第22話 運び屋
飛空バイクは大量の土埃を被っていた。フルスが指を鳴らすと、白のバハムートから土砂が一斉に流れ落ち、傷や汚れの一つも無い洗い立ての状態に戻った。
黒のバハムードの前で、ルシエンは手でコートの表面をしきりに払っている。ジョーの細かく滑らか表皮は細かい砂利のせいでひどくけばだっていた。彼がバイクに乗るのを待っていたフルスが思わず口を出した。
「そんな原始的なやり方じゃなくて、ちょっとだけ魔法を使えばいいのことなのに。ひょっとして、苦手なのか」
「自分の手で出来ることは魔法を使わないという、君の姉の教えを忠実に守っているだけだ。エーデルを好き放題に補充できる帝国の奴らとは違う」
と毒づくルシエンは本当に魔法が苦手だった。役にたつ呪文などほとんど知らず、たとえ知っていたとしても使い方も加減もわからない。体内の高すぎるエーデル濃度が原因なのか、アリスが彼に魔法を教えるのを諦めていた。
フルスはため息をつき、ルシエンに向けて指を鳴らした。「ザザー」と音を立てて滝のように土砂が流れ落ちた。艶めく鱗を取り戻したジョーは頭を現し、嬉しそうにフルスを見つめた。
「これでいい。私は土埃にまみれた汚い野郎と一緒に飛び回りたくないからね」
ルシエンはムスッと黙り込んだままバハムートに跨った。車体に目を落とすと思わず肩を落とした。砕石に当たったボデーのあちこちに傷ができ、スクリーンが真っ二つに割れている。幸いエンジンは問題なく掛かったが、これらのダメージをすべて修復するのに数か月の給料が飛ぶだろう。彼は羨ましそうにフルスの新品同然なバハムートを見やった。オプションの防弾加工をつければよかったといまさら後悔した。
警報が鳴り止んだころ、三人はビクターの店に到着した。
扉を開けて入ると、ビクターがいつのようにカウンター奥に座っていた。四本の腕を忙しく動かして一心不乱に作業しており、長い間ゼオンを轟いていた警報に少しも動じていないようだ。
「ビクター殿」
フルスの呼び声にビクターはようやく反応し、スツールを回転させて正面を向けた。背中の儀手は作業を止めなかった。
「いらっしゃい」
ビクターはこめかみについている小さな摘まみを捻りながら短い挨拶をした。義眼の色が赤から緑に変わった。
「こんにちは」ルシエンも挨拶を返した。
「ルシエンも一緒なのかい。それと―」
アンナは嬉しそうに手を振った。銀の腕輪がギラついた。
「腕輪の効果は上々のようだな」
軽く頷くと、ビクターの目線は再びフルスに戻った。
「西のスラムが大変なことになっているようだな。街のど真ん中に大穴が開いたんだってぇ?」
「さすが、情報が早いね」
軽いお世辞をかますと、フルスはポケットから先ほど収集したサンプルを取りだし、ビクターに突き出した。
「一つお願いがあるけど、いいかな」
「執法官の言うことなら聞くしかあるまい」
ビクターは苦笑し、サンプルの袋を生身の手で受け取った。それから中身を一瞥し、ルシエンとアンナを見やった。
「いいのか」
「彼らは今、私の協力者だ。だから構わないよ」
そうフルスが説明すると、ビクターは「ガッハッハ」と明朗な笑い声を上げた。
「流石は執法官だ。こんなむっつりした奴をよくも巻き込んだもんだなあ」
ルシエンは微かに口を尖らせたが、何も言わなかった。
ビクターはついてこいと手招きし、店の奥に消えた。
ロビーを出て狭い廊下を進んで行くと程なくして不思議な機械仕掛けの扉の前に着いた。かつてルシエンが怪我して保護されていた部屋の横にあった。ビクターは扉のドアノブに鍵を差し込んだ。黒い鉄線を複雑に編み上げた変わった鍵だ。それから「カチャカチャ」と音を立てながらて左右にそれぞれ数回づつ回した。扉の向こうから昇降機が動く音が響いた。先ほどまで薄暗かった上窓は急に明るく灯った。
扉の向こうはこぢんまりとした実験室だった。中央の実験台を取り囲むように大きなガラスケージが立ち並んでいる。中にはホルマリンに漬け込まれた様々な標本が陳列されていて、動物のものもあれば、見る者をゾッとさせる異形もある。天井に取り付けられた大きなシーリングファンの、羽根の影が壁の側面を続け様に駆け上がっていた。
電線で吊るされた電球が実験台の上を照らし出している。カラフルな液体に満たされたビーカーとラックに納まった試験管、電子顕微鏡、それからチューブが纏わりついた不思議な装置などが所狭しに置かれている。あたりの様子からして、フルスの言っていた通り、ビクターは生物工学にも関わっているようだ。
ビクターはルシエンとアンナに振り向き、念を押した。
「このことは他には絶対言わないように。エリュシオンのやかましい奴らがいるからな。嗅ぎ付けられると、店じまいして引っ越さないといけない」
二人が頷くのを見納めてから、ビクターは皆を中に入れ、実験台の周りに座らせた。
「こら、触るな!」
ビーカーの一つに手を伸ばしているアンナにビクターが喝を入れた。死神は不満げな顔を見せながらも素早く手を引っ込めた。
ビクターは儀手で袋とピンセットを持ち、サンプルを取り出すと生身の手が差し出すスライドガラスに乗せた。それからもう片方の儀手で顕微鏡の電源を入れている間、生身の手はスライドガラスをステージにセットした。機械と生身の四本腕をシームレスに動かし、テキパキと作業を進めていく様は見ていて飽きがこない。
ビクターは生身の両手でレンズを調節しながら顕微鏡の中を覗き込んだ。その間、儀手はペンとノートをとりスケッチを始めた。
「ふむ……」
両目をスコープに押し当てながらビクターが呟く。
「弾力に富んだ表皮組織にダイヤモンドのような粒子が結合している。硬い物から体表を守るためだな」
「途轍もなく巨大な蛆虫のような見た目だった。突然地面を突き破って現れ、たまたまそこに集まっていたハンターたちを全員飲み込んでしまった」
ルシエンは自分が目にした情報を付け加えた。
ビクターは顕微鏡から顔を上げた。
「そいつはボローワーム、別名“耕す者”だ。間違いない」
フルスはさらなる説明を求めるように目を光らせた。
「“古の主”と呼ばれる太古の生き物だ。この世界が誕生したときから存在している。ボローワームは地中で暮らし、土を食べて土の糞をする変わった奴らだ。体内で土砂が消化され養分として排出されるから、大地を肥やす役割を果たしている。ただし食べるのは岩と土からできた無機物だけで、有機物は一切消化できない」
ルシエンの表情はほんの少し明るくなった。
「つまり喰われたハンターたちはまだ死んでいないということか」
「肉体が溶かされなくとも一緒に飲み込んだ土砂に生き埋めされているだろう。まあ、覚者なら蘇生処置を施せばまた生き返る」
「魔たちはボローワームとグルのようにも見えた。奴らは喰われるタイミングを正確に把握し、その直前に飛び去った」
アンナは首を傾げた。
「でもなんでわざわざボローワームに喰わせるの」
「どこかに運んでもらうためだろう」
そう呟くルシエンをフルスが横目で一瞥した。
「なかなかいい点をついているじゃないか。ちょうど私が言おうとしたことだよ。こういう仕事に向いているかもしれないね」
ルシエンはなるべく素っ気なく聞こえるように鼻で笑った。
「これは大規模の誘拐だろうか。以前僕がされかけたように」
フルスが軽快なトーンで話を繋げた。
「仮に誰かがボローワームを運び屋にしているのなら、掘った穴を辿れば行先が分かるかもしれない。そして運ばれた仮死状態の覚者たちを蘇生させるとなると、エーデル医療の知識がありエーデルを扱える者、つまり同じ覚者が必要だ」
ビクターは顕微鏡から顔を離した。
「覚者が魔と手を組んだとしたら、こいつはかなり厄介だぞ」
「ええ、帝国もアウトランドも揺るがす大事件になりかねない」冷静沈着な声とは裏腹、フルスの瞳に静かな焔が宿っていた。
ルシエンは椅子にもたれ掛かった。全身から徐々に力が抜けていくのを感じた。面倒なことになったようだ。さっさとフルスを言いくるめてソウルストーンを渡してもらいたかった。仮にそれが叶わなくても、いつもの孤独で気ままなソロハンター生活に戻してもらいたかった。しかし運命は皮肉にも彼を相反する方向に突き動かそうとしている。仲間たちが予測している恐ろしいことについて、思い当たる節がある。ようやく忘れ去ることができたように思えた過去の因縁が再び動き出しそうだ。その全てが彼にとって重すぎるのだ。
夕暮れが空を包んだころに三人はビクターの店を出た。街はいつもの賑わいを取り戻したように見えるが、不安のざわめきが時折耳元を掠めた。路地から見上げる細い空はパイプラインと架橋に分断され、くすんだ積雲の底がゆっくりと過っていた。
ルシエンとフルスは横に並んで広い道を滑走している。会話は多くないが、沈黙の方がルシエンにとって心地良い。
「そのバハムート、ひどい様だね」
「ああ」
話しかけてきたフルスにルシエンは気が抜けた返事をした。
フルスはポケットに手を入れ、革製のスリムな財布を取りだした。人差し指と中指を中に突っ込むと、キラキラした何かを挟み出してルシエンに差し出した。
チラリと視線を落とすと、それは金色のカードだとわかった。エリュシオンの国家銀行が貴族階級に発行する特別なプリペイドカードで、アウトランドでも使えるものだ。艶のある表面に映り込んだあたりの景色が移ろい、中央にある仮面の紋章が止まって見えた。
「これで直して。大した額は入っていないけど、07式の修繕費くらいは賄える。ついでに防弾加工もつけてもらうといいよ」
フルスはバハムートの修理費用を大した額じゃないと言っている。金銭感覚のズレにひっそり仰天しながらルシエンはそっぽを向いた。圧倒的な貧富差を見せつけられて虫の居場所が悪い。
「僕のことがそんなに貧乏人に見えるのか」
フルスは眉を潜めた。
「あなたは人の好意を素直に受け取れないのか」
責め立てるフルスの声にルシエンはムッと表情を固め、視線を前方に戻した。
「じゃあ、私が代わりにもらってあげる」
後部座席のアンナがひょいと手を伸ばした。フルスはためらいなく彼女にカードを渡し、またルシエンに話かけた。珍しく棘の取れた口調だ。
「まあ、あまり重く考えないで。ただの感謝の印だ。今日の出来事は、正直……感心したよ。私は数えきれない戦いの場を経験しているが、あなたほど躊躇なく仲間を守ろうとした人に会ったことがない。ピンチになるとみな、自分のことで頭いっぱいになるのが普通だ。例え不死身の覚者だとしても」
その言葉にちくっと胸を突っつかれた感じがして、ルシエンはフルスに振り向きたい衝動を堪えた。何か返事をしたいのに、何を話せばいいのかが分からない。ためらっている間に、目の前に交差点が迫った。
「じゃあね」
フルスは軽く手を振ると、繁華街の方向に曲がった。
「じゃあ……」
ルシエンが別れの挨拶を返そうとしたとき、隣にはすでに誰もいなかった。
「はい、これ」
背後からアンナの腕が伸び、金のカードを突きつけた。ルシエンはそれを受け取り、そっとポケットの中にしまい込んだ。




