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エピローグ


「あなたもあの子を見にきたの?」


 大聖堂の入り口脇に立っていると、綺麗な白髪を持つ背中の曲がった高齢の女性に声をかけられた。邪魔になってしまったかと隅に寄りながら、杖をついた彼女が座れる場所はないだろうかとさっと講堂内を見渡す。するとああ、いいのいいの。と、どこか品の良さを感じさせる女性が目尻にしわを刻みながら笑った。


「わたしは何回も見ているから。今日もちらっとだけ歌を聴けて良かったわぁ。こんなに人がいっぱいで、みんなあの子の歌を聴きにきたのね」


 女性が見渡す通り、正面扉が開け放たれた聖堂内は彼女の歌を聴きにきたのだろう人達で埋め尽くされていた。長椅子に腰かける者も壁際に寄りかかる者も、ステンドグラスから差し込む日差しに照らされている。普段教会の神父が教えを説いている中央の卓上前には、たったいま歌い終わった長い黒髪と赤い瞳の女性が大きな拍手を浴びて笑っていた。


「それで、あなたもあの子の歌を聴きにきたの?」


 ちらと見上げながら再度聞かれ、先の質問に答えず失礼したかと、帽子を目深に被り直す。


「ええ、そうですよ」

「あら、あなたもあの子のファンなのね」

「もちろん。歌も素敵ですが、踊りも素晴らしいことをよく知っています」


 微笑むと、女性はまぁ、と懐かしむように目を細める。


「わたしもこの東部から見にいったわよ、去年のいま頃に中央王都の大講堂で開かれた歌踊大会。一年の間に二度開かれるのも驚いたけれど、あの子と他の四人の女の子達の舞台は生きてきて衝撃的だったわぁ」


 小さな瞳に少しの興奮の色が見え、自分のことではないのに嬉しくなる。彼女のような年配の人にも活気を与えられていた現実を直接知り、誇らしげに思った。


「どうでしたか? 率直な感想は」

「そうね、見ていてとても楽しくなったわ」


 何より女の子達が楽しそうに歌って踊っていたから好きになったのよ、と女性は続ける。


「だからあれからこうして東部に歌姫として来てくれたあの子を追いかけているの。あなたも同じなのでしょう?」


 年齢など関係なく仲間を得たとばかりににっこりと見上げてくる女性に、思わず笑って頷いた。


「そうですね、俺もあれからずっと追いかけています」








 ただいま、と小さく呟いて靴を脱ぐ。リビングに入るとさすがに太陽の熱はこもっておらず、涼しい部屋の空気に私はふぅと一息ついた。今日は住んでいる町の大聖堂で仕事があったので徒歩で行ってみたのだが、意外と外の気温が高く到着する頃には顔が真っ赤になっていたようで、現地集合した予定を管理してもらっている庶務担当の方にひどく心配されてしまった。したがって帰りは手配された馬車で家に帰宅したわけだが、そろそろ腰まで伸ばしている黒髪を思いきり切ろうか頭を悩ますところである。

 ソファに鞄を置き、自分もどさりと腰を下ろす。目を閉じると遠くから微かに住宅街を行き交う人達の声が聞こえる。歌踊職人となり、東部領の行事を回ることが決まってもうすぐ一年。貸し与えられた二階建ての家屋に一人で暮らし始めてからも同様で、しかし自分一人だと広すぎるこの家にも慣れてきた頃合いだった。

 最初は不安ではあったけれど、近所に住む人達が優しく話しかけてくれてすぐさまそれは消え去った。初めて訪れる地方で分からないことしかなかったが、仕事の際は庶務担当の女性が必ずついてくれていろいろと丁寧に教えてくれた。だんだんと顔を覚えてもらっていくことも嬉しくて、初めての一人暮らしと仕事をこなしているとあっという間に季節は夏となっていた。

 目を開き、先程の大聖堂での景色を思い出してぼんやりする。あれだけの広い場所が埋め尽くされるほどの人達が歌を聴きにきてくれて本当に嬉しかった。しかしふと、歌い終えてから何も飲んでいなかったことに気づいて喉の渇きを覚える。歌を仕事とするにあたり喉だけは注意して気遣わなければいけないので、コップを取りにいこうとソファから立ち上がったときだった。


「……? お客さん?」


 玄関の外扉に付けられている呼び鈴が鳴る。たまに近所の方が作った料理をお裾分けしにきてくれたり、仲良くなった子供達が話しにきてくれたりするが、今日もその誰かだろうか。足早に玄関へ行くと、私は扉の向こうに聞こえるように声をかけた。


「はい。どちら様でしょうか?」


 尋ねると大抵は名乗りが返ってくるのだが、しかし待ってみても返事はなかった。もしかして聞こえなかったのだろうかと靴を履き、鍵を開けようと扉に近づくと、遅れて声が返ってきた。


『えっと、アリス、……さんの、お宅でしょうか』


 その声を聞いた瞬間、私はその場に立ち尽くした。

 じっと目の前の扉を見つめる。いやでも、もしかしたら聞き間違いかもと、勝手に速くなる心臓を手で押さえる。似ている声の人かもしれないしと、冷静に努めて鍵を開けると、再び声が聞こえてきた。


『あの、俺……キョウヤです。キョウヤ・シノミヤです』


 けれど、不意に疑問の答えが飛んできて、今度こそその場を動けなくなった。

 本当に…………本当に? 目頭が一瞬で熱くなる。喉の奥が詰まって苦しくなる。笑って手を振った一年前の彼の姿が鮮明に思い出された。

 あの場でずっと待っていた。日が暮れたため家に戻り、翌日も一人で出向いた。大会での審査では良い成績を残すことができたみたいで、無事に歌踊職人となれたことを誰もいない場所で報告した。

 一週間経ち、一ヶ月経ち、不安と寂しさでどうにかなってしまいそうなときもあったけれど、いつも近くには兄とルチア達みんながいてくれた。下を向いたままではいけない、信じてずっと待っていると言ったのだ。いつか必ず帰ってきてくれる彼のために、前を向いて生きていようと決めた。彼は嘘をつかないのだから。


『俺のこと……覚えていてくれますか?』


 少しだけ不安が混じって小さくなった声に、溜まった涙が溢れ出す。忘れるわけがない、そんな当たり前のことを自信なさげに聞いてくるのは、疑うまでもなく私が好きになった彼だった。


「キョウヤ、さん……」


 久しぶりに名前を呟く。ゆっくりと扉を開ける。滲んだ視界に映った彼は既に泣きじゃくる私に驚いていて、


「キョウヤさんっ…………!」


 けれど勢いよく抱きついた私をしっかりと両腕で受け止めてくれた。


「おかえりなさいっ……!」


 嗚咽をもらしながら私はもうそれだけしか言えない。キョウヤは痛いほどに力強く抱きしめてくれる。


「うん……っただいま、アリス……!」


 お互い泣いて、笑って、声を上げながら。これからも喜びを共に分かち合って、幸せの道を歩んでいくのだと、温かな体温を感じながら確信した。























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