3ー6
キョウヤの姿は意外とすぐに見つかった。
「キョウヤさんっ」
少し開けた広場の道端で彼が振り向く。
「アリス? どうしたの? わざわざ俺のこと追いかけてきて、何かあった?」
「いえ……ルチアに言われて」
「あぁ、また不審者みたいな動きをするなってことだよね。よく言われるんだよ、自分なりに一応気をつけてるつもりなんだけどさ」
「さっきの女の子のことを探していたんですか?」
「まぁ、少し話を聞いてみたくて。でもいつのまにか見失っちゃったんだけど」
キョウヤの視線を辿ると広場からは細い路地も含め複数の道が分岐していた。地元の人達なら問題ないだろうが、確かに私達にはどこがどこに繋がるのかさっぱり分からない。
「あの後、シスターが女の子のことについて話していたんですけどーー、」
とりあえず私はルチアに言われたように、先程のシスターの話をキョウヤに伝えてみることにした。
「つまりさっきのカロンって子は、そのココットって家に養子として引き取られたってことか」
「そうだと思います。でもたぶんそういうのはちゃんとお互い話し合いをすると思うので、一方的なものではないと思いますけど……」
「まぁね……。けど、立ち聞きした限りではその子、教会に戻りたそうにしていた気がするけどなあ」
腕を組んで何を考えているのかキョウヤがうーんと目を閉じて唸る。私も思い返してみると女の子……カロンは確かにシスターに孤児院に戻るのはだめかとを聞いていた。裏を返さなくとも戻りたいということは明白で、けれどシスターやエフィネアではなく今日会ったばかりのキョウヤがカロンについてそれほど悩むことなのかと思い、はっとする。
……そうやって初めて出会った私に手を差し伸べてくれたのは彼だったというのに。
ルチアも、昔にキョウヤが手を伸ばしただろう私が知らない人達も、みんな物凄く助かったはずだ。理由なんて二の次で、困っていると思ったから声をかける。彼がそういう性格の人物であることを改めて思い知らされたようだった。
「確か代筆屋を営んでるんだったよね。だったら誰かに聞けば分かりそうだし、俺ちょっと行ってこようかな」
おそらく私がいなければとっくに一人で行動に移しているのだろう。なのにわざわざ自分の気持ちを教えてくれるのもこちらを気遣ってのことだと分かったので、その優しさに私も一緒に行動してみたくなった。
「それなら私も一緒に行ってもいいですか?」
尋ねるとキョウヤは数度目を瞬かせたが笑顔で頷いてくれた。
「じゃ、ちょっと誰かに聞いてみようか!」
言うや否や目の前を通り過ぎた老齢の紳士に声をかける行動は素早すぎた。快く答えてくれた彼の話を聞くに、この場からは歩いて十分もかからない距離だという。そういえばシスターも孤児院からほど近い場所にあると言っていた。
「代筆屋って最近できた職業だよね?」
教えてもらった道を並んで歩きながらキョウヤが話しかけてくる。数年前に歴史講師に教えてもらったことを思い出した。
「はい、確か十年くらい前に……。難しい書類の手続きとかを本人の代わりに書いてくれるんでしたよね」
「と、いうことはそのココット夫妻は勉強ができる人達なんだろうなぁ。カロンは物分かりがよかったってことみたいだし、もしかして跡を継がせるために引き取ったのかな?」
「物分かりがよくても勉強ができるとは限らないと思いますけど……」
「だよね! 俺もそう思う、俺がそうだったし」
私もそうだったと思い返す。勉強ができる振りをしていただけだ。それでもキョウヤはエフィネアと同様に博識であると私は思う。本人は否定しているけれど。
そうしてたった数分後、代筆屋のココット家と思われる店に到着した。住家が整然と立ち並ぶ道の端、まだ新しそうな建物はしかし扉のドアノブに休業日のプレートがぶら下がっていた。
「今日はお店、お休みみたいですね……。カロンちゃんは戻っているんでしょうか? キョウヤさん、どうしますか?」
「うーんそうだな〜正面から行ってもなぁ……」
言いながらキョウヤは建物の横に回り、私もその後をついていく。と、おもむろに他人の家の窓をそろそろと開けたので仰天した。
「お、開いてる!」
「ちょ、ちょっとキョウヤさん何してるんですか!」
思わず腕を引っ張って窓から離れる。慌ててきょろきょろ周りを見回すが運良く誰もいないようだった。
「だめですよ勝手に窓を開けたりしちゃ! それこそ不審者に間違われるじゃないですか!」
「いやちょっと待ってアリス! これ投げ入れたらすぐに閉めるから!」
「投げ……なんて?」
疑問に思っている間に腕は離れ、キョウヤがかすかに開けた窓の隙間から何かを中に放り込んだ。よほど小さなものだったのか転がる音も何も聞こえず、再び音を立てないように彼はそっと窓を閉める。そして隣に戻ってくると何事もなかったように頷いた。
「はい、ちゃんと閉めたよ」
そういう問題じゃないんだけど……。
「アリスは怒った顔もかわいいね」
にっこりと言われ、私は真面目に注意したというのになんだか少しかちんときた。
「……いろんな人に言ってるんですよねそれ」
「言ってないけど?」
目を細めて睨み上げると即答され、私の方がびっくりしてたじろいだ。
「アリスだけだよ」
「…………どうして?」
「え? 本当にかわいいと思うからかな」
考えながらけろっと言われた内容に、私は理解が及ばずに混乱した。いままでも何度か言われたことがあるがお世辞というか話の流れ的にというか嬉しくは思いつつも受け流していた。しかしいまの言葉を飲み込んで咀嚼するとじわじわと顔に熱が集まってきそうになり、私は必死に平静を保とうと戦った。
別にこんなことを聞きたかったわけではない。ただのちょっとした子供のような八つ当たりをしたつもりだったのに……。でもあまりにあっさりすぎるので深く考えて言ってはいないのだろう。と考えつつも彼の言葉に裏表はないに等しいことはこの数週間関わって分かっていたので、やはり胸の鼓動が速くなるのを必死に抑えた。
「ちょっとこっち来て」
だからキョウヤに手首を掴まれ引っ張られても既に羞恥など無に帰していた。
「ほら、声が聞こえる」
建物の裏手の道端に寄り、キョウヤが白色で長方形の機械をコートのポケットから取り出す。手のひらに収まるそれの上部にはタブレットと同じような画面、下部には二重の円が描かれており見たことがあった。
「これってお店でルチアが舞台に立つときに伴奏が流れる道具ですよね?」
「ああ。それでさっき窓から投げ入れたのも凄く小さな機械なんだけど、それのおかげで家の中で喋っている声がここから全部聞こえるようになるんだ」
「……………………盗み聞き?」
「アリス……ごめん……今回だけは許してほしい……いままで一度も使ったことないから……」
思わず静かに見つめると、何を思ったのかキョウヤはとてつもなく落ち込んで肩を落とした。それほど責めるような目になっていたかと内心慌てたが、それにしても盗み聞きは……うーん…………。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら私も耳を澄ませることにした。
何もなかったらそれはそれでいいのだしと自分をなんとか納得させて、キョウヤが持つそれに耳を寄せる。なんだか体温を感じそうな近さだったが煩悩を頭から吹き飛ばしていると、機械からぎしぎしと音が聞こえてきた。階段を上っている音だろうか?
『カロンちゃん、休憩しましょう。入っていいかしら?』
「奥さんの声かな」
キョウヤの言う通り少し年齢のいった女性の声だった。がちゃりと扉が開くような音がする。
『これ、今日のおやつよ。ケーキとクッキーと……新しい紅茶を淹れてみたの。疲れたときは甘い物だものね』
『……うん。……ありがとう、おばさん』
『お勉強の方はどう? 分からないところがあったら遠慮なく聞いてちょうだいね? おばさん、何でも教えてあげちゃうんだから!』
『難しいけど、少しずつ進んでるから。まだ一人で頑張ってみる』
『そう? カロンちゃんはしっかりしてるから大丈夫かしら? それじゃあ夕飯までもう少し頑張ってね」
愛想の良い声の女性が階段を下りていく音がする。
『ーーーー』
「……!」
それと重なった吐息のような囚われた気持ちを私の耳は聞き逃さなかった。
『どうだった? カロンの様子は』
その言葉を頭の中で噛み砕こうとする間に今度は穏やかそうな男性の声が聞こえた。旦那さんなのだろう。
『言う通りに一生懸命お勉強していたわ。本当に物分かりが良くていい子よ、かわいくてたくさんおやつをあげたくなっちゃうわ』
『ははっ、そうか。ある程度したら僕達の仕事を手伝わせてもいいかもしれないな。明日の予定はどうなっているんだ?』
『明日は朝の六時半に起床して、七時に朝食。八時からお昼までお勉強の時間だけれど途中で何度か休憩を挟むつもりよ』
……え?
『お昼を食べた後は二時までは自由時間で、それから六時までは読書の時間。その間も休憩を何回か挟んで、読む本はあとであなたの書斎から選んでおくつもりだわ。夕食を取って八時から十時まで机に向かってもらって、いまのところ十時半に就寝の予定ね』
「嘘だろ?」
キョウヤが信じられないというように呟く。私も同じだ、衝撃的すぎて言葉が出ない。
『そうか……。とても大変だろうから、食事だけは毎食豪華にして英気を養ってもらわないとな』
『ええ! それじゃあいまから夕飯をーー、』
という声は何かを踏み砕く乾いた音とともに突然途切れる。その後は何も聞こえることはなかった。
「踏まれて壊れたみたいだけど……」
キョウヤが機械を離して見つめる。同様にそれを見つめながら、お互い言葉が出てこなかった。
「……あの、キョウヤさん。さっきカロンちゃんが小さく呟いた言葉聞こえましたか?」
「いや……何か言ってた?」
「……もうやだって、言ってました」
いまにもすべてを諦めてしまいそうな声で。
何もないなんてことはなかった。知ってしまえば孤児院に戻りたいと思う気持ちもよく理解できた。シスターに話さないのももしかしたら信じてもらえないと思っているのかもしれない。この夫婦は周囲からは信頼されているとシスターは話していたし。
「……聞いた限り完全によかれと思ってやってるんだろうなこれ、悪気が感じられない。でもそういうのが一番タチが悪い。一ヶ月前……だったよね引き取られたのって。俺だったら死ぬ、こんな自由がない生活なんて」
神妙な顔で建物を振り返るキョウヤに私も激しく同意見だった。どんな気持ちでここにいるのか……。でも、じゃあどうすればいいのか私にはすぐに思いつかない。
「ここから連れ出さないと」
それなのにすぐさまそう言い切ってしまえるキョウヤは強くてすごいと思ったが、反面何かに急かされているような焦りも垣間見えて、その理由が分からずに私は少しだけ不安になった。




