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7ー4


「キョウヤ、どこまで進んだ」

「明日の分までは終わった。いまは時間加算コードの入力をしてる」

「……毎日触っていたら慣れてもくるか。格好つける余裕があるならノルマを増やしても問題ないな」

「いや別にかっこつけてなんかいないんだけど」

「あと頻繁に何かを思い出してはにやつくのをやめろ、気持ち悪い」


 最後のは完全にただの悪口だったがジンにそんなことを言われたところでどこ吹く風である。両手の指は液晶パネルの上をよく滑り、適度に休憩を挟むことで集中力は上がっていた。最初の四日間は慣れないくせして徹夜したせいで余計に体に負担になっていた気がするので、早寝早起きして睡眠時間をしっかり作ると効率は遥かに良くなった。機械人形の言うことを律儀に守って徹夜していたのはアホである。そういうところを気遣えないのはまぁジンの不器用なところであった。

 アリスが会いにきてくれてから一週間。今度は明日こちらから赴く。久しぶりにハミルトンでルチアやカロンも集まってくれるということでそれを楽しみにしていたが、今日までの原動力はアリスと過ごした一日のおかげだった。

 一週間前、アリスが訪ねてきてくれたというのに疲れを残し、朝はずっと眠かったのは本当だ。しかし自室のベッドで一緒に眠り、昼頃に目を覚ましたときは格段に頭はすっきりしていた。そして目の前で横になっている彼女とばっちり目が合い、あろうことかすべてのことが夢だったのではないかと疑ってしまった。


『おはようございます、キョウヤさん。よく眠れましたか?』

『うん…………おはよう、アリス……』

『やっぱりすごく疲れていたんですね。眠ってから一度も起きないので少し心配しちゃいました。でも、寝顔はとてもかわいかったです』


 微笑む彼女を不躾にまじまじと見つめてしまう。そのかわいらしい桃色の唇にも無意識に目が移ってしまう。そんな自分の反応をどう思ったのか、なぜかアリスは頬を小さく膨らませてむっとすると、無言でこちらに顔を近づけてきた。


『っ……!?』


 そして唇が一瞬だけ触れ合う。驚きに目を瞬かせながらすぐに離れたアリスを見ると、その頬は赤く染まっていた。


『……キョウヤさん、まだぼんやりしていますけど、さっきのこと忘れていないですよね? もし夢だと思っているなら夢じゃないのでちゃんと思い出してください。じゃないとさすがに私も怒ります』


 拗ねたように睨みつけてくる彼女がかわいすぎて思考が停止しそうになったが、同時に今朝の出来事を鮮明に思い出す。愛おしい温もりを腕の中に閉じ込めながら、何度も繰り返し唇を重ねた。初めてだから苦しい思い出にさせたくなくて、始めはついばむような短い時間で顔を離す。呼吸ができていることを確認して口付けては離していると、だんだんと彼女の頬が上気して、混乱したような表情から切ないものに変わっていくのが見ていてとてもたまらなかった。

 徐々に耐えきれなくなり途中から強引に口付けしてしまっても、彼女はすべて受け止めてくれた。柔らかく甘くて、このまま時間が止まってほしいと思ったほどだ。一緒に寝たいというお願いさえも聞いてくれて……。これで猛烈な睡魔がなかったら欲求に負けてしまっていたかもしれないと思い至ると、途端に恥ずかしくなってきてしまった。


『お、覚えてるよっ! ちゃんと全部覚えてる、夢だなんて思ってない。キスしたいって思ったことも、湿って柔らかくなった唇も、一生懸命呼吸する君の顔も全部ちゃんと覚えてるからっ!』

『そっ、そんなに詳しく説明しなくても……! それにどうしていまになってキョウヤさんが真っ赤になるんですか……! お、覚えているなら良かったですけど……物凄く恥ずかしいです……』


 思わず飛び起きた自分に続き、アリスも顔を赤くしながら体を起こす。それだけの動作なのに少し乱れた長い黒髪がシーツに散らばり、半袖のブラウスにしわが寄っているのがなぜかとても色っぽく見えて大いに焦った。自室のベッドの上にいることもあり、今更心臓の鼓動が速くなっておさまらない。


『お、俺も初めてだったからさ……。でも、その、どうだった?』

『ど、どう……? えっ?』

『苦しかったとか、なんか変だったとか、気持ち悪かったとか……なかった……?』


 そして聞かなくてもいいことをわざわざ聞いてしまうくらいには頭はとてつもなく混乱していた。しかも後ろ向きな思考全開である。こんな聞き方をされても困るだけだと思うのに、しかし見るとアリスの方も自分と同じくらいに慌てていた。


『え、え、えっと、始めの方は、もうあまりよく覚えてないんですけどっ、』


 俯いてたどたどしくもちゃんと答えてくれるアリスが愛らしすぎてもう何でもいいと思ったのだが、


『最後の方は、ちょっとだけ…………気持ちよかった、かも……です』


 両頬を押さえながらのその回答を聞いて撃沈した。


『わっ、私……お昼! そうだ、お昼作ってきますっ!』


 そうして逃げるように大慌てで部屋を飛び出すアリスを追いかけることはできなかった。出会ったときと比べると、大いに彼女も素直に思ったことを伝えてくれる。だがそれが本当に心臓に悪かった、幸せすぎてどうにかなってしまうくらいに。

 という出来事があってからのやる気に満ち溢れた一週間であった。その後も二人きりを堪能したのだが割愛する。今日を頑張れば明日会えるし、仕事というか努力した後に待っているご褒美はこんなにも気力を漲らせるものなのかとこの歳で初めて知る気分だった、のだが。


「ん……?」


 入力していた手を止める。宙に浮かび上がる文字の羅列が赤くエラーを吐き出していた。直前の数字を削除して、もう一度同様に試してみる。けれど再度エラーと警告され、その数字は受け付けられないと拒否された。


「なあジン、これエラーが出るんだけど。入力するコード合ってるのか?」


 と尋ねつつもこれまで一度もこんなことはなかったので、ジンの用意したものが間違っているとは思えなかった。当の本人が背後に立ったので見せるために繰り返すと、やはり画面は同じ結果になった。


「他の数字で試してみろ」


 言われた通り始めは300だった数字を徐々に減らして入力していく。270、240、180……。システムがエラーを吐き出さなくなったのは60まで減らしたところであった。その事実にいままで浮ついていた気分はすぐさま消え去り、とても嫌な予感がした。


「60で通ったけどさ……もしかしてこれって、」

「そうだ。当初だと300で可能だったはずだが……中枢に二十年分のデータを蓄積したから何かが変わったのかもしれないな」


 すべてを言う前に肯定される。嘘だろ、と声に出さずに呟いた。


「離脱するまで一分しか作れないってことかよ……」


 移送承認から移送開始まで、一分。ジンは始め300と打ち込んでいたので五分は大丈夫だと考えていたのだろう。しかしジンが用意したコードはおそらく十年以上前に考えて作られたものだ。理屈は分からないが昔は可能なはずだったことが現在では不可能になっていてもおかしくはない。


「どうにかできないのかこれ? もうあと三十秒くらいなんとか」

「一応考えてみるが期待はするな。いいから先を進めておくんだな」


 言うとジンは普段と変わらない様子で部屋を出ていく。考えると言ってくれた手前、空いている部屋で頭を捻ってくれるのだろう。機械人形だからといって瞬時に答えが出るわけではない。人間と同じように思考して、しかし導き出されるだろう回答に期待はするなと先に言われてしまえば、どうすることもできない現実にただ歯噛みするしかなかった。

 パネルに指を添えたまま考える。島と大国を結ぶ移動通路がある広場は、この家から歩いて五分以上はかかる。全力で走って……何分だろうか。この部屋で承認してから広場まで行かないといけないのだ。

 移動通路は広場にしかない。住人達が大国に降りる瞬間をこの目で見て把握できるように、見られない場所で勝手に降りられないように、島全土でこの一箇所にしか作られず、また新たに増やすこともできないシステムとなっていた。大国には複数の通路場を作ることは可能であったのに。

 メインコントロール室での承認を遠隔で行えばとか、この家を地面ごと広場の近くまで移動させればとか考えたがどれも無理のように思う……。まさかここに来て最終的な解決策が全力疾走になるとは思わず、しかし笑いたくても笑えなかった。一分……どう頭の中で考えても経過してしまうような気がしたからだ。


「…………」


 すべてがうまくいくとは思っていなかったが……。離脱するのに間に合わない可能性があるという事実を、明日会うアリスの顔を思い出しながら考える。話した方がいいのだろう。またギリギリまで話すのを躊躇い悲しませることはしたくない。正直に話す、それだけは既に決めていた。

 ただどう話したらいいものか……。先程までの浮かれ具合が自分でも別人だったかのように真剣にならざるを得ない。ジンの報告を待って真面目に頭を働かせて……もしかしたら明日以降はアリスと大会まで会えなくなるかもしれない。

 しかしそれは彼女と一緒に生きていくために必要なことだ。無意識に詰まらせていた息を吐き出し、心を落ち着かせようと努めたまま俺は入力を再開させた。



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