6.篠宮響也
カラカラと車輪は回り、体は揺れる。見下ろすと膝上に頭を乗せたカロンが小さな寝息を立てている。向かいのルチアも寝入っているのかそうでないのか、鞄を抱いて俯く体は微動だにしない。小窓から覗く空の色はだんだんと暗く染まりつつあったが、天井ランプに火を灯すことなく私は外を見つめていた。
イザベラの話を聞いた後、私とルチアとカロンの三人はロランドへ戻ることにした。片道六時間以上の行程だったので本当は伯爵家で一泊しようかとも考えていたが、そんな気分にはまるでなれず。とんぼ返りしたところでキョウヤは現在ハミルトンにはいないはずなのに、私は戻らずにはいられなかった。
ルチアとカロンも同じ気持ちだったようだが、エフィネアはイザベラのもとに厄介になるみたいだった。今後の練習方針についてはまた後日にということで、何か言いたげな表情で別れた彼女もおそらくは知っていたのだと思う。イザベラは終始おろおろしていて少しだけ悪いことをしてしまったなと頭の片隅で思った。
あまり休憩を挟むことなく馬車は延々と走り続ける。体は疲れているはずなのに目は冴えて、休む二人を眺めながらも心をどこかに置き忘れてきた感覚であった。
ふと、馬車がゆっくりと停止する。ランプの火を灯し忘れた暗闇の中、うとうとといつのまにか船を漕いでいた私ははっと唐突に目を覚ました。その動きで猫のように背を丸めて眠っていたカロンがもぞもぞと体を起き上がらせる。気配を察してかルチアも身じろぐと顔を上げた。
「着いた……?」
「……うん、到着したみたい。カロンちゃん、暗いから降りるとき気をつけてね」
目を擦りながら頷くカロンより先にルチアが扉を開けて外に出る。差し込んできたわずかな明かりはハミルトンの窓から漏れ出る光で、足元を微かに照らしてくれた。
「ここが、アリスちゃん達が住んでいるお店?」
馬車から降りたカロンが見上げる。辺りは既に真っ暗で、こぼれる明かりから一生懸命に看板の名前を読み取ろうとしていた。
「……お客さんの声まったく聞こえないわね。もしかして休み? ……になってるみたいね」
ルチアの視線を辿ると確かにドアノブには本日閉店のプレートがぶら下がっていた。昨晩も朝もギルグは特に何も言っていなかったが……。
「まぁとりあえず、カロンは今日はここに泊まればいいわよ。ご飯なら店長が何か出してくれると思うし」
「うん、ありがとうルチアちゃん」
言いながら片側の扉を開けて中に入る二人に続き、店の中に足を踏み入れたときだった。
「あっ、おかえり! ってカロンもいるのか!」
角の座席からキョウヤの声が飛んできて、私は驚きに目を見開いた。
「キョウヤさん……帰ってきていたんですか」
「ああ、さっきね。そうだ、この間の慰問舞台の映像の編集、完璧に終わったからアリス達も観てみてよ! さっきまで店長に見せてたんだけどさ、感激して夜の仕込み忘れたから店は閉店」
「アリスちゃんとルチアちゃんの二人の舞台も素敵だったけれど、四人の舞台はもっと華やかで素敵だったわぁ。そっちのかわいらしい子がカロンちゃんかしら? よく来てくれたわねぇ何か食べる? お子様ランチ?」
「え、えっと、わっ、わたしこれでも、十四だから」
「おっさん、カロンが怖がってるから凄むのをやめろ」
「だからおっさんって言わないでくれる? って何回言えば分かるわけ?」
二人の言い合いにカロンが加わり一気に場が賑やかになる。いつもだったら微笑ましく思い、同じように話に加わったのだろうが、私はその場から動けず立ち尽くしていた。隣のルチアも同様に。
一週間ぶりに帰ってきたキョウヤは普段通りの明るさだった。これまでと何も変わらない。だから余計にどう話せばいいのか分からなかった。エフィネアの様子を見てもイザベラの話は本当であるのだろうから。
「アリス、ルチアも! 見てこれ、お土産」
そんな私達の前にキョウヤが鞄から何かを取り出し、嬉々とした様子で持ってきてくれる。手のひら大の平たい丸缶は桃色で、星の模様が散らばった蓋を開けると、その中にはそれこそ星のような形をした見たことのない小さなお菓子が詰まっていた。
「コンペイトウって知ってる? 砂糖菓子なんだけど甘くて美味しいんだ。北部領で有名なところのお店にちょっと寄ってきたから、君達にどうかと思って」
様々な色のそれは眺めているだけでも楽しい気持ちになるようなかわいらしさで、聞いているだけでほんのりと甘い匂いが漂ってくるようだった。蓋を閉めた缶を差し出され、反射的に私は受け取る。あ、ルチアの分もあるからねという声を聞きながら、どうしてだろうと手元のそれをじっと見つめた。
どうしてこんなに私達を気遣ってくれるのだろう。どうしてこんなに明るくて、優しくて……太陽のように素敵な人なのだろう。
「ーーキョウヤさん、元の世界に帰るんですか?」
それなのにどうして、私達に何も言わずにいなくなってしまうのだろう。
「……え?」
顔を見ることができなかった。尋ねたけれど、答えが返ってくるのが怖かった。だけど、
「あ…………えっと……うん……。もしかして、エフィネア嬢から聞いた? 日がちゃんと決まってから伝えようかなって思ってたんだけど……」
本人の口からそう聞いてしまい、途端に感情の波がぶわっと全身を駆け巡った。
どうして、あんまり寂しそうじゃないんだろう。どうして、そんなに淡々と明るい声でいられるのだろう。
どうして、こんなときでも、その顔には笑みが浮かべられているのだろう。
「それならどうして、私がいなくなるんじゃないかって心配なんかしたんですか……?」
先日の出来事を思い出す。私が家に戻るのではないかと不安に思ってくれたことが素直に嬉しかった。でも、でもそれならどうして。
「どうせ……どうせキョウヤさんの方が最初からいなくなるつもりだったのなら、私がここからいなくなろうが誰かと結婚してどこかに行こうが、あなたにはまったく何にも関係なかったんじゃない……ッ!」
『君が誰かの君にならなくて良かった』
そんなことを言いながら、キョウヤの方がいなくなる。私の『誰か』になる気なんて彼にはなくて、彼は『誰か』のキョウヤとなる。私が勝手に一人で夢見て期待していただけ。
そのことに気がつくと自分が情けなくて滑稽で、目頭が熱くなり視界が歪んだ。渡してくれた丸缶を衝動的に突き返して横を抜ける。突き返された彼がどのような顔をするのかも想像できてしまい、自分がしたことにさらに胸が痛くなって涙が滲んだ。
「アリスっ……!」
ひどく動揺した声に胸を締めつけられながらも、追いつかれたくなくて足を速める。そのまま私は自分の部屋へ逃げるように階段を駆け上った。