表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/57

6ー6


 キョウヤの家は一層高い場所にあった。

 どういう原理か分からないが宙を浮かんでいる階段の隣に自動で動くそれもあり、恐々としながら足を揃えて上っていると島の広大な土地が眼下に広がる。そのあまりの高度にめまいがしそうになったところで唐突に動く地面は終わりを迎え、私は勢いのままにつんのめった。


「わっ、アリス、大丈夫?」

「はっ、はい……ありがとうございます……」


 受け止めてくれたキョウヤの体にもたれながら、つい先程心の中で力強く決意した自分が、高所による恐怖によって早々に萎んでいくのを感じた。情けなさすぎる。


「ごめん、高くて怖かったよね……俺、全然気がつかなくて……。あとで低くしておくからいまは早く中に入ろ!」


 安心させてくれるように繋いだ手を引っ張ってくれる。低く? と疑問に思いはしたが聞き流し、周囲を視界に入れないように私は彼の横顔を見つめた。恐怖で心臓が脈打っているのか、手の温かさで胸が高鳴っているのかどちらなのか分からなかった。

 彼の家は二階建てであり、外見からでも広いことがよく分かった。さすがに貴族の屋敷ほどではないが、昔は世話をしてくれる人が一緒に住んでいたためか、一人で生活するにしては大きな家屋だった。キョウヤがドアノブのない扉の前に立つと、表面に光の線が一瞬だけ迸って自動で開く。繋いだ手はどちらからともなく離れていった。


「お昼まではまだだけど……ここの食べ物は美味しくないから自分達で何か作れたらと思って、食材はハルシアから買ってきていたんだ」


 言いながらキョウヤは勝手知ったる我が家なので、ブーツを脱いで部屋靴に履き替えるとずんずん先を進んでいく。ひとりでに点く灯りに驚きながら私も同じように靴を脱ぎ、端に用意されていたそれを借りる。玄関からはまっすぐ廊下が伸びており、すぐ左手の扉に入るとそこはリビングとキッチンが合わさったような部屋だった。ローテーブルを挟んで二つのソファが向かい合って置いてあるのは貴族の家などと変わらない。ただ他に調度品が何もなく、色も白くて言っては悪いがあまり暖かみの感じられない部屋だと思った。


「夜の分も合わせて一緒に料理できればと思うんだけど……アリスも手伝ってくれるかな?」


 カウンターテーブルの向こう、縦に長い大きな箱の扉を開けたままキョウヤが尋ねてくる。彼が言うようにその箱の中には野菜や果物、肉や魚、飲み物も牛乳からジュースまで豊富に揃えられていた。扉がぱたんと閉められると流れ出ていた冷気もなくなる。この箱の中では食材が腐らないように、常に冷やされている状態なのだと分かるとその技術に感心した。


「もちろん私もお手伝いします。けど……その、まだ簡単なものしか作れないですけど……」


 一応給仕の間に調理中のギルグの手元を眺めたり、空いた時間に教えてもらったりはしているが、まだまだ手の込んだ料理の作り方は分からない。母と生活していたときも子供が簡単に作れるような具の少ない野菜スープ程度しか作っていなかった。これだけ肉や魚の切り身があったところで、正直どう料理すればいいのか頭を悩ませるものだった。


「キョウヤさんも確か、たまにギルグさんにお菓子の作り方を教わっていましたよね? 他の料理の作り方は教わったりしたんですか?」

「……………………」


 尋ねながらもそういえばキョウヤの差し入れはいまのところ全部お菓子だなと思い至る。案の定彼は表情をなくして黙り込んでしまった。珍しい。


「……ここに調味料とかもいっぱいあるんだけど」


 するとキョウヤはおもむろに上段にある戸棚を開ける。言葉の通り見たこともないようなものも含めて様々な調味料が揃えられていた。


「とりあえず火を通して味を付ければ食べられるよね!」


 そして眩しい笑顔でそう言われたら実際その通りなので頷くしかなかった。

 自分の料理技術が残念すぎる……。けれどいままで学んだすべての記憶を掘り起こしてどうにか何かを作ろうと私は意気込む。火を付ける方法は教えてもらわなければならないが、フライパンや大きな鍋など料理道具に関してはあまり変わりがなさそうだったので安心した。

 しかしそもそも簡単なお菓子しかまだ作れないのにどうしてキョウヤはこれほどの食材を買い込み、一緒に料理だなんて言ったのか……。もしかして私がもっと何かを作れる人間だと思われていた? と若干焦ったが、なぜか楽しそうにカウンターに野菜を並べていく彼を見てなんだか何でもよくなった。

 食べてくれる人がいなかったから料理をしなかったと既に知った。自分一人だけでもおそらくはしないのだろう。……もしかして、何も作れないけど私と料理をしてみたかった、とか?

 途端に自分の考えに恥ずかしくなり気を引き締める。本当のところは分からない。とんだ自惚れかもしれないが、けれどそうだったら嬉しいなと思い、なぜだか用意されていた私の分のエプロンを着用した。








 料理が苦手な者同士でも、一緒に作ればそれなりのものが出来上がるという知見を得た気分だった。ただしそれなりの時間を犠牲にして。手際の良さなど皆無であり、特にその後に用事があるわけでもない私達は分からないことを話しながら、つまんで味を確かめながら、時折ゆっくり休憩しながら料理をしていたら、お昼なんてとっくに過ぎて午後も二時を回っていた。四、五時間もキッチンに立っていた事実に我ながら意味が分からないと思ったが、楽しくて正直時間などあっという間に過ぎていった。

 どうやらキョウヤは、尋ねると調理方法を教えてくれる機械にすべて聞いてみるつもりだったらしいのだが、いざ尋ねるとその機械は『分かりません』としか回答してくれず、キョウヤは「使えない……」と立ち尽くしていた。そもそも野菜の育成方法の知識でさえ他の世界から学んでこないといけない国なのだ。食材をふんだんに使った遥か昔の料理のレシピなど記録に残っていないのでは伝えると、「じゃあ何のために存在してるのこれ」と言われたが、私に聞かれても分からない。

 遅くなった昼食を終え、残りは夜のためにと保存して、片付け終えるとソファに並んで腰を下ろす。床の上を平たくて丸い機械の物体がゆっくりと動いて回っている。何かにぶつかると方向転換をして再び進み出すそれは自動で掃除をする機械らしく、ちかちかと赤く点滅する二つの点が瞳のようで少しかわいらしく感じた。


「キョウヤさん、これを返しますね」


 落ち着くと、私はポシェットからそれを取り出し彼に手渡す。小さなタブレットのような機械。子供の頃に道端で拾ったそれは彼が落としたもので、忘れずに本人に返すことができてほっとした気持ちになった。


「……ありがとう。……あんまり壊れているようには見えないな?」

「でも、もうずっと何も映りませんが……」

「バッテリー変えたら動くかもしれない、ちょっと待ってて」


 立ち上がるとキョウヤは隣の部屋へと消え、道具箱を手にすぐさま戻ってくる。そして箱の中から細長い器具を取り出すとテーブルの上でそのミニタブレットを分解し始めた。

 蓋を開けるように前面と背面をぱかっと分けて、中に収まっていた黒い長方形の部品をキョウヤは交換しているようだった。迷いのない慣れた手つきを見て、ルチアのタブレットも彼がたまに調整しているという話を思い出す。教わる誰かなどいなかったはずなので独学なのか、料理は苦手と言うがキョウヤの手先はかなり器用であると感じた。

 細かなネジなどの部品を元通りにはめ直す様子を私は隣で静かに見守る。何の反応もしなくなってから十年ほどは経つのに再び動くことなどあるのだろうかと思っていると、キョウヤの手元のそれの画面がぱっと白く明るくなった。何か操作を行う姿をどきどきしながら見ていると、彼は嬉しそうにこちらにそれを手渡してきた。

 受け取って眺める。ハルシアにはない技術であるのに、もう当たり前に慣れてしまった真ん中の再生ボタンに触れると、子供の頃に母と見た通りの映像が音楽と同時に流れ始めた。


「この方が……キョウヤさんのお母様……」

「さすがに懐かしいなぁ……。また観られるとは思ってなかったから、アリスには本当に感謝してるよ」


 隣からキョウヤも覗き込んでくる。小さいものなので見えやすいようにそちらに寄せる。肩がぶつかるくらい近い距離だったが、そちらに意識がいくよりも胸の中に懐かしい思いが込み上げた。

 この歌が私の始まりだった。歌を好きになるきっかけだった。いまのキョウヤと同じように、母も笑って覗き込んでいた。思い出すと、母が生きていた頃の記憶がよぎって少しだけ切なくなった。

 映像の中のキョウヤの母はとても若くて二十代のように見えた。誰かが映しているのか時折ぶれるように映像が動く。小さな舞台で歌い踊っているのかあまり観客の姿は見えず、しかし茶色の髪と底抜けに楽しそうに笑う表情はキョウヤによく似ていると思った。きらびやかな衣装を着ていたこともいまだから気づける発見だった。


「これは……お母様の物なんですか?」

「いいや、これは俺がずっと小さい頃に……三、四歳くらいかな。忘れたけど……ジンが渡してくれたんだ」

「ジンさんが?」

「ああ、まだ何も分からなくて一人で泣き喚いてた頃だったかな。これを観て泣きやめ、ってね。みんな必要最低限以外は口を開いてもくれなかったから、向こうから話しかけてきたときはすごく驚いたのを覚えてるよ」


 まぁ話しかけてきたのはそのときだけだったんだけど、とキョウヤは明るい口調で話す。


「もしかして、キョウヤさんの家に一人だけ残った方ってジンさんなんですか?」

「そうだよ、たぶん他のみんなとは違う指示を父親から受けていたんだと思う。俺がどこに行っても隠れることなくついてくるから、だったら反対に面倒事は全部ジンに頼んじゃおうと思ってさ」

「その指示というのは……」

「なんとなくだけど、俺の監視なんじゃないかなぁ。俺がいなくなったら島は戻れなくなるからね。逃げないように死なないように付かず離れずずっと見ていろとでも言われたのかもしれない。それでもあいつのことは別に嫌いじゃないけどね」


 映像と音楽の再生が終わる。キョウヤはそれを再び手に取り懐かしそうに表面を撫でた。リンドバーグで話したときに、彼が期待せずにそれを探していた理由を尋ねてもよく分からないと答えていたが、いまの話を聞くにそれは孤独に押し潰されてしまいそうだった彼自身を確実に救った物であると思った。誰も構ってくれない中、たった一人で亡くなった母親の歌を聴いている姿を想像すると、胸が押し潰されてしまう気持ちだった。

 しかしそうなると、間接的にキョウヤの心を救ったのはジンということになると思うが……。それも指示のうちだったということなのだろうか。けれど、他の世話人は最低限必要なこと以外はキョウヤに関わらないと一貫していたのに、ジンだけキョウヤを助けるような動きを命令されているのはいささか不自然にも思えた。そもそもなぜジンがキョウヤの母親の映像が残った機械を持っているのかも分からない。そこまで考えて、ある一つの仮定を思いつく。

 キョウヤが言うにはジンは機械人形のはずだ。エネルギーが供給される限りは永遠に動くと話していた。となると彼らがこの世界に来る前……キョウヤが生まれる前から、ジンはずっと動いて人間のように生活していたと考えられる。

 ……もしかしてジンは、キョウヤの母親と知り合いなのではないだろうか?


「ジンさんはいまどこにいるんですか?」

「うーん分からない、島にいるのかハルシアにいるのか……。ここに通信兼発信機……俺の居場所が向こうに分かるっていう機械がずっと付いてるから、呼べば来ると思うけど」


 そう言いベストの襟を裏返すと、小さなひし形の機械が留められているのが見えた。さすがにいつもついて来られるのは嫌だったから昔に作ってみたんだ、と何気なしに説明するキョウヤの顔を盗み見る。しかし既に亡くなっている母親のことについていろいろと聞くことはやはり躊躇われた。

 私が考えついたことだ、キョウヤは既に知っているのかもしれないだろうし……。彼についていろんなことを知りたいけれど、全部を全部深く尋ねるのはあまり良くないことのような気もした。


「次会ったときは……アリスのおかげでこれが手元に戻ってきたって、話してみてもいいかもしれないな」


 話を聞いても、彼の国において人間と機械人形の関係性はどのようなものなのか正直分からない。ただ彼の世話人の話を聞く分には、機械人形は人間のように動くけれど人間に対して情など湧かない冷たいもののように思っていた。

 しかしジンのことを嫌いじゃないと話すキョウヤの顔は、私と話すときとは少し違う。遠慮がないというか正直というか、何の気も遣っていない様子が長い付き合いであることを窺わせて、ほんの少し羨ましくなったのも本音ではあるが。

 ジンは何を思って子供の頃のキョウヤに話しかけ、母親の存在を知らせたのだろう。あまり会話をしたことはなかったが、いま初めてジンが何を考えているのか知りたいと思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ