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3.エフィネアとカロン


「あちらが、あのお方が生活していらっしゃるお店なのですね」


 この場にはあまり似つかわしくない、色味は控えめであるが繊細かつ瀟洒なドレスを身にまとった一人の女性が自領の下町を訪れる。そばに背の高い男性の使用人を従え、行き交う町人の好奇な視線にも臆さずに、女性は扇を広げて口元を隠すと堪えきれないというように笑みを浮かべた。

「『自分ができることなら何でもする』とのお言葉……。もちろんお忘れになっているはずはありませんよね……?」

 見つめる先には宿酒場なのだろうハミルトンと書かれた看板がある。

 吹き抜ける風が初夏の香りを運んできた日のことだった。








「おーい二人とも! 見てくれ完成した!」


 輝かしいほどの満面の笑みで、本日閉店のプラカードをぶら下げたはずの扉をぶち破ってきたのは、数日ぶりに姿を現したキョウヤだった。


「キョウヤ? あんたまた一体どこ行ってたの?」


 まあまあそれはともかく、とグランドピアノを使用できるように掃除していた私とルチアのもとへ駆け寄ってくる。リンドバーグの交流行事から一週間。舞台は成功し、若干の注目を集めたのだということをハミルトンに訪れる客から聞き恥ずかしくも嬉しく思っていたその間、キョウヤは直後のささやかな打ち上げ以降いつのまにか姿が見えなくなっていた。ルチアに尋ねるとよくあること、とのことで気にしないでいたが、突然帰ってきた彼は意気揚々と自分のタブレットをこちらに見せるように掲げてみせた。


「この前の舞台を録画していてさ、それで他の客の声とか飛び出た頭とか出来る限り消して編集してみたんだ。手作業じゃどうやるのか分からなかったから調べながらやってたら時間かかっちゃったけど」


 普段の服装にコートを羽織り帽子を被った姿のまま、片手で革の鞄を放る。途中から何を言っているのか分からなかったがピアノの埃を拭う作業を止めて、ルチアとタブレットを覗き込む。

 そしてキョウヤが画面の中央に触れて再生された映像ーー専門用語は少し覚えたーーは、なんとこの前の私達の舞台だった。


「えぇーーーっ!? 何これあたし達の舞台じゃんっ! 一体これどうなってるの!?」

「録画……って、私達の舞台をこのタブレットでえぇと、写していた? ってことですか……!?」

「そんな感じかな、こっそりとね! でも客席から少し遠くてこれ以上近くに寄れなかったから、表情とかはっきり分からないのが残念だけどなぁ」


 というキョウヤの声を聞きながらもタブレットを奪い取ったルチアの手元を覗き、私は言葉が出ないほど感動していた。自分が歌い踊った姿を繰り返し観ることができるなんてとんでもないことだ。外国にあるレコードという高価な物でも何度も聴けるのは歌と伴奏だけだと聞く。キョウヤはああ言っていたが自分が舞台上でどんな顔をしていたのか少しでも知ることができるのは助かり、振り付けの精度や二人の動きのズレなど、今後またどこかで披露することがあるのかは分からないが、何度も確認することができるのはとても素晴らしいと思った。


「ありがとうございますキョウヤさん! こんな風に自分の姿を見られるなんて思ってもいませんでした!」


 そして何より嬉しく思ったのが、自分のことだけれど舞台上の自分が楽しそうに笑っていることだった。

 笑顔で礼を述べるとキョウヤは一瞬目を瞬かせたのち、珍しく照れたようにはにかんで笑う。その顔がいつもよりも少し幼く見えて、なんだかかわいいなという感想を抱いた。


「キョウヤ! これ、あたしのやつに送ってもらえることってできないの?」


 ルチアが目に見えて興奮しながらタブレットをキョウヤに返す。確かにルチアの物でも見られるのならいつでも見返すことができそうだ。


「ああ、できるよ。じゃあ部屋からちょっと取ってきてくれーー、」

「まあ! このような物は見たことがありません!」


 ーーないか、というキョウヤの声と重なるようにしてなぜか聞いたことのない女性の声が響いた。

 キョウヤが勢いよく後ろを振り向く。私達も驚いて背後を覗き込んだ。すると閉店と掲げているはずなのにそこには一人の女性と一人の青年が立っていた。


「一体どのような用途に使用する物なのでしょう? お尋ねしたらわたくしにも教えていただけるのかしら?」


 間違えた様子もなく平然と店の中にいることにも驚いた。しかしそれよりも目に飛び込んできたのは女性が身にまとう服装だった。一瞬で分かる、爵位の高い貴族であると。

 淡い緑色を基調としたドレスは大胆にも胸元が広く開き、豊満な胸の谷間が覗いている。ウエストで絞られ、そこからふわりと足首まで隠れるほどのスカートは何層にも段があり、パニエで美しく広がっていた。

 私と同じか少し上の年齢と思われる女性の髪は薄い茶色で、触るとやわらかそうなそれはウェーブがかかり背中の上まで伸びている。目尻が垂れた翡翠色の瞳からは優しさを感じ、ゆったりと微笑む口元には余裕が感じられた。前髪横に付けられた花の髪飾りがかわいらしい。花には詳しくないのでよく分からなかったが。

 そして彼女の斜め後ろに気配なく立ち、姿勢を正して微動だにしない若い青年は執事服を着用していた。長髪を頭の後ろで一つに縛り、綺麗に背中に流している。表情なく控える彼は忠実なしもべのように見えた。


「何もお答えしていただけないのは悲しいものですね……。キョウヤ様にお会いしたい気持ちで遥々足を運びましたのに……」


 呆気に取られていた私達だったが女性の言葉に我に返る。扇を広げ、悲しげに目元を伏せるその姿は儚げで、しかしその視線がキョウヤに向いていることからようやく現実を理解する。


「あの、キョウヤさんのお知り合いですか?」

「えっ……一応、そうかな。その、あなたのような方がわざわざこのようなところにまで、恐縮です。しかし手紙でご連絡いただけたらこちらからお伺いしましたが」


 丁寧な敬語を使うキョウヤを珍しく感じていると、彼が女性と青年から見えないようにタブレットを背中に隠してゆらゆらと揺らしていた。それをルチアが最小の動きで受け取るとピアノに被せてあった布で隠し、何食わぬ顔で掃除道具と一緒にキッチンの奥へと持ち去っていく。見事な連携だと感心したが、キョウヤは浮島の物を私達以外の人にはあまり知られたくないようであることを初めて知った。


「ふふ、ですからお会いしたかったからと申し上げたではありませんか。わたくしとあなた様の特別な仲なのですから」

「うわっ」

「……!」


 そして再び表情をころりと変えると、女性は豊満な胸をわざと押しつけるようにキョウヤの腕に抱きついた。


「お初にお目にかかります。わたくしはエフィネア・メレンと申します。先日の交流行事でのあなた方の舞台、拝見しました。いままでの伝統的な大国の音楽を打ち崩すかのような舞台に、わたくしの家の楽団を使用していただいて光栄でした。お貸しした甲斐があったというものです」

「メレン…………公爵令嬢様っ!?」


 にこやかな名乗りに私は声を上げて仰天した。いろいろ気になることはあったが彼女が私達に公爵家お抱えの楽団を貸してくれたのだ。突然であったというのに快く協力してもらったことに私は慌てて頭を下げる。キッチンからルチアが小走りで戻ってくると私の後ろに小さく隠れた。


「初めまして、エフィネア様。私はアリスと申します、彼女はルチアです。この度は私達のために立派な楽団をお貸しいただきありがとうございました」


 自分が一応伯爵家の人間であるということは関係なく無難にお礼を伝えると、後ろでルチアも頭を下げたのか小さく動く気配がした。しかしわざわざ家名を伝えることはしない。


「アリスさんとルチアさんと言うのですね。あのような素敵な舞台が拝見できたのなら、キョウヤ様のお話をお聞きして良かったというものです。何せ突然でしたのでお父様もお兄様も手が空いておらずわたくしが対応することになったのですけれど、それも何かのご縁だったのでしょう」


 穏やかに微笑むエフィネアの褒め言葉を素直に受け取って笑みを返す。ということはキョウヤが突然飛び出して交渉してきた相手はエフィネアだったということだ。いくら交流行事の主催がメレン公爵家だったとはいえ、いきなり公爵家を訪れて困っているから助けてほしいなど家同士の仲が良くなければできないことだ。しかもそれは貴族であることが前提で、だったらキョウヤは何者なのだろうと隣を見ると、エフィネアに胸を押しつけられて体は引き気味になっていた。顔は曖昧に笑いながらも困っているように見える。


「胸でっっっか」


 後ろでルチアが小さく呟く。まぁ確かに、腕に食い込む部分は柔らかそうであった。いやそんなことより。


「えぇとエフィネア嬢、楽団の件に関しては私からも改めて感謝申し上げます。それで私はどのようなお返しをすればいいのか、わざわざ自ら伝えに来てくださったのですか」


 さりげなく腕を外そうとしていたようだが諦めたのかキョウヤがそのまま話を続ける。するとその話題を待っていたとばかりにエフィネアは甘えるような声を出した。


「ええ、自分にできることなら何でもするとおっしゃってくださったのですもの……。ですから、わたくしと特別な仲になっていただきたくてこうして参ったのです」

「え? エフィネア嬢、ちょっと、」

「いまからわたくしの家へお越しください……お話したいことがたくさんあるのです。仲を深めるためにもしばらく滞在してくださいな」

「待ってください、いまからですか? あと、私があなたと同じ馬車に乗るのはさすがに、」

「わたくしそのような細かいことは何も気にしないので大丈夫です」

「いえそういうことでは……。ア、アリス……ルチア、」


 助け、という困り果てた声は笑顔のエフィネアがずるずると外へ連れ出し聞こえなくなった。唖然として見送っていた私とルチアの前に気配なく人影が現れる。


「「ひぃっ!?」」

「エフィネアお嬢様はあなた方にもお願いがあると申しております。つきましてはしばらくの間、リンドバーグのメレン公爵邸にてシノミヤ様と同様に滞在していただきたいとのことです。馬車の用意は必要でしょうか」

「えっ……あ、馬車はあります。キョウヤさんのが」

「それではリンドバーグにてお待ちしております」


 エフィネアに付き従っていた使用人は低い声で淡々と説明すると、颯爽と店を出ていった。再び静寂の降りた店の中でルチアと顔を見合わせる。


「いまからリンドバーグに? あたし達があのお嬢様の家にしばらく滞在するって?」

「って彼女が言っていたみたいだけど……」

「……貴族だからじゃなくて、ただあのお嬢様が強引な性格なだけなのよね、たぶん。キョウヤの顔がひきつるわけだわ」


 腕を組んでうんうんと頷くルチアに私は首を傾けた。


「キョウヤさん、ああいう性格の人が苦手なの?」

「積極的というか強く押しまくってくるというか、ぐいぐい来る人はなんか苦手みたい。自分がそういう人間だからじゃない?」

「確かに…………?」


 初耳情報だ。だからあんなに落ち着かずに困惑した顔をしていたのか。……最後にか細い声でこちらに助けを求めてきたことを思い返すと申し訳なくなる、どうにか助け舟を出せばよかったか。無理そうだったけれど。


「でもいまギルグさんいないしお店の方はどうしよう?」

「うーん……書き置きをしてくしかないわね……。協力してもらったのは事実だから無視するわけにもいかないし……。それにしてもキョウヤのやつ何でもするって、あの勢いだととんでもない条件とか言ってきそうよね」

「とんでもないことって?」

「結婚とか!」


 と、言うルチアの顔はなぜかきらきらととても楽しそうに輝いていた。意外とこういう話題は好きみたいだった。

 けれどもし結婚をお返しの条件に出してこられたらキョウヤは物凄く困りそうだ……。そのときは相手が公爵令嬢でもなんとか助け舟を出してあげようと、簡単に荷物の準備を終えると外に出た。店の裏手にはこじんまりとしながらもしっかりした馬小屋があり、キョウヤはいつもそこに専用の馬と車を置いているのだが、やはりというべきかそれとも驚くべきか、御者の席には既にジンが座って待っていた。


「あいつに言われた。行き先は把握してる」


 それだけ言うと早く乗れとばかりに口をつぐむ。彼についてはいまだにどんな人間か分からないが、ルチアは毎度のことだと慣れているのか気にせず馬車へと乗り込んだ。私もそれに続く。

 交流行事の後から、もっといろんなところで歌えたらという気持ちが密かに芽生え始めていた。キョウヤには悪いが、またリンドバーグのどこかで歌えたらと思ったことは黙っておこう。



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