表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/57

7ー8


「ここが、アリスの家……」


 きっちりと門扉が閉じられ白い外壁に囲まれた屋敷を仰ぎ見る。二週間ぶりに降り立ったハルシアは夏も真っ盛りで朝から日差しは強く、自然の明るさに目を細めた。島の上だと陽の光でさえ人工的に調整されてしまうので、日向に立ち止まっていると暑くなる肌の感覚に安心する。自分はちゃんと人間なのだという事実を思い出させてくれるようだった。

 中央の下町から馬車で一時間もかからずセントレアへ着く。しかしその途中通った街中はそこかしこに装飾が施され、道端には準備中の露店が並べられ、これから始まる祭りに向けて人々が忙しなく行き交っていた。伝統ある歌踊大会が開催される際は毎年このような感じなのだろうか。訪れたことがないので分からなかったが、活気溢れた街の様子は見ているだけで活力をもらえるものだった。

 ジンに教えられ、城下街とは打って変わって閑静な貴族街を歩いてこの場に到着した。公爵邸とは比べられないが、さすがに伯爵家なだけあって広大な敷地だ。忘れそうというか忘れているがアリスも一応れっきとした貴族なのだ。本人はあまり好んでいないが、そんな彼女と偶然出会えたことは運命だったのではと柄になく思う。

 門扉から玄関扉までも距離があり、広い庭があることも覗き見える。しかし使用人の姿が一人も見当たらずどのように訪ねるべきか迷った。勝手に入ってもよくないだろうし、かといってここから声を上げたとしても聞こえないだろうし……。はたから見れば不審者の動きをしていることこの上なかったが、頭を悩ませていると唐突に門扉の向こうに人が現れて飛び上がった。


「うわっ!?」

「おはよう、シノミヤ殿。久しぶりだな」


 朝から爽やかな笑顔のアルフェンが鍵を開けて門を開く。今日は騎士団副団長の仕事は休みなのか気楽な格好をしていて、普段のかっちりとした貴族衣装しか見たことがなかったので一瞬誰かと思ってしまった。慌てて背筋を伸ばして会釈する。


「お久しぶりですアルフェン殿。驚いて声を上げてしまい失礼しました」

「構わん、庭の手入れをしていたら貴殿の姿が見えたのでな。話は聞いている、早速アリスを呼んでこようか」


 と言いながらも彼はその場を動かない。怪訝に思いつつ、両手の手袋が土で汚れていることに気づき、当主が自ら庭の手入れをするのかとそちらの方も不思議に思う。趣味なのだろうかと思ったところで、寝癖なのかところどころ跳ねている髪のままのアルフェンが鷹揚に口を開く。


「詳細は知らないが、どうやらアリスを泣かせない努力をしてくれているみたいだな」


 精悍な顔に見据えられて内心ぎくりとした。


「…………既に一度、泣かせてしまいましたが」

「そうだったのか? それはいま初めて聞いたぞ」


 そして無駄に墓穴を掘り思わず顔がひきつってしまった。反対に彼は楽しそうに笑う。アリスを何よりも大切にしているようなので何か言われるかと思ったが……。温かな目で見守られている感覚が物凄くいたたまれなかったが、彼女と一緒に生きるという誠意は彼女の唯一の肉親である彼にはしっかりと示さなければいけない。次に話せる機会がいつ訪れるか分からないのだ、俺は姿勢を正すと真正面から彼を見据えた。


「今後も私の不甲斐なさから何度も泣かせてしまうかもしれません。ですが、貴方が大切になさってきた妹君の笑顔は、今度は私が全力で守っていくつもりです。だからこれから彼女と一緒に生きていくという道を、どうか許していただきたい」


 本当はこのような家門の前で話すことでは絶対なく、ちゃんとした場を設けてする話題だ。しかし明日以降はどうなるか分からないからいま伝えるしかなかった。どうなるか分からないのにアリスと一緒に生きたいと豪語するのは矛盾で溢れていると分かっていたが。


「つもり、では困る。断言してもらわなければ」

「……守っていきます。何があったとしても」


 それでも伝えておかなければとそう思った。自分より背の高い、真剣な彼の表情に気圧されないよう毅然とするが心の中で冷や汗が伝う。数秒であるはずなのに何十倍も長く見つめ合っているような感覚がした。

 するとがちゃりと玄関扉が開かれる音がして、張り詰めていた空気が緩む。扉の隙間から見慣れない長い金髪の女性が顔を覗かせていたが、俊敏に引っ込むと続いて出てきたのはエフィネアだった。なぜアリスの家にと驚いているとアルフェンが得心したように言う。


「昨夜はアリスのご友人方も我が家で一泊したんだ。大会の練習は終わり、今日は一日自由行動するらしい」


 その間にもエフィネアの後ろからカロンが飛び出て駆けてくる。眠そうなルチアも歩いてきて、交代とばかりに彼は笑ってきびすを返す。


「何度泣かせたとしても、最後に妹を笑顔にしてくれればそれでいい。俺はこれまで通りアリスを見守っていくだけだ」


 そして手袋を外しながらそのまま家へと去っていった。もしもすぐさまアリスの元に戻れなかった場合、彼女のそばにはアルフェンがいる。彼女との今後について許してもらえたのかどうかは分からなかったが、それだけは確実に安心できることであった。


「キョウヤくんっ、おはよう」


 途中アルフェンにも律儀に挨拶し、駆け寄ってきたカロンは朝から溌剌としていた。夜更かしでもしていたのか目元をこすっているルチアものろのろと隣に並ぶ。


「おはよう、カロン、ルチアも。みんなでアリスの家に泊まってたんだ? 知らなかったよ」

「キョウヤくんがいないのは残念だったけど、楽しかったよ。今日はキョウヤくんとアリスちゃんは一緒にお出かけするんだよね?」

「空いている時間があるならって手紙で一応伝えたんだけど……。本番は明日だけど、今日は練習はないのか?」

「練習は一昨日で最後だったわ。今日はそれぞれ自由行動、休み」


 ふわぁとルチアが小さくあくびをする。確かに前日まで根を詰めているのは良くないか。忙しそうなら諦めようと思っていたが、疲れを残さない程度に街を見て回ることができそうで安心した。

 するとルチアがじっとこちらを見上げてくる。なんだか珍しいその視線の意味が分からなくて首を傾げた。


「……どうした? なんか変か、俺」


 さすがに暑いと思い半袖のシャツを着用した。ブーツもやめて革靴を履いている。ネクタイの先が邪魔なので折って胸ポケットに入れ、一昔前の腕時計を手首に付けてきたが、もしかしてどこか変だっただろうかと不安になるとルチアがぽつりと口を開いた。


「……アリス、なんか変よ」


 鋭い指摘にどきりとする。ルチアがこう言うということは、アリスはみんなにも不安を隠しているということだ。それはそうだ、詳細は彼女しか知らないのだから。


「詳しくは分からないけど……ちゃんと戻ってきてね」


 けれど目の前の彼女も不安げに視線を落とす姿が珍しく、胸の奥を強く掴まれたような感じがした。察しが良い彼女はアリスの様子から事が問題なく運ばないことに思い至ったのかもしれない。澄ましていて勝ち気な性格のルチアもまだ十五歳なのだ。子供扱いするなと言ってはくるが、こうして素直に弱い部分を見せてくれるのは長い付き合いなのでやはり嬉しくて、しかしうまく説明できないことが申し訳なくて。けれど心配してくれる気持ちは温かく、兄妹とはこういうものなのかもしれないと感じた。


「戻ってくるよ、必ず。部屋に荷物も置きっぱなしだからな」


 桃色の髪を撫でてみると、いつもは素早く避けるのにいまは黙って受け入れてくれた。五年前に路上でへたり込んでいた彼女と出会ったときのことを思い出す。あれから本当に大きくなったなと感慨深くなる思いだった。


「っ……明日の舞台、絶対ちゃんと見にきてよねっ!」


 途中で恥ずかしくなってきたのか手のひらから逃れると、真っ赤になったルチアは早足で玄関へと戻っていく。隣で眺めていたカロンも嬉しそうににこやかに笑った。


「練習頑張ったから、キョウヤくん絶対見にきてねっ」

「ああ、もちろん! 楽しみにしてるよ」


 言うとルチアを追いかけてカロンも駆け足で去っていく。彼女達を見送ると、少し離れた場所でやり取りを見守っていたエフィネアがしずしずと近づいてきた。


「おはようございます、キョウヤ様。お久しぶりですね。お忙しいとお聞きしていましたが、お元気でしたでしょうか?」


 リンドバーグで別れ、およそ一か月ぶりに会ったエフィネアは夏の装いになり身軽そうだった。ということは先程の金髪の女性が話で聞いたイザベランカだったことに今更ながらに気がつく。


「お久しぶりですエフィネア嬢、気にかけてくださってありがとうございます。練習は一度も伺えなかったので、明日の舞台を楽しみにしています」

「ええ、わたくしも含めて皆さんとても頑張りましたから、ぜひ楽しみにしていてくださいませ。そうしましたは、キョウヤ様にはこちらをお渡ししておきます」


 そう言って手渡されたのは紙片であった。店の名前なのか、どこかの住所とともに達筆な字で書かれてある。


「貴族街を出て城下街に移ったすぐの場所に、富裕層が利用する高級宿泊施設があるのですが、本日一室予約しておきましたのでアリスさんとご一緒に宿泊なさってください」

「…………えっ?」

「昨夜は皆さんとご一緒に入浴しまして、逃げようとなさるアリスさんの肌を今日のために磨きに磨き上げましたから。長い髪も丁寧に洗って艶やかになりましたし、少々乱れてしまっても絡まることはないでしょう」

「……どこからが冗談ですか?」

「後半は冗談半分です。けれどすべて事実ですので、どうぞごゆっくり宿泊なさってくださいね」


 にこりと微笑んで去っていく後ろ姿を呆気に取られながら見送る。確かに今日泊まる場所はまだ決めていなかったが、つまりアリスと一緒に泊まるということ……? おそらく二人きりになれるようにしてくれたのだろうが、配慮の方法が一般的なそれとはかけ離れすぎている。高級宿泊施設とは……少し楽しみな気はするが。


「キョウヤさん!」


 すると入れ替わりにアリスが駆け寄ってきて、その姿に息をのんだ。普段下ろしたままの髪はハーフアップにまとめられ、夏らしいひまわりの髪飾りが付いている。白いシャツは変わりないがスカートは鮮やかな桃色で、合わせているのか足元も踵の低い薄桃色のヒールを履いている。もちろん贈った髪留めも身に付けてくれて、白いポシェットを肩からかけ、いつもはあまり目立たない色合いの服を着ていたアリスだったが、着飾って華やかになった彼女はまばたきを忘れるくらいに眩しくて綺麗だった。


「おはようございます、お待たせしてしまってすみません! 少しバタバタしていたので……」


 門を閉じてアリスがふうと一息つく。そしてその顔に目立たないほどの化粧が施されていることにも気づいてしまった。今日のために時間をかけて着飾ってくれたのだろうか。その気持ちがとても嬉しかったし、二週間ぶりなこともあって並んで一緒に歩くのが緊張するような心持ちだった。


「おはようアリス、俺の方こそ訪ねる時間を書かなくてごめん。昨日はみんなアリスの家に泊まったんだね? さっきルチアから今日はそれぞれ自由時間って聞いたけど、一緒に街中見て回れそう?」

「はい! 練習は一昨日で終わりにしたので。……あの、エフィネア様から何か聞きました?」


 彼女がそわそわしながら上目遣いで見つめてくる。その破壊力に思考が停止しそうになったがなんとか握ったままの紙片を見下ろした。


「あ、ああ、さっきこれをもらったよ! 宿泊施設を予約したから、……君と一緒に泊まるようにって言われたんだけど……」

「そっ、そうなんです。だいぶ前から予約してくださっていたみたいで、私も昨夜聞いてびっくりして……。大会の衣装とか必要な物は明日みんなが直接大講堂に持ってきてくれるみたいで、だからゆっくりしてきてって気を遣ってもらったんですけど……。その、キョウヤさんは嫌ですか……?」

「いっ……!? 嫌なわけないよ! 君と二人きりになれて嬉しいし、でも外泊はお兄さんが許してくれるのかなって」

「お兄さまにはお許しをもらいました。……私もキョウヤさんと一緒にいたかったので嬉しいです」


 化粧の上からでも分かるほどに頬を染め、照れたように笑う彼女に心臓を鷲掴みにされる。心臓が早鐘を打ち、何か返さなくてはと思うのに何も言葉が出てこない。ふと長い黒髪の毛先が緩くカーブしていることに気づき、これも自分のために時間をかけてくれたのだと思うとこの場で抱きしめてしまいたくなった。

 先にアリスの口が僅かに開く。けれど、躊躇ったようにその唇は閉じられた。まるでごまかすように作られた微笑みを間近で見て、浮ついた自分を叱咤するようにルチアの言葉が頭を過ぎる。アリスの様子がおかしいと。


「ゆっくり歩いていけばちょうど始まる頃でしょうか? こういうお祭りを誰かと見て回るのは初めてなので、楽しみです」


 もしかするとエフィネアも気づいていたのかもしれない。ゆっくり休んで、アリスの話を聞いてあげてほしいという意味も含まれた宿泊なのだろう。……二週間前に無理して笑った彼女を見てからずっと心配で仕方なかった。飲み込んで蓋をしてしまっている気持ちを今度は俺が引き出してあげないといけない。


「俺も同じ、初めてだから楽しみだ。……アリス、今日はすごくかわいいよ」


 手を取ってその指先に口付ける。ひゃっ、と驚くかわいらしいその声をずっと聞いていたいと思う。


「あんまり他の人にその姿を見せたくないけど……でも、そろそろ行こうか」


 指を絡めて優しく握る。アリスは顔を赤くして固まっていたが、小さく頷くと強く握り返してくる。そのままそばに寄ってきたので空いた片手が無意識に頬に手を伸ばしそうになったが、住宅街であるのでさすがに我慢するとようやく足を動かし始める。彼女の歩幅に合わせながら速くならないように、城下街まで寄り添って歩く。

 嬉しそうな表情の中に時折見える寂しさを、このまま黙って見過ごすことはできない。けれど街中で楽しんでもらいたいのも本当で、努めて明るく振る舞おうと俺は気を引き締めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ