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2ー5


 私は中央の下町で生まれ育った。父親はおらず、母だけがそばにいた。

 母は器用で複数の仕事をかけ持ちしていたが、私はその間その勤め先で面倒を見てもらっていたので寂しくはなかった。母の仕事が終わればすぐに一緒に帰ることができたし、二部屋しかない小さな家でも母といれば幸せだった。道端で浮人の持ち物を拾い、浮島の歌を初めて知ったのは五歳くらいの頃である。

 しかし七歳のとき、母は病でこの世を去った。病気であることなんて知らなくて、いま思い返すと突然一人になった私を母の勤め先の人達は誰かが引き取る方向で話し合ってくれていたのかもしれなかった。けれど私はいきなりやってきた知らない男に引き取られた。

 それが私の実の父親、ギデオン・アプライド伯爵である。

 成長してから聞いた話では、以前の母はこの家の使用人として勤めていたようで、当時ギデオンには既に妻がいたというのに、ただ一時の遊び相手として嫌がる母に無理矢理暴力を振るったらしかった。初めて知ったときは気持ち悪さと憎しみで吐き気がした。

 ギデオンは私をいつか何かに使える政治的道具としか思っておらず、同様にその妻も私に関わってくることはまったくなく、存在自体を無視されていた。衣食住のすべてが与えられたが母が生きていた間には一つの援助もなく、亡くなってから私を連れ戻すあたり性根の曲がった人間のやることで怒りが湧いた。唯一の拠り所はどれだけ嫌がり邪険にしても諦めず構い続けてくれた兄の存在と、母と何度も繰り返し聴いた浮島の歌だった。

 実の父親が貴族だろうが私は下町で生まれ育った。けれどいつのまにか私は貴族になっていた。

 決してなりたかったわけではない。しかし子供に選択肢などなく、一人きりで逃げることも叶わず、だというなら学べることはすべて学び倒し、堂々と出ていくために自分なりに努力をしたと思っていたけれど……。

 思っていたけれど、この十年、私は努力の方向性を間違えていたのではないだろうか……?








 夕暮れ時の日差しが眩しく目を細める。手を止めて、ぽつぽつと昔の話をかいつまんで喋り終えると、途端に急激に焦燥感に駆られ始めた。昨日出会ったばかりの人にどれだけ自分の話をしているんだ。面白味もなく興味もなかっただろう、慌てて私はごまかすように道具の殻屑を指で払った。


「すみませんっ、話長かったですよね。途中で止めてもらってよかったんですけど」

「いや? 聞けてよかったよ、でも一応アリスは貴族だったってことなんだね。家名を聞いたところで全然分からないからなぁ。ルチアに言われて気づいたよ」


 他人の昔話に付き合わせて迷惑だろうと思ったが、キョウヤは特に嫌な顔をするでもなく、くるみと敷布を片付け始める。邪魔にならないよう手伝うことはせず、しかし一つ気になったので口を開く。


「私が貴族だって分かっていたら、ルチアのために私を連れてこなかったですよね」

「それはないけど」


 即答されて私は目を瞬かせる。


「生まれと、いま目の前で困っている事実は関係ないと思うからさ」


 片付けながら答えるキョウヤの横顔は夕焼けで赤みがかっていた。


「さっきアリスがルチアに凄んで言ったことと似ているね」


 嫌味とかでなく笑顔で言われ、私はぐっと言葉を詰まらせた。どうやら聞かれていたらしい……。時間が経って冷静になると、とてつもなく失礼なことを言ってのけたのがよく分かる。あんなことを言われたら私だって頭に血が上って手を出しそうだ。


「ルチアもまぁ、貴族が嫌いになる事情があったんだ。けど君の言う通り、貴族だからといって頭ごなしに誰彼構わず嫌いになるのは少し違うよね。貴族でも良い人はいるし、貴族じゃなくても悪い人はいるし……。何か分かってくれるきっかけがあればと思っていたけど、アリスがきっかけになってくれるかもしれないな」


 持ち手のある紙袋の中にすべてを仕舞い終えたキョウヤが立ち上がる。同じくスカートを払いながら立ち上がり、私は感じた疑問を口に出した。


「……キョウヤさんって何者なんですか?」


 尋ねてから少し雑な聞き方になってしまったかと考える。聞かれた方はというと、きょとんと一瞬まばたきをした後に破顔した。


「俺のこと気になる?」


 初めて見るからかい混じりの笑みに、私はなんだかしてやられたような気恥ずかしさを覚え唇を結ぶ。


「いえ……何でもないです」

「えぇー何で。何か聞いてくれたら何でも答えるのに」

「聞いても笑ってはぐらかされるってルチアが言ってました、だからまた今度でいいです」

「そっか、じゃあまた今度」


 にこにこと笑う彼の幼子を見守るような視線を感じ、私はむず痒い気持ちをごまかすように眉を寄せる。


「……何ですか?」

「いや、少し気を楽にしてくれたみたいでよかったなーと」


 口調とか、と言われ、確かに昨日会ったときよりも大分肩の力が抜けている自分に気がついた。

 しかし口調より、自分の話を自らしたことの方が私にとっては衝撃だった。聞かれるのも話すのもあまり好きではなかったはずなのに。……不思議な人だ。


「あの、キョウヤさん。話を聞いてくれてありがとうございました」


 浮人だからではない。生まれなど関係なく、彼の人間性がそうさせたのだろう。


「あと改めて、私を連れてきてくれてありがとうございます」


 箱庭を出て他人と言い争って、私のしてきた努力が的外れだったことに気がつけたかもしれない。

 今までの過去を口に出すことで、訪れるかも分からないのにまた今度と言えるほどには、少しだけ前向きになれたような気がした。



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