5ー5
「アルフェン様に一度お聞きしたことがあるのですわ。なぜそれほどまでに妹のアリスさんを大切に想われているのかと」
嫉妬心から、と正直に答えるイザベラの後ろには薔薇が咲き、美しい彼女と相まって絵画のようだと場違いに感じた。
『自分の両親はどうしようもない人間で、周囲からもあの伯爵家の息子だと白い目で見られ、家にも外にも自分の居場所はありませんでした。しかし十三のときに、同じくどこにも居場所がない妹のアリスがやってきた。妹は俺自身だったのです。だからアリスを気にかけ大切にし、自分のためにも絶対に守らなければならないと思いました。そして守ろうと思える存在ができたことが俺には何より嬉しかった。妹が俺の居場所を作ってくれたから、俺はアリスをいつまでも大切に思っているのです』
「騎士団に入団した理由も、守れる力を手に入れるためだとおっしゃっていました」
イザベラが一つ息を吸う。
「ですからあたくしは、あなたのことが憎かった……! あたくしがどんなに手に入れたくても手に入れられないものを、あなたは全部持っていたから……っ!」
その叫びは怒りではなく悲嘆だった。いまにも泣き出しそうに顔を歪めて伝えてくる思いはしかし、身勝手な気持ちであることを理解しているように感情が抑え込まれていた。
「優勝して自由の身になったところで、このような気持ちで想いを伝えることなどできません。ですから歌姫として、中央で仕事を行っているとあなた達の話を耳にしたのです。それはエフィネア様が南部領の孤児院で自ら慰問舞台を行われているという話で、本当になんとなく気になったので仕事の合間に拝見しに伺ったのですが」
イザベラがふと、肩の力を抜いて片腕を抱く。視線を落として脱力する姿は何かを諦めているように見えた。
「あのような舞台……あたくしは知りませんでした。子供達が笑顔になって、大人達も皆楽しそうで、底抜けに明るい雰囲気に元気をもらえるような気持ちになる……。知らない曲なのに興味を惹かれ、耳を澄まして目で追いかけてしまう。あたくしの舞台とはまるで大違い」
疲れたように笑うイザベラは自嘲しているようで、彼女について何も知らなかった私がこんな風に感じていいのか分からなかったが、とても胸が痛くなった。
「そしてあなたが周りからアリスと呼ばれているのが耳に届いて……ああ彼女がアルフェン様が大切にされている妹なのだと。アルフェン様があれほど大切に思われているというのに、何も知らずに自由に好き勝手生きている妹なのだと、憎くて憎くて……。……憎くて、けれど楽しそうに歌い踊り、自然と周囲に人が集まるあなたを見て、……羨ましく思ったのです」
そこまで言うとイザベラは口をつぐみ、場に静寂が訪れた。彼女の本音を聞いてみたいと口にしたのは自分なのに、なんて言葉を発したらいいのか分からなかった。自然と視線が下を向き、考える。
兄が私を大切にしてくれていることは知っていた。何も知らなかったわけではない。けれど唐突に妹がいると聞かされただろう兄が、血が繋がっていようが突然現れた見知らぬ私をなぜそんなにも大切に思ってくれているのかは知らなかった。兄があの家に居場所がないと思っていたことも、騎士団入団した理由もいま初めて知ったのだ。
兄に頼り切っていたことは事実なので、彼女から責められ部分はあるのかもしれない。けれどだからといって私が深く頭を下げるべき内容でもない。ただ何を思っていたのか知ることができてすっきりした。私は体の前で両手を揃える。
「詳しくお話していただいて、どうもありがとうございました。イザベラ様が感じ思われていたこと、よく理解できました」
頭を下げてお礼を言うが、彼女は視線を落としたまま目を合わせない。
「私の知らない兄のことも、お話していただきありがとうございます。……私の口からは信じられないかと思いますが、兄はイザベラ様のことをとても信頼しているのだと思いました」
「……えっ?」
ようやく彼女の瞳がこちらを向く。きょとんと瞬く顔を見てイザベラは何も知らないのだなと思う。
「兄は誰に対しても気さくですが、誰かに私の話をすることはほとんどないと思うのです。私は……事情でほとんど家の中で過ごしていたので、そんな訳ありの妹の話を誰かにわざわざすることはありません。それに、兄が自分の気持ちをイザベラ様に語ったこと、それこそが兄がイザベラ様に心を許している証だと思います」
最低限の社交界に参加するときは兄もついてきてくれて、いつも挨拶はそこそこに終わらせると二人で卓上に並べられた料理やデザートをつまみながら回っていた。兄に話しかけてくる人はたくさんいたが、それでも私を軽く紹介するだけでそれ以上の話をすることは一度もなかった。私があまり他人と関わりたくないということを理解してくれていたからだ。
「だからその、兄が私を大切に思ってくださっているのは家族としてですので……。イザベラ様もどうかお気を落とさずに、想いを伝えられても大丈夫なのではと、」
「へ……へっ!?」
「ぶっ……! ちょっとアリス、いきなり何の話になってるのよ!?」
すると突然、隣で話を聞いてくれていたルチアが突っ込んでくる。言われて考えると自分でもいま何の話をしようとしていたのか分からなくなった。
「あ、あれ? 私、何を伝えようとしてたんだっけ」
「突然お兄さんへの告白をおすすめしてるし……。あたし達別に金髪お嬢様の恋愛相談を受けていたわけじゃないわよね?」
「あら、ですがイザベラ様とアルフェン様がご結婚なさればすべてが円満解決なのではないでしょうか?」
「……そうなの? アリスちゃん」
「ちょっ……お待ちなさいっ! 何を勝手なことを……! そちらに関してはアルフェン様のお気持ちが一番大事でしょう!? 蔑ろにしていいものでは決してなくてよ!」
まぁ顔を赤くして叫ぶイザベラの言う通りである。子供の頃の話を聞くに、一度肩書きを利用して婚約者となろうとした事実を反省したことがあるのだろう。当の本人が至極真っ当なことを言っていた。
場の空気が少しやわらかくなる。しかしルチアに言われた通り結局私は何を伝えようとしたのか考えを巡らせ、すぐさま思い出した。
「そうでした、えぇと……。イザベラ様がよろしければ、私達と一緒に大会に出場されませんか?」
「「えっ!?」」
提案するとイザベラとルチアが勢いよくこちらを振り向く。二人ともまったく同じ顔をしており、そうだろうなと苦笑する。
「なっ……何を突然……」
「そうよアリス! ついさっきけなされたことを忘れたの? 幼稚で軽い子供のお遊びって言われたじゃない、本心なんでしょこれだって!」
「うん……でも、素敵だって思ってくれたことも本心だと思うから。それに、イザベラ様は私にたくさんの道を作ってくださったから。偉そうに言うわけじゃないけれど……一緒に舞台に上がる道もあるのかなって」
大会も審査もイザベラが力になってくれたから出場して受けることができる。そうでなくても私はキョウヤを始め、たくさんの人が手を差し伸べてくれたからここにいる。選択肢と道を与えられてばかりの私ができることは少ないけれど、羨ましいと思ってくれた彼女に一つの道を作って教えられたらと思ったのだ。
「わたしはいいと思う」
すると、いままで無言で見守ってくれていたカロンが近くに寄ってきて見上げてくる。
「わたしも最初は何にも知らなかったけど、みんなと一緒に歌って踊ることができて楽しかったから。一人じゃなくて、一緒に頑張れるのが楽しかったから。だから、イザベラ様が一緒でも楽しくなると思う」
「カロンがこのように話されるのでしたらわたくしが口を挟むことではないでしょう。わたくしは結局、アリスさんとルチアさんを追いかけて楽しませていただいているだけの身ですので」
カロンとエフィネアが頷いてくれたことから、私は自分のした提案がおかしくはなかったと勇気をもらう。流れでみんなの視線がルチアに集まり、彼女は複雑そうに顔を歪めた。
「…………真剣にやってくれるのならあたしは別に何でもいいわよ」
「ルチア……」
「ただし、また好き放題にあたし達のやることをけなすようならアリスのお兄さんに全部バラすから」
ひっ……と小さな悲鳴を漏らすイザベラと、腕を組んで仁王立ちするルチアを眺め、一瞬どちらが貴族なのか分からなくなった。追い出すとか引っ叩くではなく兄の話を持ち出すあたり、舞台に上がる以上は手を抜くことは許さないというルチアの真剣な気持ちがよくよく心に伝わってきた。
「勝手にいろいろと言ってしまいましたけれど……イザベラ様のお気持ちはどうでしょうか?」
しかし結局のところはイザベラの気持ち次第である。彼女は信じられないようなものを見る目で私達のことを眺めていたが、
「………………………そこまでおっしゃるのならご一緒してもよろしいですわよ?」
しばらくしてからつんと澄ました顔をして、照れ隠しのように早口に呟いたのがよく聞こえた。
「どうせアリスと仲良くしたらアリスのお兄さんが嬉しそうにしてくれるだろうし一緒に舞台に上がったら自分のことも見てくれるだろうあわよくば好きになってくれるかもって算段なのは分かってるんだからね!」
「な、なっ……! そのようなこと……っ思いましたけれど! 先程からあなたは一体何なのです!? このあたくしに向かってそのような口の利き方をなさって……!」
「あたしはルチアよ、貴族が嫌いなの。あなたみたいな何でもかんでも好きに言う人にはあたしだって何でもかんでも好きに言うから。あと舞台上では貴族も平民も関係ないからそこのとこちゃんと理解しときなさいよね」
「っ……アリスさんっ! なぜこのような方と一緒に!? あたくしにこのような態度を取られる方など生まれて初めて見ましたわ!」
主にルチアが溜まっていた鬱憤を吐き出すように、二人の忖度ない応酬が始まったが苦笑いして受け流すことにした。最初に言い合いをした方がのちのち禍根が残らないことは私が経験済みである。
「アリスちゃん、五人で大会に出るんだね」
「良い方向へとまとまったようで良かったです。アリスさん、ありがとうございました」
「いいえ、私は何も……いろいろ勝手に決めてしまいましたし」
「よろしいのですよ、それよりも大会まではあと一ヶ月ですか……。今回はそれぞれ生活をする場所が違いますから、何かと相談する必要が出てきそうですね」
「わたしも少しずつ勉強し始めたから、前よりも練習は大変になるのかな? そういえばキョウヤくんも最近忙しいんだよね、あんまり会えなくなったら寂しいな……」
「…………キョウヤ様? とは、キョウヤ・シノミヤ様のことですか? 確か浮島の……」
言い合いから発展したのかなぜかルチアと掴み合いをしていたイザベラが不意に口を挟んでくる。エフィネアと同様に公爵家の人間であるからか、どうやらキョウヤの名前も正体も彼女は知っているようであった。
「はい、イザベラ様もご存じなのですね。えぇと、彼と私達は知り合いなのです」
「そうなのですか……ということは、あなた方が歌われていたのは浮島を元にした歌だったのですわね。道理であたくしがまったく聴いた覚えがないはずです。しかし、まだお暇されてはいなかったのですね? ああでも確かにいまも浮島は空に存在していますものね」
「……? あの、一体何の話でしょうか?」
イザベラが話した内容の意味が分からず首を傾げる。横からエフィネアがなぜか焦ったように彼女の名前を呼んだが、イザベラは意に介さずに言葉を続ける。
「ご存じないのですか? 近く、浮人の方々は浮島と共に元の場所へお帰りになるそうで。……二ヶ月ほど前のことだったかしら、その代弁者の彼が王城で王様に謁見なさって直接お話されたみたいですわ」
思い出しながら話すイザベラの言葉が耳を通り抜けていく。なぜエフィネアが苦い顔をして口をつぐんでいるのかも分からなかった。
「確か、勝手ながら数ヶ月後にお暇する、と話されたとお聞きしたような……。あれから二ヶ月は経過しましたし、アリスさんとお知り合いの彼ももうしばらくしたらお帰りになるのではない……か…………と……?」
打って変わった空気にイザベラが困惑して焦り出す。エフィネアが何事か声をかけていたが既に私の耳に入ってはいなかった。
冷たくないのに両手をさする。優しく握られた手の感触を思い出そうとして、胸が痛くなりできなかった。
キョウヤが帰る? 元の世界に……。この国から、私の前からいなくなる?
数ヶ月前から決まっていた。彼はずっとそのつもりでいた。何も教えてくれなかった。
何も教えてくれなかった……。私は彼にとってその程度だったのだと気づき、痛くて苦しくて悲しくなった。