6ー5
言われた意味をすぐには理解できなかった。
いままで話してくれた彼についての記憶を掘り起こす。確かこの世界に来るときに、彼の他にもたくさんの人が移ってきたと言っていた。子供の頃は世話人に育て上げられたと同時に生活すべてを時間刻みで管理されていた。見える場所に立ち並ぶ住家と思われる家屋の数も、どこまでも続いている土地の広さも、いましがた覗いた二つの店も、どれもが人が住んでいる根拠のように思えてならない。
それに、浮島から大国へと時たま人が降り立っていることは周知の事実である。さらにキョウヤは浮島の代弁者で代理人というもので、代理と言うからには代わる本人が確実にいるはずだ。ここにはいないがジンだってこの島の出身なのだろう。しかしキョウヤが言った通りいまこの町に私達しかいないことも事実であり、そして彼の言葉には一つ引っかかる部分もあった。
「生きている、人間……?」
「うん、俺以外の人も存在はしているけど生きてはいないんだ。心臓があって血が通っているのは俺だけ」
「……どういうことですか?」
「機械なんだ、みんな。人間じゃなくて機械人形。分かるかな……例えばねじまき時計はねじを巻けば動くよね? 機械人形にはそのねじに代わるもの……エネルギーがあって、それが枯渇するまでは人間のように自分で動く。枯渇しそうになると自ら充電……ねじを回すから、何事もなければ彼らは永遠に動き続ける」
「え……でも……浮島の人達はいままでハルシアに降り立って、住民の人と関わったりしていたんですよね? 機械だったら絶対に会話なんてできないじゃないですか」
「それができるんだよ。声を出して会話することも、人の言葉を理解して思考することも。……アリスはジンのこと人間だと思ってただろ?」
問われてまさか、と驚愕した。ジンが人間じゃない? 無愛想だが一緒にお店を手伝っているときは何度も会話したことがある。まばたきもしていたしため息もついていたし皿洗いするときは水を触っていた。キョウヤに何か頼まれると凄く嫌そうに顔を歪めて……。しかしそういえば、ジンが何かを口にしているところは見たことがなかった。
「じゃあ、いま誰も出歩いていないのは……?」
「俺が指示を出したから。……もうすぐ帰るための準備として、それぞれの家の専用ポッドに待機しているようにって。一週間いなかったのはそれをしていたんだ、面積だけは本当に無駄に広いからさ」
「指示……。……キョウヤさんは確か、代理人と言っていましたよね。だったらキョウヤさんは、どなたの代わりだったんですか?」
疑問に思ったことをぶつけると、やはりキョウヤは困ったような笑みを浮かべた。怒涛の情報の連続に実際頭は追いついていない。膝上で握りしめていた袋に入ったクッキーは、いつのまにかすっかり冷たくなっていた。
「アリスは鋭いね。……俺の代わりだよ」
「…………?」
「俺が生まれた国では、俺はテンノウ陛下の……象徴の息子で跡取り。この島……移送された領の中では、住人すべてを管理しなければならない全員の象徴。ハルシアでは自分があの島の一番上に立つ人間で管理者だなんて言いたくなかったから、代理として言葉を伝えるって嘘をついた。ハルシアの中では俺は自分が象徴だなんて思いたくなかったし、象徴でなんかいたくなかったんだ」
視線を落としたまま呟くキョウヤは淡々としていて、けれど最後に一瞬だけ苦しそうに顔を歪めたのを見逃さなかった。それは彼と出会って初めて見る表情だった。
「俺達がどうしてこの世界に来たのか、長くなるけど聞いてくれる?」
いつか、この島よりハルシアの方が好きだと話していたことがあった。
その理由も垣間見えそうで、私は気を引き締めると力強く頷いた。
全部勉強として伝え聞いた話なんだけど、とキョウヤは前置きする。
「俺が生まれた国はね、人間と機械人形が共存しているんだ。街並みもこんな感じ。あ、でも向こうの国は空に浮いてなくて、ちゃんと海の上にあるみたいだよ」
彼がベンチの背にもたれかかる。私も同じように寄りかかった。
「昔はアリスの国と同じように人間しかいなくて、でも何千年とかけていろんな技術を発展させてきたらこうなったらしい。けれど同時に失われたものもあったんだ。何か分かる?」
横目で尋ねられ、私はゆっくりと辺りを見回す。誰もいないこと以外にも気になることは確かにあった。
「木……とかですか? 他の場所は分からないですけど、緑が見当たらないような気が……」
「正解。木も含めて、自然が全部なくなったんだ」
「自然が……? でも、川に水は流れていますし、さっきは公園に花壇も……。あっ、そこにも植木鉢に花が咲いていますよ?」
「人工なんだよ、それ。全部造られた偽物。触ったら分かりやすいと思うけど」
そう言われて私は気になり、クッキーの袋をポシェットに仕舞うと植木鉢に近寄ってみる。屈んで白い花弁を触ってみると硬くしなやかで、本物のしっとりと柔らかな花びらの感触では確かになかった。葉も茎もつまんでみるが水分が含まれているような感じがしない。土が一番分かりやすく、どれだけ触っても指先が汚れることはなかった。
「水だけは本物だけど、機械的な人工物ばかりを造っていたらいつのまにか環境は破壊されていって、ほとんど自然がなくなった。それで一番困ったのは食料だ。自然が枯れると動物も魚もいなくなる。土壌も枯れていくからすべてのものが作られなくなって、作られたとしても圧倒的に質が落ちた。それでも貴重な食料に変わりはないから、開発した人工食料の中に気持ち程度に混ぜ込んで、それを毎回の食事とした。けれど当然機械人形は食事なんか取らないから、危機感を覚えたのは人間だけだったんだけど……」
宙を見つめたままのキョウヤの言葉が一旦途切れる。私は小走りでベンチへ戻り、心持ち彼の方へと体を寄せる。
「その時点で機械人形は、国の人間の半数を占めるようになっていて。管理する側の人間が技術を異常に発展させてきたばかりに、反対に窮地に陥ることになっていて。このままだと人間は生き絶えてしまうと悟った国の中枢は、自然をどうにか回復させて食料を生産できる方法を探すために、一つの地方を丸ごと約二千年前の他の世界へ移送することに決めたんだ」
キョウヤがゆっくりと息を吸い、吐いた。
「二十年間の限定で。移送承認は国の象徴である俺の父親と、息子である俺にしかできないから。だから俺も赤ん坊のときにこの世界に来たんだよ」
戻るときに俺の承認が必要になるから。
顔を上げて交わった視線は穏やかで、同じく微笑んだ口元はしかし、それが現実で事実なのだと。どうあってもそれが自分の役割なのだと。彼が自分自身に言い聞かせているようにしか私にはどうしても見えなかった。
話を必死に聞いていた。それじゃあ浮人達がハルシアに降り立っていた理由は、自然に対してのありとあらゆることを学ぶためだったのか。気候の違いから生まれる土壌の性質、土地の高低差による動物の発育の違い、川と湖、海の水質の違い、果ては野菜や果物の育成方法。あげ続けたらキリがないことをこの二十年間、浮人は……機械人形達は母国のために、情報を持ち帰る命令を受けて動いていたというのだろう。
しかし私には一つ、考えてしまったことがあった。けれどさすがに口に出すことができずつぐんでしまう。既に自然はほとんどなくなり、動物も魚もいないのなら、それはもう……。……それは…………、
「アリス、素直に言ってみて」
ふと、優しい声音が降ってくる。そんなに情けない顔になっていたのか、気遣ってくれる声だった。
「君がどう思ったのか、正直な気持ちを教えてほしい」
それでも話すことを躊躇った。けれど、私が思ったことはとっくに彼も思っているに違いなかった。
「……この国で学んだ知識を持ち帰ったとしても、」
だから私は、聞いてみなければならなかった。
「キョウヤさんが生まれた国は……持ち直すことができるんですか?」
想像するしかない。例えば緑も海も既に枯れ果ててしまっているのなら、それはもう持ち帰った知識だけではどうにもならないのではと思ってしまった。それにこの二十年の間にさらに悪くなってしまっていたとしたら。
唾を飲み込む。あまりに苦しいことを聞く私の方が途方に暮れてしまいそうだった。
「キョウヤさんが帰ろうと思っている国は……いまも存在しているんですか……?」
こんなに大事な話を打ち明けてくれているのに、不安を煽るような悪い方向ばかりの言葉しか発しない私は最低だと思う。本当なら前向きに考え、国はこれから持ち直していくだろうし、二十年で良くはならずとも悪くもなっていないかもと思うことはできるはずなのに、けれどそうできないのはやはり彼の雰囲気にあった。
「俺も、アリスと同じことを思ったよ」
後ろ向きに考える私に嫌な顔一つせず、キョウヤは同意を示してくる。
「そんなことをして国が回復するのか、そもそも国はまだ存在しているのか。もしかして人だけ他の国に移住して、機械人形が治める国に変わってるんじゃないかってね」
「だったら……! キョウヤさんが帰る必要なんてあるんですか……!?」
思わず私は立ち上がっていた。拳を握る。たらればの話をしても意味はないのに、声を上げずにはいられなかった。
「そんな、帰って国がなくなっていたらどうするんですか……! 象徴の意味はよく分かりませんけど、象徴の立場の方が国に住む人達のことを考えて行動しなければいけないのなら、キョウヤさんはずっと一人でハルシアの国民に疑われないように浮島の人達を管理し続けてきたじゃないですか! 情報を持ち帰るまでがしなくてはいけないことだとしても、私は生まれたばかりのキョウヤさんを手の届かない場所に送ってさらに責任を押しつけるような、そんなことを決めた人達のところに帰ってほしくありません! キョウヤさんのことを蔑ろにした人達のために、どうしてあなたがそこまでする必要があるんですか!」
話してくれた過去を思い出す。家の中で一人きり、話しかけても泣いても叫んでも、誰からもまったく気にかけてもらえなかったこと。その世話人も機械人形で、彼の父親に彼を育て上げる役割だけを指示されたのだろうと、いまになってようやく分かった。
「帰らなければいけないんですか……? このままここにいることはできないんですか? 私……物凄く最低なことを言っているし、キョウヤさんを困らせていることも分かっています。けれど……いなくなってほしくないんです」
昨夜と同じ、好き放題にわがままを言っていることは分かっていた。けれどはっきりと伝えたかった。ルチアとカロンだってきっと同じことを思っている。
「私達のところじゃなくても……私の近くじゃなくても。せめて会える場所に、いてほしいんです」
本当は隣にいてほしいと思った。しかしそんなことは口にできない。
キョウヤがゆっくりと立ち上がる。自然と顔は下を向き、その表情を窺うことはできない。彼は私の両手を取ると子供にするように優しく握った。
「ありがとう」
取られた両手をじっと見下ろす。キョウヤは感謝も謝罪もいつもはっきりと伝えてくれる。けれどいまだけはその感謝の言葉だけじゃまったく全然足りなかった。
「……キョウヤさんは、生まれた国に帰りたいんですか?」
そのまま卑怯な尋ね方をする。嫌な人間……嫌われるような言い回しだと理解していた。
「……帰らなくちゃいけないから」
感情のこもっていない少し早口な答えを聞いて、ああやっぱりと確信する。確信して、ここまで来ても本音を話すことができないほど私は頼りないのだなと情けなくなり、しかし反面、ここまで頑なに本当の気持ちを話そうとしないキョウヤも初めてで……。私は決めた。
「聞いてくれてありがとう、アリス。話長くなっちゃったね。俺の家すぐそこにあるんだ。今日はその……そこで泊まろうかなって思っていたんだけど、大丈夫?」
すぐさま頷く。先程までなら二人きりでお泊まりとかで確実に慌てていただろうが、いまの私にはそれよりも大事なことがあった。
「よかった、じゃあ行こうか」
ほっとした声を出し、握られていた両手が離される。きびすを返して歩き出すキョウヤの片手をしかし、反対に私は手に取ると強く握った。
驚いたように振り向く彼の視線を真正面から受け止める。深緑色の瞳を見返していると、キョウヤの方が耐えきれなくなったように顔を戻した。しかし繋いだ手はそのままに、私達は連れ立って歩き始める。
強く踏み込んでくるような人はあまり得意ではないと言っていたけれど、いま踏み込まないといけないと思った。待っているだけではなく手を伸ばして、本当の気持ちを引っ張り出さなければいけないと思った。他に帰らなければならない理由があるのだとしても。
帰りたくない、と。
自惚れだけれど、一言その口から聞き出してくれることを、彼は望んでいるのかもしれないと思ったから。




