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第47話 黒幕

 ハンター協会はすべてのハンターギルドを束ねる組織で、アウトランドの覚者たちが自分たちのために設立した自治政府のようなものだ。どの派閥に属することもなく中立を貫き通し、集会場の運営に加えギルド同士が平和に共存し続けるための法律を取り決めている。

 エサレンは大昔から会長の座に座っている。アウトランドでもっとも権威のある覚者として噂されることもしばしばだ。そんな彼女がルシエンにとって意外にも身近な存在だった。アリスは闇夜花舞の副団長としてエサレンと親交があった。幼いルシエンをつれて彼女を訪ねることは度々あった。ルシエン自身も悩める青春時代に彼女の助けを求めた経験があった。


 アリスの体はエーデルカプセルの中で静かに横たわっている。エサレンの豪邸の地下には個人用のエーデル治療施設があり、それを今アリスに使わせている。大きな病院でも数えるほどしかない高価な設備を、エサレンは自分の為だけに持っていた。

 魔晶石で出来た透明なケースの中に、エーデルを含んだガスが注入された。それは光る霧となってカプセルの両側に並ぶベンチレートから流れ落ちていた。アリスの血色がない顔が一層蒼白に照らし出され、陥没した眼窩が暗澹な影に包まれていた。この世のものではない静寂さが彼女を包んでいた。室内はエーデルカプセルの作動音以外、何も聞こえない。

「どうしてこんな姿に……」

 変わり果てた肉親の姿を見つめているうちにフルスの顔がゆがんだ。いつもサバサバしていた執法官の印象とは相いれない動揺がそこにあった。

 エサレンは治療機械のモニターを覗き込みながら、落ち着き払った声で説明した。

「ここに運ばれたとき、彼女の体にはエーデルが残っていなかった。おそらく再生された瞬間に抜き取られる状態が、長い間続いたのだろう。それも、数十年とも言える長さ。だから本来訪れるべき老化が、一気に進んだのよ。彼女は今、何歳だ」

「私と同じ、二百歳近くあると思う」

「では彼女の体も同じ。いつ死んでもおかしくない状態だ。病に侵されなかったのは、ずっと外界から隔離されていたお陰だね」

「……元に戻れるのか」フルスは唇を震わせながら、弱々しく問いかけた。

「彼女の体内にあるエーデルが元の濃度に戻るまで、治療を続けるしかない。それも命の維持にはなるが、若返りはできないよ。エーデルはあくまで宿主の“原型”を保つだけだから」

「彼女はこれから先、その老いた体で生きていくというのか」ルシエンの声は静かだったが、ずっしりと重かった。

「そういうことだ。なにも怖がることない。一般人は皆、老いに直面して死を迎える。むしろそれが世の常だ」

 500歳近い不死身の婆さんに言われては、説得力が全くなかった。ルシエンは複雑な気持ちでとアリスを見つめ、黙り込んだ。 

 フルスがふっと顔をしかめた。

「あのタンクがついた機械。あれはエーデルを抜き取るためのものだったのか」

 ルシエンもつられて口が開いた。

「それだけじゃない。姉の血から精錬されたエーデルを中で何かと混ぜ合わせている。真っ黒な、まるで墨汁のような液体だった」

 エサレンは目を泳がせ、表情を曇らせた。

「どうやら、物騒なことが世間から隠されているようだね」

 フルスがカプセルの表面をそっと撫でた。届かない姉の頬を撫でるように。

「これは、彼女への報いというのか。いや、私への報いなのかもしれない」

「何があったの」エサレンはルシエンたちに鋭い視線を向けた。

 ルシエンはしばらく躊躇ったのち、いままでの経緯と闇夜花舞であったことを洗いざらしに話した。


 長い話が終わったころ、エサレンはすっかり顔を暗くしていた。

「ルシエン、あんたはずっと一人そんな暗い秘密を抱えていたのか。それも命がけで……」

 心配のあまり責める口調になった会長にどう返事して良いか、ルシエンはすっかり困惑していた。彼女に頼ることは選択としてあったが、アリスの秘密をバラすこと、すなわち師匠との約束を破ることになるので気が進まなかった。しかし今となっては、彼の未熟な正義感が良い結果にならなかったことを、誰よりも後悔しなければならなくなった。

 エサレンは目を閉じ、厳しい口調で続けた。

「闇夜花舞、裏ではそんな恐ろしいことをやっていたのか。しかしアリスが主導でやっているようには思えない。彼女は未熟だが、何より夫のデビッドを愛する優しい心の持ち主だ」

「その優しい心が師匠を破滅に導いた。デビッドがやろうとしていることを、彼女は止められなかった」

「デビッド……たった一人に、そんなことができるのか。魔と結託しようとする覚者は過去にも居が、結果は皆ずさんなおのだった。デビッドは物わかりの良い男だ。自分から進んでそんな愚かなことをするのだろうか。黒幕は他に居るような気がする」

 ルシエンの視線がかすかに光った。

「フードを被った仮面の男……いや、男の形をした何か、なのだろうか」

 エサレンが訝しそうにルシエンを覗き込んだ。ルシエンは考えながら話を進めた。

「人形で、男の声をしていた。だが、人間かどうかは分からない。アイツはデビッドをも物のように扱っていた」

「そうだろうね。話を聞いている限りでは、とても人間のように思えないし、相当の力を持っているようだ。私の知見をもってしてもよくわからない」

 フルスが思い出したように口を挟んだ。

「そういえば、闇夜花舞本部の地下に現れた回廊はなんだ。どこに繋がっているの」

「魔がうようよいる様からは、神魔大戦のときに魔軍が秘密に掘った地下トンネルだろう。天軍の攻撃が熾烈だったので、隠れて移動したり物資を運んだりする必要があったのだ。大陸の下で迷宮のように入り組んでいて、出入り口は幾つがあるが、皆巧妙に隠されている。エゼキルガーが魔界に撤退したあと、トンネルは閉ざされたと言われているが、誰もがそう信じて確かめようとしなかった」

「よくご存じで」

「私はこう見えて、若かりし頃は神魔大戦に出ていたのよ」

 エサレンがフルスに歯を見せて笑った。フルスは一瞬だけ表情を固くしたが、すぐに声を低くして尋ねた。

「あなたは神魔大戦世帯の覚者だというのか。帝国の長老たちと肩を並べるであろうお方がどうしてアウトランドに……」

「あなたは執法官らしい鋭い嗅覚を持っているわね。心配するな。私は反帝国派でも政治犯でもない。自ら進んでアウトランドの暮らしを選んだ」

 フルスの目線はしばらく、スキャナーのようにエサレンを見回した。エサレンは至って気にしない様子でルシエンに振り向いた。

「ルシエン、また会えてよかったわ。アリスから破門されたと聞いて、結構心配していた」

「僕も、まだあなたに生きて会えるとは正直思っていませんでした」

 気さくな微笑みを見せ、エサレンは軽く手を叩いた。すると、紺色のワンピースにフリルのついたエプロンを纏い、若いメイドの女性が何処からとなく現れた。エサレンは彼女を呼び寄せ、耳元で何かを囁いだ。メイドは頷くと、静かな足取りで治療室を出た。程なくして、ハンカチの包みをひとつ手にもって現れた。

 エサレンが包みを受け取り、掌の上で広げた。布の中から現れたのは指輪だ。華奢なデザインから、女性用のものだとわかる。コーン粒ほどの大きさのダイヤモンドが、精巧に作られた台座にはめ込まれている。

「最後にアリスとあったのは、30年ほど前だったかしら。彼女は泣き喚きながら夜な夜な私のところに駆け込んだ。一番大事にしていた弟子を破門してしまったことや、夫のデビッドが自分を裏切ったことなど、様々な悲しいことをとりとめとなく吐き出していた。そしてカッとなった勢いで、これを庭の噴水の中に投げ込んだ」

「師匠の結婚指輪だな。銃を握るのに邪魔であまりつけなかったけど」

「それを捨てたということは、別れたってことか」フルスは指輪をじっと見つめている。

 エサレンはため息をついた。

「私はデビッドがアリスを裏切るようなことをするとは思わないがね。あの夫婦とは長い付き合いだ。結婚式を挙げるとき、愛の誓いを立たせる聖母を演じたのが私だった。二人が真実の愛で結ばれていることに確信があったからそうしたのだ。あれほど仲の良い夫婦は他に居ない。きっと何か誤解があったに違いない」

 顔に出さなくても、ルシエンはひっそりと冷笑をしている自分がいることに気付いた。デビッドは会長の前でも良い男を演じていたと思うと、反吐がでそうだった。

 エサレンは指輪が乗った手をフルスに差し出した。

「これはあなたに渡しておくよ。ただしアリスには見せない方がいい。きっと夫のことを思い出して怒り狂うはずだから、老体に障ったら大変よ」

「分かった」

 フルスは指輪を丁重に摘まみ上げ、ポケットの中にしまい込んだ。それからすっくと立ちあがった。

「まずは姉の言い分を聞こう。彼女が起きてからで結構。それから私は早速帝国に戻るつもりだ。これは大掛かりな事件だ。一刻も早く報告を済ませてリソースを割かせてもらわないと。デビッドだろうが、誰だろうが構わない。姉にこんな惨いことをしでかした奴をすぐにでも探し出し、この手で滅ぼしてやる」

「まあ、そう急ぐな」宥めるようにエサレンの目が細くなった。

「この状況を、急がないだと」

 言い募るフルスにエサレンは方眉を上げた。

「これはかなりややこしい案件だと思わないか。肉親のことも絡んでいるんだよ。私があんたなら、まずは信頼できる誰かに相談を持ち掛けるけどね」

 フルスの瞳が鋭く光った。

「私を信用していないのかな。帝国の執法官だぞ」

「あなたのことについては分からないが。帝国の実力は信じている。ただし、好きではない」エサレンの言葉はにこやかな表情と無縁の鋭さを秘めている。「連中は所詮、大きな権力に踊らされる人形にすぎないのだよ。そんな奴らに自分の姉のことを任せてもいいと思っているのなら、止めはしないけど」

 フルスは顔をしかめたまま黙り込んだ。以外にも、祖国の嫌みに対し反撃する言葉を口にしない様子は、図星を突かれているようにも見えた。

 その間を埋めるようにルシエンが口を開いた。

「デビッドの体内には、何かがある。どす黒い液体なのか、血なのか分からない。奴はその液体をジェイムの体の中に注入しようとしたが、うまくいかなかった。彼の体はほどなくして膨れ上げ、風船のように破裂してしまった。思うに、まるでエーデルのようだ。覚者ではない一般人にエーデルを無理矢理注入すると、エーデルを抱え込めずに体が裂けるそうだ」

「黒のエーデル、か」エサレンは意味深げに呟き、視線を遠い方に飛ばした。「私は人生において、そのような物質を見たことも聞いたこともない」

「姉に、聞くのが一番速いかも知れない。あとどれくらいで目覚めそうか」黙り込んでいたフルスが漸く口を開いた。

「時間はかかる。気長に待って」エサレンは確かな口調で続けた。「その間、跡地地下の件を調査するなら私に任せればいい。魔のこととなればむしろハンター協会の方が適任だね」

 フルスは難儀の色が浮ばせた。

「ぼくはマダムに賛成だな」

 ルシエンは静かに言い、フルスの肩に手を添えた。フルスから弱々しい溜息が返ってきた。

「……わかった」

 エサレンの表情が和らいだ。

「明日にまた、私の所有地の中で何が起きたのか詳しく見てみるとしようか。さあ、もう彼女をそっとしておきましょう。メイドたちに夕食を用意させておいたから、食べていらっしゃい」

 エサレンは邪魔者をのけ払うように二人の“若者”に手を振った。ルシエンとフルスは仕方なく地下の治療室を出て行った。背後でエサレンが背筋を伸ばして鎮座し、どこかミステリアスな眼差しで彼らを見送った。


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