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5.イザベランカ


 馬車に揺られて中央王都セントレアに向かっている。ロランドの町から六時間以上はかかるので、途中に休憩を何度か挟みながらの道中になっていた。

 日の出とともにルチアとハミルトンを出発し、現在はお昼前である。初夏が訪れ、最近は毎日太陽の光がさんさんと降り注いでいた。小窓から外を覗くとちょうどセントレアに到着したみたいだったが、馬車は停まることなく走り続ける。私達はその先のーーラズベル公爵邸へと招かれていた。


「やっとセントレアに着いたみたいね……。さすがに長時間座ったままなのは疲れるわぁ……って、そういえばアリスの家ってこの近くにあるんだったわよね」


 向かいの座席で半袖のブラウスに短いキュロットスカート、底の厚い革靴を履き、白い手足を惜しげもなく晒すルチアがあくびを噛み殺して涙を浮かべている。確かに二ヶ月ほど前までは私はセントレアの貴族街で生活していた。


「お兄さんが当主になったからもうクズ父親はいなくなったってこの前聞いたけれど、一度帰ったりしなくていいの? お兄さんに挨拶とか」


 ギデオンに代わり当主になると、兄から直接話を聞いたのは二週間ほど前になる。そしてその数日後には本当に当主になっていた。私の知らないところで前々から準備をしてきていたのかその速さには目を見張ったが、さらに当日中には王家に歌踊大会の再開催を進言した。自分の兄ながら行動力にとても驚かされたものだ。


「ううん、大丈夫。お兄さまにはこの間会えたし、大会がもう一度開かれることになったお礼についても手紙で伝えたから。帰らなくてもいいかなって」

「本人がいいならいいけれど……。それにしても、本当にもう一度開かれることになったなんてすごいわよね! 四年に一度なのに。それに、あたし達も出ていいことになるなんてね!」


 嬉々として語るルチアに私も激しく同意する。兄から手紙で伝えられたときはまさか本当にと思ったものだ。

 約一ヶ月後、夏真っ盛りの時期に歌踊大会が再度開催されることに決定した。それは異例のことであり、しかし今年のものが正しく行われなかったための正式な処置でもあった。毎年爵位を持つ者しか出場することはできなかったがこちらも例外として、今回は身分を問わずに誰でも出られることになる。爵位を持つラズベル公爵家が犯した失態の反省、という意味も含めての試みなのかもしれなかったが。

 そしてその大会には私一人ではなくみんなで出ようという話にまとまり、一ヶ月後に向けて準備を始めようとしていたときであった。ラズベル公爵家の一人娘である、イザベランカ・ラズベル公爵令嬢から、私宛てに話をしたいとエフィネアを通して一通の手紙が送られてきたのは。


「でもその、中央のお嬢様はアリスに何の用なのかしら。話したことないんでしょ?」

「うん、たぶん……。お兄さまに言われて最低限の社交界には出てたけど、王家とか公爵家のものには出なかったし……。正直よく覚えてなくて……」

「ふーん、まぁ昔のアリスは他人に興味なさそうだものね。……あ、もしかして到着した?」


 カラカラと回っていた車輪がゆっくりと停車する。身軽に馬車を降りるルチアに続き、私も長いスカートに足を取られないよう注意しながら外に出る。セントレアの中心部、幅の広い大通りの道端で私達はそれを見上げる。


「これが、王城……」


 ここに来るまでになだらかな斜面を上ってきた。先には円形の大きな広場があり、そこからさらに伸びる中央の斜面を上がった先には王城がそびえ立っていた。王家の敷地内はその道からとなるが見上げるほどに高い門扉が行く先を厳重に閉ざしており、両端には騎士団の兵士が微動だにせず控えている。私もこの広場に来たことは数えるほどしかないので、久々の壮観な眺めだった。


「えーと……そのラズベルってお嬢様の家はこっちなの?」

「うん、右に行くとすぐにラズベル公爵邸が見えて、左には大会で使われる大講堂があるんだよ」

「へぇ〜大講堂ってお城の近くにあるのね。それより、ここで二人と待ち合わせのはずだけれど……」

「まだ来てないのかな? って、あ!」


 周りを見渡すと、道の向こうから取り分け目立つ二人組が歩いてきたので私達は小走りで駆け寄った。品のある雰囲気を漂わすエフィネアと彼女に付き従う影のようなレイだったが、エフィネアも初夏の装いとなりスカートに重ねられる布の数もこの前より少なくなっていた。


「アリスさん、ルチアさん、ご機嫌よう。およそ一週間ぶりですね。先日はあれから他の孤児院でも慰問舞台を行っていただきまして、改めてありがとうございました」


 薄手になったスカートの両端をつまんで頭を下げる動作は道の端でも優雅である。半袖となっても胸の谷間を強調するドレスのデザインは変わらなかったが。涼しそうではあるけれど。


「季節も初夏となりましたね。お二人のお洋服もよくお似合いで」

「え……! い、いえ、ルチアはともかく私の方は……」

「ふふ、その髪留めも髪色と似合っていてかわいらしいことです」


 私の格好は胸元に赤いリボンが付いているが、白の半袖シャツに薄茶のロングスカートといたって地味で普通である。リンドバーグに滞在していたときとは長袖か半袖かの違いしかないのになぜ今更お世辞をと思ったら、微笑ましいものを見るような視線を寄越されて気恥ずかしさにいたたまれなくなった。

 キョウヤがりんごとその花の髪留めを贈ってくれた後、大事に仕舞い続けるよりはと早速髪に付けてみた。一つが小さいので縦に二つ並べて付けてもそれほど目立つことはない。私にはちょうど良いかもと感じたそれも光を受けると反射してきらきらと輝くのが綺麗で、それからはハミルトンで給仕の手伝いをするときなども常に身につけるようになっていた。


『やっぱりすごく似合ってるね』


 と彼に言われた日は、顔に出さずに心の中で浮き足立っていたくらいだ。

 みんなにもキョウヤが贈ってくれたことを普通の話題として話したし、ロランドに戻ってルチアが何か突っ込んでくることもなかったが、どうやらエフィネアは違うようであった。


「あ、ありがとうございます」

「キョウヤ様からいただいたのでしたね。キョウヤ様はとても親しみやすい方ですが、女性に贈り物などは頻繁にされる方なのでしょうか?」

「頻繁にというより、そんなことしてるの見たことないわね。まぁあたしの知らないところで何してるのかは当然知らないけれど……。一応あんな性格だからお店に来た女の人に言い寄られたりしてるのは見たことあるけれど、結局そういう人種はキョウヤ苦手だし、自分からはまったく近づいていかないし」

「まあ……それでは女性にはあまり興味がないのでしょうか」

「さぁ……。とりあえず物を贈るくらいだからアリスには興味あるんじゃない? 知らないけれど」


 ルチアの投げやりな返事を聞いて隣で噴き出しそうになった。そうなのですか、それは良かったですね、と慈愛に満ちた微笑みを向けてくるエフィネアは結局何が言いたかったのか……。もうこの話はやめてほしいと思い私は一つ咳払いすると、話題を探そうとしてあることに気づく。


「あの、カロンちゃんはどこにいるのでしょう? エフィネア様とご一緒に来られたのですよね?」


 そもそも招かれたのは私一人だったはずなのだがなぜ他の三人も来ているのかというと、私の了承を得る前にエフィネアが独断で了承の返信をしたからである。四人で訪れるという旨を記して。まぁ別にいいのだが。


「ええ、馬車の中におりますよ。ただ外に出られるのを恥ずかしがっているみたいでして……」

「……? どうしてですか?」

「それは…………ふふっ」


 幼子を見守るような微笑みを浮かべるエフィネアに、ルチアと顔を見合わせる。一体どうしたのだろうかと彼女達が乗ってきた馬車へと歩み寄り、外からカロンへ声をかける。


「カロンちゃん、私だよ。ルチアも一緒。開けてもいい?」


 閉められた扉を開けようとすると中から慌てるような物音が響く。やはり返事があるまで待っているべきかと立ち止まっていると、しばらくしてから扉が開きおずおずとカロンが降りてきた。その姿を見て私は思わず目を見張った。


「へぇ……! カロン、似合ってるじゃない!」


 ルチアも驚いたように目を開く。ズボン姿しか見たことがなく少年のような服装が多かったカロンだが、目の前の彼女は上品なクリーム色の半袖のワンピースを着用していた。頭には花の飾りがかわいらしいカチューシャを付け、服と同色のかかとの低いヒールを履いている。銀の髪色と相まって、どこかの令嬢と言われてもおかしくない可憐な雰囲気をまとわせていた。


「アリスちゃん、ルチアちゃん……」


 カロンが気恥ずかしそうに眉を下げ、私達を交互に見上げてくる。うさぎのぬいぐるみの頭だけ飛び出たリュックを背負っていることは変わりなかったが、一週間前に別れたときとはまるで違う印象に、私は心臓を撃ち抜かれた気分だった。


「わたくしが選んでみたのです! 仮にも中央を治めるラズベル公爵邸を訪れるならば、相応しい格好の方が良いのではないかと思いまして!」


 似合っているでしょう? との自信満々な笑顔には激しく同意したが、それを建前として一時的に着せ替え人形にさせられたのだろうカロンの姿も想像できてしまい少しだけ同情した。しかしとてつもなくかわいいことは間違いない。そして公爵邸を訪れる相応しい格好、と聞いてなんとなくルチアを盗み見る。が、がっつりと目が合って慌てて逸らした。まぁ服装なんて何でもいいと思う、分からないけど。


「カロンちゃん、すごくかわいいよ! 初めてスカートをはいている姿を見たけど物凄く似合ってる!」

「ほんと……? エフィネア様が選んでくれたけど、スカートははいたことなかったから少し恥ずかしい……」

「修道院に入ってシスターを目指すならそれからずっとスカートになるものね」

「うん、だから試してみようと思って……。変じゃないなら良かった。ありがとうアリスちゃん、ルチアちゃん」


 頬を赤くしてはにかんで笑うカロンを見て、レイ以外の全員が胸を手で抑えた。きょろきょろと物珍しそうに首を巡らしながら、とことこと慣れないヒールで歩く後ろ姿をキョウヤがいたら絶対に写真に撮っていたことだろう。タブレットを持っている彼の存在がそういう意味で恋しくなった。


「さて、と。それじゃあいまから公爵邸を訪ねるのよね? あたしの勝手な想像だけれど、そのラズベルのお嬢様はなんか生粋のお嬢様って感じがするけれどね……。父親の公爵はプライドが高い人だって前にそこのお嬢様が言っていたし」

「あら、ルチアさん。とても的を射ていらっしゃるようで」


 カロンの爆発的なかわいさから立ち直ったエフィネアが扇を広げて口元を隠す。


「幼い頃から公爵家同士の社交界などがありましたので、わたくしとイザベランカ様……イザベラ様は互いによく知る仲なのですけれど……。昔から彼女は父君に似て少々自尊心が高いところがありまして」

「……えっと、つまり、どんな人?」

「貴族らしく偉そうってことよ。……今回あたしは口を挟まないで黙っていた方がよさそうね」


 はぁ、と息を吐くルチアはエフィネアに対しては楽に話をすることができるようになっていたが、前提として貴族の人間を好いていない。けれど自分が口を出したら言い争いになってしまうかもしれないと自覚し気をつけようとするあたり、最初に出会ったときよりも貴族に対する心境に変化が訪れているようだと少し思った。


「そんな人がどうしてアリスちゃんを呼んだんだろう……。本当はアリスちゃんだけ呼んだんだよね。わたし達が行って怒ったりとかしないかな」

「手紙でお伝えしましたのでご理解いただけていると思いますが、けれどアリスさんをお一人で伺わせたくなかったのは確かです。ですから勝手ながらこちらの判断で手紙をお返しさせていただきました」

「そ、そうだったのですか!?」


 初耳だ。エフィネアはイザベランカとは知り合いだろうと思っていたが、そのような考えを持っていたとは。しかしそれを聞いていままでまったく感じていなかった不安が心の奥から覗き出た。


「気にかけていただいてありがとうございます。おそらく歌踊大会についてのお話かと思いますが、エフィネア様がご一緒してくださり心強い限りです」

「まぁ、いまのアリスさんでしたら何をおっしゃられても大丈夫かと思いますけれど、一応というものです」


 やわらかく微笑むエフィネアの気持ちが有り難く、少しだけ気が楽になる。彼女だけではない、ルチアとカロンも一緒にいてくれるのだ。……キョウヤはここにはいなかったけれど。


「……? ねぇ、なんか高そうな馬車がこっちに向かってくるんだけれど……」


 すると、軽快に走る一台の馬車がこちらへと近づいてきた。ルチアの言う通りそれは私達が乗ってきたものとは大きく違い、馬は白く御者の格好も品のある貴族衣装で、一般的なものよりも二回りは大きいきらびやかな装飾の施された馬車であった。


「こちらは……」


 エフィネアがすっと両目を細める。その目元だけでなんとなく理解した。馬車は私達のそれの隣に停車すると、中から使用人と思われる男性が一人降りてくる。そして差し伸ばされた男性の手を取って、裾の長いドレスをさばきながら降りてきたのは長い金の髪を持つ女性だった。


「ご機嫌よう、エフィネア様。近々ご結婚されるようで。また日を改めてお祝いを申し上げさせていただきますわ」

「……ええ、ありがとうございます。イザベラ様」

「そちらがアリス・アプライド様ですわね。アルフェン・アプライド伯爵様の妹君の」


 なぜここで兄の名前が出るのか分からなかったが頷き返す。するとイザベランカの濃い紫色の瞳が細められた。まるで品定めでもするかのように。


「初めまして、あたくしはイザベランカ・ラズベル。親しみを込めてどうぞイザベラとお呼びくださいませ。到着が待ち遠しくてわざわざ出向いてしまいましたわ。遥々地方からご足労をおかけいたしました」


 言葉遣いは丁寧で穏やかな笑顔を浮かべていたが、その目は笑っていなかった。

 理由の分からない敵意を向けられるのはルチア以来だなぁと、隣の彼女を眺められるくらいには頭の中は冷静であった。



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