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7ー11


 着替えを終え、身だしなみもそこそこに早足で大講堂を出る。大盛況で幕を閉じた大会の熱気がまだ冷め切らぬ中、人波を縫って王城へと続く門扉が立つ大広場へと躍り出た。横幅の広い大通りの端に馬車が間隔を空けて停車している。キョウヤが待っている馬車はどこだろうと目を凝らすと、道端に寄っている姿が目に入った。


「キョウヤさん!」


 そばに駆け寄り上がった息を整える。出番を終え、余韻に浸る間もなくみんなに背中を押されてすっ飛んできた。これから一緒に馬車で下町へ行き、私達が出会った木々の開けた円形の広場からキョウヤは浮島に戻るみたいなのだが、なんだか彼の様子がおかしく見えた。


「キョウヤさん……?」


 声をかけても返事がない。けれどこちらを見つめてくる。しかし何か考え込んでいるようなぼんやりとした表情だ。二曲を披露した後の観客の反応は嬉しくなるほど自分でも良かったと思ったのだが、もしかして彼にはあまり響かなかったのかと物凄く不安になった。


「あの、もしかして私達の舞台、あんまり良くなかったですか……」


 思わず悲しげな声を出してしまうと、キョウヤは弾かれたように目を開いた。


「ちっ、違うよっ! そんなわけないっ、ごめんそうじゃなくて……っ!」


 身を乗り出して弁明する必死さに今度は私の方が目を瞬く。一体どうしたのかと見ると、キョウヤは眉を寄せて何かを言おうと口を開けたり閉じたりしていた。うまく言葉にできないことがもどかしいような様子で、私にも身に覚えはあるので大人しく見守ることにする。


「っ……アリス」


 すると、名前を呼ばれた声が思いのほか真剣でどきりとしてしまった。周囲はざわざわとしているのに、その低い声ははっきりと耳に届いた。


「俺と結婚してください」


 ーーそしてその唐突なプロポーズもはっきりと。


「えっっっ……!?」


 あまりに突然な内容に驚きすぎてとてつもなく大きな声が出る。それを聞いた行き交う人達がこちらを見て、キョウヤの言葉がちょうど聞こえたのだろう人達が「ちょっ、あの人いまプロポーズしたんだけど!?」と声を上げたことで知らない人々にも騒ぎが伝わっていく。立ち止まっては興味深げに眺められ、そこで初めて私は彼の言葉は現実であるのだと理解し真っ赤になった。


「あっ、あの、キョウヤさんっ……!? ここっ、た、たくさん人がいるんですけどっ……!?」

「いや俺も一瞬そう思ったよ……! プロポーズするときはちゃんとお兄さんに許してもらってからとかなんか雰囲気のある場所を見つけてからとかいろいろ考えていたんだけど、でもその、さっきの舞台を見たらさ……。嬉しくて…………本当に何も言葉が出てこなくて……。いま言われても絶対に困るだろうと思ったけど、言わずにはいられなかったんだ」


 そうして再び真剣な眼差しを向けられ、溢れる感情をそのままぶつけられているようで信じられなかった。


「アリス、これからも俺とずっと一緒に生きてください」


 もう一度のそれに周囲の人々から歓声が飛ぶ。いつのまにか囲まれていて、どこを向いても視線が刺さり羞恥でどうにかなってしまいそうだった。けれどキョウヤはじっと返事を待っている。馬車の中に逃げることは簡単だったが、それでは二度も想いを伝えてくれている彼に対して誠実ではなくなるのでそんなことできない。

 舞台上でもこれほど喉は渇かなかった。袖で待機していたときよりも心臓が速くなり壊れそうだ。たくさんの人に見られていることで全身は燃えるように熱く、なぜこんなことになっているのか分からなかったが、しかし私はもうどうにでもなれと意を決した。


「わっ……私でよければっ、ずっとあなたの隣にいさせてください……!」


 しんとその場が静まり返る。何で……? もしかして変なことを言っただろうか。返事ってどう答えるのが正解なの……? 初めてのことにわけが分からずさらに混乱しながら声を上げた。


「キョウヤさん、私と結婚してくださいっ!」


 勢いに任せて頭を下げると、一拍置いて大喝采が巻き起こった。あまりの恥ずかしさに限界を感じ、耐えきれず私はキョウヤの背中を馬車に向かって無理やり押す。急かしていると入るときに頭をぶつけてしまっていたがそれも構わず、逃げるように滑り込んで扉を閉めると私は御者に行き先を告げた。カラカラと車輪が回り始め、拍手が後ろに遠ざかっていく。

 何だったんだいまの状況は……。大きく息を吐くと、隣でキョウヤが見つめてくることに気がついた。ぶつけた頭を手で押さえている。鈍い音がしていたのを思い出して私は慌てて手を伸ばした。


「すみませんっ、大丈夫でしたか? 痛みが残らないといいんですけど……」

「うん、大丈夫だけど…………現実だよね?」


 きょとんとした表情で見返してくるキョウヤがそんなことを言うので手が止まる。あれだけ人がいる場所でこちらを翻弄しておきながらいつかのキスと同じようにすぐさま信じられないのかと、プロポーズされた瞬間に現実なのか信じられなかった私が言うのもなんだがほんの少しむっとなった。


「……さっき私が言ったこともう忘れてしまったんですか?」

「忘れないよ、ちゃんと覚えた。でも、アリスから結婚してほしいって言ってくれるなんて思ってもなかったからびっくりして……。返事も、受け入れてくれたことも全部すごく嬉しくて」


 そんな私の気持ちとは正反対に純粋な心で、キョウヤは目を細めてはにかんだ。


「俺の言葉に頷いてくれてありがとう、アリス。今日は嬉しいことばっかりで、生きてきて一番幸せだ」


 片手を取られ、慈しむように触れられる。その顔を見上げ、私は先程伝えてくれたことを思い出して今更だんだんと顔が熱くなり、心臓もどきどきと速くなった。


『これからも俺とずっと一緒に生きてください』


 頭の中で反芻するとじわじわと現実味を帯びてきて、本当に彼に結婚してほしいと言われたんだなと初めての幸福感に包まれる。下町で生まれ育ち、成り行きで貴族になって、そこからはほとんど引きこもってばかりいたこんな私と一緒に生きたいと言ってくれる。


「舞台さ、みんなが母さんの曲を歌ってくれて、俺本当にびっくりした」


 手を繋いだまま、時たま馬車が振動して体が揺れる。


「もちろんみんなが一からすべて作り上げた新しい歌も本当にすごかった。歌だけじゃなくて踊りも衣装も、表現の仕方とかもう全部。語彙力がないから同じことしか言えないんだけど……まばたきも忘れていたんじゃないかって思うくらい目を奪われていたよ。他のお客さんの反応を見ている暇なんてないくらい、ずっと君達だけを見ていた」

「……楽しんでもらえましたか? 少しでも明るい気持ちになってもらえましたか?」

「当たり前だよ! 正直俺は感動しすぎて、感情がとんでもないことになって泣きそうになった。自分の知っている人達が、自分が好きな人達がこんなに大きな舞台で母さんの曲も歌ってくれて、本当に嬉しかったんだ」


 そして彼は再び幸せそうに微笑んだ。


「素敵な舞台を見せてくれてありがとう」


 喜んでもらえたらと思っていた。

 足を運んで見にきてくれた人達に向けてもそうだけれど、キョウヤにもサプライズで彼の母親の歌を送ることで。たくさんの人に私が歌を好きになったきっかけのこの素敵な歌を聴いてもらいたかったし、少しでも彼の心が明るく笑顔になってくれたらそれだけで嬉しかった。なのに、こんなに喜んでもらえるなんて、私の方が感謝しても足りず泣きそうになった。


「あとで他のみんなにも伝えておいてくれると嬉しいな」

「はい……必ず伝えておきますっ……」

「なんか、話したいことが本当にたくさんありすぎてさ……。そうだ、アリスは結婚式はこういう風が良いとかある? あっ、俺戻ってきたらちゃんと一生懸命働くから! いまは置いといて、やっぱり知り合いだけを呼べるような小さな教会とかかな。俺はアリスと一緒にいられたらそれだけで幸せだけど、思い出はいっぱい作ってほしいからーー」


 未来の話を楽しそうに語るキョウヤの顔はきらきらと輝いていた。つられて私も想像しては楽しくなり、手持ち無沙汰なお互いの手を触って遊びながら笑顔になる。

 馬車が停止するまでずっと、私達は確実に訪れる未来を語り合っていた。








 その場所にキョウヤと一緒に訪れたのは初めてで、家出した夜に出会った日から三ヶ月ぶりだった。そして今日は一度お別れをする。お昼を過ぎた太陽は空高くにあり、日差しはさんさんと降り注いでいた。


「……まだ三ヶ月しか経っていないんですね」


 敷き詰められた砂利道を歩き、開けた広場に出る。出会った夜はここからたくさんの星々が見えた。鬱憤を晴らすように歌っていたことがとても昔のように思える。


「そうだね……不思議だけどもうずっと一緒にいるような気がするよ。でもよく恋をするのに時間は関係ないって聞くからこんな感じなのかもね?」


 笑って返される言葉に確かにと身をもって知った気分だった。家を出たときは自分が誰かを好きになることというか恋愛のことなんて微塵も考えていなかった。この一ヶ月は数回しか会えていないから実際一緒に過ごしていたのは二ヶ月ほどだ。その期間で結婚を誓い合う関係になるなんて柄にもなく運命のようだと感じたりした。

 キョウヤが一本の大木の近くに寄る。そこが浮島へと移動する場所で、お別れの場所だった。昨日は散々泣いて、いまは馬車の中で時間を惜しんでたくさん喋った。明るく笑って見送ろうと思っていたのに、やはり寂しさがひっそりと押し寄せてくる。


「はぁ〜……行きたくないな〜〜」


 うなだれてため息を吐くキョウヤは素直で少し笑ってしまう。昨日まで正直な気持ちを口にしてはいけないと勝手に思っていたけれど、彼の前では我慢しなくていいのだと教えてもらった。


「私も……行ってほしくないです」

「でもこう言っておきながら、十分後にはもう戻ってきているかもしれないんだけどさ」

「だったら私、しばらくここで待っています。みんな私の家に集まっていると思うので、キョウヤさんも一緒に戻りましょう。審査の結果も少し気になりますし」

「そうか、そうだったよね。でもアリスなら絶対問題ないよ! 俺が保証する。って言うと、もしかしてプレッシャーになるのかな……?」


 向かい合って笑い合う。彼が言うように十分後、もしかしたら私達はこの場所で同じように笑い合っているのかもしれない。けれど、それでも。


「キョウヤさん。私、キョウヤさんがいなかったら寂しいです」


 正直な気持ちを伝えて、笑顔を浮かべる。


「だから、早く帰ってきてくださいね」


 大丈夫だ、もう涙が流れることはない。あとは信じるだけだから。

 彼の顔が近づいてくる。かすめるように一瞬だけ唇が触れ合い、離れていく。


「ああ。絶対に君の隣に帰ってくるよ」


 太陽のような明るい笑顔を私は目に焼きつけた。


「それじゃあアリス」


 彼の体が離れていく。手を伸ばしても届かない距離へ。


「またすぐに会おうね。それまで、ばいばい!」


 そうして子供のように笑って手を振るキョウヤは、まばたきした次の瞬間にはどこにもいなくなっていた。

 さわさわと木々の梢が揺れる。途端に自然の音が耳に入る。鳥や虫の声、風の音、葉の匂い……彼が好きだと言ったこの国で生きている命の数々。彼のおかげで私もそれらを同じように愛しく感じることができた。

 青空を見上げる。ここからだと小さな浮島はまだ宙に浮かんでいる。いまこの瞬間、彼はあそこにいた。近いようで果てしなく遠い距離。けれど私は待つと誓った。

 何があったとしてもずっとずっと待っている。この気持ちが揺らぐことなどありはしない。

 声に出さずに名前を呟く。既に恋い焦がれているこの感情を会って早く伝えたいと思った。








 メインコントロール室へと足を踏み入れる。前方中央に浮かぶ液晶パネル前まで歩み寄り、何の異常も起こっていないことを確認する。あとは自分の声帯と指紋の認証、移送開始の入力をして、全速力でこの島を出るだけ。結局ジンと頭を捻らせたものの一分以上の猶予を作ることは不可能で、最後は自分の運動能力に賭けることになってしまった。改めて考えても何とも格好つかない話である。


「問題ないか」


 こんなときでも普段通りの淡々とした声に振り返る。ジンが扉の横壁にもたれかかっていた。相変わらず気配を消して動き回る機械人形だ。


「いまのところは。始まったらどうなるか分からないけど」

「それは俺も分からない。問題がないならさっさと始めたらどうだ」

「ジン、お前はこの島と一緒に戻るのか?」


 分かりきっていたことを今更聞いてしまう。案の定ジンは面白くなさそうに眉をひそめた。


「当たり前のことを聞いてどうする」

「……そうだな。じゃあここでお別れだ」

「ああ、せいぜい生きるんだな」


 何の感情も乗っていないような素っ気ない返事だったが、そんなことを言われるとは思わず俺は驚いて目を瞬かせた。そのまま去るかと思いきやジンは場所を動かない。一応最後まで見ていてくれるつもりなのだと気づき、分かりづらい気遣いに苦笑した。

 機械人形であるジンがこの世界に残ったところで動力源がなくなり、いつかは停止するだけだ。しかしそれがジンがこの国に残らない理由ではないとなんとなく理解する。

 ありがとうと返すのも何か違う気がして無言で背を向ける。水色に淡く光るパネルの画面は認証モードへと入っている。その画面の一部に触れながら声帯と指紋の認証を終え、文字の羅列は切り替わった。


『移送を開始しますか?』


 息を吸って大きく吐き切る。導線は何度も確認した。扉はすべて開け放し済みだし、焦って転んだら一巻の終わりだが、想像するとなんだか笑いが込み上げてきた。

 大丈夫だ、もう弱音を吐くことはない。あとは信じるだけだから。

 早く帰ってきてと言ってくれた彼女の寂しそうな笑顔を思い出す。その笑顔を幸せなものとするために、俺は覚悟を決めるとパネルに両手を滑らせた。








 二十年前、突如としてハルシア大国の遥か上空に現れた浮かぶ島は、ごく一部の者達にしか知られることなく再び唐突に姿を消した。

 その後、何日経っても何ヶ月経っても、彼が私のところに帰ってくることはなかった。



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