4ー3
夕食から数時間経ち、自分にとってはまだ眠るのには早い頃。机の上のランプを灯し、タブレットのメンテナンスをしていると部屋の扉が叩かれた。こんな時間に誰だろうかと返事をすると、あたし、とくぐもった声が返ってくる。さらに珍しいなと思いつつも特に私物を隠すことはせず、立ち上がって扉を開けた。
「まだ寝ていなかったわよね、入ってもいい?」
「いいけど……何か用事か?」
しかしルチアは質問を無視して中に滑り込んでくる。寝巻きのワンピースにカーディガンを羽織った姿でうろつくのは、ハミルトンでは問題ないだろうが客人もいる貴族の公爵邸ではあまり良くないことなのだろうと考えつつ、伝えたところで知ってるわよとしか返ってこないことが分かったので口に出すことをやめた。ランプを触り、火を大きくして明るさを調整する。先程よりも部屋全体の構造が分かるくらいには明るくなった。
ルチアは何も言わないままベッドの端に腰を下ろす。ぼんやりと宙を見つめており何を考えているか分からなかったが、とりあえずこちらも元の椅子に座り直して向かい合う。そしてふと、明日からの疑問が浮かんだ。
「そういえば、今日で慰問舞台は終わったから明日はロランドに戻るんだよな?」
「他の孤児院でもやりたいからそれまでここにいてほしいって、夕食のときにお嬢様が話していたけれどキョウヤ、聞いていなかったでしょ」
「え? あ〜そうだったんだ……。まぁ店は大丈夫だろうけど、ジンだけ先に戻しておくかな」
「店長にはあれから手紙で連絡したら、やりたいことを優先してと言ってくれていたけれどね。……それより、問題あるのはキョウヤの方でしょ?」
「俺が? 何で」
「アリスのお兄さんと婚約者って人が来てから分かりやすく動揺してる」
まっすぐ射抜かれるように見据えられて、思わず喉に言葉が詰まった。
「いつも通りに振る舞っているみたいだったけれど、夕食のときアリスとあんまり目を合わせないようにしてた。あれ良くないわよ。あんたが何かを思うのは勝手だけど、それを分かるように態度に出すのは間違ってる」
「俺は別にそんなつもりじゃ、」
「あたしは婚約者がいたこと知っていたわ、アリスから聞いたから」
そして再度、口をつぐむ。
「他にもいろいろ知ってる、キョウヤが知らないこと」
言われた瞬間、本当に少しだけ思ってしまった。
「いまこう思ったでしょ、ルチアには話すのに俺には話してくれないんだ、って」
「思っ……!」
身を乗り出して反論しようと口を開く。けれど事実で、その先の嘘などまったく口から出てこなかった。
「…………思った、ほんの少しだけ。……ごめん」
「別に謝らなくてもいいわよ。でもキョウヤって……どうしてそんなに正直なのに……はあぁぁぁ〜」
意気消沈するとなぜかルチアも盛大なため息を吐いて俯いた。結局何が言いたいのか何を言いにきたのか判然としなくて先を窺う。
「キョウヤ……アリスのことが知りたいなら、話してくれるのを待つんじゃなくて自分から素直に聞いた方がいいと思うわ」
そうして飛んできた話題は、またもやぐさりと図星を刺されるものだった。
「……いやでも、アリス言ってたよな? 土足で踏みこんでくるようなやつは好きじゃないって」
「つまりは知りたいし嫌われたくないってことね」
「そりゃ……嫌われたくないよ」
「聞いたくらいで嫌われるって本気で思ってるの? アリスがあんたのことどれほど好意的に見てるか知らないなんて言わないわよね、もっと自惚れなさいよボケ!」
突然罵倒されて目を丸くしている間にルチアが枕を手に取り近づいてくる。足音荒いその様子はなぜか怒っているように見えたが、それよりも目の前で枕を大きく振りかぶられて目を瞑った。
ぶん殴られる! と身構えたがしかし衝撃が襲ってくることはない。ゆっくりと目を開けると枕を潰すくらいの力で抱きしめながら、ルチアは何とももどかしそうに眉を歪めて立っていた。
「あんたが他人を気遣って深入りしない人間なのは分かってるけど、気になるなら踏み込まなきゃだめよ。アリスだって絶対聞いてくれた方が嬉しいに決まってるわ」
「ルチア……」
「……さっきアリス、お兄さんと話してきたのよ。それで明日、婚約者の人と話してみるんだって」
ぽつりと小さく声を漏らす。それを聞いてなんとなく、ああこれが本題だったのかと理解して、無意識に硬くなっていた体からふっと力が抜けた。
「王子様か何か知らないけれど、あたしより上なのに物凄く細くて転んだら折れてしまいそうな人で……。……アリスが家に戻るって決めるのならそれはもう仕方ないけれど、もしあの人と結婚するってなったらそんなの……あんたの方が全然百倍マシだと思ったのよ!」
「ちょっ……えぇっ!?」
「ついこの間も一人で悩んで落ち込んでたくせに何また一人でもやもやしてんのよ! そんな暇あったらさっさとアリスと話したら!? 悩む前にいきなり消えて行動を起こして帰ってくるあんたは一体どこ行ったのよ!」
だんだんと大きくなっていく声に隣の客室に誰もいなくてよかったと思いつつ、ルチアには悪いが胸の奥が温かくなるのを感じた。繰り返し枕を力なくぶつけてくる彼女の言葉は最後は八つ当たり気味に聞こえたが、半分は俺のことも気にかけてくれたのだろうことが分かって笑みがこぼれる。
アルフェンと会って、アリスが家に戻ってしまうのではと感じて。
婚約者のシアンと、ないとは思いつつももしかしたら結婚してしまうのではと感じて。
突然彼女がいなくなってしまうのではと、ルチアと自分は同じ焦りを感じていたのだ。
困ったときは私達が力になると数日前にアリスが言ってくれた。自分でも何に対して煮え切らない思いを抱いていたのか分からなかったが、ルチアと話してはっきりしたように思う。図らずもルチアに助言してもらった形となった。
「やっぱり大きくなったなあ、ルチア」
「っ!? 子供扱いしないでっ! それよりあたしが言った意味分かったの!?」
「よく分かったよ、うじうじしてるなって意味だよな。明日アリスと話してみるよ、ありがとう」
立ち上がって頭を撫でようと伸ばした手を華麗に避けられた。数年前までは大人しく撫でられてくれたのに月日と成長をしみじみと感じる。けれどアリスと会った翌日には声を上げて言い争っていたというのに、そんなに仲良くなったんだなと、アリスの兄が彼女を見て優しい顔をしていた気持ちが少しだけ分かるような気がした。
「ルチアはアリスのこと大好きなんだな」
「はあぁぁぁ……!?」
微笑ましく感じて告げると素っ頓狂な声が飛んでくる。次いでわなわなと震えながら口を開閉させていたが勢いよく枕を押しつけてきた。
「それはあんたでしょっ!」
そしてそれだけ叫ぶとルチアは部屋を出ていった。無音で訪れては嵐のように去っていったが、しかし一応彼女が言いたかったことをこちらが理解したことは伝わっただろう。カバーがぐしゃぐしゃになった枕をベッドへと戻す。
「それはあんたでしょ、か……」
照れ隠しのようにすっ飛んでいったルチアの姿を思い浮かべて笑いが漏れる。
「そうだな」
それが親愛かそれ以上のものかはいまは置いておいて、純粋にアリスのことを好きだと思った。
そうして翌日、やることが定まり気が抜けた俺は大いに寝過ごし、カロンが呼びにきてくれたときには既に、アリスはシアンと出かけていなくなった後だった。




