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5ー3


 兄は王家を主に、次いでラズベル公爵家の守護もする騎士団の副団長だ。当然仕事は王城と公爵家の周囲に固まる。したがってイザベラと知り合いでも何らおかしなことはないのだが、こうして公爵令嬢がそれなりに人通りのある場所で使用人の供もなく、男性と二人で歩いていることはほんの少しだけ不思議に思った。勤務中の兄は鎧を身につけているが、そうでないときはこの間リンドバーグで出会ったときのように正装に近い貴族衣装を常に、腰に長剣を携えている。遠目で見えたがいまもその服装だったので休憩中か、何か他に公爵家に用事でもあったのだろうか。


「アリスちゃんのお兄ちゃんとイザベラ様、近づいてくるね」

「近づいてくる? アリスに何か用事ってこと?」

「でもお兄さまは私が今日セントレアに来ることは知らないと思うけど……それにいまは馬車の中だし」

「お待ちください、会話が聞こえて……。カーテンを少し閉めますね、カロンは少しだけ窓を開けてくださる?」

「分かった」


 と、窓際のエフィネアとカロンがそれぞれ動く。薄暗くなった馬車の中で唐突に耳をそばだてることになったが、すぐに通り過ぎていくのに内容なんて聞こえるはずは……と思っていると、なんと二人はちょうどこの馬車の近くで立ち止まったようだった。


「……どうして馬車の隣で立ち止まるのよ?」

「さぁ……ここ貴族街だし、馬車の中でご飯食べる人達なんてほとんどいないと思うから、誰も乗っていないって思ってるのかも」

「ちょうどよいです、アルフェン様には申し訳ありませんが、何をお話しているのかお聞きしてみましょう」

「…………いいの?」

「ええ、だってお二人の方がこの馬車の近くで立ち止まったのですもの。わたくし達に非はございません!」


 ある胸を張って小声で言い切るエフィネアは大層清々しかった。成り行きで盗み聞きをすることになってしまったが彼女の言うことは一応正しい……。兄には申し訳ないと思いつつ何を話しているのか好奇心が勝ってしまった私は、複雑な気持ちになりながら食べかけのクレープ・サレを頬張った。


『ーーいえ、ご予定も伺わず突然押しかけてしまい申し訳ありませんでした。しかしイザベランカ嬢に直接感謝を申し上げることができて良かったです。歌踊大会の再開催に関して、あなた様が公爵様に口利きしてくださったとお聞きしたので』

『いっ、いえ……王家から長年運営を任命されている以上知らなかったでは済まされず、責任は取るべきだと思いましたので……。お恥ずかしながら頭の硬い父でしたが、アルフェン様の妹様におきましても良い方向へ道が開かれたのであればあたくしも嬉しく思いますわ』

『それはもちろん! 妹も感謝していることでしょう。それに、妹が審査を受けさせていただけることになった件に関しても、イザベランカ嬢がご意見を出してくださったとのこと。感謝してもしきれぬ思いです』

『あ、あたくしはそのっ……! この間の大会で光栄にも中央の歌踊職人となることができまして……。その四年に一度の大会のために長い間練習し続けてきたお気持ちもよく分かりましたので……。不運で出場できなかった妹様に、もう一度機会を与えられることができたらと』

『あなた様のそのお気持ちが、俺には何よりも嬉しいものです。ラズベル公爵家のご令嬢がこんなにも慈悲深く素敵な女性であることを、この国のすべての民に広めたいほどに。本当にありがとうございます』


 と、カーテンの隙間から覗き込み、後ろ姿しか見えない兄が頭を下げると、イザベラの顔が火が出そうなほどに真っ赤になった。


「「「「……………………」」」」


 窓の外ではイザベラがもじもじと髪の毛先をいじっている姿が見える。馬車の中にはカロンがもぐもぐと口を動かす音だけが聞こえる。この短い間でとんでもない情報が満載に出てきたが会話はまだ続くようで、しなくてもいいのに私は再び息を潜める。


『そんな、アルフェン様が妹様を思われるお気持ちの方がとても美しくて素敵ですわ……! もうずっと昔から妹様……アリス様のことをとても大切にしていらっしゃることは、あたくしも存じておりましたので……』

『ええ、イザベランカ嬢には随分と昔から俺の身内話をお聞かせしてしまいまして……本当に申し訳ない』

『いっ、いいえ! アルフェン様とお話ができることをとても楽しみにしていたのですから! ……そ、そうですわ! アリス様がリンドバーグの孤児院で行われた慰問舞台のお話、お聞きしました。それで、実はあたくし拝見しにいきましたの』

「えっ!? 金髪お嬢様見にきてたの!? わざわざリンドバーグにまで!?」

『そうだったのですか! 実は俺も妹には内緒で足を運んだのですが、まさかイザベランカ嬢もお越しになっていたとは』

「え!? お兄さまも来てたの!? 視察が終わって中央に帰ったと思ってたのに……」


 ルチアと同じように小声で突っ込む。兄に舞台を見られていたことに若干の気恥ずかしさを覚えたが、もはや会話の内容が気になって盗み聞きをしている申し訳なさなどなくなっていた。


『え、ええ! 仕事の間の息抜きという形で……。……そちらでアリス様とエフィネア様とご友人方の舞台を拝見しましたが、見ているこちらの心が明るくなるような、夢中になって目を追いかけてしまうようなとても素敵なものでしたわ』


 そしてイザベラの穏やかな物言いに耳を疑い、みんなと顔を見合わせた。先程大講堂で話していた内容と真逆のことを口にしていたからだ。


『あたくしが知らない歌や踊りに、見たこともない衣装を身にまとっておりましたけれど、彼女達を眺める子供達や人々の瞳が輝いていたのが印象的でしたわ。アリス様達も楽しそうで……こう言ってはお恥ずかしいのですが、少しだけ羨ましく感じてしまいました』


 その表情は兄を前にして頬が上気し、常に涼しげに思えた目元と唇はやわらかく笑っていた。申し訳ないが、兄に嫌われないように口先だけの感想を伝えているのかとも一瞬考えたが、その内容には感情が伴いでまかせを話しているようには聞こえなかった。

 乗り出していた身を引いて深く座り直す。みんなももう十分だと思ったのか同じように席に戻る。カロンが少しだけ開いた窓をそっと閉めた。


「……どういうこと?」


 ルチアが神妙に口火を切る。当然出てくる疑問だった。


「えぇと……イザベラ様は、アリスちゃんのお兄ちゃんのことが好きみたい、ってこと?」

「それはまぁ別に何でもいいけれど、そうじゃなくて、さっきと言ってることが全然違うって話よ」

「……エフィネア様はイザベラ様と昔からのお知り合いなのですよね。彼女は本当はどのような方なのですか?」


 父親に似て自尊心が高い人であること、私一人で会わない方がいいような人物であること。私達よりもエフィネアの方が詳しく知っていると思い尋ねると、彼女はなぜか困ったように微笑んだ。


「いま、皆さんが思っていらっしゃる通りの方なのです」

「……?」

「大講堂でのお話と、いまアルフェン様とされていたお話と、どちらが彼女の本当のお気持ちなのかと思われていることでしょうが、どちらも本心であるのです。嘘をついていらっしゃるわけではない……。ですが、人は悪く言われたことの方を強く記憶してしまいますので、彼女の周りには子供の頃から誰一人おりませんでした」


 そのときのことを思い出しているのか、エフィネアは少しだけ寂しそうな顔を見せる。彼女とイザベラは同い年だったはずだが、周囲に馴染めない妹を心配する姉のような表情をしていた。


「不器用なのです、おそらくわたくし達の誰よりも一番。アリスさんをお一人で伺わせたくなかったのは、きっと先程のように嫌なお気持ちになる言葉を投げかけられて、アリスさんが勘違いをしたまま話が終わってしまうだろうと思ったからです。ただ、その酷い言葉も本心ですから、皆さんが腹を立てられるのも無理はないことなのですが」

「じゃあイザベラ様はさっき、最後に羨ましいって言ってたけど、もしかしてわたし達と一瞬に歌ってみたいって思ったりしたのかな」

「お聞きしてみないことには分かりませんが、少しはそのように思ってくださったのではと思っています。嘘をつけないのです、彼女は」


 最後ににっこりと微笑むと、エフィネアは小窓に視線を向ける。おそらくもういなくなっているだろう兄とイザベラの会話を思い返すと、大講堂での話と合わせて何とも……複雑な気持ちになる。


「あ〜〜めんどくさい!」


 ルチアが天を仰いで叫ぶ。完全に同じ意見だったが、自分も面倒な人間の部類なので口には出せない。しかしじゃあこの後はどうするか考えたときに、無意識に言葉がついて出てきた。


「……もう一度話してみた方がいいのかな」


 三人の視線がこちらを向く。彼女達の顔を見回した。


「公爵邸に訪ねたら、また会って話してくれるかな」

「……そうですね、出迎えてくれるのではないかと思います。ありがとうございます、アリスさん」


 なぜだかエフィネアにお礼を言われ、そんなつもりではないと両手を振った。イザベラについての話を聞いたからというより、大会に向けてすっきりとした気持ちでいたかったからだ。どうしようもなく自分のためだ。

 けれど大会の再開催と審査の件を彼女が計らってくれたのなら、改めてお礼は言いたいと思った。講堂では思わず煽るような形で別れてしまったので、顔を合わせてくれるかは分からないが。

 そういえば兄からイザベラのことを聞かされたことがあったかもしれない。そのときは他家の令嬢について興味がなかったのでいまは何も覚えていないが、兄が私の話をしていたということは彼女は悪い人ではないのだろう。そう思いながら私達は馬車を降り、公爵邸に向かうことにした。



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