4.兄と婚約者
「こんやくしゃ……? ……アリスちゃんの?」
「ちょ、ちょっとカロン、一旦戻るか」
首を傾げるカロンの背を押して施設の中へと戻る。出ていったと思ったらすぐさま戻ってきた自分達に再び子供達が嬉々として集まってきた。有り余る元気に服を引っ張られながら扉の向こうを振り返る。
そろそろ戻るかと扉を開けると三人の大声が響き渡った。内容も気になったが遠目に見えた二人の男性のうち、片方一人はその佇まいと雰囲気に覚えがあった。咄嗟に身を隠すようにしてしまったが、記憶を辿っても確かに彼を見たことがあった。
「知らない人いたね……アリスちゃん達の知ってる人かな? キョウヤくんも知ってる人?」
「いや……一人は見たことある気がするけど、向こうは俺のこと知らないんじゃないかなあ〜」
「そうなんだ……? じゃあキョウヤくん、どうして隠れてるの?」
「…………いや? 俺は別に隠れてるわけじゃないけど」
「だったら行こう? わたし、今日はみんなと一緒にエフィネア様のお家に泊まれるから早く行きたい」
と、きらきらと目を輝かせながら見上げられたら折れるしかなかった。いつもは一人ココット家に帰る彼女だが、今日は舞台の打ち上げというかお疲れ様会というか、エフィネアに公爵邸に招かれて一泊するようだ。楽しみな気持ちが舞台後からずっと漏れ出ており、それを言われるとさっさと戻ること以外はできそうにない。
わいわいと群がる子供達と再度別れ、諦めてカロンに引っ張られる形で外に出る。と、ちょうどアリスと見覚えのある青年がこちらに歩いてきたところだった。
「あっ、キョウヤさん、カロンちゃん」
心なしか普段よりも声が弾んでいるようなアリスが小走りに駆けてくる。ルチア達ともう一人の男性は先に馬車へと向かったようだ。
「他の子達とのお話はもういいんですか?」
「うん、大丈夫。アリスちゃん、その人は?」
「うん、紹介するね。私も偶然会ってびっくりしたんだけど、私の兄です。アルフェンと言います」
「アリスちゃんのおにいちゃん!」
カロンの驚いた声に、隣の青年ーーアルフェンに視線を移す。自分よりも年上なのだろう背が高く、社交界に出るような貴族服を身にまとっているが、服の上からも鍛えられた体が分かるような力強さを雰囲気から感じた。ベルトにぶら下がる長剣も玩具では決してないのだろう。見たことがあるといってもすれ違いざまだったのでこれほど間近で対面したことはないが、まさか彼がアリスの兄であったことに俺はとても驚いていた。
腹違いの兄がいることは話してくれたので聞いていたが……。しかし母親が違うからか、さっと見た限りアリスとアルフェンの容姿は似ていない。髪や瞳の色、目鼻立ち……。一応父親が同じなので血の繋がった兄妹であることは確かなのだろうが、二人が並んでいるのを見るとなんだか少し落ち着かない気持ちになった。
「初めまして、アリスから少しだけ話を聞いた。貴殿がアリスを助けてくれたのだな」
朗らかに、しかしどっしりと鷹揚に構えるアルフェンがこちらを見据えてくる。アリスとは違いまさしく貴族であるというような自信に溢れた姿勢に、さすがに小さく頭を下げる。
「いえ、助けたと言うのはさすがに大仰な気もしますが……」
「そんなことありません! 私はキョウヤさんに助けられました。隣のカロンちゃんもそうなんですよ、お兄さま」
「そうか、それは俺からも誠に感謝申し上げる」
紳士的に深く腰を折られさすがに恐縮した。アリスとカロンがそう思ってくれるのは本当に嬉しかったが、彼に頭を下げられるとなぜだが胸の奥がもやついた。
「俺と、先に馬車へ戻られたシアン様も、今日からメレン公爵家に数日滞在させていただく。こうして出会えた縁だ、顔を合わせて話をする機会を作れたらと思うが……そのときはまたよろしく頼む」
人好きをするような笑顔にこちらも愛想を浮かべ返す。そうしてアリスと共にきびすを返す後ろ姿を見て、なんとなく分かったことがあった。
アルフェンもこちらに気づいている。しかし特に干渉してくるつもりはなさそうだということ。
カロンがアリスに走り寄り、自分もようやく足を動かす。アリスが嬉しそうにアルフェンへと話しかける姿を背後から眺めながら、本当に彼女は兄が大好きなのだと自然と頬が緩んでいく。彼女は家を出てきたはずなのに、その家に連れ戻そうという素振りがアルフェンにはまったく見られない。それは彼が、彼女の本当の理解者であることを意味していた。
どのようにして別れたのかは分からないが、会えて良かったとは素直に思う。けれどなぜか、いまのアリスの周りには人がたくさんいて、初めて出会ったとき、湖へ連れ出したとき……数日前に馬車の中で会話したときのように、二人で話すことがもうできなくなるような気がして、少し寂しく思った。
彼以外にも、いないと言われた……いないと思っていた婚約者のことも。
つい先程までは楽しい気持ちで彼女達の舞台を録画していたというのに、いまの自分は釈然としない。ふと喉元まで言葉が出かかったが、何を言いたいのか自分でもまったく分からず、息を吐いた。