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「おはようございます、お三方。昨晩はゆっくりお休みになれましたでしょうか?」
昨日とは違う色合いの、しかし同じように胸元を強調したドレスを着こなしたエフィネアがやわらかく微笑むと、一人掛けのソファに腰を下ろす。背後には使用人のレイが控え、朝食を終えた私達は再び応接室に集まっていた。
「はい、素敵なお部屋をありがとうございます。食事の方もその、とても美味しかったです」
「ふふ、それは何よりです」
代表して私が答えるが、正直夕食も朝食も豪勢すぎるのと食事をする場所がきらびやかなせいで味はよく分からなかった。私も含めキョウヤもルチアも基本的に何か食べられればそれでいいという、食事に頓着しない人間なのでもっと質素なもので問題ない。しばらく滞在することになるのなら話してみないと、と朝から考える私であった。
「それでは早速お話に移らせていただくのですが、こちらのお願いはわたくし個人のものですので、どうか昨日のように気負わずにお聞きください」
言われて少し肩の力を抜く。どうやらキョウヤに対する政治的な話は昨日で終わったようだった。
「簡潔にお話しますと、アリスさんとルチアさんに孤児院で歌を披露していただきたいのです」
「私達が……孤児院で、ですか?」
「ええ」
レイ、と名前を呼ばれた青年が軽く頭を下げると言葉を引き継ぐ。
「メレン公爵家はこのリンドバーグに複数の孤児院を運営しております。孤児院には教会も併設されているのですが、そちらの教会で子供達を含めた慰問舞台をしていただきたいのです」
「子供達を含めた……参加型ということですか?」
「全員の参加型でも、年長者の誰か一人を含めた舞台でも、そちらは皆様にお任せいたします」
隣のルチアを見やる。こくこくと頷く表情から特に反対意見はないようだった。キョウヤを見ても同様で、しかし私は一つだけ疑問に思うことがあった。
「あの、一つお聞きしたいのですが、そのような慰問舞台は本来、歌を生業とする方が行われると思うのですが……。私達が行っても問題はないのでしょうか」
「アリスさんがおっしゃりたいのは、中央の歌踊大会で良い成績を残した者のことですね? それなら問題ありません、何せ今年の大会では優勝者以外に受賞した者はいませんので、地方を回る歌踊職人はいないのです。優勝者は主に中央の行事に従事しますし、四年前は一人か二人おりましたが、けれどその人数で東西南北すべての行事を回ることはできませんので、最近はわたくし達がこのように個人的にお声がけしているのですよ。そのための先の交流行事でもあるのです」
エフィネアの説明にキョウヤは詳しく知らなかったようで、そんな仕組みなのかと相槌を打っていた。私は自分が出られなかった大会の結果をいま初めて聞いたが、それより歌を職として回る人間がこんなにも少ないことに衝撃を受けた。
受賞することがそれほど高い壁なのか、それとも良い成績を残すためだけの戯れで出場した貴族達が受賞後は辞退しているのか。分からなかったが、伝統的だと思っていた歌踊大会の仕組みが徐々に失われていっているような現実に、物悲しさとなぜだか少しの焦りを感じた。
と、隣からつんつんと指で突かれる。体を寄せるとルチアが小さく耳打ちしてきた。
「これってアリスがしたかったことなんじゃないの?」
「え……」
思わずルチアの方を振り向く。大きな瞳と見つめ合いながら考えると確かにと思った。
「あれ、ほんとだ……」
「何を考えているのか知らないけれどこれってチャンスなんじゃないの? だってつまりは人手不足ってことでしょ? この間の舞台をお嬢様が見て、それで良かったから声をかけてもらったのならやるしかないわよね。お礼のためはもちろんだけど、もしかしたらリンドバーグだけじゃなくて南部全体で継続的にって言われるかもしれないでしょ?」
小声でのルチアの言葉にさすがにそこまではまったく思っていなかったのでなるほどと感心した。別に私達が慰問舞台を行ってもいいのならやってみたいと思っただけで、そんな先の先のことまで考えられるルチアはやはり頭の回転が良いのだろう。
「……そういうことでしたら、私達でよければご協力させていただきたいです」
そもそも断る選択肢は始めからない。軽く頭を下げて答えると、歌踊大会についてキョウヤと談笑していたエフィネアはぱっと表情を明るくさせた。
「まあ! それは良かったです! 一番は子供達のためではありますけれど、わたくしも舞台を拝見して歳の近いあなた方といろいろとお話してみたかったので」
「……と、言いますと……?」
「わたくしもあなた方とご一緒に舞台に上がりたいということです」
にこりと笑まれてぎょっとなる。つまり私達と一緒に歌って踊るということなのか。
「あぁ、皆までおっしゃらなくても理解しています。歌も踊りもこの国のものではないのでしょう? 問題ないどころかむしろわたくしもそちらに興味を惹かれましたので。そうそう、こう見えても体力は結構あるのです。歌踊は貴族の嗜みであるので基本の部分は心得ていますし、子供達を参加させるのなら……そうです! 曲を一から作ってみるというのはどうでしょう! 歌詞も振りも既存のものでなく新しく! 衣装作りも楽団も再びお貸しできるでしょうし、アリスさんルチアさん、お二人はどう思われます?」
新しいおもちゃを見つけたようなきらきらとした顔で早口でまくし立てられて圧倒された。どう思われますと聞かれても何に対して尋ねられているのか分からない。しかし本人にやる気があるのなら特に断る理由はないと思ったのだが、
「……あたし達は真剣にやっているの。あなたも真剣にやってくれるの?」
ルチアが初めてエフィネアに話しかける。歌も踊りも大好きで自分も楽しんでいるけれど、誰かの前に立って披露するのなら遊びではなく真剣に。短い問いだったが、中身にそう含まれているような気がした。
「ええ、真剣に。ですが足りない部分はあると思いますので、その際はルチアさんにご指導いただければと」
「……そう。ならいいけど」
エフィネアのまっすぐな視線に、ルチアが静々と引き下がる。まだ貴族のエフィネアとの距離感を計りかねているようだったがそれだけは尋ねたかったのだろう。二人で舞台に上がったことなんてまだこの間の一度だけなのに、あたし達と言ってくれたことがなんだか嬉しくて気恥ずかしかった。
「話はまとまったみたいだね。それではいまからその孤児院へと伺うんですよね?」
いままで会話の成り行きを見守ってくれていたキョウヤが口を開く。その姿にふと昨日はエフィネアに対して苦手意識を持っていたのに今日は普段通りなんだなと何気なく思う。
「キョウヤ、今日は普通なのね」
と、ルチアもどうやら同じことを思ったらしかった。
「普通に話しかけてもらえる分には特にね」
「昨日は大変お騒がせしました。この身を使って何とか簡単に情報を聞き出せないものかと思っていたのですけれど、キョウヤ様には効果がなかったご様子で」
「まぁ、そのような仕草をお好きな方はたくさんいると思いますよ」
「ええ、夫もその一人ですね」
「「「夫!?」」」
素っ頓狂な叫びが三人重なる。エフィネアは話していなかったかとばかりに目をぱちくりさせると、かわいらしく頬を上気させて微笑んだ。
「いまはまだ婚姻関係なのですけれど、準備が終わり次第王城で式を挙げる予定なのです。ですからこの家とも南部領とももうすぐお別れでして……。嫁ぐ前に、やりたいことをやってみたいと思ったのです」
そう言うエフィネアのやってみたかったことの一つが私達と……ということだったのだろうか。気恥ずかしく思う反面私達で良かったのだろうかとも思ったが、それは杞憂であるのだろう。
「では、いまから皆で孤児院へ向かうとしましょう。それほど距離はありませんのですぐに到着しますわ」
エフィネアが立ち上がって部屋を出ていく後に私達も続く。ルチアはいまだ驚きを隠せないようだった。
「あのお嬢様、あたし達とそんなに歳は変わらないように見えるのにもう結婚するの?」
「確かまだ十八だと聞いた覚えがあるけど、貴族だとそれが普通なんだよな?」
「そうですね、それと王城で式を挙げると言っていたので、相手の方は王家の方なんだと思います」
「すご〜〜……。そんな本の中の出来事のようなこと、本当に現実に存在しているのね……!」
興味があるのか若干前のめり気味のルチアの様子に微笑ましくなる。実際はそんなきらきらとしたものばかりではないのだがわざわざ言うこともないだろう。
「アリスには婚約者は……」
と、キョウヤの言葉が途中で途切れる。見るとうっかりしまった! という表情が見て取れた。分かりやすくて思わず笑ってしまう。
「ごめん、興味本意で聞いちゃいけないことだったね」
「謝らなくて大丈夫ですよ、私にはいないですし」
「えっ、そうなんだ?」
はいと答えるとキョウヤはほっとしたようで、その隣でルチアが視線を寄越してきたが笑みを作って受け流した。だって別に本当にいない。
顔も名前も何も知らない、会話どころか手紙のやり取りもしたことない。勝手に決められていた婚姻関係などいまは破棄されているかもしれないし、別にどうなっていてもどうでもいい。
嬉しそうなエフィネアを見たら良い人に巡り会えたのだとよく分かった。少しだけ羨ましいと思ったけれど、いまの場所の居心地が良いのですぐさまその気持ちは消え去った。




