3ー5
公爵家の馬車を借り、貴族街を出てすぐの城下町にある一番近い孤児院には二十分もかからずに到着した。訪れて驚いたのは敷地が想像以上に広大で、子供達が生活するのための建物がとても立派だったことだ。煉瓦造りのそれは下町の住家よりも丈夫そうで、併設されている教会も誰が訪れていいように広くて見事なものである。自活するための野菜を作る畑や、店に卸すための花を育てる花壇などもあり、メレン公爵家が自領の孤児のために目をかけているのが見て取れる場所であった。
この時間、子供達は全員施設の中にいるのか外に姿は見えず、エフィネアとレイの後ろに続いて私達は教会へ入る。左右には横に長い椅子が等間隔で置かれてあり、真ん中には赤い絨毯が前へと伸びている。前方上部のガラス窓からは陽光が差し込み、その下の小さいながらも色彩豊かなステンドグラスからも色とりどりの光が床の上に映り込む。左前方にオルガンが置かれているなど教会の造りはどこも大体同じだったが、ここは神父が教えを説く木造の聖書台がなく、前方の空間が広く空いているのが特徴的だった。
もしこの場で歌を披露するのならあまり激しい振りはできないなと見渡しながら考える。楽団が入る広さでもないし、だとすると……どうしようか。四人くらいは横に並ぶことができそうなのでそれは問題ないとしてーーと考えているとエフィネアが不思議そうに首を捻った。
「あら? シスターはどちらにいるのでしょう。レイ、今日この時間帯に伺うことを昨日お伝えしたはずですよね?」
「お嬢様、そちらの扉から声が」
レイの言葉を受け耳を澄ませると隣室に繋がる扉が少し開いており、そこから確かに声が聞こえてきた。書斎と応接室が合わさったような部屋だ。エフィネアが静かに覗き込む後ろから私も目を凝らすと、シスターではなさそうな女の子の後ろ姿が目に入る。何やら会話しているようだと思うとキョウヤもルチアも寄ってきて、レイ以外の全員でこっそりと部屋を覗くことになって内心慌てた。いいのだろうかこんなことをして。
『ーーそれは……少し難しいかもしれないわ。あなたはこの間あのお家の子ということになったから……。遊びに来てくれる分にはいつでも喜んで歓迎するけれど……』
『どうしてもだめ? ここに戻るの。もうこれから二度と、絶対にここに来ちゃいけない?』
『カロン、私はここに来てはいけないなんてそんなこと言ってはいないでしょ? でも、ココットさんのお家で何かあったのなら教えてほしいわ。どうしても話せないこと? もしかして、ココットさんのお家は住みづらい?』
『……そんなんじゃない。いい……わたし、もう帰らないと』
という声がいきなり近づいてきたので私達四人は慌てて扉の前から散開した。直後に扉が開かれるとびっくりしたように女の子が目を丸くして立ち止まる。まぁそれはそうだろう……盗み聞きしてしまったことが申し訳なくてそろそろと視線を逸らした。ごめんなさい。
ルチアよりも幼く見える彼女は綺麗な銀髪を肩上まで伸ばし、群青色の瞳は瞼が少し重そうだった。半袖の上に長いカーディガンを羽織り、膝丈少し上のズボンに革靴を履いている姿は一見すると少年のように見えなくもない。けれど聞こえた声と、背負う小さなリュックから何やらうさぎのぬいぐるみの頭が飛び出ているのはかわらしく思った。
女の子は突然現れた私達におどおどしていたが、そのまま小走りで教会を出ていった。ここは孤児院だけれど彼女は違うのだろうかと思ったところで、女性の驚いたような声が響いた。
「ま、まあ! エフィネア様、いらっしゃっていたのですね……! 気がつかずに大変申し訳ありません……っ」
「いいえ、急ぎではないので問題はありません。それよりもわたくし達の方が少々お話を耳に入れてしまいました」
「それは、お見苦しいところをお見せしてしまいました。……そうしましたら、そちらの方々がこの度ご協力していただける方々なのでしょうか?」
扉を閉めてシスターがこちらを順々に見やる。髪を顎先で短く切り揃え、頬にそばかすが浮く顔は穏和で、子供達にとっては話しかけやすそうな雰囲気が漂う二十代後半ほどの女性だった。ゆるりとしたシスター服もとても似合っているように感じる。
「ええ、アリスさんとルチアさんです。そしてわたくしもしばらくしたら中央に行く身になりますから、ご一緒に参加させていただこうかと」
「それは……! 大変喜ばしいことですが、とても寂しくなりますね……」
「……アリス、ちょっと」
そして二人の会話を見守っていると隣から肩を叩かれた。
「外行ってくるね」
「え? ……キョウヤさん!?」
小声で言い残すとキョウヤは会釈し、私が何か言う前にコートの裾を翻して教会を出ていってしまった。ルチアが隣で何ともなしにいつものあれねと呟く。いつものとは……もしかして先程の女の子が困っていそうだったから追いかけにいったとか、まさかそういうことだろうか。
「それで詳しいお話は後ほどとしまして、お尋ねしたいことがあるのです。先程のことなのですけれど」
「それは……わざわざエフィネア様にお話するようなことでは、」
「運営についてはわたくしの家が関わっていますので、関係ないことはないと思うのですが。それにわたくし、先程の子を覚えています。最近までこの孤児院で生活をしていた子でしょう?」
キョウヤがいなくなっても特に何も言わずエフィネアはシスターに問いかける。彼女は困った様子だったが公爵令嬢の静かな圧を感じたのか、胸に手をあてて短く息を吐いた。
「おっしゃる通りです。彼女はつい一ヶ月ほど前までこちらで生活をしておりました。カロンと言う十四になったばかりの子なのですが、この施設では年長者でしたので下の子達の面倒を見てくれる物分かりの良いしっかり者の子でして……。その様子を見られて、ぜひ我が家にと引き取って受け入れてくださる方々が現れたのです」
「……それがココット家の夫婦ですか?」
「よくご存じで……。はい、ここからもほど近い場所で代筆屋を営んでいらっしゃるので、周囲からも信頼があり裕福な家であることは間違いないのですが」
「……アリス、ちょっと」
と、二人の会話を聞いていると再度同じように肩を叩かれる。ルチアだった。
「キョウヤのこと探してきて」
「えっ!? どうして」
「いいからいまの話伝えてきて。あたし達と違って一応ちゃんとした家がある女の子にいい歳した男が話しかけまくってたら不審者として捕まるでしょ」
…………確かに……?
「あたしはここで話を聞いてるから、よろしくね」
どんと背中を押されてつんのめる。席を外してもいいのか迷ったが、ルチアが残ってくれるのなら大丈夫だろうと、会話中の二人に小さく会釈すると小走りで教会を出た。そのまま敷地内の外に出る。
「それで……どこへ行けばいいの……」
当然キョウヤの姿など見当たらない。乗ってきた馬車は二台とも並んでいる。歩いてきたわけでもないので土地勘などまったくなかったが、とりあえず私は人通りが多そうな正面の道をまっすぐに行ってみることにした。




