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二の段 夕食 ①

 白米を炊く香ばしい匂いが台所に立ちのぼる。

 味噌汁を作るために、味噌をとぐひよりの隣で、琥春は具材となる大根を包丁で切っていた。

 元暗殺者である琥春は、今までに何人も人を斬ってきたが、実は野菜を切るのは初めてだった。

 人に比べれば野菜を切るなど簡単だろうとタカをくくっていたが、これが中々難しい。

 単純に斬りつければいいというものではなく、均等な厚みで、かつ細かく精巧に銀杏形を作っていかなくてはいけないこの作業は、まるで自分が職人になったかのような錯覚を起こさせる。


「あ! やっちゃった」

 野菜を切る事に悪戦苦闘していた琥春は、ひよりの大きな声に驚いて、猫が水をかけられたかのような勢いで飛び跳ねた。

「ど、どうした?」

「味噌をとぐ前に、具材を入れるべきでした」

「やり直さないといけないのか?」

「いえ。多少順番が前後しても、料理って出来ちゃうものなので大丈夫です」

 ひよりはふんわりとした笑顔を浮かべた。

 不思議だった。

 琥春は料理をするのはおろか、台所に立ったこともない。ましてや、女性と一緒に料理をするなど、先日まで想像することもなかった。


「それにしてもアイツ、厚かましいよな。貴方が何でもしますって言った時は一度断ったのに。俺がアイツを手伝うって言ったら、急に飯を作ってくれだなんて」

「大丈夫ですよ。炊事は普段家でしているから、なんてことありません。それにしても担当替えされなくて本当に良かったです。琥春さんのおかげです」

 感謝されると悪い気はしない。

 琥春はこそばゆい気持ちを隠すように指で頬をかいた。

「うち、中流階級の家で、本来なら女学校に通うなんて贅沢なんですけど、父が私の気持ちを優先してくれて、学校に通わせて貰っていたんです。そして今年から、念願の政府管轄の協会に就職することができました。だからこれからは私が働いて家族に恩返ししなきゃ……。私、弟が一人いるんです。姉の私が言うのもなんですが、優秀な子で、帝大を目指してるんです。父の稼ぎだけでは大変だから、私も弟の学費をこれから稼ぐつもりです」

 ひよりは、自身の身の上を身振り手振りを加えて熱く語る。

 心を開いてくれたような気がして琥春は嬉しく思った。

「世間のことあんまり知らないから、何がすごいとか分からないけど、ひよりさんの心がけは立派だと思う」

「ありがとうございます! よければ琥春さんのことも教えてください」

 ひよりは目を輝かせて琥春を見上げる。


「俺のことか……。俺は幼少期から暗殺者をしていたんだが」

「え!?」

 ひよりは驚愕のあまり、両手で口を押えて後ずさった。

 その反応を見るや、琥春は「しまった」と思った。

 本日二度目の失敗。先ほど浦良にも同じことを言って、引かれたのだった。

 まったく、学習能力がない自分に嫌気がさす。

 だが琥春の予想に反して、ひよりは瞼を弓なり状にして笑って「ぷっ」と吹き出した。

「もうっ。冗談はやめてくださいよ。さすがの私でも騙されません」

 ひよりは琥春の発言を冗談だと思っているようだ。

「お、おう。だよな」

 これ幸いと思い、冗談で通すことにした。

「そういえば、俺たちに飯作らせて浦良はどこへ行ったんだ?」

「境内を掃除すると言っていましたよ」

(そういえば、潔癖症とか言ってたな……)

「琥春さん、そろそろ大根入れましょうか」

 ひよりに促され、琥春は慌てて大根を切り終え、味噌汁の中に入れる。

 味噌の芳醇な香りに反応して、琥春の腹の虫が鳴った。



 ――――――


 境内の掃除を終えた浦良が居間へと戻ってきた時には、卓袱台には美味しそうな夕餉が二人分並んでいた。

 その横には琥春が胡坐をかいて座っている。

「ひよりさんは?」

「帰ったよ。いったん職場に戻ってから家に帰るからって」

「そうか。倒れるほど腹が空いているのに、食べずに待っていたのか」

「まあ」

 琥珀の腹の虫がぐうぐうと主張し出す。極まりが悪そうに視線を逸らした。

 その様子を見た浦良は、軽く吹き出してしまう。

「待てをくらった犬みたいだな」

「だから犬じゃなくて寅だって」

「どちらでも構わん」

 浦良は琥珀の向かい側に胡坐をかく。

 夕餉の香ばしい匂いが鼻をつく。

「美味そうだな」

「ひよりさんが頑張って作ってくれたんだ」

「そうか」

 二人は無言で両の掌を合わせ、箸で料理をつつく。


「美味い!」

 一口食べた琥珀は、そのままガツガツとご飯を口の中へとかき込入れた。

 浦良はがむしゃらに食べる琥珀の方を無機質な瞳で見ていたが、次第に薄らと微笑んだ。

「まあ、たしかに美味いな。まともな食事は久しぶりだ」

「アンタ、普段はまともに飯食ってないのか?」

 口に物を入れたまま琥珀は尋ねる。

 浦良は一瞬嫌そうな顔をしたが、「炊事は苦手だからな」と答えた。

「じゃあ良かったじゃねえか。ひよりさんが助手になったから、これからは偶に作ってくれるよ」

「……そうだな。保安協会からは今まで何人か派遣されてきたが、女性は今回が初めてだ。女性の身で保安協会に就職できたということは、余程優秀な人なのだろう」

「そういうものなのか?」

 琥珀は先ほどまで台所で喋っていたひよりの姿を思い出す。

 小柄であどけない顔の彼女は、十八歳だと言っていたが、まだ十五、六歳ほどの女学生のように見える。

 立派な心意気を持った子ではあったが、垢ぬけていない見た目と「優秀」という言葉は少し不釣り合いな気がした。

「ああ。職業婦人になる女性は増えてきてはいるが、工場内職や女給、良くてタイピストだ。内閣内務省管轄の組織に就職するのは、男でも難しい」

「へえ。見た目には分からないものなんだな」

 茶碗に入ったご飯を食べ終えた琥珀は、お替りをよそう。

 腹いっぱい食べた今夜は、良い気分で眠れそうだと思った。


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