第21話 襲撃
ゼオンの西側には貧民区が広がっている。都市部から流れ出る富の残り滓に難民たちが集まって出来たエリアだ。高層ビルはなく、レンガとベヤニ板で合わせ作った小屋がひしめき合っている。道路は汚水と生活ゴミで満たされ、一年中バイ菌と疫病の温床になっていた。
警備隊も足を踏み入れることをためらうこの地域は、ゼオンに蔓延る犯罪者たちの巣窟だ。夜中に一人で歩いていると必ず強盗や暴漢に当たるといっても過言ではない。アル中とヤク中が四六時中にうろつき、女は日が出ている間以外家に閉じこもり、子供は日が沈まないうちに町外れのゴミ山をあさって微かな生活費を繕う。このスラムを消し去ろうと帝国側の計画が何度かあった。しかし安い労働力の供給源を絶やされたくないゼオン側の反対により、ついに執行されることが無かった。
スラムの入り組んだ細い道路はバイクで移動するのに好都合だ。街中を鳴り響く警報に人々は慌てふためき逃げ回っている。ルシエンは体を傾けながらバハムートを旋回させ、突進してくる住民たちの体を器用に躱していき、程なくして目標地点が目の前に迫った。
銃声と金属のぶつかり合う音甲高い音、そして「ズンズン」と低い地鳴りが聞こえてくる。ゼオンの警備隊と他のハンターたちはすでに戦っているようだ。「ガラガラガラ」といくつかの小屋が土色の煙を上げてなぎ倒された。近辺に住む住民の大半はすでに逃げ、家の中に人はいないようだ。
狭い路地を潜りぬけると、小さな広場が目の前で広がった。スラムの露店市場として使われている場所だ。商人たちはとっくに店をたたみ、ぽっかりと空いたスペースで凶相を露わにした魔たちが群れをなし、警備隊や覚者立ちと忙しい戦火を交わしている。ルシエンは思わず目を丸くした。
魔たちは、ゴキブリのような黒光りする甲羅に覆われ、長い手足と赤い目をしている。アンナの家でルシエンを襲った奴と同じ種類−甲兵魔だ。
機関銃を構えた警備隊が、甲兵魔の群れに弾丸の雨を浴びせている。甲兵魔はものともせずに突進し、隊員をおもちゃの人形の如く投げ飛ばした。ハンターたちも懸命に加勢するが、彼らの攻撃はことごとく硬い鎧に阻まれた。
魔たちはハンターのことを気にも留めない様子で、警備隊員たちを捉えて弄び、引き裂いて肉を喰った。飛び散る仲間の血と肉に皆もが青ざめ、銃を握る手が震え出した。
甲兵魔の一匹が青い火の玉を吐いた。列を成していた隊員が一斉に吹き飛ばされ、焼きただれた無残な姿で周囲に転がった。エーデルの力を持たない者は、魔の前ではとても無力だ。残った隊員たちは悲鳴を上げ、散り散りに逃げ出した。
ルシエンはブレーキをかけ、広場の手前でバハムートを停めた。降りるとすぐにクリスタル・ベインを鞘から抜き出し、いつでも撃てるように構えた。アンナとフルスも彼の後に続いた。
「あはははっ、お前たち一匹残らず喰ってやる!」
体中から鮮やかな紫炎が噴き出し、アンナは興奮した叫び声を上げた。その声はすでに少女のものではなく、うぶ毛の逆立つ死神の声だった。
死神の大鎌を一振りすると、彼女の両足が地面を離れた。フワッと宙に浮んだ次の瞬間、その体は魂火に包まれながら、光の尾を引いてまっしぐらに飛んでいった。
群れの真ん中に着地を決めた死神の姿に、先ほど威勢を張っていた甲兵魔たちに緊張が走った。大きな円を描いて赤い光が宙を瞬く。続けざまに繰り出される斬撃は甲羅と甲羅の繋ぎ目を正確にとらえていた。あっけなく切り裂かれる同類の姿に、魔たちは慌てふためき、ぶつかり合いながら後ずさった。
「これは甲兵魔じゃないか。歴史書の挿絵で見たことはある」
興味深そうな表情を浮かばせるフルスをルシエンは横目で見やった。
「知っているのか」
「神魔大戦のときに、エゼキルガーの手先として人間界に多く召喚された」
「この種類とは一度だけ戦ったことがある。あいつらの甲羅は攻撃が通りにくい。狙うのは甲羅の繋ぎ目か、口か目だ」
フルスが頷くき、ルシエンと一緒に武器を構えた。二人は戦いの場に向かって走り出した。
広場に新たなハンター集団が現れた。情報を聞きつけて加勢に来てくれているようだ。修羅と化した辺り一面に怯むことなく、ハンターたちは武器を剥き出しにして勇ましく突進し始める。
迫りくる援軍を前に、甲兵魔たちは互いを見回した。ボス格とおぼしき、一際大きな角を生やした奴が粗暴な声で言った。
「獲物が揃ったぞ! 今だ!」
その言葉にルシエンは思わず眉をひそめた。まるで彼らがかかってくるのを待っていたような言い方だ。
ふっと、魅魔を釣り餌にしてハンターを捕えようとした甲兵魔を思い出した。これは、ハンター釣りの続きなのだ。
ルシエンの動きがピッタリととまる。
「戦ってはダメだ!」
クリスタル・ベインを鞘に戻しながら声を張り上げた。それから先を行くフルスの背中に向かってタックルした。二人は勢い余ってうつ伏せに倒れ、黄昏の刃が危うく体に触れてしまうところだった。
「何するんだよ! 危ないじゃないか!」
ルシエンを押しのけるフルスは怒っていた。
「これは罠だ、だから今すぐに離れろ! ぼくを信じてくれ」
ルシエンはフルスの腕を掴み、広場の入り口に向かってグイグイと引っ張った。そこにはバハムートが停められている。
「ちょっと……」
フルスはバランスを崩し、前のめりになりながらルシエンについていった。
撤退しながら、ルシエンは広場の中央に集まったハンターたちと死神に向かって、ありったけの力を振り絞って叫んだ。
「みんな、今すぐ逃げて!」
その言葉は轟く地鳴りにかき消された。地面が激しく揺れだし、飲み込まれそうな深い亀裂が広場を一周して囲んだ。かろうじて亀裂の外に逃れたルシエンとフルスの目の前で信じ難い光景が繰り広げられた。
内側に切り離された地面が大きく陥没した。激しい揺れにハンターたちは体勢を崩し、その場に倒れた。甲兵魔は背中を覆う甲羅を開き、下から昆虫に似た翼を伸ばすと、「ブーン」と大きな羽音を立てて一斉に飛び去った。
次の瞬間、亀裂より内側の地下から、大きなミミズ状の生き物が、ワームが頭を突き出した。とてつもない巨大さで、突き出た体は広場全体を埋め尽くすほどだった。
ルシエンは立ちすくんでいた。鼻の一寸先で乳白色の分厚い肉壁が視界のすべてを遮った。伸びゆく巨体の作る気流が頬を吹き付け、舞い上がる土埃に視界が霞む。
ワームは巾着のように伸び縮みする口を開けた。そしてパックリと、切り離された地面と一緒にハンターたちを飲み込んだ。口が再び塞がるギリギリのところで、アンナが中から飛び出した。
遥か上空に巻き上げられた砕石と土砂が豪雨の勢いで降り注いでくる。ルシエンは反射的に蹲っているフルスの上に覆いかぶさった。ジョーは体をテントのように張って二人を守った。頭上で石と鱗がぶつかる重い音がしきりに響いた。
ワームは体を蠢かせて飲み込んだものを胃の奥に送り込んでいる。輪状の節が連なってできた体は不気味なほどツルツルしている。口の先端に生える無数の繊毛は大気を撫でるように揺らぎ、頭の外周を囲むベラ状の突起がピクリと動き、隙間に挟まった砕石を落とした。地中生活で退化した目の跡らしいイボがいくつか頭の両側に散らばっている。獲物をすべて飲み込んだワームは体をくねらせ、土砂を巻き込みながら地底に戻って行った。
ジョーはコートの形に戻った。鱗の隙間から大量の土砂がこぼれ落ちた。立ち籠る土埃に咳き込みながら、ルシエンは自分がフルスを懐に抱きしめているという気まずい状況に気付いた。フルスは額をルシエンの胸に押し当て、居心地悪そうにたじろいだ。
「ごめん」
ルシエンは慌てて手を放した。耳の奥で自分の鼓動が聞こえてきて、なぜそうなってしまったのか考えるのに気が進まなかった。
「ありがとう。生き埋めにされるところだった」フルスは淡々としていた。
「どういたしまして」ルシエンは機械的に答えた。
風が辺りを吹き抜け、黄土色の粉塵はようやく晴れた。目の前に広がる代わり果てた風景に誰もが息を飲んだ。広場だった場所は跡型となく消え、巨大な穴がぽっかりと空いている。周辺は巨大地震でも起こったかのようだ。空から降ってきた砕石に立ち並ぶ小屋は打ち砕かれ、瓦礫の山と化している。
「うわ……びっくりした」
ルシエンの傍らにすっかり青ざめたアンナが降りた。振り回していた鎌を納め、死神は少女の姿に戻っていた。
ルシエンは穴の縁に近づき、ゆっくりと身を乗り出して覗き込んだ。穴の中は底知れない深い闇だ。背後からフルスの声がした。
「大勢のハンターたちが喰われてしまった」
ルシエンは眉を潜めた。
「しっくりこないなあ。喰うために罠を張ったというのか。エーデルに触れれば魔の胃袋は焼かれるというのに」
アンナの目が光った。
「あのでっかい虫、魔じゃないよ。あいつの魂は魔特有のくすんだ色じゃなかった。とても大きな魂だったよ。おそらく数千年は生き永らえている」
「ただの怪物だということか……」ルシエンは闇に視線を落としたまま呟いた。
「あれはひょっとしたら、“古の主”と呼ばれる原始生物の一種かもしれない。詳しいことはビクターに聞いてみよう」
フルスが言った。ルシエンは熱心に穴の周囲を探索している執法官に眉を潜めた。
「ビクターに? 機械を作っている人に分かることなのか」
「覚者の科学者は専門を二つ以上持っている者が多い。寿命のある一般人よりずっと時間があるから。ビクターの場合、機械工学と生物工学の専門家、そしてエリュシオン屈指の発明家だった。残念ながら、人間関係でいざこざがあって帝国での居場所を奪われたらしいが―」
土を掘ったり岩をどかしたり、手を止めずにフルスは説明した。それからポケットから小さなピンセットとビニール袋を取りだし、土の中から何かをつまみ上げた。
俄かに明かされたビクターの正体に驚きながら、ルシエンはぼうっとフルスを見つめていた。フルスは軽快な足取りで歩き寄り、ビニール袋に入れられたものを彼に見せた。親指の爪ほどの大きさの皮膚組織だった。ワームの巨体から剥がれ落ちたもののようだ。半透明で、表面はヤスリのようにざらついている。
「ちょうど、サンプルも手に入った」
「よく見つけたな」些か関心するルシエン。
「事件現場に数え切れないほど立ち会っていると証拠探しが得意になるんだ」
フルスの口角が跳ね上がり、不敵な笑みを見せた。
「さあ、早速行ってみよう。これは大事件の匂いがする」




