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【アップ】男山教会2023年5月28日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=KSarAt4L5rg&feature=youtu.be


【ブログ】

こちらから聖書や讃美歌の歌詞も閲覧できます。

お暇な時にぜひご利用ください^^

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12805752257.html



前奏

招詞

コロサイの信徒への手紙 3章1~4節

頌 栄

たたえよ、主の民[こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問37

「神さまの子どもたちの成長」

こどもさんびか

おことばしんじ [改93(3節)]

牧会 祈祷

讃 美 歌 259番

聖書

使徒言行録2章29~36節(新約P216)

詩編110編1~7節(旧約P952)

説 教

「聖霊の恵みによる説教

~イエスこそキリストと証しする霊」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 352番

みことばの交読文

コリント一1章23~25節

聖 餐 式

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 541番

祝 祷

報 告 



讃美歌~♬


讃美歌259番(歌詞付)54年版「あめなる主イエスの」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Wh9dDUP97S0


1

あめなる主イエスの こよなき愛は、

かよわき心の 隠れ家なれや。

責めと恥との 十字架を偲び、

わが罪咎つみとがをば あがない給う。

2

恵みに背ける 我をもすてず、

主イエスは血汐の いさおによりて、

この身の汚れ ことごときよめ、

つきせぬ生命いのちと 安きをたまう。

3

あおぐもかしこき、 わが主の前に

燃立つばかりの 愛もてつかえ、

うきも悩みも み旨にゆだね、

天なるつかいと 共にぞ歌わん。

4

十字架の恵みに 喜びあふれ、

涙にむせびて み許にはべり、

世に勝ちませる 主イエスを称え、

輝くみさかえ 仰がせたまえ


讃美歌352番(歌詞付)54年版「天なる喜び」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=rpSGzYlt54E


1

(あめ)なる喜び こよなき愛を

たずさえ(くだ)れる 我が君イェスよ

救いの恵みを あらわに示し

(いや)しきこの身に 宿らせ給え

2

命を与うる 主よ、とどまりて

我らの心を とこ宮となし

(あした)に夕べに 祈りをささげ

たたえの歌をば 歌わせ給え

3

我らを新たに (つく)り清めて

栄えに栄えを いや増し加え

み国に昇りて 御前(みまえ)に伏す日

み顔の光を (うつ)させ給え



2023年5月28日 礼拝説教 中心聖句


あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。

使徒言行録2章36節


わが主に賜った主の言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」

詩編110編1節


はじめに

今日、聖霊降臨の御業の中に、教会と宣教の働きと主の晩餐を共にする。

「兄弟たち、先祖(族長、父祖)ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。」とは、墓から復活されたイエスの証し人の一人として、使徒ペトロが、死の思いから解放されて、大胆に、先祖ダビデは、事実、「死んで葬られ」た、「墓は今でもわたしたちのところにある」と、告げる言葉。確かに「ダビデは先祖と共に眠りにつき、ダビデの町に葬られた」(列王上2章1節)。男山教会の会堂に掲げられた「白十字架」は、一つの証の教材として、葬られた墓から復活された主イエスの命とともに、上から差し込む光は、聖霊の光を表現する。ダビデ同様に、召天者たちの墓は、これから後、キリストの日に備えて、主の誓いを共にする兄弟たちにおいて、「今でもわたしたちのところ」、この地に「あると、はっきり言え」る。それは、「イエスは必ず死者の中から復活することになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」(ヨハネ20章9節)と証言されるように、かつてのペトロが、復活の主イエスと聖霊の御業によって、大胆に、福音を告げる者に変えられたことを物語る。

「ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました」とは、ダビデ自身、民の王として油注がれた者でありながら、主の言葉を告げる「預言者」として、後の子孫から、天の王座に着く「王」が与えられるという、神の約束と誓いを告げたこと。「そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました」と、ダビデの詩(詩編16編)をもって、キリストの復活を、ダビデをとおして告げられた、主の預言の実現と証言する。実に、「神はこのイエスを復活させられた」。「わたしたちは皆、そのことの証言です」と、大胆に、ペトロは、使徒と兄弟たちの一人として、主の復活を証言する。「それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしている」と、各地の「自分の故郷の言葉」で、「神の偉大な業」が語られている光景を見た者たちに、天の王座に着かれた主の霊、父と子と聖霊なる神の御業によるものであることを告げる。

「ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています」とは、受難の主イエスが、復活され、天に昇られたことの目撃証人として、ダビデの詩(詩編110編)をもって、キリストの昇天と着座を、主の預言の実現と証言する。ここに「『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵を あなたの足台とするときまで。」』」と、かつて、地上の王(多分その子ソロモン)を指して「わたしの主」と呼び、その権威と勢力を告げた言葉をもって、御子自ら、御父の右に着かれ、死と闇の支配に打ち勝たれた、主の勝利(福音)が宣言される。

おわりに

世の権威は、ある向上と名誉を目指す。十字架の上に屠られた「小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ」(ヨハネ黙示録17章14節)。この御方の名を額に記された者たちの礼拝こそ、ただ神と小羊の栄光を現す礼拝(同22章3-5節)。



(Mynote)

二〇二三年五月二八日(日曜日)、今日はペンテコステ礼拝である。兄弟姉妹共に神様の御前で礼拝を守れる事を感謝する。

〈子供メッセージ〉

『子供と親のカテキズム 問三七』

「救われて神様の子供とされた私達は、どのようになりますか?」

「神様の子供とされた私達は、私達の内に働く聖霊によって、益々清くされて、神様の御子イエス様の姿に似せられて行きます。」

〈公同礼拝〉

『使徒行伝』(第二章二九〜三六節)

『詩篇』(第一一〇篇一〜七節)

本日はペンテコステ(聖霊降臨日)を記念する礼拝である。だから今日はイエス様を記念して、聖餐式を執り行う。

この『使徒行伝』の箇所では、イエス様が葬られて甦られた事により、全ての人々(罪人)の罪が許され、その上で神様に救われる事の恵みが記されて居る。信仰生活を送る事により全ての人が許されて癒され、神様の身許へ上る事が出来るその恵みについて語られる。この事はダビデの頃(旧約の頃)から約束されて居たものであり、イエス様が人々の間に遣わされた事で成就され、全ての人が救いの機会を得る事が出来た。

「まさにキリストが主であり、イエス様の教えが全ての人々の救いに必要である事を知り、その確信を以て救われる為の道を歩む事の大事」をしっかり心に留めねば成らない。

イエス様が十字架に掛かられてから三日目に復活するその時まで、そのイエス様のご遺体は石で閉ざされた墓(洞穴式)の中に置かれて居た。「墓」というのは聖書に於いて「死んだ事」を意味する。ダビデの墓も聖書には同じく出て来る。イエス様の死から復活の事を人に解き明かす為、このダビデの墓の事も(弟子達が)引き合いに出したと思われる。ダビデは旧約の時代に於いて、既にイエス様の事を話して居た。

「私は常に目の前に主を見た。主は、私が動かされない為、私の右に居て下さるからである。それ故、私の心は楽しみ、私の舌は喜び歌った。私の肉体も又、望みに生きるであろう。あなたは、私の魂を黄泉に捨て置く事をせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。あなたは、命の道を私に示し、御前にあって、私を喜びで満たして下さるであろう。」(『使徒行伝』第二章二五〜二八節)

ダビデは天に上る事なく葬られたが、イエス様がこの様に三日目に死人の内より甦り、天の父である神様の右に座して下さった事により、他の信仰に於ける兄弟姉妹達も共に天に上る事が証明され、永遠の命に救われる事が証明された事の恵み。この恵みが表されて居る事を弟子達は人々に説く。

カトリック教会では、よくイエス様が十字架に掛かられた姿を生々しく象りそれを掲げる習慣がある。しかしイエス様はその姿に留まらず復活されたのであり、その生々しい事(リアルな事)をこの聖書の当時、イエス様の母であるマリア、付き添いの女達、マグダラのマリア、十二弟子、そして刑を執行したローマ人やそこに集った全ての人達が見て知って居り経験して居る。イエス様がそうして十字架に掛けられ墓に葬られた事は事実であり、その生々しい出来事を本当の事・真実として知って居た。その上でイエス様はその墓の石の扉を打ち破って復活され、聖霊を以て弟子達の前に三度現れ、その後の事を示された。この時にペテロは三度「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人達以上に、私を愛するか」と聴かれ、ペテロは初めの二度は言われる儘に気持ちを応えたが、三度目には哀しみの内に「主よ、あなたは全てをご存知です。私があなたを愛して居る事は、お分かりになって居ます」と応えた。そしてイエス様はそのペテロに「私の羊を養いなさい。よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯を締めて、思いのままに歩き回って居た。しかし年を取ってからは、自分の手を伸ばす事になろう。そして、他の人があなたに帯を結び付け、行きたくない所へ連れて行くであろう」と教えられた。そして「私に従って来なさい」とイエス様はペテロに言われた(『ヨハネによる福音書』第二一章一五〜一八節参照)。

しゅ」(『使徒行伝』第二章三四節)とは、王の事を指し、イエスキリストの事を指しながら、また同時に神様の事を指して居る。

「主は我が主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足台にするまでは、私の右に座して居なさい。」(『使徒行伝』第二章三五節)

初めに在る「主」は神様の事であり、次に来る「主」はイエスキリストの事を指して居る。そしてイスラエルの全ての人々(この「イスラエルの全ての人々」とは福音が全世界に宣べ伝えられた今、世界中の人々として良い)は、この事をしかと知る必要がある。「あなた方(人間)が十字架に付けたこのイエス様を、神様は、主またキリストとしてお立てになったのである」事を。

【ジャン・カルバン(一五〇九〜一五六四)の祈りより・終わりの二行のみ】

あなたにまさって私に慕わしいものなく、

あなた以外に私の心を捕えるものなく、

あなたの苦難に勝って私を嘆かすものなく、

あなた以上に私の心を燃え立たせるものもなく、

私の罪に対するあなたの苦しみに勝って、

私を悲しませるものがないように。

私の考えも、感情も、願いも、意思も、ただあなたの上にあるように。

イエスよ、イエスよ、イエスよ、ただあなただけを私は求める。

あなたを愛する事、共に苦しみ、共に泣き、賛美の中で、常にあなたと結ばれて居る事が、いかに幸いであるかを私の生涯を通して示して下さい。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教3 「与える生活を始めてみませんか」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=AhE0fnq9sMU


「ジーザスに従って背負う十字架」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=2N-EMU_B2gE


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


イエス・キリストの生涯をたどる旅・2

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tzfLoBiw_zA


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)


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