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「腹減った……」
「ごめんね……。キョウヤくん先に起きてご飯食べたのかと思ってたから」
「あ〜大丈夫だよカロン、寝てた俺が悪いだけだから」
「そうね、そのせいでアリスと王子様はもう出かけていっちゃったけどね」
「いやだって、確か町を視察するって行ってたよな? 仕事が終わって時間ができたら出かけるのかと思ってたのに、仕事する前に出かけるとは思わないじゃん!」
「その人、アリスちゃんと一緒に町に行くのも仕事のついで? なんじゃないかって、アリスちゃん言ってた。護衛? の人もこっそりついていくみたいなんだって」
「「ついで?」」
ソファの右隣に座ったルチアと声が重なる。反対隣のカロンがこくりと頷くのを見て、よく知らない王子の株が下降した。
朝食も食べ過ごした俺はカロンに起こされ、メレン公爵邸に初めて来たときに通された応接室に来るように言われた。アリスの兄……アルフェンから自分達に話があるようで、彼がいるということは視察には午後から行くのだろうかと何ともなしに考えていた俺は、既にアリスとシアンが出かけたことを知り呆然とした。護衛なのに何で別行動を取るんだと思った理由が先のカロンの言葉である。
つまりアリスと並んで町を見て回るのも視察のうちということか。まぁ男二人で回るよりは自然体であると思うが、彼女を使われているようで何か釈然としなかった。というか他にも護衛いたのか……。
ルチアも同じように思ったのか、それともまだこちらに何か言いたいことがあるのか分からなかったが、煮え切らない様子だった。そもそもアルフェンの話とは何なのだろう。こちらは別にアリスの兄と話すことはないのだが……と待っていると、扉ががちゃりと開かれた。
「おはようございます皆さん、既にお揃いでしたね」
「おはよう、アリスの友人方。突然呼びつけてしまって申し訳ないな。エフィネア嬢も、お忙しいところお時間を取っていただいて感謝します」
「アリスさんのお話ということでしたら、お聞きしないわけにはまいりませんので」
アリスの話?
レイを従えたエフィネアが一人掛けのソファに腰を下ろし、テーブルを挟んだ対面にアルフェンが座る。昨日と同じように動きやすそうだがきっちりとした貴族衣装を身にまとい、そこで初めてこのような服装でお忍びの視察などできないだろうことに気がつく。もしかして彼は仕事の他に別の目的があってリンドバーグに来たのだろうか。
「あぁ、アリスから許可はもらっているから心配することはない。本来は内密でメレン公爵家のどなたかに相談させていただくつもりだったのだが、何という偶然かアリスの友人方と出会えたんだ。君達にも聞いてほしいと思ってな」
疑問はすぐさまアルフェンの口から答えが出る。彼はシアンに付き従う形で公爵家の者に会いにきたのだ。そこのご令嬢が妹と仲良くしているとは思いも寄らなかったみたいだが、……これが昨夜言われたルチアが知っていて俺が知らないアリスの話なのだろうと理解する。
「中央で四年に一度開催される、国の大行事であるハルシア歌踊大会については知っているだろうか? 一ヶ月半前、アリスはそれに出場する予定だったんだが……俺達の父親に嵌められて、辞退せざるを得なかったんだ」
結局自分が尋ねる前にこうして第三者からアリスの話を聞かされることになるのは、嫌われるのが怖くて一歩を踏み出せなかった自分のせいでしかない。
神妙な面持ちで、しかし毅然とした態度で話すアルフェンの内容に、ああだからあのときアリスは歌い踊っていたのかと得心がいった。
一ヶ半前、初めて会った夜。彼女はいままでの練習で積み重ねてきた熱量を無心になって、誰もいない木々に囲まれた中心で吐き出していた。その歌が聞こえてきたから俺の足は広場に向かった。
けれどもし、その歌と踊りを大会で披露するつもりだったのなら。その事実を初めて知って、場違いにも胸の鼓動が早まった。
なぜならあの曲は、一度も会ったことのない俺の母親が歌っていた曲だったのだから。
アリスが家を出た一番の理由が実の父親に嵌められ、歌踊大会に出られなかったことだという話はやはり初めて聞くものだった。前に湖で話を聞いた限りでも彼女の父親はどうしようもない人間だと思ったが……。数年の間その大会に向けて練習していたのに、目前で披露できなくなった悔しさと怒りは計り知れないものだっただろう。途中アルフェンが大仰にアリスが父親を拳で殴った話をしたときは、ルチア以外の俺達三人は呆気に取られた。いまのアリスからはまったく想像ができず……しかし彼女が歌に対する激情を秘めていることは一緒に過ごして理解していたので納得するものでもあった。
横目でルチアを見る。昨夜とは打って変わって静かであるので知っていたのだろう。カロンを見ると背筋を伸ばして一生懸命聞き入っているようだったが、アリスの過去を詳しく知らない彼女が理解できているかは定かではなかった。難しい話題は苦手なカロンに休憩させる意味を含めてテーブルのお菓子を指差すと、遠慮していたのか手に取ってちまちまと食べ始める。ルチアと一歳しか変わらないのに本当に小動物のようだと心が和んだ。
「今年の歌踊大会ではお一人辞退されたと聞いていましたけれど、その方がアリスさんだったのですね……」
「はい、それで……アリスは改ざんされた書類を持っていますし、父から俺に当主が変わるいま、歌踊大会で金銭的取引があったことを公表したいと考えているのです」
「お気持ちは分かりますが……。……ああ、なるほど。ですからアルフェン様はシアン様に付き従ってきたのですね」
「シアン様に指名され、こちらへ足を運ぶことになったのは本当に偶然でしたが……。しかしお聞きしていた通り、エフィネア嬢は頭の回転が早いのですね」
二人の間では既に話が通じ合ったようだが、こちらは何のことか分からない。しかしアリスのことなので口を挟もうとすると、先に隣から若干尖った声が飛んだ。
「話、見えないんだけれど」
「おっとすまない。つまりはだな、俺はもう一度歌踊大会を開催してほしいと掛け合おうとしているんだ」
「……もう一度? 四年に一回なのに、そんなことできるの?」
「そのために、メレン公爵家の方のお力をお借りしようと伺った。異国間文化交流大会のような外国の文化や人々に明るく、孤児を一人残らず救うほどに慈悲深く、」
「そして地方四つの公爵家の中では一番力を持ち、発言力がある。中央の公爵家と肩を並べるほどに」
扇を広げ口元を隠し、目だけで微笑んだエフィネアがアルフェンの言葉を継ぐ。大会の再開催を進言するに、伯爵家の力だけでは難しいのでメレン公爵家を頼ったことは分かったが、しかし純粋な疑問が口をついて出る。
「……なぜ中央の公爵家を頼らないのですか?」
「それは毎年の歌踊大会の運営を取り仕切っているのが、中央のラズベル公爵家だからです」
ぱちんとエフィネアが扇を閉じる。
「けれどラズベル公爵は責任者であって、実際の運営を行っているのは雇用している下の者達だと思われますので、この件に関して存じていないような気がいたしますが」
「まぁ……公爵様がわざわざ伯爵様からお金をもらう必要なんてないものね」
「ええ、ですがラズベル公爵は自尊心の高い方であるので、直接お話しても公爵家の名に泥を塗るような雇用人の失態など、認めるどころかもみ消してしまわれるかもしれません」
一般的に賄賂というものは、自分側の待遇を良くしてもらいたくて送るものだ。しかしアリスの場合は優遇されるどころか、舞台に上がることもできずに冷遇された。この場合、金を送った彼女の父親よりも、金を受け取ったラズベル公爵家の雇用人の方が、金を得るために出場者を私情で一人落としたことになり、罪が重くなるのではとエフィネアは言う。だからこそラズベル公爵は頑なに失敗を認めはしないだろうとも。
「ああ、だから俺はメレン公爵家と、王族であるシアン様にご助力いただきたく思っている。アリスを歌踊大会の舞台に上げさせてやりたいから」
視線を下に落とす、騎士であるアルフェンのきっぱりとした言葉には実感がこもっていた。おそらくアリスが練習する姿を長年見てきたからなのだろう。王家が事態を知ればもしかすると動いてくれるかもしれない。シアンに護衛を指名されたのは偶然のようだったが、アルフェンにとってはいろいろと都合が良かったことだろう。
音信不通だった妹の婚約者がどのような人物だったのか知ることができ、あわよくばそれを逆手に取り、下手に出て協力をお願いすることもできる。彼がそこまで考えているかは分からないが……騎士団の副団長となりこれから当主となるのなら、そこまで考えて行動をしていいてもおかしくないような気はした。さすがに貴族間の問題に口を挟むことはしないが。
「という詳細があってのお願いとなるのですが、エフィネア嬢、どうかお力をお貸ししていただけないでしょうか」
アルフェンが両拳を膝に置き、エフィネアに向き直って頭を下げる。どう答えるのだろうかと見守ると、彼女はにこりと微笑んだ。
「分かりました、よろしいでしょう。けれどこの件に関してはわたくしだけでなく、父と兄にもお話しして意見をお尋ねしてみることにします」
「十分です、誠に感謝申し上げます」
深々と再度頭を下げるその様子を見て、自分でもなぜか分からないまま彼女に声をかけていた。
「エフィネア嬢、よろしいんですか?」
「……何がですか?」
ことりと首を傾げられ、自分から尋ねたというのに言葉に詰まる。隣からの視線も感じたが、やはり何も出てこない。貴族間の話し合いに口を出すことはしないとたったいま思ったばかりなのに。
「キョウヤ様が繋いでくださった縁ではありませんか」
「……え?」
「あなたがわたくしを頼ってくださったから、巡り巡ってわたくしはアリスさんとルチアさんと知り合えました、カロンとも。けれどそれは、一番始めにキョウヤ様が皆さんに手を差し伸べてくださったから、こうしていまに繋がっているのです。あなたが繋いだ縁なのだと思います」
そんな風に言われたことがなくて心底驚く。少しだけお聞きした話ですがとエフィネアは笑うと、再度大きく頷いた。
「ですから、よろしいのです。それにもし再び開催されるのなら、わたくし達も出場できるかもしれませんし」
ね、ルチアさん、カロン、と笑いかけられて二人は驚いたようだった。そこで初めてエフィネアはあわよくば自分も出場できればと考えているのだろうことに気がつき、俺はどっと体の力が抜けて苦笑した。
少し苦手であることは変わらない。しかしさすが公爵令嬢と言うべきか、とても強かな人だと思った。
話がまとまり、空気が変わって場が和む。アルフェンもとりあえずは安心したようで、ルチアはそんな大きな舞台に出られるわけがないと大いに慌て、カロンはお菓子を食べながらも興味があるのか熱心に話を聞いていた。飛び交う声を聞き流しながらふと、アリスはこのことについてどう思っているのだろうかと気になった。
出かけてからしばらく経った。いつ戻ってくるのか分からない。しかし城下町なら、探しに行ける。
聞きたいことがたくさんある。話したいことも同じほど。すれ違ったとしても待つくらいなら探してみようと、俺は静かに立ち上がった。




