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7ー7


 それから大会の二日前までお互い会うことなく、私の方は練習に時間を費やした。

 衣装と振り付けも完成し、楽団の奏者も選定される。日程には余裕があるように感じていたが、そこからは意外とやることが山積みで瞬く間に日は過ぎていった。

 大講堂でリハーサルなどできない。ラズベル公爵邸で壁一面が鏡張りのダンスホールを借り、伴奏なしで歌唱しながら踊りを合わせる練習をする。どちらかと言えば優先されるのは踊りより歌だ。どんな動きをしても伸ばした声が途切れないようにするのは難しく、みんなで顔を突き合わせては修正することを繰り返した。今回の舞台上は広く、観客も多い。そのため動作を大きくしなければいけないし、奏者の数を抑えたとはいえ歌を講堂内に響かせる声量は私やイザベラでも力を入れる。ルチアはともかく、エフィネアや特にカロンにとっては物凄く大変なことで、どうすれば声がかき消されないか奏者も交えて話し合いをすることも多々あった。

 一週間前になると、王城周辺や城下街から浮ついたような空気に変わる。どうやら大会の前日からお祭りのように、あちこちでバザールやイベントが合わせて開かれるようだった。大会に参加する人達も続々と中央に集まってきているようで、楽器や衣装を抱えた団体とも時折道端ですれ違う。四年に一度の厳粛なものとは違う、身分を問わない歌踊大会の開催に下町も合わせて便乗しているようで、セントレア全体が大会に向けて忙しなく各々の準備を始めていた。

 いまの自分にできることはこれしかない。後悔しないように努力を重ね、お客さんも自分達も楽しめる舞台を五人で作り上げること。私にだけ審査があり、良い成績な残せることを望んでいても、決して独りよがりの舞台になってはいけない。一から作り上げた一曲も、彼の母親が作った一曲も、どちらも全力で真剣に、けれどみんなと息を合わせて最後まで披露することが一番大切なことだった。

 そうして大会の二日前。前日までの練習をすべて終え今日は一日体を休めることにして、夜はみんなで私の家に泊まることになった。日が暮れる前に馬車で訪れたエフィネアと落ち着かない様子のイザベラを私は門扉で出迎えて、家の中に戻ろうときびすを返したときだった。


「おい」


 急に声をかけられて驚きに振り向く。すると閉めた門扉の向こうにジンが普段と変わらぬ表情で立っていた。


「ジンさん……!? すみません、いま開けますので、」

「いい。あいつからだ」


 言葉を遮り、隙間からそれを差し出してくる。いつか私が書いたような折り畳まれた便箋で、見ただけで心が舞い上がったが平静を保って受け取った。


「渡したからな」

「えっ、あの、待ってくださいっ」


 それだけ言うとジンはそのまま去っていこうとしたので私は慌てて呼び止めた。真夏には目立つ黒一色の彼が面倒くさそうに立ち止まる。思わず呼び止めてしまったが……前々から疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。


「ジンさんは、どうされるんですか?」


 キョウヤと一緒にこの国に残るのか、それとも島と共に戻るのか。何を考えてキョウヤのことを手伝っているのか気になっていたのだが、しかしジンはどうでもよさそうに吐息した。


「さあな」


 そして今度こそ振り向かずに去っていく後ろ姿を、もしかしたらこれで最後になるかもしれない後ろ姿を、少しの関わりはあったけれど、私は黙って見送ることしかできなかった。手元の便箋を開けてみる。


『明日の朝、アプライド伯爵家に訪ねにいきます。場所はジンから教えてもらったから問題ないよ! 俺は元気だけどアリスは体調とか大丈夫? 前日から街で催し物をするって聞いたから一緒に回りたくて、もし忙しくなかったら付き合ってくれると嬉しいです。それじゃあまた明日、楽しみにしてるね!』


 その内容から明るく笑っている姿が想像できて私は自然と頬が緩んだ。いつかこの国の文字も書けるようにと練習したのだろう。意外と大味で正直読みにくいような部分もあったが、その大雑把加減が料理をするときのとりあえず火を通せば食べられるという考え方の彼を彷彿とさせて、字にも性格が出るのだなあと楽しくなった。機械を触っているときは器用なのに不思議な人だ。

 無理はしていないみたいでほっとしたし、明日のことも誘ってくれて胸が弾むほど嬉しい。いまのところ明日はそれぞれ自由に過ごすことになっているが……。二週間ぶりに会えるのですごく待ち遠しいと思いながら、同時に胸の奥が苦しくなることには気づかないふりをして蓋をした。便箋を畳んで胸ポケットに仕舞うと家に戻り、みんなで集まることになっている応接室へ向かう。ルチアとカロンはもちろん、既にエフィネアとそわそわとしたイザベラも腰を落ち着けていた。


「遅かったけれど何かあった? 今度はジンがキョウヤの手紙を持ってきたとか?」

「ルチアよく分かったね。ジンさんが届けにきてくれて……キョウヤさん、明日の朝に家に来るみたい」

「まあ、そうなのですね! わたくしは一ヶ月以上ぶりでしょうか、久しぶりにご挨拶できたらと思います」


 話しながらカロンの隣に腰を下ろす。彼女も彼に会えることが楽しみなのかにこにことしていて心が和んだ。


「それよりもエフィネア様、イザベラ様、お部屋の方は問題なかったでしょうか? 王城や公爵邸のお部屋と比べると少し手狭かもしれませんが……」

「そのようなことはありません、とても素敵なお部屋を用意していただいて感謝しております。一泊お世話になる身としてレイにもたくさん仕事を振っていただければと。アリスさんのお家で皆さんとお泊まりできることをずっと楽しみにしておりましたから」


 イザベラ様もそうでしょう? と声をかけられた本人は話を聞いていなかったようで素っ頓狂な声を上げた。一ヶ月共に過ごしてみると、出会ったときの彼女の不遜な態度が嘘みたいだと苦笑する。


「イザベラ様、アリスちゃんのお兄ちゃんはまだ帰ってきてないよ」

「へっ……!? あっ、そ、そうだったのですねっ! あたくしってばてっきり既にご在宅なのかと……」

「お帰りになったらご一緒に夕食を取る予定なので、それまではどうか気を楽にお過ごしください」

「そ、そうですわね! お気遣いどうもあっ、ありがとうございます」


 つっかえながら顔を手で仰ぐイザベラはどうやら緊張しているようだった。兄も含めて食卓を囲むのは初めてではないのだが、今日は一泊するのが理由かもしれない。公爵令嬢の二人が泊まることになり気を遣うが、兄を慕う家の使用人達は優秀で、特に何の問題もなさそうでほっとした。

 兄の帰りを待ちながら時間を過ごす。おそらく明日は一日自由となり、明後日の大会までにこうして集まってゆっくりするのは最後だとみんな分かっていた。なんとなく誰も口を開かない中、隣からぽつりと声が聞こえた。


「ちゃんと、誰かに見せられるものになったかな」


 練習中もまったく弱音を吐かなかったカロンの口からこぼれたことに驚いた。けれどそれも一瞬で、私はぐっと身を乗り出す。


「なってるよ! いろんな人に見せられるものに! カロンちゃん、歌も踊りも一生懸命頑張っていたよね? 最初はどっちも初めてだったと思うのに、いまはもうびっくりするくらい上手になってる! だから、自信持って大丈夫だよ」


 カロンが若干不安げな顔をして見上げてくる。そんな彼女をぎゅっと抱きしめてしまいたくなった。この中で一番右も左も分からない状態から挑戦してきたのはカロンで、一番努力したのも彼女なのだ。明後日が一度きりの本番で、不安になるのは当然のことだった。


「そうよ、カロンは元々運動が得意なんだから、正直踊りはお嬢様達より上手だと思うわ。歌だって別にうまく歌えることが一番大事なんじゃない。音程が外れても気持ちが伝わればそれでいいのよ、そうしたら聴いている人達も自然と惹き込まれるんだから」

「ルチアさんのおっしゃる通りですね。それにココットご夫妻もお越しになるのでしょう? 練習した成果といつものカロンの姿をお見せできれば良いのではないかと思います」

「……あたくしの教えたことも素直に吸収していましたし、一ヶ月前よりも上達しているに決まっていますわ。世の中にはどうしようもない下手くそでも自信満々に歌われているような人間も存在しているのですから、もっとご自分に自信をお持ちになってはいかが?」


 胸を張るイザベラの励ましの内容に二人が視線を突き刺すが、私は彼女の本音がおかしくて少し笑ってしまった。そんな私を見てか、カロンの表情も和らいでいく。


「ありがとう、みんな」


 嬉しそうにはにかむカロンを見て、こんな風に思っていることを口に出すことで少しでも心が軽くなればいいと、最後に集まった意味を気づかされた感じがした。


「そうしましたら、わたくしは皆さんに大会が終わった後のことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 すると、ぱちんと両手を合わせてエフィネアがにっこりと笑う。確かに大会後について話したことはなかったが……カロンのように大会当日の不安がなさそうな点は心が強いエフィネアらしいと思った。


「始めにわたくしはですね、皆さんもご存知の通りしばらくしたら王族の旦那様と結婚式を挙げまして、王城に生活を移す予定です。結婚式には皆さんを招待させていただきますので出席してくださるととても嬉しいです」


 誰も頷きも聞いてもいないのに話し出すエフィネアの今後はこの前聞いた通りだった。しかし他愛のない話のはずなのに自分の番が回ってくることに少し緊張する。


「カロンはどうですか?」

「わたしはシスターになるために頑張って勉強して、それから修道院に入れさせてもらえたらなって思う。リンドバーグには大きい修道院があるから」


 カロンも以前聞いた通りだ。ココット夫妻との関係も徐々に良くなっているようで素直に応援したい気持ちが生まれる。無事シスターとなれた後も育った孤児院で働きたいのだろうから、おそらく彼女はリンドバーグを離れることはないのだろう。


「あたくしは何も変わりませんわ。今後も中央の行事に歌姫として出演して回るだけです」

「そしてアルフェン様に想いを告げられるのでしょう?」

「そっ、それは追い追い時期を見て……ですわっ! アリスさんがお幸せにならなければアルフェン様は安心なさらないと思われますしっ!」

「わ、私がですかっ?」


 なぜかイザベラに睨まれた。私に関係なくイザベラの好きなようにすればいいと思うのだが、彼女がそう思うということは兄はもしかして私がちゃんと生活できるまで結婚を考えていないのだろうか。初めて知り、心優しい兄に感謝と申し訳なさを同時に感じた。

 そして流れからかみんなの視線がこちらに集まる。私の番かと何気なく視線を移すとルチアとばっちり目が合った。……そういえば、


「ルチアは……どうするの?」


 彼女と出会ったとき、お店の中の小さな舞台で歌と踊りを披露する姿を見た。お客さんから気持ちのお金をいただいて、目に止まった方の紹介でリンドバーグの交流大会に出られることになって。浮島の歌が好きで、アイドルの踊りと衣装が好きで、それらをいろんな人に見てもらいたい彼女は前に話していた。舞台に立つとなると誰よりも真剣に練習し、賭ける気持ちも強く伝わってきていたから、今後も同じように過ごしていくのだろうと勝手に思っていたけれど。


「そういうアリスは?」


 質問すると質問で返される。そっちが先に話しなさいよという久しぶりの圧を感じ、それほど昔ではないのに出会ったときのことを思い出してなんだか懐かしくなった。いつのまにか硬くなっていた体から力を抜き、私はまとまっていないながらも口を開く。


「私は……もし大会で良い結果を残せて、声をかけていただけたらイザベラ様と同じ歌踊職人になると思う。そのときはたぶん地方のどこかに配属されるだろうから、その地域で生活していくんだろうなって」

「もしだめだったら?」

「だめだったら、一度ハミルトンに戻って申し訳ないけどまたお世話になって、そこからもう一回考えようかなって思ってる。お兄さまには心配をかけてしまうけど、やっぱりこの家に戻ることはないと思う」

「そのどちらになってもキョウヤ様と共に、というわけですね」


 図星を突かれて恥ずかしくなる。詳しく話してはいないがそういうことになるのだろう。キョウヤも一度ハミルトンに戻り、そこから仕事をと考えていたようだし。


「ルチアちゃんは?」

「あたしもいままでと同じよ。お店で働きながら好きに歌って生きていくだけ。どっちにしろアリスがいなくなったらあたしは作曲なんてできないし、お嬢様達と関わらなくなったら伴奏してくれる人もいないし。だからいままでと同じ……まぁキョウヤもたぶん店からいなくなるんだろうけれど」


 淡々と話すルチアの言葉に少しだけもの寂しさを感じる。こうして五人で舞台に立つことは最初で最後なのだと改めて感じさせられた。もし私が一度ハミルトンに戻ったとしてもずっとお世話になってはいられない、たぶんキョウヤも同じだ。そうなると当然お店にはギルグとルチアの二人だけになる。


「だけど、何度かしっかりと人前に立って分かったことはあったわ。あたしはこれを仕事にするのが向いてないってこと。アリスや金髪お嬢様みたいにこの国の曲は歌えないし、歌いたいとも思わない。あたしは浮島の歌が好きでそれを真似することで楽しんでた、それを見てもらって楽しんでもらえたらそれで良かった。だからたまにどこかにお呼ばれでもして歌うことが一番合っているなって思っ……」


 ルチアが途中ではっと我に返る。みんなの視線が集中していることに気づき顔を赤らめると、腕を組んでふんと鼻を鳴らした。


「何でもない、いままでと同じよ。終わり!」


 気を許してかうっかり自分の思いを話してくれたルチアを見てみんながそれぞれの笑みを浮かべる。私も彼女がいままでの経験から気持ちが定まった話を聞くことができて嬉しくなった。イザベラだけはやられた借りを返すネタを手に入れたとばかりににこにこというよりにやにやしていて笑いそうになってしまったが。


「ありがとうございます皆さん、詳しく教えてくださって」


 エフィネアが扇を広げて優雅に微笑む。突然の話題に驚きはしたが、大会前に話すことができて良かったとも思う。


「大会が終わった後は頻繁に会うことはなくなると思いますが、わたくしは皆さんのことをずっとずっとお友達だと思っていますから」


 そして彼女のまっすぐな言葉に気恥ずかしくなった。けれど私も同じ思いでこの温かさは大切なものだ。いまこの瞬間の気持ちをずっと覚えていようと、私はそっと胸に仕舞った。



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