう。
メンデル家には私の他にも若い娘はいる。
妹のイサドラだ──。
だが義妹のイサドラは結婚相手の絶対条件は若くて眉目秀麗の貴公子だそうだ。
いくら大金持ちとはいえ、よぼよぼした老人の伴侶などイサドラが、拒否するのは火を見るより明らかだった。
そうだ、私は最初からわかっていた。
義父は借金の形に私を差し出すだろうと。
私は広大な屋敷を見つめた。
──大丈夫。大丈夫、大丈夫よアリス。
私は3度心の中で『大丈夫』といい聞かせた。
この大門をくぐった先に、私の痩せた足を一歩踏み込めば、これまでの悲惨な状況とはガラリと変って大いなる喜びが待っていると直感した。
私は体が、春の陽気と共に、どうもむずむずして武者震いを起こした。
あ、多分私の身体がわかっているんだわ。
自分でも心が躍動するほどワクワクして馬車を降りて屋敷へ進もうとした。
「ちょっとお嬢さん、運賃のお金を支払ってくだせい。銅貨3枚さね」
「は?」
私に馬車の御者がぶっきらぼうに運賃の催促をした。
──ああ、そうだった。私が乗ってきた馬車も街の貸し馬車だった。
「あ、悪かったわ。ご苦労様でした」
私はバックからポシェットを取り出して、御者に銅貨3枚を支払った。
「へい、毎度」
そうだった──。
馬車の運賃も義父はケチってくれなかったので、仕方なくメイドのアンナにお金を借りたのだ。
でも平気よ。もうこんな惨めな思いは金輪際、今日で終わらせよう。
──愛するアンナ、私が虐げられてもあなたを含めた、屋敷の従者は以前と変わらずに私に接してくれた。
これから見ててちょうだいな、あなたのお金は何十倍も後で返してあげる!
私は心に強く誓った。
◇ ◇
表門に入り中庭を歩いて行くと、屋敷の白亜の正面玄関の前でひとりの老人が待ち構えていた。
多分、義父たちと競馬で賭けをした老人──その人だった。
老人は義父たちに見せていた『フォッフォッ!』というおかしな笑いなどは、一切せずに深々と私に一礼した。
そして──。
「アリス様、お待ちしておりました!」
「ジョージさん、お久しぶりです」
私は侯爵と思われていた老人に笑顔で片手を差し伸べた。
「何年ぶりかしら、とてもお元気そうですね」
「おかげさまで、元気に過ごしております」
ジョージは私の手を取ったがすぐに驚いた。
「おお、アリス様のお手はとても、かさついていて冷たいですな。手袋もせずに……」
「ふふ、もう春だから大丈夫よ」
「さようでしたか……とはいえよく1人で出てこれましたね。さあ、どうか中へお入りください。皆さんずっとお待ちかねでございます」
「ええ、ありがとう」
「アリス様、その持ち物も私めにお寄越しください」
「ありがとう。ジョージさん」
「いえいえジョージと呼び捨て願います」
「分かったわ」
ジョージと私が呼んだ老人は、黒色の紳士服姿だったが、侯爵の出で立ちにはとうてい思えなかった。
どう見てもこの屋敷の執事に相応しい恰好だった。
◇
広々としたエントランスを、ジョージに案内されて大居間の入り口に私が通された時──。
「アリス!」と若い男性の声が聞こえた!
──ああ、懐かしい声!
「ユーフォ!」
「アリスちゃん」
「アリスちゃん!」
「ああ叔父様、叔母様!」
そこには私の幼馴染で婚約者のユーフォルブと、彼の父母のドレスデン侯爵夫妻がいた。
◇
ユーフォルブ・ドレスデン侯爵令息。
彼は王族とも親戚筋のドレスデン侯爵家の嫡男だった。
ドレスデン侯爵家は、以前私のメンデル伯爵家の隣に別邸を構えていた。
私とユーフォルブは幼馴染でもあった。
ユーフォルブは私よりも年上で現在20才。
既に成人した立派な貴公子であり、ドレスデン子爵となっていた。
私は久方ぶりに懐かしい幼馴染と、その家族に再会できて感無量となった。
「ユーフォとても逢いたかったわ!」
「おおアリス、アリス!僕もだ、この一時まで、どんなに君が狂おしいほど心配だったか、けっして君にはわかるまいよ」
とユーフォは感極まったのか、走り寄ってきて私の体をギュッと強く抱きしめた。
「ああユーフォ……」
私も長身のユーフォルブに抱きしめられると、張りつめていた感情がふわっと緩んだのか涙が溢れて止まらなくなった。
これまで義父たちに虐げられてきた苦痛と悔しさが、一気に堰を切って溢れ出したのだろう。
「私も……あなたに逢いたかった……」
「アリス、ああ僕の麗しい人、もうけっして離さないよ」
ユーフォブルは何度も私の頭にキスをした。
「まあまあ、ユーフォったら恥ずかしげもなく……ねえ、独占しないで私にもアリスちゃんを抱かせてちょうだいな」
ユーフォに抱かれていた私の前に美しい貴婦人がにこやかに微笑んでいた。
彼の母親のガーネット・ドレスデン夫人だ。
「あ、ごめんなさい母様……」
ユーフォが一旦、私から一歩離れた。
「アリスちゃん、久しぶりね」
「叔母様、ご無沙汰していました、この度は……」
と私の挨拶も言い終らない内に、ガーネット夫人も私をふいに抱きしめた。
「叔母様……」
ガーネット夫人は数秒間、私を思いっきり抱きしめた後で、少し離れて目に涙を浮かべながら声を発した。
「まあまあアリスちゃん、なんてあなたは痩せてしまったの……本当に苦労したのね。ごめんなさいね、あなたを助けるのが遅れてしまって……」
「いいえ、まさか叔母様たちが私をこんな早く助けてくださるなんて……ドレスデン侯爵家と聞いてピンときました!」
「おいおい、お前たち、ワシにもアリスちゃんを抱きしめさせてくれよ」
「ああ、叔父様……」
今度はユーフォルブの父親、エンリケ・ドレスデン侯爵も私をギュッと抱きしめてくれた。
「本当に久しぶりだね、ああとても綺麗になったなあ。君の母親が亡くなったと聞いた時すっ飛んで行きたかったのだが、私たちは外交で隣国にいたからね。すぐには帰国できなかったんだ。ユーフォも同国で留学していたし妻も一緒だった」
「ええ、ええ、もちろん承知していましたわ。でも叔父様たちは、こうして私を助けにきて、私に進むべき道を示してくださいました」
「さあ父上~!もういいだろう。アリスも疲れてる。まずはみんなで、ゆっくりサロンでお茶でも飲もうよ」
「ああそうだな、そうしよう」
ユーフォはすかさず父親の侯爵からを私を奪うように離して、そのまま私の腕と腰を取りエスコートしてくれた。
そのまま私たちは陽光煌めくサロンへと場を移動する。
先頭を歩く私とユーフォルブ。
これも後から聞いたのだが、この時、ドレスデン侯爵夫妻は息子のユーフォルブがとても大切に私をエスコートしている姿を背後から見守りながら、万感の思いをはせたそうな。
そう、このカラクリは実に単純だった。
全ては私のある直感から始まったのだった。
※6話までお読み下さり誠にありがとうございました。
※残り3話につきましては2/27の正午に投稿します。
※全9話連載完結です。




