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第28話 帝国の闇

 歓楽街の襲撃事件がまだしもゼオンを驚かせる大ニュースとなりそうだ。住宅の敷地から出たルシエンとフルスに、警備隊とカメラを持った記者の群が押し寄せていた。フルスは執法官の身分証を見せつけ、業務機密である故詳細は教えられないとだけ言い、ルシエンを連れてその場を無理矢理押し通した。

 外から見ると何の変哲もないアパートだが、いざ中庭へ入れば皆顔を青くし、その場で吐いた者さえいた。警備隊員は立ち入り禁止のテープをそこら中に張り付けては、周辺をウロウロする見物者たちを追い払った。これが彼らのできる精いっぱいだった。

 アパートの玄関から絶えず運び出される白骨は乱雑にトラックの荷台へ放り込まれ、いっぱいになるとブルーシートに覆われてどこかへ運ばれていった。名もなき者たちに葬式を上げることも、墓を作ることもないだろう。ゼオン郊外のゴミ山にバラまかれ、カラスやネズミなどに食われながら、干からびて朽ちていく。人口が溢れかえっているゼオンにおいて、生死の営みは水や空気と同じように当たり前のことだ。各々の人生を生きるのに精いっぱいな人々は、他人に至って無関心だ。

 

 ルシエンは浮かばない様子でフルスのあとに続いた。瞳の奥には暗い闇が広がり、伏した睫毛に半分隠れて、まるで草の生い茂る野原にぽっかりと開いた落とし穴のようだ。魔を狩った後、彼はしばしば虚ろな目をする。狩りが大変だった時は特にそうだ。

 結局、ルシエンがヘマをしたことによって燃やされたもの以外、ジャックスのオフィスからは大したの情報は出てこなかった。机と本棚にあるのは有名人のスキャンダルや盗撮ものなど、他人の不幸を幸の味として楽しむ凡俗な欲求に答えるためのものだった。ハンターと執法官の目には無意味な写真と文字の羅列だ。唯一ルシエンの印象に残ったのは、フォトフレームの中の、ジャックス一家の家族写真と、引き出しにあった書きかけの手紙だった。手紙には、今月中に娘の学費を振り込むとのことを書いてあった。帝国内とも繋がりがある有名な私立学校で、かなり大きな金額だった。きっとジャックスはその大金のために、一線を越えたのだろう。

「ジャックスに家族がいるとは知らなかった」

 溜め息混じりにそう呟くと、隣を歩くフルスが淡々と相槌を打った。ルシエンは独り言のつもりで続けた。

「金に目がない奴だったから、好きじゃなかった。でも、もし家族のために張り切っていたのなら、少しだけましに思えるよ」

 フルスはバハムートに跨りながら口を開いた。

「それはどうだろうね。家族が居るのに魔と手を組むことを選ぶとは、欲にくらんだ心の弱い男だ。身の丈に合った生活をすれば良い話だ」

 ルシエンは目を伏したまま黙り込んだ。フルスの言っていることは反論する余地のないが、自身との間に透明な壁を感じさせた。胸の奥から虚しさと寂しさがじんわりと広がり、まるで音もなく忍びよる夕暮れのようだった。バハムートの座面に重い尻を乗せて気だるくアクセルを捻ると、フルスがまた話しかけてきた。

「同情したい気持ちは分かる。大昔の私もそうだった。しかし罪は罪、相応な罰が下るのは免れない。無益な感情処理にエネルギー使うより、ジャックスの後ろに居る黒幕をどうやって捕まえるのか、考えたらどうだ」

 弱音を一切受け付けない、冷たいほど前向きな言葉。いつもならそのままふさぎ込んでしまうルシエンだが、先頭を走るフルスの背中を見つめていると、ふっと心の内を吐き出したくなった。フルスを目の前にして、自分の気持ちを沈めてしまうことに心惜しさを覚えた。

 ルシエンは頭の中で言葉をひとつずつ紡ぎあげ、長年胸のなかを渦巻く言い表しがたいものを可能な限り形にした。

「同情というより、どこか虚しい。自分の為であれ、娘の為であれ、どんな形であっても欲望は彼の生命を、張り詰めた糸のように支えてきた。それがあっさりと魔に利用され、夢に描いたすべてを壊されてしまう。このやるせ無さを僕はどう受け止めばいいのか、ハンターになってからずっと悩んできたけど、答えが出ない。戦いの術を師匠からすべて学んでも、これだけは誰も教えてくれない」

 フルスは速度を落とし、ルシエンの横を並んだ。そして身を少し屈め、どんよりとした青い瞳を下から覗き込んだ。

「そんなことで悩んでいるの。ルシエンは若いんだね」

 ルシエンは横に振り向き、フルスと目を合わせた。後方に流れゆくビルの隙間と街の間から、夕暮れの太陽が射し込み、フルスの瞳に柔らかい光を瞬かせている。

「僕は若くないよ。こう見えて40歳を超えている」

「若い。私のような“お年寄り”になるとその瑞々しい感性が羨ましくなるよ。歳をとるとね、いろいろ割り切れるようになってしまうのだ」

 フルスは穏やかに笑っている。

「君の言う“お年寄り”とは何歳だ」

「私は173歳だよ。姉と同じ年齢。まあ、帝国の長老たちが500歳近くあるのに対しては若い方かもしれないが、寿命のない覚者において若さと老いの基準はデタラメだ」

 驚きのあまりルシエンの顔から、暗い表情が雨上がりの雲のように散った。

「そんなに歳上だったとは、びっくりだ。それで、師匠とは双子の兄弟だったのか」

「そう。でも姉は女の体になったことで、子供のころよりは大分見分けがつくようになった。ただし、似ているのは見た目だけだね」

「これほど世代のギャップがあるのに自然に会話ができている事態、ちょっと信じられないな」

「私は執法官として、刑事案件を追ってずっと世間の波に身を投じて生きてきた。姉もハンターという職業を生涯こなしてきたのだろう。世の中に身を置く覚者は、どんなに歳を重ねても浮世離れすることはない」

 フルスは何かを思い出したように、クスクスと笑いながら続ける。

「長老たちの話を聞くと、歳月がいかに我々を孤立させるのかがよくわかる。古代語なんかしゃべっちゃって、服装もすごく変だ。これから演劇にでも行くのかという感じに」

「長老って?」

 ルシエンは首を傾げた。ビクターにも以前言及されていることを思い出した。

「エリュシオンの神官たちのことだよ。アーク主神の代理人であるエンドラ神に直で従うハイエルフと人間で、神魔大戦で戦功を挙げた覚者たちばかりだ」

「すごく偉そうに聞こえるな」

「実際に偉い者たちだよ。エンドラの次に権力が与えられた」

「そんな人たちの悪口、言っていいのか」

「ここはアウトランドだから誰も咎めりゃしないよ。それにちゃんと興味を持って聞いてくれる人が目の前にいるじゃない」

「ああ、そうだな。いろいろ、仰天しているよ」

 ルシエンは小さく笑った。自分から色々話をしてくれるフルスのことが嬉しいと思った。さりげない雑談でどんよりとしていた自分の気持ちを軽くさせる、フルスの思いやりにほんの少しだけ触れた気がする。彼は場の雰囲気を借りてずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「ところで、フルスには家族はいるのか」

「たくさんいるとも言えるし、全くいないとも言える」

 フルスはさばさばと答えながら、視線を進行方向に戻した。

「ジェネシア氏族に属する者は皆、広い意味で私の家族だ。しかし、配偶者や兄弟など、緊密な結びつきを持つ者を家族というのなら、私にはいない。おっと、一人いたな。行方不明の家出した奴がね」

 軽く吐き捨てるように言いながら、フルスは気色の良い微笑みを見せた。血の色がある唇の下から陶磁のような白い歯を覗かせた。

「両親や、付き合っている相手はいないのか」

「私の両親は二人とも覚者ではなかった。だから遠い昔に亡くなっているよ。お付き合いの相手に関して、男も女も何人か居たけど、今はもういない」

「性別が無くても、恋愛感情はあるのか」

 その言葉が口をした途端、ルシエンは自分の拙さに後悔した。フルスの表情はほんの少し冷たくなっていた。

「恋愛感情の定義を、あなたは知っているのか」

「いや……」

「愚問だよ。男であろうか女であろうか、どちらでもないにせよ、誰かのことを好きになるのはすごく当たり前のこと。性別のある奴らはそこに性欲というものが混ざて、“恋愛”ということにしているに過ぎない」

 ルシエンは黙り込んだ。フルスの言っていることことは、彼に新な物事の見方を提示しているように感じた。彼は性欲をなくしているが故、はなから性別のないフルスに同感をしていたつもりだった。しかし本気で人を好きになったことなど、人生を振り返ったら一度もなかったのかもしれない。好きだと思っていた者たちは彼を裏切り、それから彼に裏切られた。その点においてフルスは自分よりも優れていて豊かな存在だと気づき、悔しさと羨ましさに胸がつまってしまった。

 黙り込むルシエンがさほど気にならない様子で、フルスは前方を見つめたまま話を続けた。

「あなたは貴族たちみたいに『あら、寂しくないの』とか『お一人で大変でしょう』とか、そういうお世辞は言わないんだね」

「そういうことを君に言うのは、無意味だと思った。もう、気にしてなさそうだし」

「そうだね」フルスの口角が一瞬だけはね上がって、また元に戻った。

「僕とは違うんだ。僕なんか……」

 風に滅入りそうなほど弱々しい呟きを、フルスは聞き逃さなかったが、すぐに返事をしようとはしなかった。ルシエンと並んだまま走り、同じ道の先に視線を揃えた。

 

 夕暮れが深まるのに合わせて夜の街は賑わいを増していた。煌びやかに着飾った遊女や、群れを作ってゲラゲラと談笑する若者たちや、スーツ姿でくたびれながらも物欲しそうに目を光らせる勤め人たちが、ぞろぞろと道端を出歩いていた。色とりどりのネオンが深まる夕闇を繚乱な光彩アートに変えている。影に包まれたビル群の暗い輪郭が頭上を伸し掛かり、ダークな威圧感を醸し出していた。見上げると、複雑な形に輪郭どられた空は群青色に染まっている。涼しさを取り戻した風の中に、道端を立ち並ぶ飲食店から排気された食事の香りが混ざり、ルシエンの空腹感を掻き立てていた。 

 しばらく景色に飲み込まれて走っていると、ふっとフルスの静かな声がした。

「“種女”ということば、知らないだろうね」

 ルシエンは頭を振った。

「帝国が、赤子のエーデルテストを法的に許可したことから生まれた呼び方だ。エーデルテストによって、将来覚者となる可能性のある赤子を見分けられるようになった。私はこのテストを合法化した長老たちが憎い」

「覚醒する前の段階で覚者かどうか判断できるというのか」

「そうだ。あくまで素質があるかどうかの判断だが、血を少しだけ抜き取り、エーデルと混ぜあわせて反応を見るんだ。覚者になれる者ならエーデルは血液の中に溶け込む。そではない者なら水と油のように混ざり合わない。母親が覚者の場合、胎児を生まれる前段階で判断できる。母親の体内にあるエーデルが血液と一緒に胎児にも流れているかをチェックすれば良いのだ。もし胎児に覚醒する素質がない場合、エーデルの流れは見えないフィルターに阻まれているかのように子宮の外へと弾き出される」

 ルシエンは酷く釈然としない気持ちで胸いっぱいになった。

 フルスは淡々と話を続けた。

「貴族の権力競争において一つのやり方は、家系にいる覚者の数を競うことだ。どの家も、覚者になる子を喉から手が出るほど欲しがっていた。だから、嫁いできた女に、覚者の子が生まれるまで孕ませ続ける家系さえ存在するのだ。家畜やペットのブリーディングみたいにね」

 驚愕のあまり、ルシエンは表情を失った。

「それじゃあ、一般人の子はどうなるのか。ちゃんと養ってもらえるのか」

「家系の豊かさや道徳観による、としか言えないなあ。最悪のケースとして、望まれなかった子供は孤児院に預けられ、そこで洗脳教育を受けて"神の従者"になる。聞こえは良い称号だが、実際には自意識がなく社会の都合の良いように扱われる労働力だ。帝国の市民ヒエラルキーの最下位で、底辺の仕事は概ね彼らが担う。孤児院に行きそびれた子供たちは、壁の外に捨てられる」

 壁の内側について初めて知ったショッキングな事実に、ルシエンは口を噤んだ。そこは誰もが豊かで平和な暮らしをしていると、アウトランドでは生まれたときから皆がそう信じられていたからだ。

「私の家系はジェネシア家の端くれだった。一般人の両親から、覚者として生まれた私と姉は二人っきりで、他に兄弟はいなかった。覚者でもない両親がいきなり生んだとは思えない」

 フルスの音色が暗澹たるものに変わっていく。

「両親は私と姉を産む前に、何度も子供を捨てていた。どれほどの赤子を犠牲にしたのだろうか。元々私の兄や姉になるはずだったエルフたちだ」

 胸の苦しさあまり、ルシエンは言葉に詰まっていた。フルスは彼に向き直り、もっと力が籠った声で続けた。

「ルシエン、あなたは以前、自分自身の生まれについて教えてくれたね。そのことが影を落としているせいなのかわからないが、あなたは自分自身が嫌いのようだな? それで塞ぎ込んでいるし、不貞腐れている。私の読みは正しいか」

 図星だった。鉄髄に頭を打たれたように、ルシエンは呆然としていた。フルスの言葉に優しさが戻った。

「でもね、私と比べたら大したことないって、今後はそう思うといいよ。私が無数の兄弟たちの屍で成り立っているのに対し、聖女がちょっとハメを外した程度なら、可愛いもんだよ、あははっ」

 自嘲を聞かせるフルスだが、眼差しは毅然としていた。その佇まいに厳しく攻め立てされている気がして、ルシエンは気まずく俯いていた。

 フルスの言葉の一つ一つが、幻聴のように耳元に繰り返し纏わりついてくる。ルシエンが今まで世間知らずな自分に酔いしれて、殻の中に閉じ込めていた衝動が内側から突き破ろうとしている。彼はそれに素直に対処することができず、とにかく思考を働かせていた。

「……それで、君が性別を持たなかったのは、これに関連するのか」

 話を逸らしているルシエンにフルスは意に介さなかった。

「結果として、良かったかな。貴族たちの“ブリーディング大戦”に参加しなくて良くなったから」

 そう締めくくると、フルスはアクセルを捻りスピードを速めた。ルシエンはそのあとに続いた。


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