第39話 ジャックスの白状
朝食を済ませてから、そそくさと身支度をするフルスにルシエンは尋ねた。
「この後どうする」
「警備所に行く。ジャックスはもう目が覚めているはずだ。一緒に行くか」
「もちろん。その前にちょっと待ってもらえるかな。準備したいものがある」
ルシエンはキッチンの奥にあるのれんの掛かった小さな吊り棚に向かった。その中には大小様々なビーカーや瓶、スポイトなどが置かれている。ルシエンはすり鉢と小瓶を取り、また透明な液体が入った細いボトルを取った。ポケットから魔除け草の花を取り出すとすり鉢に入れ、花びらをおしべやめしべごと細かくすりつぶしていく。
「頭に寄生魔の幼生を抱えたままだと何も話してくれないだろう。やつはジャックスの感情をコントロールしている。これはそいつを追い出すために作っている」
ルシエンは手元を興味深そうに覗くフルスに説明した。ときおりボトルから液を垂らし込みながらすりつぶしていくと、花は香り漂う紫色のペーストになった。最後に、ルシエンは自分の指先を切って血を数滴たらし込んだ。するとペーストは透明で無臭な、とろみのある液体となった。ルシエンはそれを瓶に流し込み、漏れないようにしっかりと栓をした。それからもう一つの空きビンとピンセットを取り、鞄にしまい込んだ。
「行こうか」
ルシエンがソファーからジョーを掬い上げた。ジョーは寝ぼけたまま上着のポケットに放り込まれた。フルスは頷き、ルシエンと共に玄関に向かった。二人はルシエンの家を出て、警備所の本部がある中心街に向かった。
ジャックスは項垂れたまま、尋問室の椅子にもたれかかっている。マジックミラー越しに見るその姿は沈黙の像のようだ。微動だにせず、手元を凝視したまま瞬き一つもない。ルシエンが尋問室に入るや否や、看守が慌てて駆け寄ってきた。
「目覚めてからこうなんです。私は何もしていませんが……」
歯切れの悪い言い訳を適当に聞き流しながら、二人はジャックスに向かい、その様子をチェックした。
机と椅子だけあるがらんとした空間の中で、大男の姿は異様に小さく感じる。白髪交じりの髪の下から、フルスに打ち付けられたこめかみの打撲傷が見える。両目は長い間開いているせいで水分を失い、真っ赤に充血している。ほんの微かではあるが、薄地のシャツの下で胸が起伏している。
「生きているようで死んでいる様だな」フルスはがっかりして頭を揺すった。
「寄生魔のせいで一種の催眠状態に入っている。生命を維持するための活動以外、感情や思考などがすべて遮断されている」
説明しながら、ルシエンは今朝準備した小瓶を取り出した。栓を開け、中の液体をジャックスの鼻元で揺らすと、大男は突然目が覚めたように瞬きし、顔を歪めた。
「臭い!その瓶をどかせ」
ジャックスは慌てふためき、ルシエンの腕を掴んで押しのけようとした。魔除け草で作った薬液の匂いは魔にしか分からない。それも魔にとってはかなり強烈で、気がおかしくなるほどの刺激臭らしい。
「反応しているのか」興味深げに覗き込むフルス。
「そうだ。ジャックスじゃなくて、頭の中にいる寄生魔がね」
ルシエンは腕からジャックスの指を引きはがした。気の利いたフルスがすぐに暴れ回る両腕を取り押さえた。その間、ルシエンはジャックの顎を掴み、無理矢理口を開けさせた。薬液を舌の上に流し込むと、ギャックスから苦悶の呻きが聞こえた。吐き出さないように口を抑えつけると、ジャックスは嗚咽を漏らしながらしきりに体を痙攣させた。しばらくすると、ぐったりして動かなくなった。
フルスは心配そうにジャックスの顔を見つめた。
「どうなっている」
「寄生魔が脳神経から離れたようだ」
ルシエンは薬液の瓶を置くと、今度はピンセットと空き瓶を取り出し、ジャックスの前で持ち構えた。
程なくして、ジャックスの鼻穴から白い紐状のものが垂れ下がった。ニュルニュルと蠢めきながら、辺りの様子を探るように、先端を尖がらせてピクピクさせている。寄生魔の幼生が正体を現したのだ。ルシエンはピンセットでそれを摘まみ、ずるずると引きずり出した。本体の長さは2,3㎝といったところだが、それの倍以上ある触手が糸を引くように後端から伸び出た。幼生はすこしてでも宿主にしがみつこうと触手の先端を鼻毛に絡みついたが、ルシエンに容赦なく引きちぎられた。そのグロテスクな様子にフルスは眉根を沈ませ、身を引きながら見守った。
完全にジャックスから引き離された幼生は、水中を舞うイトミミズの如く暴れ回っている。ルシエンは指に力を入れながらピンセットを握り、栓の開いた薬瓶に近づけた。耐えがたい魔除け草の匂いに魔は体を引きつらせ、すぐに動かなくなった。ルシエンは大人しくなった幼生を空き瓶に入れ、しっかりと蓋を占めた。
「死んだ?」
ためらいがちに、フルスが瓶の中を覗き込む。
「いいや、気絶しているだけだ。魔除け草の成分は致死するほどの毒性ではない」
「殺さないの」
「その前にちょっと役立ってもらおうと思ってね」
ルシエンは寄生魔の入った小瓶をポケットにしまった。
フルスは釈然としない表情を残したまま、入口付近で硬直している看守に話しかけた。
「ジャックスの家族を呼んできてくれ。連絡先は伝えてあるはずだ」
傍らで硬直していた看守は我に返り、頷くと急いで尋問室から出て行った。
ジャックスが自分の意識で目覚めたのはそれから数十分後だった。
観察室でルシエンはコーヒーを飲みながらフルスと雑談をしていた。ハンターの鍛え抜かれた勘なのか、ジャックスが動き出した途端、マジックミラー越しにその気配を察した。
ルシエンはカップを置き、つかつかとジャックスの前に出た。辺りをキョロキョロと見回していた大男は彼の姿を見た瞬間、怯えた子供のように目を見開いた。
「ル……ルシエン!そんなバカな!」
「なぜまだここいる、って言いたいのか」ルシエンは顔をしかめ、冷ややかな視線を浴せた。
ジャックスは口を半開きにしたまま、しばらく言葉を失った。ルシエンは釘を刺すように続けた。
「君はぼくを3度、誘拐しようとした。そうだろう。一回目は地主の依頼、二回目は西のスラムへの呼び出し、そして三回目は君のオフィスで。残念だが全部失敗した。さあ、訳を聞かせてもらおうか」
ジャックスはルシエンを見上げたまま、瞳に恐怖の色を宿らせている。
「お、俺は……わざとじゃない、脅迫されたんだ!」
ルシエンの後ろで聞いていたフルスが口を挟む。
「どんなふうに?」
「俺が言う通りにしないと、俺の家族が危ないんだ……だから、仕方がなかった……」
フルスは看守を顎でしゃくった。看守が壁にあるスイッチを押すと、マジックミラーが透明になり、観察室の景色が丸見えになった。そこにはいつの間にか、青ざめた表情をした中年女性と少女が立っている。
「あなたの家族は無事だ。簡単にバレる嘘はつかないことだね」
執法官の老練なまでに落ち着きがある声にジャックスはたじろいだ。
「さて、あなたが入れた影魔2匹はあの団地の全世帯を喰った。その数、子供も含めて合計238人。たとえ直接手を下さなくても、罪の重さは計り知れないよ。ゼオンの法律はこれだけ多くの殺人に加担した罪を裁ける箇条がない。よって、全大陸の基準となる帝国の法に照合する―つまり、死刑だ」
マジックミラーの向こうで母娘が泣き崩れた。ジャックスの額から冷や汗が吹き、顎が震えだした。死を恐れる表情、ルシエンは久々に見た。
「証人と証拠は全部そろっている。ここで詭弁を弄するなら罪は返って重くなる。協力すれば多少、軽くなる。例えば」フルスはガラスの向こうに立つ哀れな女たちを振り向いた。「終身刑とか、ね。少なくとも奥さんと娘さんの顔が見られる。嫌なら、ここで永遠のお別れをすればいい」
恐ろしいまでに無表情で、事務的な声を発する執法官をジャックスは見上げ、そして妻と娘の姿を見た。ひどく歪められた面の上に深い皺が走り、大粒な涙が流れ落ちる。
「わ、分かった……」大男は咽び泣いた。「お、俺がバカだった。あいつの取引に応じるべきではなかった。でも信じてくれ、こんなに沢山死なせるつもりはなかった」
かくして、フルスは容易くも容疑者に罪を認めさせた。怒鳴や拷問は一切なく、罪人に残ったいくばくの良心と希望を利用しただけだった。冷徹にまで熟練した手口にルシエンは寒気さえ覚えた。プライベートのフルスと仕事中のフルスは、別人なのかもしれない。
とりあえず、ルシエンは今のうちに知りたいことを全部訊くことにした。
「“あいつ”とは、魔か」
「いいやただの男だ。フードを被ってマスクを着けていたから顔は分からなかった。俺に覚者たちの情報を提供してほしいと言い寄ってきた。一人につき3000リオンを払うといった。3000リオンは、俺が命を張っても数か月かかる稼ぎだ。俺はその美味しすぎる取引に応じてしまった。嫁と娘にもっといい生活をさせたかったんだ。特にジャスミン、俺の一人娘にはゼオンの有名私立学校に入って、将来こんな堕落した街から出て、帝国の中に入って良い人生を切り開いてほしかった。でも……」
ジャックスは目尻に沢山の皺を寄せ、声を上げて泣き出した。
「それで?」ルシエンは構わず、続きをせがんだ。無慈悲に問い詰める自分自身がどこかフルスと似っている気がした。
「俺の知っている限りのハンターたちを教えた。男は今度、彼らの狩りの情報を知りたいと言った。それも教えてやった。でも、まさか誘拐しようとしたのを知ったとき、俺はこれ以上の情報提供を拒んだ。すると奴は俺に無理矢理何かを飲ませたんだ。そしたら俺、おかしくなった……何かに操られているようで、普段やらないこともやり出し、しゃべらないこともしゃべりだした。魔を自分のオフィスに入れるなんて、普通怖くて逃げだすところなのに、本当にどうかしていたよ。ただ……その後ことはよく覚えていない」
ルシエンはポケットに入っている小瓶を見やった。ジャックスはその卵を飲まされていたに違いない。
「今思い出すとすごく後悔している。まさかこんなことに……」ジャックスは涙でびしょ濡れの顔を手で覆い、震える声で泣き出した。
「それだけか」
大男が泣き止んだあと、ルシエンが再び質問した。ジャックスがまた何かを思い出したように彼を見上げた。
「そういえば、奴はあんたのことを特に気に掛けていたぞ。まるで昔から知っているかのように」
思わぬ情報にルシエンは目を剥いた。
「その男はまさか、デビッドか。声はどんな感じだったか」
「普通の、どちらかと言えば若い声だった。なんていうか……ルシエン、あんたにちょっと似ている」
ルシエンはため息をつき、肩を落とした。フルスは慰めるように話しかけた。
「まあ、確かにあなたにとってデビッドは悪者だが、そう慌てて結びつけることもない。ところでジャックス、オフィスの中にあったホワイトボードや、テーブルの上に置かれていた資料の内容は思い出せるか」
ジャックスは目をつぶり、苦悶の表情を現した。しばらくするとかぶりを振ってみせた。
「だめだ。全然思い出せない」
「うーん、肝心な情報が藪の中ということか」フルスは困ったようにため息をついた。
ルシエンはポケットから瓶を手に取り、軽く揺すった。中の幼生はぐったりしたままだった。
「それならこいつが教えてくれる」
「どうやって」
「死神の出番だな」ルシエンは自信に満ちた頷きを返した。
また釈然としない表情を浮かべるフルスだが、好奇心に瞳を輝かせていた。




