三の段 女の怪 ③
ひよりは自信なさげな顔で「なんとなくそう思っただけで、確証はありませんけど」と前置きしたあと、ぽつぽつと話し始めた。
「さっきの前内さんの反応を見るに、前内さんは生霊を飛ばしている人に心当たりがあるのではないでしょうか。そして生霊は前内さん本人ではなく、奥様に憑いた。奥様の顔を傷つけ、前内さんの首を締めたということは、前内さんのことも奥様のことも恨んでいる人かと」
「そうだな。私も同意見だ」
「だけど奥様の交友関係は狭く、誰かの恨みを買う人に見えなかった。生霊を飛ばしている人は奥様と面識がないのに恨んでいる……。大きい声では言えませんが、その人は前内さんと深い仲にある女性ではないでしょうか」
浦良は、ひよりを一瞥して無言で頷いた。
琥春だけが、二人の答え合わせに全くついていけない。
「どういうことだよ? なんで女性って言いきれるんだ?」
戸惑う琥春を尻目に、浦良は小指を立てた。
「前内さんには、奥さん以外に恋仲の女性が居る。もしくは、居た。ということだ」
琥春は唖然とした。
自分はさも妻思いの被害者という顔をしておいて、影で不貞を働いていたなど。
「は? 不倫ってことか? それでその恨みが奥さんへ向いてる? そんなの前内が一番悪いだろ」
「琥春さん、声が大きいです」
ひよりは慌てた様子で「しい」と言うように人差し指を立てた。
「今の話は推測の域だが、もしそうならば悪いのは前内さんだ。正直、前内さんが恨みから呪われようが知ったことではない。だが前内さんが依頼人である以上、解決しなければ報酬は貰えないということだ」
三人は顔を見合わせる。
依頼人が呪われて当然の人物だったとしても、金銭の契約が発生している以上、彼らから生霊を祓わなければならない。
「それは……やるしかないな」
琥春は昨晩食べた白米と焼き魚を頭に浮かべて、そう呟いた。
その途端、「わあああ」という野太い絶叫が聞こえた。
「た、助けてくれい……っ!」
前内の絶叫とともに、慌ただしい足音がこちらに近づいてきた。
血相を変えた前内が居間へと入ってくる。
全速力で走ってきたのであろう前内は、下駄を履いたまま、息を切らしている。
「どうしました? 奥様の様子に変化が?」
「ああ、ゆりこがまたおかしくなった……」
「まだ明け方まで時間があるのに……」
ひよりは不安げに呟いた。
「行くぞ」
浦良は立ち上がって、離れの方へと向かう。
その後を琥春とひより、そして前内がぞろぞろとついていった。
履物を履き、庭先の離れの前まで来た一行は、おもむろに扉を開いた。
ギギギギ――と重々しく扉を開く音が内側に木霊する。
薄暗い離れの中には、女が四つん這いになった状態で、自身の頭を床へと打ち付けている。
姿形はゆりこだが、長い髪を振り乱して涎を垂らす女に、先ほどのゆりこの面影は一切感じられない。
ひよりは恐怖から息を呑んで後ずさりをする。
「琥春、ゆりこさんを抑え込んでくれ」
「お、俺?」
「君しかいない」
琥春はごくりと唾を飲み込み、恐る恐る、ゆりこの方へ近づいて後ろから羽交い締めにした。
「うううう」
唸り声を上げて、ゆりこは琥春から逃れようと暴れ出した。
その様子を見た浦良は袂から数珠を取り出し、合掌しながら祓詞を唱えだす。
「祓え給え、清め給え……」
不思議とその声は、澄んでおり、琥春は耳に心地よさすら感じる。
しかし、ゆりこの感覚は琥春と真逆だったようで、更に唸り声を上げて狂ったように暴れ出した。
琥春は抑え込む力を強めるが、それでもゆりこの暴れる力は強くなって、ついには琥春の腕を噛んだ。
「いって……っ! おい浦良、除霊はまだ終わらないのか?」
浦良は額に汗を垂らしながら、集中して祓詞を尚も唱え続けている。
「祓詞だけではだめなのでしょうか……」
二人を見守るひよりの手にも汗が滲む。
その突如、ゆりこはガクッと身体をのけぞらせ、だらんと脱力した。
得たいが知れない分油断はできないが、抑え込む腕に限界を感じていた琥春は、安堵から息を吐きだした。