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八の段 狐の怪(前編)⑨

 どこの馬の骨ともわからぬ男に紗世を嫁がせるくらいなら、磯村と結婚してくれた方が浦良も安心である。

 浦良は襖越しに聞き耳を立てて、紗世の返事を待った。

「ありがとう、磯村さん。磯村さんの気持ちは嬉しい……。だけどもう少し返事に時間をちょうだい」

「わかった。紗世さんの返事を待つよ」

「そうだ。次の依頼の仕事が終わったら、磯村さんにちゃんと返事をする」

 二人の話が終わったのを確認してから、浦良は何事もなかったかのように襖を開けて居間へと入った。

 

「磯村くん、来てたのか」

「おう。新しい依頼を持ってきた」

「依頼内容は?」

「貿易商を営んでいる経営者が、原因不明の体調不良。有名な医師に診てもらったが、病気ではないらしい。最終的に憑き物の仕業じゃないかと保安協会に依頼が入った」

「なるほど。成功している人間は恨みを買いやすいからな」

「今度の日曜日、自宅へ伺うことになっている。頼んだぞ、浦良」

 浦良は「ああ」と頷いた。

「じゃあ俺は保安協会に戻るよ」

 磯村は踵を返し、出入口の方へ歩を進める。そして、襖の直前で立ち止まり振り返った。

 柔らかな視線が紗世に注がれる。紗世は咄嗟に視線を逸らし、俯いた。

 

 磯村の後ろ姿を見送った浦良は、紗世に身体を向ける。

「すぐに返事をしないなんて、意外と思わせぶりだな」

 紗世は目を大きく見開き、肩をビクッとさせた。

「お兄様、聞いてたの?」

「聞くつもりはなかったんだが」

 紗世の顔が一気に紅潮していく。そして俯きながら両手で顔を包み込んだ。

「だって私、男の人に告白されたのなんて初めてだし……咄嗟の出来事だったからどうしていいか分からなくて……。すぐに了承して磯村さんに軽い女だと思われるのも嫌だし……」

 普段ははっきりと物を言う紗世が口をまごつかせるさまが新鮮で、浦良はつい笑ってしまった。


「軽い女だと思われたくないということは、磯村くんのことが好きなんだろう?」

 浦良に言い当てられてしまった紗世の顔が更に紅潮した。色白なので赤みが目立つ。まるでゆで蛸のようだ。

 紗世は小さな声で「うん」とだけ呟いた。

「ならば早々に依頼を終わらせて、彼に本当の思いを伝えてやれ。待たされるのは生きた心地がしないだろうから」

「わかった。ありがとう、お兄様」



 次の日曜日に、浦良たちは依頼主の貿易商経営者の家を訪れた。

 門扉を潜る直前、浦良は今までに感じたことのない禍々しい空気を感じ取った。自然と足が止まる。

「どうした?」

「いや……強い呪力を感じた。厄介な憑き物かもしれない」

「なら今回功績を上げて、保安協会内で浦良の評価を上げてやろうぜ」

 除霊能力はないが前向きな姿勢の磯村に、浦良はいつも心が救われる。

「そうだな」


 浦良たちは家の使用人に案内され、臥せった依頼主の部屋へと足を踏み入れた。

 依頼主の姿を見た浦良は愕然とした。依頼主に憑いていたのは小型の狐。これだけならば、大したことはないが、その数が異常だった。

「狐だ……。数は十匹」

 十匹という数に磯村は驚いた。

「十匹なんてそんなことあり得るのか?」

「あり得なくない。この狐は管狐。呪詛によって飛ばされる憑き物だ」

 厄介な相手だと浦良はたじろぐ。

 そんな浦良を見た紗世が発破をかけた。

「弱気になっちゃダメ。一匹一匹はそれほど強くない。私とお兄様で祓詞を唱えれば祓えるはずよ」

「……そうだな」

 浦良と紗世は全神経を集中させて、祓詞を唱え始める。

「祓え給え。清め給え。祓え給え。清め給え」

 依頼主の身体から黒煙のようなものが立ち昇る。おそらくそれが、管狐なのだと磯村は悟った。



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