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6ー9


「わっ……!」


 家の中なのに自動で開いた扉の先には、またもや見たことがないものだらけの空間が広がっていた。もう何度目とも知れぬ驚きに目を瞬かせたが、台所やお風呂場のように、私でも理解できるような代物では確実にないということだけは雰囲気からはっきりと分かった。

 身支度を整え一階に下りると、キョウヤとジンの手によって既に朝食の準備が終えられていた。反対に二階に上がっていくジンの背中にお礼を言ったが聞き流され、キョウヤに促されて向かい合わせで席につく。手伝えなかったことに申し訳なさを感じたが、それよりもやはり彼は何か大事なことを決めたのか、笑顔の裏で思い悩んでいるような表情はなくなり、出会ったときのからりと明るい雰囲気へと戻っていたのでほっとした。目が合うと時々互いに気恥ずかしくなり、空気が違うものに変わることもあったがそれすらも私はとても嬉しかった。

 そうして朝食を終え、私達は二階に上がってすぐ目の前にある部屋の中へと足を踏み入れていた。横にだだっ広いそこはキョウヤが先程メインコントロール室と呼んでいた部屋で、前方の壁には何枚もの大きな画面が埋め込まれてあるようだった。室内は薄暗く、電源の点いた画面の光がチカチカとして目に痛い。壁に沿って設置された長いテーブルの上には、所狭しといろいろな機械のボタンのようなものが陳列し、自由に動かせるような椅子が無造作におかしな方向を向いて置かれていた。


「この部屋でこの島と、この島に住む人達の管理をしているんだ。管理って言っても結局造られたシステムが自動で何か異常がないか探しているから、俺は何にもしてないんだけど……」


 部屋の真ん中から前方までは三段ほど床が下がっている。キョウヤに倣って画面を見ても読めない文字が羅列されているだけでまったく理解できなかった。彼も肩をすくめたので、誰でも普通に理解できることではないのだということを知る。


「ただ、住人の行動待機命令とか帰るときの移送命令は俺の声と指紋を認識しないと承認できないらしくてさ。どうにかして別の方法はないかって考えても分からなかったから、昨日アリスと話して思いついて聞いてみようと思ったんだよね」


 キョウヤが振り向く。視線を辿ると最初からこの部屋にいたのか、ジンが腕を組んで壁に寄りかかっていた。


「ってことでジン、俺がこの世界に残る方法、何かないか?」


 すっきりとした表情で尋ねる彼は、やはり帰らない決意を固めたようであった。その決断に私は心から喜びが込み上げたが、いまは浮かれている場合ではないと気を引き締める。私も同じようにジンなら何か知っているのではと思ったので、昨日の会話が少しでも助けになればいいと思った。

 ジンは眉間にしわを寄せたまま宙を睨み、何も答えない。これまでのキョウヤとの会話を聞いていてもいつも切り捨てるようにすぐさま返事をしていたので、無言のままであるジンを見るのは珍しかった。何かを考えているような様子は教えられても機械人形にはまったく見えず、人間としか思えなかった。


「戻らないとこの島は落ちる」


 腕を下ろし、もたれていた壁から上体を起こす。その動作もやはりすべてが人間のようだった。


「それは知ってる。だから他に方法がないか聞いているんだ」

「そいつと離れたくないのが理由ならそいつも一緒に連れていけばいい」

「……えっ?」


 いきなり顎で矛先を向けられて私は目を瞬かせる。


「そうすれば何も問題はない」

「……問題あるだろ、そもそも俺は戻りたくないんだよ。あんなよく分からない場所にアリスを連れていく選択肢もない」

「お前が生まれた国だろう。そしてお前は象徴だ。あの国に住まう人間が平和に暮らせるよう守っていく義務がある」

「ハルシアで得た知識は俺じゃなくてこの島に集積されたはずだ。島と住人さえ戻れば俺が戻る必要はない」

「戻るための承認はお前にしかできないが? 承認すればその瞬間に移送は開始される。お前がこの島から離脱する時間など一秒もない」


 キョウヤがぐっと押し黙る。空気が張り詰める静かな言い合いをはらはらしながら見守っていると、ジンはおもむろに近づいてきてキョウヤの胸倉を掴み上げた。


「お前が役目を果たさず逃げる気なら、俺はお前を捕まえておく必要がある。いままではふらふらとしながらも戻る気はあったようだから放っておいたが、他の国へ飛んで雲隠れでもされたら敵わないからな」

「ぐっ……!」


 言いながら襟元を強い力で引っ張るとジンがキョウヤを背中から壁に叩きつける。あまりの勢いにキョウヤが苦悶の声を上げ、初めて私は衝動的にその間に割って入った。


「まっ、待ってくださいっ! お願いです、手を離してください……!」


 咄嗟にジンの手首を掴んで引き離そうとするがびくともしない。それよりこれまでずっと人間だと思っていた彼の腕は想像以上に硬かった。その機械仕掛けの遠慮がない力で、喉元を押さえつけられている苦しそうなキョウヤを見ていられなくて、無駄だと分かっていながらも引き剥がすために力を込める。


「島が落ちるのなら、キョウヤさんがこのまま放置してどこかに行くはずないじゃないですか! ジンさんも分かっていますよね? 捕まえておくなんて……暴力はやめてくださいっ……! そんなこと許されるはずがありません!」

「許されている。キョウヤの感情など関係なく、何をしてでも戻ってくるようにとこいつの父親から命令を受けている。そのために俺はこいつを監視していた。逃げないかということだけじゃない、何かがあって人として心が壊れないか、自死しないか。戻る手段をなくさないために、俺はこいつを縛りつけておく権利がある」

「そんな……命令だとしてもそんな権利絶対にありません……! ……じゃあジンさんは、キョウヤさんの心が壊れてしまわないように、小さい頃のキョウヤさんにお母様の存在について教えてあげたって言うんですか!?」

「…………」

「それ以外の感情は何一つなかったんですか……? 私は他の世話人の方達のことを知りません。けれど心を守ってあげるためならわざわざ亡くなったお母様の話題なんて出さなくてもいいと思うんです」

「何が言いたい」

「ジンさんは、キョウヤさんのお母様とお知り合いだったんじゃないですか? お母様の映像が残っている機械、あれをキョウヤさんに渡したのはジンさんだと聞きました。その映像だって慣れない誰かが撮ったようにぶれていて……ジンさんが映したものではないんですか? ジンさんは……お母様からキョウヤさんのことについて、何か託されていたんじゃないですか?」


 最後はただの願望だった。キョウヤの父親から命令されてそれを忠実に守っているのだとしても、彼の母親とも知り合いだったとしたら、彼女から何かキョウヤについて託されたことがあるのではないかと願ったのだ。

 まくし立てるように言い合うと、表情も声音も変わらないジンが唐突に腕を下ろした。途端に盛大に咳き込むキョウヤが心配で背中をさする。途切れながらもありがとうと笑った彼にひとまずほっとすると、キョウヤはポケットから話題に出したその機械を取り出した。


「…………これ。アリスが拾っていままで大事に持っていてくれて、昨日俺が動くように直した。実際母さんの映像は一つだけで他は何のデータもなかったし、これ自体かなり昔の物だよな。いままで考えようともしなかった俺が馬鹿すぎるけど、どうしてお前がこんな物を持っていたんだ」


 乱れた襟を片手で直しながら、キョウヤがまっすぐな視線をジンに送る。ジンは彼の手にある物を一瞥すると、再度壁に寄りかかり先程のように腕を組んだ。

 そしてまたもや沈黙が降りる。キョウヤが何か言いたげに口を開き、しかし閉じるとポケットに機械を仕舞い込む。冷静になると私は勢いのまま感情的に何でもかんでも口走ってしまった。まるでジンに八つ当たりするかのようになってしまい、それもあってまた言い合いになってしまうのではと落ち着かないでいると、キョウヤが笑いかけてくれる。大丈夫だと言うような笑顔を信じ、私も彼の隣でジンが口を開くのをひたすらに待った。


「…………お前は」


 そうしてジンの鋭い目がキョウヤを捉えたのはどれほど待った後だっただろうか。


「いままでこの島の奴らがまとまって大国に降り立つときには、代弁者で代理人という役割を自ら作り、大国の頂に立つ者にわざわざ教えに行っていたな。二ヶ月前もわざわざ人工音声を作り上げて。大国に生活を移した後も定期的に戻ってきては異常がないか確認をしていた。まぁ島のためというよりは大国に害が及ばないかを心配していたのだろうがな」

「……ああ、そうだな」

「だがお前がやってきたことはそれだけだ」


 ジンが再び体を起こし、今度はキョウヤに真正面から向き直る。


「自由の身となってから何年もあった。だがお前はこの島の仕組みを何一つ知ろうとしなかった。戻る戻らないに関わらず毎日少しでも知る努力をしていれば、いま頃お前だけが残る方法も簡単に自分の手で造れただろう。島の中枢システムを書き換えることができるのはお前だけなのだから、承認から移送までの間に離脱するための数分の時間を与えられたらそれで十分だったはずだ」

「っ……」

「一人だと分からないのなら俺に聞けばよかった、聞かれたら俺はその場で答えた。機械に関しては機械に聞いた方がよく分かるからな。だがそれらを一切してこずに、戻る日があと一ヶ月と迫ってきてから他に方法はないかと聞いてきて、能天気にもほどがある」

「……俺はっ、」

「いまのお前には何もできない。あと一ヶ月では何も変えられない。何が変えられる? 一ヶ月真面目に頑張ればシステムを書き換えられるとでも思っているのか。国と父親に良いように利用され、自分の境遇をさっさと諦め、檻から抜け出すための努力も何もしてこなかった人間が、今更自分のために努力できるとでも思っているのか!」


 ジンが大きな声を上げるのを初めて見た。静かな迫力に空気がびりびりと震えるような感覚がして気圧される。心配になってキョウヤを見ると同様に感じたのか押し黙り、すぐには返す言葉が出てこないようであった。

 その内容も手厳しい。キョウヤの生まれや過去を思うととてつもなく理不尽にさえ聞こえる。けれどやはり根拠はないが、その言葉は彼を奮い立たせるようなものであり、彼の生き方を気にかけているようなものにも私には聞こえてしまったのだ。


「……システムを書き換えられたら俺はこの世界に残れるんだな? だったら、やる」


 決意を固めたような低い声で、キョウヤがぐっと両手をきつく握りしめた。


「できると思っているのかと俺は聞いた」

「できるできないじゃなくて、やるしかない、やるんだよ。だからジン、お願いがある。俺に全部教えてくれ」

「何が分からないのかすら分かっていないお前に一から百まで教えろと?」

「聞かれたら答えるっていまお前が言ったんだろ。だからあと一ヶ月、システムを改築するために付きっきりで俺にすべて教えてくれ」

「……傲慢だな」

「こうでもしないと……お前に頼らないとどうにもならないのなら、偉そうに頼るしかない。こうする決断だって結局俺一人じゃできなかった。だったらお前を頼り尽くしてやるしかないっていま決めた」

「…………」

「お前が母さんと知り合いだったのかは分からないけど、俺は母さんの故郷を捨てる。ジン、俺に力を貸してくれ」


 息をのんで見守っているとジンが小さく息を吐いた。眉間にしわを寄せ、いつもと同じく面倒くさそうに渋る顔からは何を考えているのか窺い知れない。そして何も答えずに、キョウヤの横を通り過ぎるとそのまま部屋を出ていこうとして、立ち止まった。


「午後からだ。寝る間などないと思え。自由に外に出る暇もないと覚悟を決めろ」


 振り向かずの返答はやはり普段の切り捨てるような鋭いものだったが、そこには若干の怒気が含まれているような感触がした。怒気というかやる気というか闘志というか……。それだけ言うとジンは長い髪をなびかせながら廊下の先へと消えていった。

 自動扉が閉まってから私は隣のキョウヤを見上げる。神妙な顔をしていた彼がこちらに気づくと、信じられないものでも見たように物凄く嫌そうな顔をした。


「あいつ、何であんなにやる気なんだ……? アリス……どうしよう俺、一ヶ月後にはちゃんと生きているのかな……」


 胸をさすりながら大真面目に呟く彼を見て、私はおかしくなって笑ってしまった。ジンにやる気がみなぎったようだとどうやら彼も思ったらしい。どのような考えからそう至ったのはジンの知るところでしかないが、浮島と浮人達を元の世界に帰らせ、キョウヤだけはこの世界に残る。それができる唯一の方法への手助けをしてくれるというのなら、とても有り難く喜ばしいことだった。


「でも、ジンさんが力になってくれて本当に良かったですね。私も好き勝手に言ってしまって……。キョウヤさん達が話していた内容は正直あまり分からなかったんですけど、キョウヤさんがこちらに残る方法があるということなんですよね?」

「うん……これからの俺の頑張り次第だろうけどね、あるにはあるみたいで少しほっとしたかな」

「……私、昨日あれだけ一緒に考えるって、力になるって言いましたけれど……。……っやっぱり、私はほとんど必要なかっーー、」

「必要だよアリス。俺には君が必要だ」


 力強く、欲しかった言葉をまっすぐにくれて、胸の奥が痛くなった。


「何度も言ってくれたよね。俺も、アリスがいてくれたからいまここにいるんだよ。君が一緒に悩んで手を伸ばしてくれたから、ここに繋がる道ができたんだ。だから必要なかったなんて寂しいことを言わなくてもいいし、思わなくてもいいんだよ。俺は君がそばにいてくれるだけで……それだけで本当に嬉しいから」


 自然と俯いてしまった私の頭をキョウヤは優しく撫でてくれる。昨夜はああ言ったのに二人の応酬を隣から見ていて、もしかして私の出る幕なんてないのではと焦りを覚えたことは本当だった。方法が見つかって良かったと思ったのに、結局私は口先ばなりで何の力にもなれないのだと。言うつもりはなかったのにすぐさま弱音を吐き、欲しい言葉をもらおうとする自分自身を情けなく思った。


「……これ、ずっと身に付けてくれているんだね。ありがとう」


 慈しむような声音で、壊れ物を扱うかのように髪留めに触れられる。その声を聞いて、改めて彼を支えてあげたいと強く思った。私にできないことはできないのだから沈んでいても仕方ないのだ。そちらはジンに任せて、自分にできることで力になればいいのだと思い直す。


「っ……これから大変になるかもしれないのなら、キョウヤさんが集中して頑張れるように私たくさん差し入れを持っていきます! 栄養が取れるものをみんなと作って持っていきますから! あんまり外に出られなくなっても私がここまで会いにいきます……! あっ、ちゃんと練習の間の休みの日に来ますし、自分の体調管理も気をつけるので、キョウヤさんに心配をかけないようにしますから!」


 顔を上げて力強く宣言すると、キョウヤは若干驚いたようだったがすぐにくしゃりと笑み崩れた。その笑顔が愛おしくて、他にもっと伝えたいことがあるのに言葉が出てこなくてもどかしい。


「私も大会に向けて頑張ります……っ。みんなと舞台に上がることを決めて、それだけで十分だとほんの少し思っていたんですけど……。やっぱり良い成績を残していろんな場所で歌えるように、私も本気で頑張りますから!」


 一人で審査を受けることをやめて、五人で舞台に立つことを決めた。けれど歌を職とすることを諦めたわけでは決してない。あと一ヶ月お互いにやるべきことがあり、会える日が少なくなったとしても。一緒にいられる日が来ることを願って、いまは離れ離れでも全力で前に進むことが大事だと思った。


「……ああ、俺も頑張るよ。一緒に頑張っていこう!」


 昨日の朝は、こんな風に笑い合えるとは思ってもいなかった。

 この瞬間、ずっとずっとこの人の笑顔を見ていたいと、心の底から思ったのだ。



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