第41話 偵察
修行として魅魔たちに囲まれた部屋から出て再び日の光を浴びたのは、ハンター協会会長の家を訪れてから1か月後だった。疲労困憊だったルシエンに、会長は一日二日くらい休んでいくように進めたが、ルシエンは丁重に断り、夜行の飛空艇に乗り込んだ。キャビンの中でひと眠りすれば朝にはゼオンに着く。本部に戻って無断失踪でこっぴどく叱られる前に、やらなければならないことがあった。デビッドを気づかれずにこっそり調べるためには、キーアイテムが必要だった。ゼオンには凄腕の技師がカスタムショップを開いているのを知り、ルシエンは真っ先に訪ねることにしたのだ。
「いらっしゃい」
掠れた声の初老の男性。接客している間も、背中の儀手が忙しく作業をしていた。
ルシエンは初めてビクターに会ったはずだが、ビクターはすでに彼のことを知っていた。ルシエンの銀色の髪を見た途端、ビクターは義眼が飛び出そうな勢いで瞼を開いた。
「これは……本当にお前なのか!」
「え?」
ギョっと立ちすくむルシエン。ビクターはカウンターの向こうから駆け寄り、四本の腕で彼をがっしりと捉えた。
「良かった! もう二度と会えないかと思ったよ」
金属で出来た左半分の顔が無表情なのに反して、右半分は驚きと感動でひどくゆがめられていた。皺を寄せた目尻に、涙の輝きが見えた。
ルシエンは訳が分からず、ビクターの異様な姿をただ見つめていた。何かに気付いたように、ビクターはため息を付いた。
「ワシのことはわからないのか」
ルシエンはゆっくりと頭を振った。
「お初……ですよね?」
ビクターはルシエンを見つめたまま、しばらく間を置いた。
「まあ、気にするな。年寄りの勘違いかもしれん」
ビクターはけろっと表情を戻し、カウンターの後に戻った。作業の続きを始めると、また思い出したようにルシエンに振り向いた。
「それで、どんな入用かい」
釈然としない気持ちを抱えたまま、ルシエンはバッグから紙のロールを取り出し、カウンターの上に広げた。そこには闇夜花舞ギルド本部の建屋の図面が乗っていた。ルシエンが兼ねてからギルドの書庫や不動産登記所を探し、苦心した末に手に入れたものだ。
「この建物を捜査したいです。何か良いものありますか」
ビクターは図面に顔を近づけた。
「偵察用のマイクロドローンが欲しいのかい。ワシのところに来て正解だな」
ビクターは作業を止め、カウンターの奥でガサゴソと探し物を始めた。しばらくするとピンポン玉大の小さな球体とコントローラを持ってきた。
「ワシのオリジナル商品だ。帝国のスパイもわざわざこれを買いに城壁の外に出るんだからな」
ビクターはルシエンの前でドローンのデモストレーションと始めた。電源を入れると球体の上から畳まれたプロペラが伸び出した。先端の回転翼が広がると、モーター音の少しも聞こえない静かさで回り出した。球体は小さなヘリコプターのように、ビクターの掌から浮き上がった。続いて、ビクターはコントローラを両手で握り、ジョイントスティックを親指で動かした。ドローンは真ん中にある小さなレンズを光らせ、上下左右と自在に飛び回った。コントローラの中央にあるディスプレイに、ルシエンと店内の風景が映し出された。
「操作は簡単だ。左のスティックで高度調節、右のスティックで方向調節。この赤色のボダンは録画。建物の偵察なら通気パイプに潜らせておくと良いが、狭い場所で飛ばすのは練習してからにしろ」
「すごい……」ルシエンは思わず感嘆の息を漏らす。「これ、おいくらですか」
ビクターはルシエンをじろりと見やった。
「新米ハンターの手が届く額じゃねえ」
ルシエンは項垂れた。ビクターの生身の目が細まった。
「ただし特別に、分割払いにしてやってもいいぞ」
ビクターはエプロンのポケットからメモ帳を取り出し、ペンを走らせてからページを切り離し、ルシエンに渡した。そこにはビクターの口座情報が書かれていた。
「毎月500リオン、12か月あれば全額を支払ったことになる。利子はいらん。どうだ。その胸元にある花形のバッジを見るところ、君は大手ギルドに居るんだな。これくらいはあっというまに稼げるだろう」
「ギリギリ払える金額ではあるが、どうしてぼくだけに?」
ビクターはスツールをくるりと回転させ、ルシエンに背を向けた。
「さあな。お前さんには好感が持てる。ワシの気が変わる前にさっさと持って帰らんか」
そういうと、ビクターは作業に戻った。一心不乱の背中にルシエンは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。約束は必ず守ります」
ビクターは背を向けたまま少しだけ頷いた。
一か月以上の無断欠勤及び失踪の末に本部に帰ったルシエン。そこで待ち構えていたのは反吐が出そうなほど不機嫌な面をしたデビッドだった。彼はルシエンを見るや否や、手下の拘束するように命じた。
三度目の反省部屋は思いのほかに苦痛ではなかった。恐ろしいフェロモンを空気に充満させる魅魔に囲まれるより、寧ろ居心地が良かった。それだけではない。この一か月間で新たに習得した技、ハイパースリープと呼ばれる睡眠術が役に立った。これは生命維持以外の脳の働きを完全シャットダウンし、24時間以上の長い睡眠を可能にするものだ。魅魔の試練を乗り越える助けとして、会長が直にルシエンに伝授したスキルだ。そのおかげで、ルシエンは暗闇と静寂に耐えることなく、釈放されるまでぐっすりと眠っていた。
反省部屋から出してくれたのはまたしてもアリスだった。彼女はルシエンが本部に戻ったと知った途端に道場から飛んできたらしい。ルシエンを待ち受けていたのは安堵と怒りが混じった激しい呵責と、頬が腫れ上がるほどの平手撃ちだった。最後に、アリスは彼をギュッと抱きしめた。ルシエンは俯いたまま、一声も発せずにじっとしていたが、ふっと彼女の顔を見上げたとき、胸が詰まった。
アリスの頬を透明な雫が音もなく走っていた。涙とは無縁の彼女が、声を噛み殺しながら泣いていた。アリスはてっきり、ルシエンが死んだのではないかと考えていたようだ。魔狩りで覚者が死ぬのは容易いことではない。たとえ不慮な事後で死に至る怪我を負っても、蘇生術を施せば行きかける。なぜアリスがルシエンの死を恐れたかと、その理由はルシエンが闇夜花舞の秘密を知るにつれ明らかになっていった。
ハンターギルド三強の一角としてアウトランド中に名を馳せる闇夜花舞は、他のギルドから抜きんでるほど優秀な覚者たちを抱え込んでいた。しかしルシエンはその強さには、なにが臭いものがある感じていた。
第一のサインとして、メンバーたちはおかしなほどにデビッドの言いなりで、カルト集団のように彼を信奉していた。アリスが弟子たちに対しデビッドのことを吹聴した影響もあるかもしれないが、たかが男一人に分別のある大人たちが踊らされるのは、はなはだ不自然に思えた。
程なくして、ルシエンはデビッドがメンバーたちを操る手口らしいものを探り当てた。デビッドは定期的に、赤いカプセル錠剤をメンバーに飲ませていた。狩りの労いと今後の任務に対する激励のための、エーデルが入ったカプセルだと説明された。
貴重なエーデルを経口摂取できるとは、甚だ贅沢な行為だ。皆はありがたくそれを頂いたが、ルシエンだけは飲んだふりをして、ひっそりと袖口の中に隠した。そして、カプセルを飲んだ者たちの様子をつぶさに観察した。錠剤を飲んだ者の中に、酒に酔ったように頬を赤らめ、恍惚した目をする人たちが出てきた。エーデルの大量摂取による依存、かつてルシエンの恋人たちが似たような症状を表していた。
しかし、本当にエーデルが入っているのなら、さぞ高価なものに違いない。それを毎月のペースで千人近くあるギルドメンバーに配るほど、デビッドは太っ腹なのか。不審に思ったルシエンはカプセルをこっそり持ち帰り、分解してみることにした。中から赤黒いゼリー状の物体がドロッと零れ落ちた。匂いを嗅いでみたところ、生臭さと鉄の匂いが鼻を突いた。ルシエンは吐き気をおよもし、思わず顔を放した。カプセルを飲まなくてよかったと、本気で胸をなでおろした。
その気味悪い物体の正体は程なくして突き止められた。夜な夜な自分の部屋に隠れてドローンを操作すること数週間、ルシエンは建屋全体の通気パイプを掌握し、図面に書き加えた。そしてパイプラインの配置から、隠れた地下空間をも発見したのだ。そこは実験室だった。狩りから持ち帰った魔のサンプルを研究するためにあるかと思いきや、ルシエンはドローンのレンズ越しに信じがたい光景を目にした。
デビッドが実験台の前に座り、腕を伸ばしていた。ドローンのカメラをズームすると、彼は自分の血を抜いているのが分かった。静脈につないだチューブから、どす黒い血液がぐんぐん吸い上げられている。チューブの先は不思議な機械に繋がれていた。デビッドの血はそこで撹拌され、ゼリー状になってカプセルの中に封じられた。
ギルドメンバーたちは、デビッドの血を飲んでいたのだ。
――
「うぇ……気持ち悪っ」アンナは口に入れたばかりのサラダを皿に吐き戻した。
「あのカプセルを飲んで反応のある者の体に、マークが付けられた。デビッドは彼らのことを適合者だと呼んでいた」
ルシエンは皿に盛ったミートボールをフォークで突っつきながら話続きけた。彼はまだ一口も食事を口に入れていない。
「あの意地悪なジェイムも、僕が入団した次の年に入ってきた。道場ではイキがっていたのに、カプセルを飲みだしてからは人が変わったように大人しくなったよ」
ルシエンの話を聞いていたフルスもまた、食事が進まないようだ。
「つまり血を分かつ者を支配するということか。何か古い呪いみたいな話だ」
ルシエンは頷いた。
「カプセルの製造には、不思議なリズムがあることも僕はわかった。それは週に一回、デビッドが妻アリスと体を交わした後の半日以内に必ず行われた。師匠が定期的に道場を離れて夫の元に行くのはそのためだと知って、僕はなんだか反吐が出そうになった。覗き見は趣味じゃないんだが、二人は時々、待ちきれないように実験室でやってしまうんだ。もう僕にとっては鳥肌物でしかなかったが。その後、師匠はデビッドの静脈に針を差し込んだ」
「ますます気味が悪いね……自分の姉だと思うとなんだか……」フルスは寒い顔をして二の腕をさすった。
「僕が思うに、師匠も結局は実験の一部じゃないかな」
「実験?」
ルシエンは苦い笑みを浮かばせた。
「そう。闇夜花舞のメンバーは全員、実験台だった。闇夜花舞はハンターギルドなんかじゃない。白鼠を大量に飼育していたラボだったよ」




