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二の段 夕食 ②

 ――――――――

 ひよりが職場へ戻った時には、時刻は十八時を過ぎていた。

 ひよりが所属する部署は十人弱だが、ほとんどが定時で帰宅したようで、残っているのは主任の渡良瀬だけだった。


「十和さん、おかえり」

 渡良瀬が声をかける。

 渡良瀬は爽やかな外見をした三十過ぎの男で、ひよりの直属の上司にあたる人物だ。

「すいません、遅くなりました」

「ウララ先生は少し気難しい人らしいね。どうだった?」

「あ、はい。今週の依頼内容を伝えてきました」

 渡良瀬はぽかんとした表情で目を大きく見開く。

「それだけ?」

「え?」

 質問の意図が分からず、ひよりは小首を傾げた。

「いや、ウララ先生の前任担当者から、かなり気難しい人だと聞いていたんだが……怒ったりはしてなかった?」

「いいえ……」

 ひよりは小声で答える。

 渡良瀬は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに張り付けたような笑顔を作った。

「ああ、なるほど。やっぱり女性はそういうところ得だね」

 渡良瀬の発言の意味が分からず、ひよりは何も言い返せなかった。

「まあ、これからも頑張って。僕はこれで失礼させてもらうよ」

 そう言い残して、渡良瀬はいそいそと部屋の出口まで歩いていく。

「お疲れ様です!」

 ひよりは渡良瀬の背中に向かって声をかけた。

 彼はそれに答えることなく部屋から出ていった。

(渡良瀬さん、私が帰ってくるの待っていてくれたのかな……)


 ひよりはやり残した仕事をするために、自分の執務机に向かう。

 ひよりの席は出入口の一番近くにあり、人通りが多く、雑務を頼まれることが多いため、日中は仕事に集中できない。だから定時後に一人残って、やり残した仕事を粛々とこなしている。


 机の上には、職場を出る前にはなかった伝票や請求書が無造作に置かれていた。自分が浦良のもとへ行っている間に他の職員が置いていったのだろう。彼らが外出先で使った金を経費として処理しなくてはいけない。もともとそれは自分の仕事ではなかった。だが、いつの間にか自分の仕事にされていた。

 勝手に自分の仕事にされていたのはこれだけではない。他にも、業務内容ややり方を教えてもらっていないのに、自分の仕事にされていたものが多数ある。殊更、面倒な事務仕事はひよりのところに回ってくる。


 ひよりは仕方なく、前任者が残した記録を参考に業務を処理をしていく。

 なるべく今日中に全て終わらせなければ。

 書類の量から鑑みるに、一時間では終われなさそうだ。

 そろばんをはじきながら、請求書の合算金額を伝票に書き写していく。

 あどけない外見から頼りなく見られることの多いひよりだが、学校での成績は主席で、人並み外れた集中力を持っている。計算もお手の物で、普通ならば二時間かかる業務も、彼女にかかれば半分の一時間で終わらせることが出来る。


 業務を一区切り終えたひよりは「ふう」と溜息をつき、大きな柱時計を見遣る。

 十九時半。

 一息つこうと、机の下に置いた鞄から、朝自宅で作って持ってきたおむすびを取り出した。

 一人、職場で取る夕食。

 浦良たちは、自分が作った食事を気に入ってくれるだろうか。

 弟の夕夜(ゆうや)は既に夕食を食べ終えただろうか。

 帰りの遅い父は朝方渡した弁当を食べているだろうか。

 おむすびを頬張りながら、人の食事事情に考えを巡らせる。

 食べ終えたひよりは立ち上がって、手を洗いに給湯室へと向かった。

 

 給湯室に入るや否や目に飛び込んできたのは、流しに無造作に置かれた無数の湯呑や容器だった。

 職員たちが使用したものだろう。

 ひよりは溜息をつきながら、湯呑や容器を洗い始める。

 彼らは、朝出社した際に当たり前のように洗われた湯呑や容器を使い、使い終えると流しに無造作に置いて帰る。

 毎日誰かがそれを洗っているということを、彼らは考えたことがあるのだろうか。

 切ない気持ちになりながらも、ひよりはすべてを洗い終えた。


 新人なのだから、名前のない雑用全般を押し付けられることは仕方のないことだと受け入れている。更に女である自分は、尚更だと覚悟をして入社してきた。

 だが広い職場にポツンと一人だけになると、少しだけ虚しさが顔を出す。

 それを振り払うように、ひよりは頭を振った。

 業務はまだ残っている。

 嘆いても、それをするのは自分一人しかいない。

「よし!」

 ひよりは自らを鼓舞するように声を上げ、執務机へと戻っていった。




 

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