第33話 門番
ルシエンは早速、魔のアジトのことをデビッドに連絡した。通信機の向こう、デビッドの声は案外淡々としていた。まずは詳しい在処をつきとめ、どれくらいの規模か、どんな種類が居るのか等、偵察することから始めろとルシエンに言い渡した。討伐に値するものなら本部から討伐隊を派遣するとのことだった。
ルシエンは程なくして、魔のアジトはゼオン郊外にある廃工場の敷地内にあることを突き止めた。そこはかつて帝国の資産家に建てられた製鋼工場だったが、あまりにも卑劣は労働環境にアウトランドの労働者たちが反発し、数々の騒動に見舞われた果てに閉鎖されたものだった。張り込みして観察をしていると、アジトを出入りする魔たちの凡その規模感が分かった。ゼオンに居る魔はハンターたちよりも倍上の数だが、そのほとんどは魅魔や貪魔の端くれで弱い奴らばっかりだ。人数でさえ足りれば難なく討伐できると踏んだルシエンはそのことをデビッドに伝えた。
討伐が執行される予定だった日の早朝、ルシエンはデビッドに言われた通り、工場の敷地外で潜伏し、本部から派遣される討伐隊と合流するのを待った。しかし、いつまでたっても人の気配を感じることがなかった。不思議なことに、辺りをうろつくはずの魔の気配さえもなかった。大気には不自然な静けさが漂っている。
荒地に生い茂る雑草に身を埋め、静まり返った辺りに耳を澄ませていると、遠いところから「ズンズン……」と微かな地鳴りが聞こえてくる。ルシエンは草むらから顔を上げ、音のする方を眺めた。
工場の敷地の中、建屋や煙突の間を縫って進む大きな影を捉えた。それらはゆらり、ゆらりと覚束ない足取りだが、確かにこちらに向かっていた。
まさか、とルシエンは思った。あの影は魔なのか。そしてあの距離から草むらに隠れた彼の姿が見えているというのか。しかし影は疑いの余地もないほど、ルシエンに向かって一直線に近づいてきた。距離が縮まるにつれ、朝露に霞む大気からその様子はだんだんと明白になった。
巨人のような姿で、頭は漆黒なフードに包まれて顔は見えず、頭上には有刺鉄線を輪状に束ねた冠が嵌められている。体の表面は様々な形の皮膚を鉄線で縫い合わせたもので、腐敗を想起させる褐色や赤紫色がバッチワークのように組み合わさっている。手首の先に手はなく、代わりに太くて長い鎖が指と同じ数だけ伸び出ていた。鎖に等間隔で鋭い棘が並び、先端には錨のような鈎が取り付けられていた。
巨人は腰を丸め、重そうな両腕をぶら下げ、鎖を地面に引きずりながら一歩、また一歩と歩いている。地面を金属の鉤がひっかかってけたたましくて甲高い音は、魔が持つ残忍な破壊力を物語っているようだ。
忽然とルシエンの前に現れた巨体は、「門番」と呼ばれる強大な魔だった。魔界に通じる次元の裂け目を守っていることからその名前がついた。門番を倒るには大勢のハンターを集めなければならない。
かつて、「フィースト」という、次元の裂け目が開き、そこを通って稜界に侵入した魔の集団的襲撃が幾度起こった。門番はその時にだけ現れる、ちょっと珍しい存在だった。しかし、なぜここにいるのか。魔のアジトでこれほどの大きな怪物が閉じ込められていたというのか。ルシエンは恐ろしい謎に当たった気がして、胸騒ぎが止まなかった。
しかし考える時間は無くなった。刻々と迫ってくる門番にルシエンは全速力で逃げ出した。そうすることが一番賢明だったのだ。工場敷地の縁まで来た門番は、膝の高さにも満たない鉄柵を軽々と蹴り倒し、ルシエンの居る荒地に足を踏み出した。足裏で大地が震え、巨人の咆哮に大気が轟いた。逃げ去るルシエンの姿を見た門番はペースを上げ、まっしぐらに距離を詰めてきた。その歩幅は一歩がルシエンの十歩以上に相当し、いくら走っても逃げきれないことを意味していた。
背後に迫った巨大な影に振り向き、ルシエンは二丁拳銃を向けて素早く連射した。鉛弾は門番の胸に命中し、鈍い音とともに分厚い皮膚に埋もれた。まるでエアガンで粘土を撃っているように見えた。鉄やコンクリートを容易く貫通するクリスタルベインの光弾に比べ、物理弾丸の殺傷力はちっぽけなものだった。門番はびくともせず、ルシエンに向かって左手を上げた。
鋭い風切り音とともに振り下ろされる鎖を、ルシエンは横に一跳びして避けた。五本の鎖は「バシッ」と地面を鞭打ち、無数の鉄鈎が土の中に食い込んだ。地表を容赦なく引き裂かれ、草や土の塊が宙を舞い上がる。
門番の攻撃は強力だ。まともに喰らったら体がミンチになってしまう。しかし動きは巨大な体に似つかわしく鈍くて遅い。
ルシエンは引き金を絞り、埋もれた鎖を引っ張る門番の左肘に向かってたゆみなく発砲し続けた。集中的に被弾するそこは徐々に皮膚が剥がれ、赤黒い筋肉組織が見えてきた。
ルシエンは残りの弾薬を素早く計算した。充填された弾倉は計四つ腰に携帯しており、2丁拳銃で戦い続けるのならリロードは2回までだった。可能な限り撃つ所を集中させれば、運よく腕の一本は折れるかもしれない。ただしあくまで運良ければ、の話だ。そこまでもつかどうかがむしろ心配だった。
ルシエンは身を屈め、頭上を掠める鎖を避けた。先端の鈎が地面を引っ掻き、草むらを根こそぎに引き抜いては空中にバラまいた。鎖の通り過ぎた所は弧を描くように禿げていた。右手の攻撃に続いて再び左手が襲い掛かる。地面すれすれに迫ってくる鉄の棘をルシエンはもんどりをうって飛び越える。着地するや否や頭上から右手の鎖が降りかかる。ルシエンは立ち位置を少しだけずらし、銃を構え直す。
「バシンッ」とまた大きな音が響き、砕かれた大地の表面が宙を舞う。土埃の中から銃声が響き、門番の左肘がまた被弾し、血と肉が弾けた。ルシエンは鎖の着地地点を正確に計算し、鎖と鎖の間を広がる僅かな隙間に立っていた。
顔面を覆うローブから門番は白い吐息が噴き出している。荒々しい息遣いは巨人の怒りと焦燥を現している。門番は背筋を反って両手を高く挙げ、背骨をバネにして一斉に打ち下ろす。渾身の一撃を、すばしこく逃げ回る小さな人間に打ち込む。
頭上を覆う鎖の網に、ルシエンは機転を利かせて門番の股下に逃げ込む。どんなに攻撃面積を広げようが、そこにだけは当たらないはずだ。
案の定、門番の大技も空振りに終わった。舞い上がる土と草の中で、絡まる両手の鎖をほどこうとする門番は再び左肘を撃たれる。怒り狂った門番はルシエンを踏みつぶそうと足踏みを始めるが、のろのろとしたその動きをルシエンは難なくかわし続ける。
わずかに軽くなった銃の重量でルシエンはリロードのタイミングを察した。薬室に最後の弾丸を残したまま、体を真っすぐにし両手をベルトの下に据えると、グリップで弾倉を下から打ち上げる。衝撃で弾倉は真っすぐにソケットから飛び出した。再び落ちてくるわずかな間、ルシエンはベルトに引っ掛けてマガジンキャッチを外し、拳銃を掌で半回転してグリップの底を上に向ける。遠心力により古い弾倉が外れ、空になったグリップは落ちてくる新しい弾倉を正確にキャッチ。弾倉が「カチッ」と嵌ったらまた半回転して握り直した。
これで両手同時、リロード完了。手品のような離れ業を習得するのに沢山の苦労があったが、すべては2丁拳銃を効率的に扱うためだった。クリスタルベインを握るまで、ルシエンにとってこの作業は当たり前のように行われた。
上空から轟音が聞こえてきた。ルシエンと門番はしばし攻撃を止めて空中を見上げた。ヘリコプターが近づいてきた。門番の頭とほぼ同じ高さで、かなり低い位置を飛んでいる。吹き荒れる回転翼の風に狭まった視界で、ルシエンはヘリコプターの扉が開くのを捉えた。武装したハンター跳び下りてきた。皆しっかりと着地を決め、すぐに銃を構えてこちらに向かってきた。
ようやく、討伐隊が来たかと思いきや、ヘリコプターから降りてきたのは女性4人だけだった。門番の巨体を目の前に、皆が息を飲んだ。ルシエンは顔をしかめた。たとえ門番の相手をしなくとも、魔のアジトを一掃するためにはそれなりの人数が必要だとデビッドに伝えたはずだが、数人だけ派遣してきたのは悪い冗談なのか。しかし今の状況では贅沢は言えなかった。目の前の巨大な敵を倒すのに少しでも多くの弾丸が必要だった。




